死神と女神の狭間 第一章  

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 腹ばいの状態から、右手に握っていた水晶の剣を手首と肩の力でおもいきり振り上げる。その小さな太刀筋に、致命傷を負わせるだけの勢いはない。だが剣に込められた魔力を解放するには、それだけで十分だった。
 剣先の軌跡にそって、周囲の空気が急激に圧縮される。それは一瞬のうちに切れ味鋭い刃となり、目標に向かってまっしぐらに直進する。
 その刃が狙うのは、マルクスのすぐ目の前にいる、憎むべき女暗殺者。
 妻を殺し、娘をだまし、そして自分をおとしめようとする、卑劣な悪魔。
 マルクスが腕を伸ばしても、剣が届かないぎりぎりの距離に彼女はいた。おそらくこの女は用心して、それだけの間合いをとっていたのだろう。しかしこの風の刃までは予期しなかったはずだ。そうマルクスは考えた。
 それを裏付けるように、このときばかりは彼女の鉄面皮の顔に少し変化が見えた。
 してやった。マルクスはそう思った。
 だが次の瞬間、彼の耳に予想だにしない音がひびいた。
 キインッ!
 金属的な音。
 そして――
 ガシャン!
 窓が割れる音。
 ……窓?
 彼はしびれがきている首を必死にもちあげた。目いっぱい上目づかいにして、ようやく窓のある方向をみる。
 リースリングの背後にあった窓ガラスが、割れていた。
 秋のすずしい風が入り込んでくる。カーテンがなびく。
「……なに?」
 マルクスは、いま瞳の中に映っている、わずか一秒にも満たない時間で起きたことの結果に、当惑した。
 風の刃は確かに飛んだ。そしてすぐさま暗殺者に斬りかかっていった。
 しかしその刃は金属音とともにはじかれ、彼女を襲う代わりにその後ろにある窓へ襲いかかったのだった。
 金属音。
 マルクスは自分の耳を、そして目を疑った。
 その女暗殺者は、左腕のひじから先を立て、その後ろに右腕を添えている。砂煙をよけるときのような姿勢だ。
 左ひじの少し先は、服の繊維が破れ、切り裂かれた肌がみえている。ということは、少なくとも風の刃は、女の目の前まで到達していたはずだ。
 自分が放った刃は直撃している。直撃すれば、それが鉄の小手をはめた腕でも骨ごと悠々突き抜ける力をもっていたはずだ。しかし女の腕にそんな様子はない。
 彼女は左腕で、風の刃をはじいたのだ。
 マルクスは理解に苦しんだ。渾身の力をこめて放った至近距離からの斬撃が、人の左腕一本で防がれてしまったことに。
 マルクスは完全に惑い落ちた目で女の腕をみた。そして不自然な点に気がついた。
 皮膚が裂けている、彼女の左腕。
 そこからは、一滴の血も流れていない。
 マルクスの顔がゆがんだ。
 ――この女、本物の死神か?
「……そろそろ死んで」
 混乱する頭の中で聞いたその言葉が、マルクスがこの世で聞いた、最期の言葉となった。
 ガードを解いた女の右手から、細いナイフが静かに投げ放たれる。





 ルナンだった暗殺者――リースリングの「下調べ」により、マルクス邸の内部はかなりの部分、作戦実行前にすでに明らかにされていた。マルクスとその夫人が邸の中央に近い二階の部屋、そこから一部屋おいたところにボダ=ハの部屋がある。中央部につながる通路は東の階段からやや幅が広い廊下が通っており、邸の兵士や使用人らはみな通常そこを使う。が、西にはメロウが小さい頃、邸内で追いかけっこをしていた時によく使ったという細い通路があった。
 そこを使えば、大勢の追っ手を絞ることができる。そういったとっさの計画が、ガルマはリースリングの得た情報のおかげで、次から次へと現れる警備兵に手をやきながらも頭の中に描くことができた。
 その通路をまさに通って、ガルマは再び広い廊下に出る。マルクスの部屋も近い。
(さて、ここまでくればとりあえずは……)
 そう彼が考えていると、前方から多数の人間の足音が聞こえてきた。先頭は、若き警備隊長。
「ちっ」
 舌打ちするガルマの目の前に、ファルが走り寄る。
「そろそろ観念しろ、侵入者」
 銀色の剣を向け、金髪の青年が進み出る。壁際を、後ろの部下が固める。これ以上一歩も進ませぬといった気迫が、彼らにはあった。
 さすがに多くの兵をまんべんなく配置していただけのことはあり、対応が早い。ガルマは舌打ちした。
「おとなしく捕まれば、命だけは助けてやる。これ以上無益な行為はやめにしろ!」
