死神と女神の狭間 第一章  

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 夜。
 それは人間が最も心を落ち着かせる時間であり、最も警戒すべき時間でもある。
 太陽に照らされ、光に満ちた世界が心を高揚させる昼間と違い、夜の暗闇は人の心を深く沈め、安らかにさせる。目に見えるものは少なくなり、肌に触れる空気も昼に比べ少し冷めたものに感じられる。人は毎日訪れるそんな暗い世界の中で、また明日のために身心をくつろがせ、英気を養うのだ。
 しかしそれを逆手に取り、人の油断をつけねらう者達もまた、この世界には多い。闇にまぎれ、他人の目を盗み、昼間にはできないうしろ暗い仕事に手を染める。一日の半分は夜であり、夜の時間は昼間と同じだけある。すべての生き物はそのどちらかの時間を有効に使い、自分の生活をしたたかに送っている。人間も同じ。生活の基本はあくまで日のでている間であるとはいえ、同じ生き物が千も万もいれば、そのうちのいく人かは暗い世界に目を向け、他の者を尻目に夜のために働くのである。
 いまのマルクス邸にとって最も注意すべきは、その夜であった。
 広い邸内に百を超える警備兵を巡らせても、光の届かぬ世界の中ではどこかに死角が生まれる。それらに注意を払いながら、邸内の異変をいちはやく察知し、素早く対応する。いまの彼らに求められているのは、自分の中の油断をかき消し、用心深くなることであった。
「隊長。全員に配り終えました」
「ごくろうさま。では配置に戻って」
「は」
 ファルは部下に指示しつつ、今日の夜も決して気を許さぬよう、思いを固めていた。
 彼は再び邸内を見回り始めた。兵らに施した一服の果実酒と干物。それは、これからやってくる長い緊張の時間にも気持ちを鈍らせないための、一種の気付けであった。
「隊長、今日の干物はとてもおいしゅうございました。ありがとうございました!」
「礼ならマルクス様に申し上げてくれ。運輸大臣から頂いた干物だそうだ」
「はっ、そうでありましたか。失礼しました」
「いいよ。――今夜もよろしくたのむ」
「はっ」
「隊長、東館一階のルーカスが今日は本館に回っているのですが」
「そうだな。本館二階のルポリをそっちにやろう。たしか彼、ずっと本館続きだったから。私からの命令だと、本人に伝えてくれ」
「承知しました」
「今日、ゼノーニは?調子が悪いと聞いていたが」
「風邪だったようですが、大丈夫とのことです」
「そうか。無理はしないよう、言っておいてくれ。……いや、私が直接いこう。西口の門番だったな」
「はっ」
 隊長らしくきびきびとした態度でふるまうファルに、部下の兵達はいつものように規則正しく動いていった。同じ人間がここ一月あまりずっと勤め続けているため、なにかあればほんのわずかの時間で彼の耳に入ってくるほど、すでに警備システムの完成度は高いものになっていた。特に侵入者の察知に関してはかなり高い水準に達しているという自負がファルにはあったし、マルクスにももちろんあったろう。兵達はこれまでのところ皆まじめに命令を遂行しており、邸内のちょっとした異変にもすぐに気づき知らせることのできる能力を有した、あの老魔道師ボダ=ハの出る幕がないほどに、兵達だけで敷地内は十分目が行き届いていた。ファルはボダ=ハに対しべつだん対抗意識があるわけではなかったが、なんとなく、このまま老いた傭兵の手をわずらわせることなく職務を全うすることこそが、自分に与えられた達成すべき目標である、そんなふうに考えていた。
 ことに、メロウのことが頭の隅にひっかかっている今夜のような日には。
(今夜の警備のことを考えなければいけないのに……)
 別館にいるはずのメロウのことが、気にかかる。
(こんなのは初めてだ。どうしたんだ、僕は)
(なにか、集中できるものがほしい……メロウ様のことが頭から消えるくらいの……)
 頭を何度も横に振る。だがどうしても、大きな青い瞳に心を奪われる。
 そうこうしているうちに、彼は西口の門へ続く本館の出入り口まできていた。
 彼がもやもやした精神状態のまま歩いていると、ゆっくりと前方の扉が開いた。
 西門を守っていたと思われる警備兵が入ってくる。きびきびした足どりで廊下を歩いてきた兵は、ファルにあいさつした。
