死神と女神の狭間 第一章  

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「やれやれ。これでわしも、ようやくお役御免か」
 窓からの星明かり以外に、灯りひとつない一室。
 暗闇が広がる部屋の中で、ボダ=ハはつぶやいた。
 メロウの部屋から魔法による『割れ目』を通り、この場所に移動した老人は、杖をついたままじっとたたずんでいた。
 違う場所へ行ってしまったのか、警備兵らの足音は近くに聞こえない。
 ここは、マルクスがボダ=ハにあてた部屋。彼はここで、一日中ほとんど外に出ることもなく、ただずっと瞑(めい)想にふけり、集中力を高め、侵入者に備える毎日を続けていた。
 今日、この夜までは。
 雇用主であるマルクスの死の声が地獄耳に届き、彼の言付けであった『メロウに手紙を渡す』という作業も終え、これでボダ=ハの受けた仕事は完了していた。結局のところ、彼の仕事はあまりいい結果を生んだとはいえなかったが。
「マルクスの妻、テラが殺される前に聞こえたあの音……。あれはいままでに聞いたことのない種類の音じゃった。足音、人が駆ける音。それには違いない。じゃが……」
 老人はぶつぶつといいながら、ゆっくりと、部屋の角にある大きな書棚の方を向いた。
「あんたは、すべて知っておるのじゃろう。のう?」
 そうボダ=ハがいうと、書棚の奥からひょうひょうとした声が聞こえてきた。
「ちっ。さすが『地獄耳の翁』ボダ=ハってだけのことはあるな。たいした耳だ」
 ぬっとそこから姿を現したのは、警備兵の包囲をどうにかくぐり抜け、この部屋までやってきていたガルマだった。
 ボダ=ハの部屋を事前に把握していた彼は、警備兵をなぎ倒し、まいてから周到にこの部屋にたどりついていた。そこまではよかったものの、老人が部屋にいないと判明し、しばらく暗闇の中で身を隠しながら次にどうすべきか考えていたところだった。
「早い内に戻ってきてくれて、助かったぜ。こんな狭いところに長いことじっとしてると、腰が痛くて仕方ねえ」
 明かりつけるぜ、と、ガルマは窓からもれるわずかな星明かりをたよりに、備え付けの小さな火打石で壁の室内灯に火をつけた。
「こういうときには便利だよな、聴覚ってのは。暗いとこで何が起こっても、耳なら判別がつく」
 初めて相手の姿が見え、ガルマは関心を示した。
「へえ、老人ってのは聞いてたが、地味なローブにぼろい杖か。えらくみすぼらしい格好だな」
「よけいな世話じゃ。それよりひとつおしえてくれんかのう。あの女、何者じゃ」
「あの女?ああ、リースリングのことか」
「どうやってマルクスの部屋まで近づいた。わしの耳では妙な音しか聞こえなんだ」
「そりゃ、耳掃除が足らなかったんじゃねえのか」ガルマは云った。「きっと、でっかいゴミでもつまってたんだろ」
 ガルマの冗談に何も返さず、老人は聞いた。
「あの女、まことの『闇色の死神』か」
 ボダ=ハは杖をついた。「であれば、とても興味深い。ぜひ一度会って話したいものじゃ」
「そうかい。なら」
 ガルマはおもむろに、革ヨロイの裏から折りたたまれた紙切れを取り出す。
「まず俺の仕事に付き合ってもらわねえと、うちのトップアイドルにゃ話は通せねえな」
 そういって、彼はその紙をボダ=ハに放る。
 老人はそれを面倒そうにゆっくり拾い上げると、中をひらいた。
「雇用契約書だ」
 ガルマは云った。
「うちのボスが、あんたのその耳をほしがっててよ。組織に入らねえかって、俺にそれをもたせたんだよ」
「ボス……」
 紙に書かれた細い字をながめてから、ボダ=ハは云った。
「……ロイ=ギル。あの男か。――ギルから声がかかるとは、わしもやきが回ったもんじゃのう。いま雇われたところで、どうせろくな扱いは受けまい」
「で、どうすんだ?やるのか、やらねえのか」
 きかれ、ボダ=ハはひとつ息をついてから、静かに答えた。
「……わしももう歳じゃ。いまさらあくせく働く気はないわい」
「そうかい」
 それをきき、ガルマも同じように息をついた。
 そして、老人の方へ歩みながら、鞘に収めていた剣を抜く。
「じゃあ申し訳ないんだが、ギルの命令にしたがって、お前さんにゃここで死んでもらう」
 ガルマがそう宣告すると、ボダ=ハはとつぜん、うなるような笑い声を立てはじめた。
「クッヒヒヒヒヒッ……。まあそうじゃろうな。あの男なら、そうするじゃろう」
 壁の灯がともったとはいえまだ薄暗い部屋の中で、老人の低く奇怪な声が、ガルマの耳にこびりついた。
「ったく、どこからそんな変な声だしやがんだ。もう少しひかえめにしねえと、あの世に行っても他人から嫌われるぜ」
「気遣い無用。わしは馬鹿で愚かな人間どもに好かれたりすることの方にむしずが走るわ」
 紙を破いて捨てると、ボダ=ハは杖をまっすぐ床に立て、その頭を両手で握りしめた。