 ファルが宣告する。それに対し、ガルマは不敵な笑みを浮かべながら云った。
「お前のほうこそ、さっさとマルクスの旦那を差し出してくれりゃ、すぐにでも帰るんだがな」
「きさま、いまの状況がわかって言っているのか?」
 ファルの言葉に、ガルマは余裕をもって答える。頭の中では、この状況を打開する策を全力でねりながら。
「もちろん。このままじゃ、お前さんの大切な部下が無駄に減るだけだって、そう忠告してやってんだぜ」
 ガルマは云った。
「ファル、お前さんが出てこい」
 そう挑発気味に、ガルマはファルを指差した。乗ってくるかな。ひとつの賭けだ。もし駄目なら、何とか血路を開くまでか。悪い方のケースも想定し、彼は次に逃げぬけるルートを頭の中でめぐらせた。
 しかし、それも不要だった。
 侵入者をにらんだまま、ゆっくりとファルが前に歩み出す。それは、無言の意思表示だった。
 ガルマはしめた、と思った。
「お、ようやくやる気になったか」
「確かにお前のいうとおり。これ以上、貴重な部下の命をさらすわけにはいかない。私が相手だ、侵入者」
「ガルマだ。俺にもちゃんと名前があるんだぜ」
 ひょうひょうとした口調でそう云うと、ガルマは再び剣を両手でもった。
 二人の間に、緊張が走る。
 ファルの後ろには数人の従順な兵がいたが、彼らはただ侵入者をこの場から逃がさぬよう、二人の勝負を見守るだけである。雰囲気から察して、この勝負に手を出すことは隊長の名誉を著しく傷つけることだということを、彼らは感じ取ったのだろう。
 ガルマからすれば、これは好都合だった。いつ尽きるとも知れない無尽蔵の警備兵を相手にしているより、その頭を叩いて全体の統制を止めたほうが、効率がよい。というより、予定よりかなり早くに変装がばれた今の状態では、自らの仕事を遂行させるためにはその方法しかなかったのである。
(俺だって、一度に数十人の兵に囲まれたりした日にゃ、剣技一本で破れるかどうか自信はもてねえからな。だが隊長との一対一なら、やり方によっちゃ――)
(リースリングのほうとうまくタイミングが合えば、この状況からなんとか抜け出せるはずだ)
 ただいたずらに何人もの警備兵を相手にしなくてすんだという点だけは、忍び込んですぐ警備隊長と出会ってしまった彼の不幸中の幸いといえた。
 一対一の闘いなら、自信がある。あとはその使い方だ。彼はそう考えた。
 一方、ファルである。
 彼は赤じゅうたんの敷かれた廊下に、銀色にきらめく長剣を手にしながら、いよいよガルマと真正面から向き合った。
 ガルマのこれまでの剣の腕から、部下の大半はこの男にはかなわないだろうとファルは判断した。いわゆる『闇色の死神』であるかどうかはわからないが、この暗殺者が相当な力を持っていることは確かなようだった。そう考えると、ファルは根っからの生真面目青年であったため、勝てないと分かっている自分の部下を何人も向かわせ、相手が疲れたところで自分が手柄をあげるというドライなことができなかった。自分が取り押さえればそれですむのだからと、みずから剣を取り、部下には暗殺者が逃げないよう、後ろで場を守らせたのである。
 しかしそれこそが、ガルマのつけ入った点だった。
「ガルマ、容赦はしないぞ」
 ファルは剣先を後ろに向け、脇の下にかまえると、精神を集中させた。
「虎よ。疾風の牙を持つ白き虎よ。我が手にする白銀の剣に宿りし虎よ。いまこそ目覚め、獲物を切り裂き食い破る力を我に与えよ……」
「おいおいその剣、魔法込みかよ。聞いてねえぞ」
 ガルマのぼやきにも耳を貸さず、ファルは体から両手へ、そしてその先の剣へ、体の内に流れる力によって呼びかけた。徐々に、銀色の剣に秘められていた力が解放される。それとともに、廊下の灯に照らされていた美しい刃のきらめきが、いっそう輝きを増す。
 その光が最高潮に達した時、ファルは声をあげた。
「マルクス様から譲り受けたこの『風牙の剣』の力、うけてみろ!」
 外野の兵士たちが一瞬どよめいた。彼らの中でも何名かは見たことがあったのだろう。周辺国も含めてよりすぐりの戦士達が集うネイル国の武芸大会で、彼が決勝まで勝ち進んだ大きな要因となった技。それがいま、この場で放たれる。
 ガルマが左足を引いた。なんとか避けようというつもりだろう。よけられるものなら、よけてみろ。ファルはガルマの動きをしっかりと見据え、そして――。
 風牙の剣を、勢いよくふりあげた!
