死神と女神の狭間 第一章  

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 一度目と同様、ファルは天空をつきささんばかりに剣を振り上げた。剣筋から風の刃が生まれ、かたどられた虎が、すぐさまガルマ目がけて――。
 それを見て取ると、ガルマはぐっと腰を落とし、むかってくるその白い虎達をよけるどころか、刃のくる方へ向かっていった。
 いくつもの風の牙が襲いかかる。しかしガルマはそれをものともせず、低い姿勢のまままっすぐに駆け続ける。
 そしてガルマと虎がぶつかる瞬間――。
 ガルマは剣をふるった!
 激しい金属音が響く。衝撃がとどろく。
 吹き荒れる乱流。廊下にいる人間を吹き倒す強風。
 ファルはふり上げた腕で顔を覆った。廊下中のほこりが舞い踊り、その場にいた者らの上にゆっくりと落ちる。
 明かりの一つが風に耐え切れず消える。敷かれた赤いじゅうたんにしわが寄る。廊下の壁に、いくつもの牙の削りあとができる。
 それらがひととおりおさまり――
 あとには、色濃い霧が残る。
 ぶつかりあった白い虎が四方八方に散り、さきほどと同様に、廊下に白い水蒸気のもやがうまれる。
 すべては、瞬時の出来事だった。
 ファルは目を凝らした。霧が晴れるまでは、相手の状態を確認できない。それが彼の認識している、この技の欠点だった。しかしこれも屋内での話で、外ならば気になることはない。いや、屋内でも、数秒もあれば霧は晴れるのだ。この技の強力さを考えれば、欠点、というほどのものでもない。
 徐々にもやがとれていく。視界が開ける。ファルはゆっくりと上げていた剣を下ろす――。
 その瞬間。
「なに!?」
 ファルのすぐ目の前から、とつぜん剣の刃が斬りかかってきた!
 とっさに彼は風牙の剣で防ぐ。キインッ、と刃先がかちあう音がひびく。
 おどろく彼の眼前にいた、その剣の持ち主。
 侵入者、ガルマ。
「よう、こんにちは」
「お、おまえ……どうやって……?」
 つばぜり合いのまま、ファルは必死に動揺を抑えようとした。背後から、部下たちのうろたえる声が聞こえる。彼が絶対の自信をもっていた技が、いとも簡単に破られたのだ。ファルこそ、だれよりも衝撃を受けていた。
 しかし敵は自分のすぐ目の前にいる。うろたえているひまはなかった。
「廊下いっぱいにまで刃をめぐらせたはずだ。どうやってよけた」
「よけてねえさ。向かっていったんだ、逆に」
 ガルマが不敵に笑う。
「お前さんの技、いったん風の刃が廊下いっぱいにまで広がってから、相手に集中するだろ。だから集中する前にこっちから踏み込んで、まだばらばらの風にぶつかっていったのさ」
「集中する前に……」
「集まれば怖いが、ひとつの刃ならなんとかなると思った。それで、ふんばりのきく低姿勢でこっちからつっこんでいったんだ。案の定、ひとつ剣で流してやりゃ、他は俺の後ろへ飛んでいってくれた。ま、並のやつじゃあ、あれだけたくさん襲ってくるトラ面の風にビビって、とても前へふみ出そうなんてことは考えねえだろうけどな」
 ガルマの解説を受けても、ファルは納得できなかった。
 刃ひとつならなんとかなる?そんなはずはない。あの風ひとつでこの邸の壁を粉々にできるほどの力をもっている。それを押しのけるとは、こいつ、一体どれだけの力があるんだ。
 ガルマはいったん競り合いを解き、後ろに離れた。
「お前さんもさすがだぜ。霧の中から出てきた俺に、とっさに対応できたんだからよ。その後ろにいるやつらなら、今ごろとっくにあの世にいってるだろうさ」
「暗殺者にほめられたところで、仕方がない」
「それもそうだ。ま、ここからがお前さんの力量をみる本番になるんだろうけどな」
「……どういう意味だ」
 けげんな顔をするファルに、ガルマは云った。
「お前さんのいまの技、もう打ち止めだろ?」
