死神と女神の狭間 第一章  

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第一章:ひと握りの勇気






 アーヴァンク地方にあるネイル国第二の都市フランセは、この数日というもの、異様なにぎわいをみせていた。
 年一回、秋におこなわれるこの町の収穫祭に、今年も国中から大勢の住民がつめかけていた。朝は早くから色とりどりの出店が街道沿いに並び、昼間は中央広場で鼓笛団の演奏がおこなわれ、夜は遅くまで酒場から騒々しい客の声が聞こえてくる。国の侯爵などの高位の人間が馬車でこの町を訪れ住民の前に出て歓声を浴びれば、いつもは小さな仕事で少ない賃金をかすめとるだけのしがない若者も、この時期ばかりは寂しいふところを費やしてでもうかれた気分になろうとした。もちろん商売人の方もいつもならいざ知らず、この祭りのときばかりは大盤振る舞いとばかり、とれたての食材や編みあがったばかりの衣服、できたばかりの装飾品等々を、いつもの何割引きもの安値で売りさばいていた。それは、ここがかき入れどきであるという意味合いと同時に、この祭の時くらいはせめて、皆で楽しみをわかちあおうという、物を売る側のただただ純粋な気持ちの表れでもあった。
 その日の朝はあいにくの雨だったが、昼過ぎからは徐々にそれもやみ、太陽が西に傾きかけたころにはすっかり雨はあがっていた。それとともに、いつも出店がたちならぶ町の中央道にも人の姿がぼつぼつみえ始め、店主らは午前中の無為に過ぎた時間を取り戻そうとするかのように、いつも以上に声をはって客を呼びこんでいた。残り二日。この年に一度の収穫祭を、だれもが楽しみ、賑やかに過ごそうとしていた。
 だれもが――そう、大半の人間は、そうだった。
 だが、そんな喧騒の中にも、不穏な空気はあった。
「ちょっと、はなしてよ!やめてったら……やめっ……てっ」
「へへ、逃がしゃしねえぜ。おとなしくしろって……このっ」
 大きな通りから三筋ほど離れた通りの路地裏で、その少女は小太りの男に乱暴に腕をつかまれていた。
「いいじゃねえか。ちょっと遊ぶだけだって」
「そうそう、これも社会勉強だぜ、おじょうちゃん」
 いやがる少女にもうひとりのやせぎすの男が、猫なで声でそういった。その少女――メロウは、大きなブルーの瞳を強め、相手の男をにらみつける。
「いいかげんにしてよ!こんなところに無理やりつれてくるなんて、絶対おかしいじゃない!最初から私をはめるつもりだったんでしょう!」
 彼女は叫びながら必死に抵抗するが、小太りの男の力にかなわず、どんどん壁際に追いつめられていく。
「往生際が悪いな〜。じっとしてろよ」
 そう言って男は力任せに、メロウを暗い路地裏の壁に押しつけた。
「誰か、誰か助け……うっ」
「おっと、声をあげるなよ。今度大きな声出したらこれだからな」
 小太りの男は彼女の口をおさえると、ポケットからナイフを取り出す。
「まあここじゃ、多少大声出しても誰もこないだろうけどな」
 後ろで腕を組んで立っている細身の男が冷たくあざけように笑う。朝から雨だったためか、まだこの通りにはいつものようなひとけは戻っていない。
「……!」
 メロウは口をふさがれながら、涙目になって男に訴えた。しかし彼は逆にそれを楽しむかのように、後ろの男と同じく下品な笑みをうかべる。
「あきらめろよ。こうなったのもお前が全部悪いんだぜ。あやしげな男に簡単についていくからこうなったんだ。へへ。さあ、どうやって遊んでやるかな……」
 メロウは必死に首をふったが、ナイフをみせつけられてそれ以上の抵抗はできなかった。道を尋ねてきたやせぎす男に、親切心から近道である裏路地まで自ら連れていったことを、彼女は心の底から悔んだ。
(いや……せっかくのお祭りなのに、こんなことになるなんて……ママの言ってた通り、護身用の魔法くらい使えるようになっておけばよかった……)
 そうしてメロウが自分の力ではどうもしようのない状況に絶望しかけた、そのとき。
「おい、まて。だれかくるぞ」
 道を見張っていたやせの男が、低い声で伝えた。小太りの男は少女をもてあそぶのを邪魔され、不機嫌な顔をする。
「なんだ、せっかくこれからだってのに。隠れるか?」
 メロウの口を再び手でふさいで、小太り男はいらいらしつつ、不安げにいった。
「いや、まて。これは――」
 やせた彼も一瞬不安な表情をみせていたが、その顔つきがなにやら不吉な笑みに変わる。
「よし、おまえはここで待っていろ」
「なんだって?どういうことだ」
「女だ」やせた男が答えた。「一人でこっちに歩いてくる」
 それを聞き、男に口をふさがれたメロウは、喜びと、それ以上の心配とを胸に入り混じらせた。