 その瞬間、白い雲のようなものが剣筋からうまれ、瞬時にそれはいくつもの風の刃となり、獲物となった者の方へ向かっていく。
 それは、彼らの知らぬところでマルクスがリースリングに放った風の刃と酷似していた。ただ、それとは規模も威力も、あきらかに異なっていた。
 五つに分かれた風は、それぞれに白く大きな刃となる。複雑な形を見せるそれらをよくみれば、虎の頭にも似ている。その刃たちが生き物のようにうごめきながら、廊下の幅いっぱいまで広がりつつ、一斉にガルマに襲いかかる。
「ちょ、ちょっとまて――」
 ドンッッ!!
 にぶい音にガルマの声がかき消されると同時に、すさまじい乱流が廊下中に吹き荒れた!
 ふんばっていなければよろけてしまうほどの風の強さに、兵達は驚いた。その上、白い風の刃が廊下のあちこちに散りながら霧をばらまき、辺りは少しの間、白いもやにつつまれたことで、彼らはやや混乱した。
「落ち着け。すぐにおさまる」
 振り上げた剣をおろすと、ファルは部下達に云った。
 油断のない顔つきで、彼は霧の先を見つめる。
 いままでにこれをかわせた者は、かの武芸大会で自分を負かした優勝者だけ。それも、広い闘技場での話だ。幅もそれほど広くないこの廊下では、とてもかわしきれまい。
 霧が晴れる。ガルマは、少しはなれた壁際に転がっていた。
 どうやら直撃は避けたらしい。だが無傷ではなく、左半身――左腕と足、わき腹に切り裂かれたあとが見えた。
「やるな、暗殺者」
 ファルのほめ言葉に、ガルマは腹立たしく云った。
「だからガルマだ、つってんだろ……ああ、痛え」
 よろよろと立ち上がりながら、彼は傷を確かめる。
「ひでえことしやがる。お気に入りの革ヨロイがこれじゃ、もう使い物にならねえじゃねえか。ちゃんと弁償してくれよ」
 それでも相変わらずのひょうひょうとした態度に、ファルは少しいらだちを感じた。
「……そのセリフ、もう二度とはけないようにしてやる」
 今度こそ、と、ファルはいま一度剣をわきにかまえた。それを見て、ガルマも左足をかばった歩みで、再び剣を構える。
「降参するなら今だぞ」ファルが傷ついたガルマを見て告げる。
「いまなら、お前も命を落とさずにすむ。おとなしく捕まった方が身のためだ」
「その言葉、そっくりお前さんに返すぜ」
 あくまで抵抗する姿勢を崩さないガルマに、ファルはついに心を決めた。
 次の一撃で、終わらせる。
 彼は再び精神を集中させた。銀色に輝く風牙の剣から、どんどん光があふれだす。
(さっきは壁際に逃げられ、半身しか刃が届かなかったが――)
(次は、廊下の幅一杯まで刃の飛ぶ方向を広げて――)
 細かい操作をしっかりと頭に入れ、彼は集中力を高めた。
 剣の光はさっきと同様に、いや、先ほどよりもこころなしかまばゆくみえる。それは、魔力を操るための、彼の高い精神力のあらわれだった。
 そしてガルマの方は――。
 そんなファルを見て、心の内で感心していた。
(たしかにあの若さにしちゃ、非凡な才能だな。いまの大技、簡単に使っているようにみえるが、ぶれのない心の集中と放つ刃の衝撃をふんばれるだけの全身の力が要るはずだ。それに、すぐに二回目を撃てる、ってのは――なかなかタフな魔力をもってやがる)
(だが――)
「ちょいと、技が大ぶりすぎるな」
 ファルに聞こえるか聞こえないかという声で、彼はつぶやいた。
 ファルは聞いていなかったのか、いよいよ光が強くなってゆく魔法剣を構え、いつでも風の虎を呼び出せる状態になっていた。
 ガルマの中で緊張が高まる。それは、体を無駄に堅くするものではなく、頭から足先の感覚までが鋭敏に感じ取れるようになる、ほどよい緊張感だった。ずっと生と死の狭間で選択を迫られる暗殺者という仕事をやってきた彼にとって、闘う気持ちの調整は手慣れていた。
 暗殺者の命運は分かっている。この青年は、降伏すれば命は助けると言っているが、そんなに甘くはない。たとえ彼が心優しい青年で暗殺者のことをゆるしたとしても、マルクスの側には、暗殺者を生かしておく理由などないのだから。
 ここで敗れれば、死しか待っていない。生きたければ、勝つしかない。
「今度こそ終わりだ、ガルマ!」
 ファルが云い放つ。そして――
 二撃目が、ガルマに襲いかかった!




 
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