 剣先でそれとなく、自分のもつ「風牙の剣」を指し示すガルマに、ファルは若干うろたえた。それを表に出さず冷静を装い、ファルはしばらくしてから答えた。
「……すべてお見通しということか」
 彼が小さく云うと、ガルマはとつぜん、軽い口調で返した。
「いや、ハッタリだ」
「何?」
 一語しか云えず立ち尽くすファル。そんな彼の表情を見て、ガルマは含み笑いのまま云った。
「ククク。いや、理由はあるんだぜ。魔法使いでもないお前さんがそんなに何度もあんな魔法じみた技、使えるわけがないって思ってな。たぶん剣にためてあった力を解放しているだけだろう。それも、剣にはまってるその魔法石みたいなものの大きさから見て、そう何度も使えるほどの力はない。数回が限度。そう考えただけさ」
 それでもお前さん、正直すぎるな。そう付け加え、ガルマは笑った。
 当然、ファルにとって、彼の言葉は屈辱だった。体が震え、剣を握る手には自然と力がこもる。
「ふざけるな!あんな技にたよらずとも、この剣一本でお前など十分打ち倒せる」
「じゃあはじめから斬り合いで相手してくれりゃよかったのに」
「うるさい、だまれ!」
「はいはい。しかしいいのか?」
 頭に血が上りつつあるファルは、ぞんざいに答えた。
「なにがだ!」
「お前のご主人様だよ。そろそろ、命が危ないと思うんだがな」
「な……」
 そうガルマが云うと、ファルの後ろから駆け足でやってくる者の声が聞こえた。
 その声に、ファルは不穏な胸騒ぎを感じた。
「ファル様、たいへんです!マルクス様が……自室で、何者かに……」
 あわてふためいた部下の連絡に、ファルはがく然とした。
「なに、マルクス様が!?」
「はい。奥様も……窓が破られていて、そこから侵入されたようです」
「ばかな。ボダ=ハ殿は?」
「それがどこにも……」
 そのやりとりをながめながら、ガルマは云った。
「はやく行って確かめた方がいいんじゃねえか。俺のことは放っといて」
「く……」
 悔しさをかみしめながら、彼はまだ信じられない気持ちのまま、他の部下に云った。
「やつをなんとしてでも食い止めろ!これ以上先へは進ませるな!」
 ファルはそれだけ云うとすぐに、ガルマに背をむけ、マルクスの部屋へ向かっていった。
 後ろ髪をひかれる思いで、彼は必死に両足を前へ前へ進ませた。
 マルクス様が……テラ様が……まさか……。
 そして、彼の思考は自然とあの人に至った。
 ……メロウ様は?
 廊下を駆ける彼の足音が、騒がしいマルクス邸の秋の夜長に重く響いた。





 その喧騒も気配も、別館にある一室にはまるではるか遠くの国で行われていることのように思われた。
「明日、もう一度パパにお祭りにいけるよう、頼んでみるね。ありがとう、ナタリー」
 メロウは寝巻きに着替え、就寝の準備をしてからも、相変わらず人形遊びに没頭していた。いつもならもう眠りについている時間だが、今日は人形達に話すことがことさらに多く、夜遅くまでずっとしゃべり続けていたのである。
 さきほどまでは父に対する不満をずっとぶちまけていたのだが、話しているうちに気分も落ち着き、メロウはずっと手にしていた踊り子の人形の名前を呼んで感謝し、そっと棚のもとあった場所へ戻した。
 いつからだろうか。はっきりとはしないが、メロウにとって人形と話す行為は、日ごろの不自由な生活からくる不満のよいはけ口として、もはや生活の一部となっていた。他人の目には奇異にうつるかもしれないし、メロウも徐々にそれを自覚するようになっていた。しかしそれでも、いまのこの時間を捨てる気には全くなれなかった。
 これが、いつもの風景。毎日繰り返される、メロウだけの時間がそこにはあった。
「じゃあ、みんなおやすみ。また明日」
 いつものようにそう告げ、メロウはようやくベッドに入る。
 そのとき。
 ガタッ、ゴトッ、と、出入り口の方からなにやら音がした。
 それを聞き、メロウはランプにともる灯りを吹き消すのをやめた。
 なんの音だろう。空耳?