 たすけてほしい。でも、女の人ひとりじゃこの男達にかなわない。なんとかあのやせ男にみつかる前に、知らせないと。
 やせ男が通りにでてすぐ、メロウは小太り男の手をふりほどいて、必死に声をあげようと試みた。しかし男の方もそれはわかっており、先程以上の力で乱暴にメロウの顔を押さえつけながら、さらに目の前でナイフをちらつかせた。
「おいおい、みょうな動きをするんじゃねえぞ。大事な顔に傷をつけられたくなかったらな」
 男ににらまれ、メロウは暴れるのをやめざるを得なかった。取り押さえられている状態で凶器まで見せられて、これ以上抗うすべはない。どうすることもできず、ただやってくるどこかの不幸な女性の心配をするしかないのだった。
 あまり離れていないところから男の声がきこえてくる。ちょっとすいません、道をおしえていただけませんか。すぐそこだとおもうんですが。
 ――さっきの私のときと同じやり方だ。
 それをきき、メロウは祈るような思いで表の通りをみつめた。だれか、助けを呼んで。逃げて。その可能性はあまり高くないかもしれないと感じながら、それでも彼女は希望をたくすしかなかった。
 二人分の足音が近づく。メロウのいる路地の前で、男の声が急にすごむ。こっちだぜねえちゃん。メロウの横にいた小太り男はそれを聞き、顔をほころばせる。
「ようし、おまえら二人ともゆっくり可愛がってやるからな、へへ」
 勝ち誇ったように小太り男がメロウを見下ろした。大きくなるばかりの不安に、通りから目をそむけそうになるメロウ。
 その直後だった。
 彼女の耳に、まのぬけた声が入ってきたのは。
 あっ、まて。
 ぐう。
 そして、不安で目をつむりかけた彼女の視界に、やせた男の姿が入ってくる。
 ゆっくりと体が崩れ、地面に仰向けに倒れる、やせ男の姿が。
「――!?」
 一瞬、メロウは目の前でなにがおこったのか、分からなかった。
 たまたま通りがかった不幸な女の人がやせ男に連れ込まれ、ひどい目に合わされる光景ばかりを想像していた。または、女の人が無事に逃げおおせ、男だけが戻ってくる光景も。一番の希望は、女の人がメロウをみつけ、なおかつ男達から逃げ、助けを呼んでくれることだった。しかしそれはあくまで希望的観測であり、メロウにはそれが現実になってくれるよう、ただひたすら神に祈るしかなかったのだ。
 それがどういうわけか、いま彼女の目には、男が力なく倒れている光景がうつっている。なにがおこったのか。メロウの胸の中では、喜びよりも、むしろ疑問の方が勝っていた。
 その答えを求めるように、彼女の目が通りに向いた。
 そこに、みしらぬ女が現れた。
 たおれた男の横からみえた女は、メロウと小太りの男がいる細い通りに気づいて立ち止まると、その細面の顔を向けた。藍色のスーツにクリーム色のジャージのその女性は、ただ黙ったまま、少女と男の顔を交互に見る。
 メロウは叫んだ。
「助けて!だれか、助けを呼んで!」
 口をふさぐ手がゆるまっていたことに気づいた小太りの男は、あわててメロウをしゃべらせまいと口をおさえつけた。
「ちょっとだまってろ!おい、おまえ。オレの相棒になにしやがった」
 左手でメロウの口をふさぎ、右手でナイフをかまえながら、男は云った。
 女は何も答えず、急に細い腰を曲げ、地面に落ちていた小石をひろいあげた。右手に持ち、その感触を確かめるように手の中で回す。
 メロウの疑問は、ますます大きくなっていった。
 その女のとても落ち着いた様子に、メロウは驚いていた。普通の人なら、この状況に多少なりともあわてた様子を示すはずだ。それなのに、この人はそういったそぶりを全くみせず、こんなことには慣れっこだ、とでもいうかのように、ただ涼しい顔をしているだけ。
 男の方も同じことを感じているようで、緊張しているのか、口をおさえる男の右手が硬直しているのがわかる。彼にとって、あの女の人の落ち着きようは相当不気味なんだろう。メロウはそう解釈した。
 メロウは女の方をみた。右手に小さな丸い石。一体どうするつもりなのか。
 女が右手を小さく振りかぶる。そして勢いよく、石を投げはなった。
 石が、その手から飛び出し、メロウの顔のすぐ横をかすめる。
「ぐう」
 ついさっき聞いた声が、メロウのすぐそばで聞こえる。
 メロウは後ろを振り返った。小太りの男が力なく、倒れる。
 カツッ、カツン。
 小石が石畳に落ちる音。
 男の眉間には、青ざめた、小さい傷がみえた。
 メロウは、驚きに声も出ないまま、その場から動けない。
 そんなメロウをみても、
「――人騒がせね」
 女は相変わらず、涼しい顔のままだった。


 
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