死神と女神の狭間 第一章  

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 ファルは、ひどく心をかき乱されていた。
 メロウを妻に、などといわれ、真面目な彼はどうしようもなくメロウのことが頭から離れなくなった。いくら警備隊長としての立派な風格を装っても、やはり彼は二十四歳。態度にしろ、心にしろ、まだまだ若さが目立っていた。
 ファルがレンシンク家に雇われたのは五年前だった。十八歳の彼は警備のかたわら、まだ十二歳だったメロウの子守り役として、よく働いた。そのため、ファルにとってメロウは、ただただ騎士長の娘、子供という意識でしかなかった。そのころからメロウの無邪気で活発な性格は邸内のだれからも愛されていたし、もちろん彼も同じようにメロウのことを好きになっていた。
 ファルがメロウのことを、それとは違った意味で意識するようになったのは、つい最近のことだ。
 将来のことで悩むメロウは、この一年ほど、よくファルに相談しにきていた。司書にはなりたくない。人形屋さんをやりたい。パパが外出させてくれない。家庭教師に怒られた。その多くは愚痴で占められていたが、メロウはいつも最後には立ち直り、また明るい表情で「ファル、いつもありがとう」と礼を云うのだった。
 その笑顔を見るたび、ファルの胸はいつも高鳴った。
(メロウ様が元気になられるとき、僕もどこか、心が洗われた、すがすがしい気分になる……)
(四ヶ月前、邸内に侵入した者を取り逃がしてしまったときも。犯人はその後すぐにつかまったからよかったものの、僕は自分の力のなさが情けなくなり、ひどく気分が落ち込んでいた)
(その日の夜も、メロウ様から相談事を受けた。最初は、いまの僕ではかえってメロウ様に迷惑がかかるだろうと、お断りしようかとも思った。でも結局ひきうけ、メロウ様の話すことを聞き、メロウ様の怒る顔、笑う顔を見るうち……)
(僕自身も、いつのまにか元気を取り戻していた。なぜかはよくわからない。でも、メロウ様の笑顔が、僕にとってかけがえのない、守るべきものであることは、なんとなく分かる――)
(それでも、はっきりと意識したことはなかった。マルクス様に言われ、僕は何も答えられなかった。メロウ様が、僕の――)
(僕の、妻に――)










「ファル、晩ごはんできたよ」
 目の前に並べられた食事。
「あ、ありがとうございます、メロウ様」
「もうっ、いつまで昔の呼び方のままなの!私、ファルと結婚したんだから、ちゃんとメロウって呼んで」
「ああ、メ、メロウ、ありがとう」
「よし、よくできました」
 食卓に座るメロウ。
「でも、いまだに信じられませ……られないな」
「なにが?」
「メロウが、僕の妻になったなんて……」
「私だって、最初はそうだったけど……でも、あなたはパパが引退してから騎士長になったし、身分的にはちょうど」
「いや……そうじゃなくて、なんていうか、その……」
「なに?」
「いや、僕は、いつから君のことが……好きになったのかなって……ほら、君が十二歳のとき、僕がはじめて君の屋敷にきたから」
「はじめは子供扱いしてたってこと?でもしかたないよ。私、まだ子供だったもん。でもいまは、こうして二人で暮らせてるんだし……」
「……そうだね」
「ねえ、ファル」
「なに」
「私のこと、本当に好き?まだ子供扱いしてない?」
「好きだよ。愛してる」
「じゃあ、キスしてくれる?」
「うん」
 妻に近づくファル。椅子に座っているメロウに、あついくちづけ。
 晩ごはんが冷めますよ。