 しかしそれに続いて、スス、スス、と、床をする音が聞こえ、メロウは身構えた。
 たしかに、音がする。それも、だれかが歩いてくるような音。
「――だれ」
 メロウはおそるおそる声を出す。出入り口の通路から、この部屋まではすぐだ。
 角に人影が見える。メロウはベッドの上に座ったまま、枕もとのランプを手にし、通路の方へへ向けた。
 ゆらめく火の明かりの中に、ローブをまとった背の低い体と、深いしわの顔が見えた。
 一瞬、こわばった顔になったあと、メロウはこわごわ云った。
「……な、なにしにきたの……」
 メロウの視線の先にいる人影。それは――
 ボダ=ハ。地獄耳の老人。
 老人はメロウのゆるしなく、ススッと人形だらけの部屋に足を踏み入れた。
「どうやって……ドアには鍵をしてたのに……」
「あんたの父親から届け物をたのまれてな」
 メロウの疑問には答えず、老人は用件のみを口にした。
「もし自分が倒れるようなことがあれば、これを渡せとな」
 ヒッヒッ、と気味の悪い笑みを交えつつ、老人はひとつの手紙をメロウの前に差し出した。
 だが、メロウの警戒心は解けない。
「……パパが倒れたって、どういうこと?」
「いま、本館に暗殺者が侵入しおってな。あんたの両親はさっき殺されたよ」
 唐突に――
 ボダ=ハは、残酷な事実を淡々と告げた。
 その話し口調は、彼の云った内容の深刻さとはあまりにかけ離れていた。
「……ころされた、って……なに言ってるの?そんな冗談よして」
「冗談ではない。本当のことだ」
 しかしボダ=ハの言葉が、メロウにはどうしてもとりとめのない、軽いものにしか聞こえなかった。
 顔を強ばらせたまま、メロウはあまり気の知れない老人の表情を見つめた。
「そんなこと急にいわれても、信じられるわけないよ……。手紙って?」
 メロウはベッドから下り、ボダ=ハにおそるおそる近寄ると、彼の手にしていた白い手紙をさっと取った。
 ベッドに座り、中を広げる。読んでみる。
 褐色の皮の色をした紙には、堅苦しい、角張った父の字が並んでいた。確かに、これは父が書いたものであるようだった。
 だが――。
 しばらくして、彼女は何一つ表情を変えることなく、手紙を閉じた。
「……パパが死んだから、あなたと一緒にここから逃げろって、書いてあるけど……」
 それを聞いたボダ=ハはなぜか、じっとりした笑みを浮かべた。
「そこにある通りじゃ。あんたの父も母も死んだ。あんたはわしとここからぬけ出さねばならぬのじゃよ」
「信じられない」
 ボダ=ハの言葉をさえぎるように、メロウは云った。
「いきなりパパとママが死んだって、あなたなんかにそんなこといわれても、信じられないよ。かってに私の部屋に入ってきて、何しに来たのかと思ったら、一緒に逃げましょうって……。私、あなたとあんまり話したことないし、あなたのこと、よく知らない。だからそんなことを急にいわれても、どうやって信じろっていうの?」
「だが、それはあんたの父親、マルクスの字じゃろう」
 指摘されたメロウは、少しうつむいて、云った。
「……これはパパの字よ。でも、だから、よけい信じられない。パパ、私を司書にしようとしていろんな手を使ってくるから。これまでだって、お前には資格がないから法律上人形屋を経営するのは無理だ、とかってわざわざぶ厚い本を持ってきて嘘をついたり、ママの口から、私が司書をするように言わせようとしたり……」
「じゃが、あんたの両親が死ぬことと、あんたが司書をやることとは関係ないように思うが」
「もういい」
 メロウはもう手紙をみようとせず、折りたたんでボダ=ハに突き返した。