「おつかれさまです」
 それに気づき、ファルはおもてをあげた。
「あ、ああ。ごくろうさま。そろそろ交代の時間だったかな」
「はい」
「君の分の酒も兵舎においてある。もっていくといい」
「ありがとうございます」
 そういって兵がなにごともなく、ファルの横を通り過ぎていく。
 そのときふと、ファルは気がついて、ふりかえった。
「君。ちょっと……」
「は?」
 兵がふりむくと、ファルはその顔をまじまじとみた。
「……君、前からいた?あまり見ない顔だが」
「はい。二日前に雇われました」
 低い声で答える、その青く鋭い目つきの兵を、ファルはけげんな顔でみつめる。
「二日前?うちの警備兵は最初に雇ってからずっと同じ顔ぶれで通すはずだったが……。マルクス様には会ったか?」
「はい」
「だれかの代わりかな」
「いえ、追加の人員だと」
「追加?いまでさえやや余っているのに、さらに追加などとは……」
 ファルは首をかしげながら、さらに云った。
「ゼノーニはどうだった?」
「ゼノーニ?」
「もうひとりの門番だよ。今日担当だったはずだが」
「ああ、元気そうだった――でしたよ」
 おもわず言葉が乱れるその兵を、ファルは怪しんだ。
「君、名前は?マルクス様に一度確認をとっておく。念のため」
「名前、ですか……」
「確認がとれるまで、ここで待っていてくれ。私に話がきていないというのがどうもひっかかるから」
 そういうと、出入り口から続く階段の下で見張りをしていた兵を呼び、ファルはいいつけた。
「すこしマルクス様のところまで遣いを頼む。君、名前は?」
 ファルにいわれ、その兵はひとつ息をついた。しかしそれからなにも言わない。
 よくみれば、その兵はひきしまった体格で、ファルよりもいくらか背が高い。顔にはまだ若さが残るが、ファルよりはいくぶんか年上であるようだ。右のまぶたの上とあごの左に小さな切り傷があり、戦士としての場数の多さを物語っていた。
「名前は?言いたまえ」
 すこし強い口調で、ファルは云いつけた。
 すると、その兵は小さく舌打ちをした。
「――カンの鋭いやつだな」
 苦い笑みを浮かべ、兵はそっと告げる。
「――名前は、ガルマ=フィリンクス。そうマルクスの旦那に伝えておけよ!」
 云ったが早いか、その兵はいきなり腰の長剣を抜いた!
「な――!」
 ファルは虚をつかれたものの、やや警戒して相手と距離をおいていたため、なんとか剣筋を後ろにかわす。
 体勢を整えると、ファルもすぐさま剣を抜いた。鞘と刃が勢いよくすれる音が廊下にひびく。
「侵入者だ!他の者につたえろ!」
 すぐさまそう指示し、男の後ろにいた兵は廊下をかけていった。さらに近くにいた二、三名の兵が剣を抜き、侵入者に近づく。
 ファルと兵とで、侵入者を挟みうちにした形となった。
「変装して忍び込むとは……。お前、さてはマルクス様を狙いにきた者か!」
 そう彼が叫ぶと、ガルマ、と名乗った男は態度を変え、小さく笑った。
「まあ、そんなとこだ。マルクスの命を拝借してえと思ってな。ちょっと取りにきたわけだ」
 冗談であるかのように軽く云う男に、ファルは怒りを隠し切れなかった。
「おまえのようなものに、わが主人の命をだれが渡すものか!」
 捕らえろ!ファルの一言で、部下の兵が二人同時にかかっていった。
 まず、片方の兵が手にした剣で切りかかる。
 ガルマも前に踏み込みながらそれを剣の腹でうけながすと、その勢いのまま体を相手にぶつける。兵が地面に倒れた。
 もう片方の兵がガルマの横から襲いかかる。ガルマは腰を落とすと、低い姿勢のまま真横に飛び、相手のふところに瞬時に入り込み、剣を一閃。
 赤い血がさっと散った。
 休む間なくすぐさま、倒れていた兵が起き上がろうとするところにガルマは獲物を突き出す。鋭利な刃先が兵の首筋に深く差しこまれる。
 ガルマが剣を抜くと、どっと赤いものを流しながら、兵はよろよろとたよりない足どりで、力なく倒れた。
「くっ――!」
 ファルがやられた兵をみやる。致命傷であることに疑いない。
 剣についた血を払い、ガルマは挑戦的な目つきでファルを見やった。
「なんだ、お前がここの隊長か?にしては若すぎるな」
 云われ、銀色の剣を握っていたファルの右手におもわず力がこめられた。
「マルクス邸の警備隊長ファル=ベーレンスの目にとまったからには、この邸内からは決して逃がしはしない!」