「人間にもそろそろ愛想がつきた。つまらぬ感情に流され、堕落へ進むことがやめられぬ人間どもに、この世を治める価値があるとは到底思えん。いや、人間だけではない。他の種族もそうじゃ。エルフ、オーク、爬虫人……少数種族の彼らとて、種族間の無意味な争いはいつの時代になっても続いておる……」
「お前さんだって人間じゃねえか」
 苦笑しながら口にしたガルマの言葉に、ボダ=ハは重々しく答えた。
「……わしはもはや人間ではない」
 いきなり何を云い出すのかと、ガルマは思わず声を上げた。
「なんだって?」
「わしの耳がなぜ地獄耳なのか、なぜ並の人間をはるかに超越した能力をもっているのか。あんたは考えなかったのかのう。ヒヒ。まあ、あんたのとこのボスに聞けば、すべてわかるじゃろう」
「……どういう意味だ」
「そのままの意味じゃ。じゃから、あの女もわしらの同胞かと思ってのう……おお、あんたの心臓の音が少し速くなった」
「……いちいちマニアックなじいさんだな」
 ガルマは舌打ちして云った。
「リースリングはじいさんみたいな偏屈じゃねえ。ちゃんと人間やってるぜ。ちょっと根が暗いけどな」
 ガルマの云い分に、ボダ=ハはわずかに口元をゆがめながら、口を開いた。
「わしは、あの女はすでに普通の人間以上の力を持っているとみたが。あんたの心臓の音さえ聴きとれる、わしのこの耳でさえ、その女を止めることはできなんだ。あれだけの力があれば、自分の利益や私的な怨恨のために他人を殺すなどという愚行を繰り返す人間どもに裁きを与えることもたやすい。裏を返せば、そのためにあの女は『つくられた』のではないのかな。
 マルクスも、その娘も、お互いに自分の身勝手な欲求を満たさんがために、譲歩などという言葉を忘れ、来る日も来る日もみにくい言葉を交わし続けておった。くだらぬ自尊心にとらわれ、一向に溝は埋まらぬまま、むしろ深くなるばかり。なんと愚劣きわまることか!自らの家庭のことにさえ浅はかで愚かしいやつらには、所詮人の上に立ち、民衆を治め、世界に泰平をもたらす役目など担う資格はない。そんな者達が国を治めた結果が、今の三国間の無益な戦争に結びついておるのじゃ。『闇色の死神』が戦争を引き起こしたなどと世間は騒いでおるが、実際は逆。あの死神が無駄に権力をもった愚かな彼らを殺さねば、いまごろ争いの輪はより大きくなっていたに違いない。わしらはすべてを合理的かつ理知的に処理しながら、争いの種となる人物を一人ひとり刈取らねば――」
「――なあじいさん、俺はあんたの講釈聞きにきたんじゃねえんだ」
 話をさえぎられ、ボダ=ハは一瞬不満そうな表情を見せたが、すぐにまた落ち着いた調子で云った。
「……あんたにはわからんじゃろうな。並の人間では。『力』を持ったわしらは、つまらぬ自尊心や感情に流されぬようこの世をまとめ上げるという役目を担っておるのだ」
「んなことはどうでもいいんだよ」
 ガルマははっきりと云った。
「じいさんとリースリングを一緒にするのはやめろ。そりゃ、あんたの勝手な思い込みだ」
 ガルマがさらに一歩、ボダ=ハに近づく。
 その時、ボダ=ハの真後ろに『割れ目』ができた。
 すっとそこに逃げ込もうとするボダ=ハ。
「させるか!」
 ガルマは力強く足を踏み出した。
 狙いはただ一つ。
 体をひずみの中に沈ませ、最後に老人が引き込もうとしたもの。
 手にしていた、太く立派な老木の杖。
 それにむかって、ガルマは剣を勢いよくなぎ払う。
 横一閃。
 きれいな断面を残し、杖の先端が宙に舞う。
「オオッ?」
 くぐもった声が、異空間の向こうに去ろうとする老人の口から漏れた。
 休むことなく、ガルマはそのわずかに残る割れ目の隙間に向かい――
 右手に持った剣を、思い切りねじ込んだ!
「グワーッ!」
 割れ目の口が閉じる。
 その剣ごと、ボダ=ハは異空間の彼方に消えた。
 ゴトッ。ゴトン。
 鈍い音を響かせ、真っ二つにされた杖の上半分が床に転がる。
 ガルマは老人の消えゆくのを見送ると、ひとつ息をついた。
 ――杖を失えば、異空間を自由に操作することはできなくなる――
 われらがボス、ロイ=ギルの言うとおりなら、あの地獄耳の老人は二度とこの「愚かな人間達のすむ」世界へは戻ってこられないはずだ。念のため、手土産もくれてやった。
「よし、これで――」
 彼は床に落ちた杖の切れ端を拾い上げ、
「ボダ=ハのじいさんを倒した証拠をもって帰りゃ、今回の報酬も上がるってもんだ」
 意気揚々と、部屋を引きあげにかかった。
 あとは――
 リースリングがうまくやってくれるか、だな。
 その点に関して、彼はあまり心配していなかった。




 
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