「どうせあなたも、パパの言いなりなんでしょ?どういうつもりか知らないけど、私、パパのいうことなんかぜったい聞かないから」
 残念ながら、マルクスの最期の手紙は、娘の不信感をぬぐうにはやや足りないもののようだった。
 メロウは手紙を読みながら、夕暮れ時に父と言い合いをしたことを思い出していた。それが父への反発を呼び覚まし、彼女の中で、手短だった手紙の内容よりも父への反抗心を勝たせてしまったのだった。
「本当だっていうんなら、ファルを連れてきて。ファルのいうことなら、私、信じる」
 そういって云いつけるメロウに、ボダ=ハは聞こえたのか聞こえていないのか、なにも反応を示さぬまま、しばしじっと凝り固まっていた。
 やがて、老人はぼそっとつぶやいた。
「……人間とは、幼さがつねに命取りになるものよのう」
 その声がごく小さかったため、メロウは彼の云ったことがとぎれとぎれにしか聞こえなかった。
 ボダ=ハは、今度はしわがれた声で、聞こえるように云った。
「わしは手紙を渡せといわれただけじゃて。では、そろそろ立ち去らせてもらうとしよう」
 そういって小さくにやつく老人を、メロウは嫌悪の目で見た。
「はやくでてって。私、もう寝るから」
 父の手紙を近くの棚に置き、メロウはベッドの上にあがった。
 ボダ=ハが廊下のむこうに去っていくのを見て、メロウは灯を消し、柔らかい羽毛布団の中に入る。
 横になり瞳を閉じると、父と言い争った場面がまぶたの裏に見えた。
 ほとんど毎日といっていいくらい、くり返される場面。
 邸内で話を交わすたび、どうしても自分の将来のことに話題がいき、お互いにすれ違う。彼女自身、どうしていいのかわからない。ただ夢を捨てきれない執着心と、父のいいなりになりたくないという反抗心が、彼女の幼い心に深く根付いていたことだけは確かだった。
(パパとケンカするようになったのは、いつからだろう――)
(小さいころは、ケンカなんてしなかったような気がする――。いつもパパのいうことを聞いて、勉強や、家のお手伝いをして、ほめられて――)
(ケンカしたのは、人形とばかり話すようになってから?それとも、自分の部屋をもつようになってから?)
(自分のしたいことがみつかって、それでパパにそのことを話したら、反対されて――)
(パパはいつまでも、私を自分のいいなりにしておきたかったの――。ママは――)
 ふと、メロウは気がついた。
 ボダ=ハが去ってから、部屋のドアの開かれた音がしない。
 部屋に入ってきた時もドアは動かなかったのだから、また妙な方法で部屋の外に出たのだろう。あるいは、音を立てずに静かにドアをあけて出ていったか――。
 メロウはベッドから起き上がった。万一、もしそこの通路に潜んでいたりしたら。あの怪しい老人のことだ。何を考えているかわからない。
 やや恐ろしくなり、メロウは再びランプに灯りをともした。その灯を手に、彼女はベッドから下り、通路の方へ歩く。
 そっと、ドアに通じる短い通路をのぞきこむ。人影はない。
 ほっとし、メロウは再び寝床に戻ろうとした。
 そのとき。
 出入り口の方から、ノックの音がした。
 メロウはおどろき、息を止めた。こんな時間に、今度はだれだろう。
 通路に戻ったメロウは、手元の灯でぼんやり映った出入り口のドアを見つめた。
「――だれ?」
 メロウが声をかけると、外から返事が返ってきた。
 それは彼女が聞いたことのある、物憂げでしなやかな、死神の声だった。




 
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