死神と女神の狭間 第一章  

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 暗闇の落ちた、秋の夜。
 月明かりの下に赤く染まった木の葉が舞い散り、石張りの地面を彩っている。マルクス邸のいたるところに敷きつめられた石はどれも整然と並んでいて、それ自体が一枚の絵になるくらい、周りのやや古めかしい建物とうまく調和していた。
 風は柔らかく、そよそよとほおをなでるだけで、とても穏やかだった。いつもなら彼も祭りの最後の日を前にして、幾万の星の輝く夜空に明日への期待をかけるところだったろう。祭りにいくことはなくても、遠くから届く街の喧騒が、明るく楽しげな風景を伝えてくれる。それにメロウ様が帰ってくれば、いろいろと土産話も聞かせてくださるだろう――。それだけで、彼は十分に楽しむことができたはずだった。
 だが、地に落ちる枯葉をかきわけて走る彼の胸には、明日のことを考える余裕など、もはや微塵もなかった。
 マルクス様を、テラ様を、お守りできなかった。そんな自分への怒りと、憤り。
 おそらくは――
 今夜の出来事は、彼の人生に後々残る、重く苦い記憶となることだろう。
 だが、メロウ様だけは――。
 私の主のたった一人の娘だけは――。
 私の――
 息を切らせながら、ファルはひたすらに、枯葉のじゅうたんを駆け抜けていた。





「……だれ?」
 メロウがおそるおそる聞くと、ドアの外から細くしなやかな声が聞こえた。
「――遅くにごめんなさい。警察局のルナンです」
 それを聞き、メロウは大きな驚きと、少しの喜びが入り混じった表情で、すぐにドアの前まで向かった。
「ルナン!?どうして……いまあけるから」
 何の疑いもなく、メロウはすぐさまドアにかけられた鍵を外した。
 扉を開くと、そこには昼間会った時とは違う、体にぴったりあった真黒な服につつまれた、ルナンの姿があった。
「ルナン、またきてくれたんだ!でもなんでこんな時間に……それにその格好……なにかあったの?」
「とにかく、中に入れてほしいの。お願い」
「えっ、でも……」
 メロウは一瞬ためらった。自分の部屋。ルナンが見て、これをどう思うだろう。
 が、真剣な面持ちのルナンを前にして、メロウは断ることができなかった。
「……うん、いいよ」
 消え入りそうな声で、メロウは彼女を招き入れた。
 ドアを閉め、再び鍵をかけると、寝巻き姿のメロウはもじもじしながら云った。
「……ご、ごめんね。こんな格好で。もう寝るところだったから」
「私のほうこそ、ごめんなさい。こんな時間に」
「いいよ、わたしは。で、なんの用事?」
「その前に、奥の部屋に行ってもいい?」
 いわれ、メロウは多少焦りながら、
「えっ……と、その……こ、ここじゃ、だめ?」
「……構わないけど、ここじゃ狭いかな、と思ったから」
「そ、そう、そうよね!ここじゃ、狭いもんね。……じゃあ、ちょっと片付けてくるから」
「あまり時間がないの。散らかっていても構わないから」
「あ、いや、そうじゃないんだけど……なんていうか……その……」
「……?」
「う、うん。わかった。じゃあ、こっち……」
 はずかしそうにうつむきながら、メロウは小さな声で云った。
 ルナンの前を、メロウがゆっくりと進む。暗がりの廊下を曲がると、もうそこはメロウの部屋だ。
 メロウとルナンが部屋の前につく。メロウの手にした灯りで、ひらけた空間が照らされる。
 壁中をうめつくす、大小さまざまな人形。それらがぼうっとした弱々しい明かりの中で幻想的な影をつくり、見るものを不思議な世界へと誘う。
 実際この部屋だけは、あたかも邸内から隔離された別世界の風景のようにも、初めて訪れた者の目には映ることだろう。それくらい、この部屋の物言わぬ住人達の存在は何か異質めいたものがあった。全ての人形達が、部屋にいる二人を見下ろしている。その光景は、ある種人なつこくもあり、またある種恐ろしくもあった。