 大きな声で名乗りながら、ファルは怒りをおさえ、冷静に相手を見定めようとした。
 ガルマというこの侵入者。ファルの目から見て、確かに手際はよかった。
 マルクス邸に入ったばかりのところで正体を暴かれても、全く動じることなく二人の兵を簡単に片付けた。なるほど、それなりに実戦経験は豊富らしい。
(暗殺者――プロの殺し屋か)
 だが利は完全に自分のがわにあると、ファルは自信を持っていた。それを証拠に、邸の奥からどんどんと他の兵が集まってくる。彼がいくら名うての殺し屋であっても、この人数の兵士の手をくぐり抜けることは――。
 そのとき、ガルマの口から思いもかけない言葉が発せられた。
「ファルさんよ。あんた『闇色の死神』って、知ってるか?」
「――なに」
 急に予想もしていない言葉を聞き、彼は一瞬戸惑った。
「『闇色の死神』だと――?」
「そうだ。噂くらいは知ってるだろ?あの」
「もちろん知っている!忌まわしき三国会談を破綻させた、憎き犯罪者だ。それがどうした」
 強く彼が叫ぶと、相手は平然とした調子で云った。
「それがもし俺だとしたら、どうする」
「なんだと」
 駆けつけた兵のひとりがすぐさま侵入者に向かっていく。ファルと対峙していたガルマは、その兵の走り来る音に気づいたか、振り向きざまに剣を振るう。
「うわっ!?」
 そのあまりに速い飛び込みと力強い剣筋に声を上げた兵は、上げた剣を振り下ろす間もなく、腹部をざっくりと切り裂かれた。
 切り裂かれた――そう、ファルには見えた。
 身につけられた防具のわずかな隙。胸あてと腰のつなぎ目の部分に刃が正確にあてられ、斬られる。ファルはその類まれな優れた太刀筋を見逃さなかった。
 警備兵に与えられている革鎧と帷子(かたびら)の性質上、腰骨のやや上とわきの下に素材の薄い部分があった。その弱点を彼、ガルマが把握していることは、彼が警備兵と全く同じ防具を身につけている――おそらく門番を襲い、はいだものだろう――ことでおおよそ察しがついた。だが、わきの下はともかく、腰の部分の隙はほんのわずかであり、わかっていてもそうそう狙えるものではない。それを、いかにも簡単そうにやってのける――。
 あるいは、もしや。そんな想像がファルの中に生まれた。
(闇色の、死神――)
(ネイル、サガン、グリッグランドの三国を戦争の渦に巻き込んだ男が、まさか、この――)
(まて、いくら剣の腕がいいとはいえ、それだけで結論づけるのは――)
(しかし万が一、この男がそうだとしたら――)
 ファルは慎重に、油断なく相手の様子をうかがった。どこかひょうひょうとした態度で、主人の命を狙いにきた男はすでに三人の命を獲った剣を握りしめ、じっと彼の前に立ちはだかっていた。





(やべえ……)
 一方、自称「闇色の死神」ガルマの心境はというと、あまり穏やかではなかった。
 これまで三人の兵士を倒し、とりあえず平静を保っている風を装っているが、実はこの時点ですでに彼の計画は大きく狂っていた。
(本当なら、変装したままもう少し屋敷の奥深くまでいくはずだったんだがな……)
(いきなり入り口で警備隊長に遭うなんざ、運が悪い以外の何ものでもねえぜ……。祭りで今日の運勢でもみてもらうべきだったか)
 出入り口は警備隊長ファルが構え、邸の奥からは警備兵たちがぞろぞろとわいて出てくる。「マルクスを暗殺する」という目的の遂行には、あまりよい状況とはいえなかった。
 考えている暇はない。彼は邸の奥、通路のつきあたりまで走った。そこから廊下は左右に分かれている。
「まて!」というファルの声が背後から聞こえる。ガルマは左右を見た。左から兵が二人。右からは一人。
 邸内の地図を頭に浮かべ、彼はあえて左を選んだ。
 左の先は通路が細くなるため、目の前の二人さえ乗り切れば、多人数に囲まれるおそれは少なくなる。
 それに――。
 左からの方が、彼の『目標』の部屋も近い。
 剣を抜きながら走ってくる二人の警備兵に、ガルマは真正面から向かっていった。
(こっちも派手に動き回るからな。きっちりたのむぜ、リースリング!)
 そう、心の中で口にしながら。




 
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