「隊長?」
 よばれ、はじめて彼は我に返った。
 顔を真っ赤にしたまま、そのとき前方から部下が歩いてくるのにも、彼は気付かなかった。
「えっ?あ」
「どうかなされましたか。顔色がいつもと違うようにみえますが」
「い、いや、なんでもない。(せき払いをし)ちょっと考え事をしていたのでな」
「そうですか。それならいいのですが……。もう晩ご飯ができてますので、早くおとりにならないと冷めるかと思いまして」
「ああ、そうか」彼は一瞬、さきほどの妄想をおもい、すぐにうちけした。
「わざわざすまん。すぐにいくよ。様子はどうだ。なにか変わったことは?」
「とくになにも。……ああ、外回りの兵が、日が落ちたころに邸の周りをうろつくあやしげな男を見たため詰問したらしいのですが」
「あやしげな男?」
「なんでも、覆面をかぶり、下着一枚だけ着た筋肉質の男だったらしいのですが」
「……?」
「何をしていたのかと聞くと、この邸で腕の立つ傭兵を募集しているときいたので志願しにきた、と。うちでは募集はしていないし、お前のようなあやしげな奴を雇うわけがないと彼が言ったところ、男が急に暴れ出したらしく――。すぐに取り押さえて警察につきとばしましたが」
「……そうか、それならいいが。ご苦労さま。今晩もよろしく頼む」
 部下が一礼して去ると、ファルは少し先の廊下を曲がったところで、おもいきり首を振った。
(……だめだ、メロウ様のことをなんとかして頭から離さないと――。なにか別のことを……)
(これから当番のものに酒と干物をとりにいかせ、それから執事に、ルナン殿への贈り物を……)
(ルナン殿……ルナン……)
 つぶやきながら、彼は昼間に会ったメロウの友達、警察局のルナンに思考を向けた。
(ルナン。メロウ様と二つ違いだから、いま十九歳か。僕より五つも年下なのに、このマルクス邸にいても全く落ち着きはらった様子だった。中央の警察局の者なら、案外このような場所には慣れているのだろうか。でもそれにしても、彼女が相当優秀な人間であることははた目に見ていてもわかる)
(あの人となら、メロウ様が外出されても安心だと思える――)
 彼は、寡黙で冷静な長い黒髪の女性を思い出しながら、ふと思い当たった。
(それに、もしかしたらルナン殿なら――)
(マルクス様の追い求めている『闇色の死神』についても、なにか知っているかもしれない)
 次に会ったとき、たずねてみよう。彼は静かに思った。










「そのとき私、一瞬なにがおきたのかわからなかったの。で、気がついたら人形がボールにあたってずっとむこうにとばされてたの」
 暗い部屋の中で一本のろうそくだけを灯し、メロウはずっと自室にこもっていた。
 ぼうっとした赤い火に照らされるのは、整然と並ぶ人形達と、司書になるための知識がつめこまれた本。それで全てだった。さらに棚を見回せば、本はみな部屋のはじに小さく追いやられており、部屋の主が小難しい書籍を疎んでいる様子が垣間見える。
 実質的に、この空間を支配しているのは、人形達であった。
「じゃあその人形、どうなったと思う?なんとね、すぐに立ち上がったの!あんなにルナンがおもいきり投げつけてたおしたのに。これはぜったいなにか仕掛けがあるんだって調べたら、やっぱり人形のお尻がひもで棚にくくりつけてあったの。わたし、覆面男に文句言ったら、その人、いいわけばっかりでぜんぜんあやまろうとしないの!もう頭にきたから、わたし、おわびの印にあと三回タダで投げさせなさいって言ったの。それでもしぶい顔するのよ、その覆面男。それから……」
 メロウはベッドに座りながら、楽しそうにタンクトップの少年の人形にむかって小一時間ほど話し続けていた。メロウにとって、最も大切な時間。彼女いわく『部屋のともだち』は、こうして毎日毎日、メロウの喜ぶ声に耳を傾け、怒りや悲しみをなだめているのだった。むろん人形が動くわけではないが、それと同じ意味がメロウにはあったのだった。人形に話しかける、という行為自体がメロウにとって数少ない楽しみの一つ、独りきりの寂しさをまぎらわす遊びであり、友達をつくる機会がない彼女にとって対等な言葉でしゃべることのできる貴重な時間だった。
「そうそう、今日の新しい友達にも話しておかないと」
 メロウは少年の人形を枕の横に置き、ベッドの後ろにある背の高い棚に立っている、つぶらな目をした黄色い鳥の人形を手にとった。
「よろしくね。あなたにもなにか名前を付けてあげないといけないよね」
 その丸い目の、いまにも飛び立とうとする姿勢の鳥の人形をながめ、メロウはいい名前がないか思案した。
 どんなのがいいかな、とあれこれ考えていると、ふとメロウは気がついたようにその人形をみた。
「――あなたの目、ルナンと同じ色なのね」
 人形はずっとだまったまま、暗いアメジスト色の瞳をメロウになげかけている。
「じゃあ、あなたの名前は『ルナ』にしよう!ルナ、今日からよろしくね」
 メロウが呼びかけると、かわいい目をしたその鳥はそっとうなずいたようにみえた。
 幸せそうに顔をゆるめながら、メロウは空想と現実の間でまどろむ。
 外での不穏な気配も、邸内におとずれる緊張も、この部屋の中にだけは干渉しないような、メロウだけの幸福な空間がそこにはあった。
 夜の闇は静かにマルクス邸を包む。今夜の夜空に月の姿はなく、無数の星のまたたきがひと際きらめいて見えた。




 
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