 人形をひたすら集め、人形で部屋中を埋め尽くす。彼らに話しかけることで、一日を過ごす。この趣味が他人からして一風変わっていることを、メロウは自覚しはじめていた。だからこそ、初めての友達に「これ」を見せるには、彼女なりに勇気のいることだった。
 部屋に入ってしばし、メロウは黙ったまま、ルナンの反応を確かめた。その顔に浮かべるのは、驚きだろうか。怪訝(けげん)だろうか。それとも――。
 しばらく沈黙が続き、メロウはついに耐え切れなくなり、口を開いた。
「ル、ルナン――びっくり、した?私、人形を集めるのが好きっていうか――趣味。そう、趣味なの。だから、人形をみかけるとついほしくなっちゃって、気がついたら、こんなに集まっちゃってて――。将来は、お人形屋さんになりたいなあ、なんて思ってるんだ。ロジャー君やエレンちゃんを店の前に置いて、それから――」
 あっ、と。
 つい自分が人形につけた名前を口にしてしまったメロウは、ルナンの顔を見た。
 別段、疑問に思う様子もない。それどころか、彼女はどこか近づきがたい真剣な雰囲気をまとったまま、さきほどから全く表情を変えていない。
 どうしたんだろう。メロウが尋ねようとすると、さきにルナンが云った。
「……ここに、ボダ=ハが来なかった?」
 鋭い視線。
 急に目を向けてきた彼女に、メロウはすこしとまどった。
「えっ、あ、ええと――うん。さっききたけど」
「なにか言ってた?」
「うん。パパからの手紙を渡してきて……。でもよくわからなかった。だって、『パパが死んだからはやくわしと逃げろ』なんてこといきなりいうのよ。私、全然信じられなかったから、だから私、言い返してやったの。ファルを連れてきてくれたら信じてあげるって。そうしたら、わしは手紙を渡すだけだから、とかいってどこかにいっちゃった」
 話の途中から腹を立てつつ、メロウは手紙をルナンにみせようと、ベッドのそばにある棚に向かった。
 その背後で、ルナンは「そう」とだけつぶやいた。
 冷たい眼差しを向け、右手を腰の後ろに回して――。
 メロウはそれに気づかぬまま、ベッドに乗り上げると、封筒から出されたままの手紙を手につかんだ。
「ルナン、ここに来る前にパパと会った?会ったよね。じゃあ、やっぱりあのおじいさんの言ったこと、うそだったんだ。ついて行かなくてよかった。わたし、ルナンのことなら信じてるから――」
 そう云ってメロウが後ろを振り返った。
 と同時に――
 とつぜん、メロウの左肩が、何かに強く揺さぶられた。
「あっ――!」
 体勢が崩れるのを、とっさに左手をベッドに立てて直す。
 直後に、走る激痛――。
 おもわず右手でおさえると、手にしていた父親の直筆の手紙が、ベッドから床にゆっくりと落ちた。
 自分の左肩を見る。
 突き刺さった、一本の細いナイフ――。
「――!?」
 声も出ず、澄んだ青い目を大きく見開いて、メロウはしばし困惑した。
 じんわりと、赤いものが服を染めていく。目に映る刺し傷の画が、感じていた痛みを増幅させた。
「いた……痛い……」
 メロウは助けを求めるように、ルナンの方を見た。
 そのときメロウは、こちらへ氷雪のごとく冷淡な視線を送り続けている女の存在に、はじめて気がついた。
 まぎれもなく、それはルナンだった。だが、それに重なっている全く別の像が、彼女には見えていた。
 そこには、すっと右手を前につきだしている、黒い死神の姿があった。
 何の表情も浮かべず、何の感情も表さず、ただ事務的に、定められた他人の命を刈取るだけの存在。ルナンという名の暗殺者は、アメジストの瞳に妖しげな闇を取り込みながら、彼女の周りにいるどの人形よりも静かに、メロウの目の前にたたずんでいた。
「ルナ……ン……?」
 痛みに顔をゆがめながら、メロウはいまある状況を理解しようと必死に頭をめぐらせた。それは、たった一つの残酷な事実を避けて今の状況を説明できる根拠をみつけようとする、あまり意味のない作業だった。だがそうでもしなければ、メロウはとても心の平静を保ってはいられなかった。
 どうして私の肩にナイフが突き刺さっているの?
 このナイフは、だれが刺したの?
 私とルナン以外の、だれが――。
 だれが――。
 だれ――。
 その答えは、しかし無情にも、ひとつしか見出せなかった。
 目の前にいる女性が、ナイフを投げ放った。その女性は、彼女の初めての、唯一無二の友達だった。
 友達はどこからか二つ目のナイフを取り出し、細い指先でそっと柄をにぎっている。
 メロウを、さらに深く傷つけようとして。
 赤黒く染まる自分の肩口を見ても全く感慨のない彼女の冷酷な目が、そう言っていた。
「……ルナン……」
 もう一度、メロウは友達の名を呼んだ。訴えかけるように。
「……どうして……?」
 メロウのふるえた声に、目の前の女は答えた。
 抑揚のない、渇いた調子で。
「……私はある依頼人に雇われて、あなたたち家族を殺しにきた。ルナンはただの偽名」
 淡々と、ルナンだった女が話す。
「ボダ=ハの言ったとおり、あなたの父も母も、もう死んだ。あとは、あなただけ」
 メロウにとって、いまの彼女の言葉は現実味がなかった。父も母もついさっきまで、確かに生きていたのだ。
 それでも、信頼する友達の言葉は、メロウの胸を深く刻んだ。
 メロウはそれを必死に拒否するように、ゆっくりと首を振った。
「うそ……。そんなの、うそに決まってる――」
 無理に笑顔をつくりながら、彼女は云った。
「ルナンも、うそばっかり。ほんとうは、私をだまそうとしてるんでしょ?」
 そして、目の前の認めがたい現実から目をそらした。
「――あ、そうか。夢――これは夢よ。きっとそう――私、じつはもう寝ちゃってて……」
 だが、ほおをつねるまでもなく、左肩から伝わってくるどうしようもない痛みが、その夢を粉々に打ち砕く。
「……ルナン……」
 今度はおびえるように、メロウは呼びかけた。体がふるえる。知ることの恐さ、認めることの怖れが、そうさせていた。
 ルナンと以前名乗っていた暗殺者は、右手にナイフを持ったまま、なにも答えない。
 メロウは、声を上ずらせ、云った。
「じゃあ……街で私を助けてくれたのも……祭りをいっしょに楽しんだのも……友達になってもいいって言ってくれたことも……全部ウソだったの?」
 メロウが青い目を向ける。ルナンは無言のまま、じっと冷たい視線を投げるだけ。
 それが答えだった。
 自分を助けてくれたルナンの強さ。パパにも負けないくらい堂々としたルナンの振る舞い。口数こそ少ないが、いつも落ち着いていて、それでいて堂々としている彼女を、メロウは尊敬していた。自分に足りない全てのものを彼女はもっている。そんな気さえした。
 最初はとっつきにくかったかもしれない。でも、祭りでときおり見せたルナンの楽しそうな顔を見て、メロウは彼女に対する心の壁が溶けていくのを感じ、心から安心できた。
 ルナンの端整な顔立ちがゆるんだあの瞬間だけは、絶対だと思えた。
 だから、ルナンが友達になってくれたとき、メロウはとてもうれしかった。心を許せる、信頼できる人が、身近にできたのだと実感した。
 でもそれは、すべてまぼろしだった。
「演技……だったの……?」
 すべては、自分と自分の家族を陥れるための偽りだったことを、メロウはようやく知った。
「……なんで……?」
 メロウのくちびるがふるえた。ルナンだった人に対するやるせない気持ちが、やせ果てた信頼が、彼女の胸を強くしめつけた。
「私……初めての友達だったのに……どうして……」
 自然と、彼女の目から涙がこぼれた。
「どうして、そんなことができるの……」
 メロウは問うた。
 相手は無言のまま。
 ただじっと、物言わず、その場から動かないまま。
 しばしの沈黙が、人形達の見つめる二人の部屋を支配した。
「――ねえ、なにか言ってよ」
 ほおを伝う滴をぬぐうことなく、メロウは濡れた瞳で相手をみつめた。
「……本当に……本当に、私たち、友達どうしじゃなかったの……?」
 声をつまらせながら、メロウは絶え絶えに云った。
 最後の一線を、彼女は信じた。
 ルナンと、私は――
 メロウは、ルナンを見た。
 ――ルナンが、
 短く、口をひらいた。
「なぜ」
 ――なぜ。
 なぜ、と。
 いわれ、メロウはその意味が一瞬、飲み込めなかった。
 やがて残酷な暗殺者は、メロウに向かって云った。
 平然と、淡々と。
「あなたは始めからただのコマに過ぎなかった。あなたがどう思おうが、私の方があなたのことを気にかけるなんてこと、あると思うの」
 その言葉はどこか、自分とは関係のない遠い彼方の国で発せられたもののように、メロウには聞こえた。
 ――なぜ。
 その意味は――。
 メロウは、ひとつの答えにたどり着いた。
 愚問。
 彼女は、そう自分に伝えたのだ。
 打ちひしがれたメロウは両手で頭を抱え、ゆっくりと首を振った。
 もう、肩の痛みも、涙の感触も、彼女にはなにも感じられなかった。
 真っ白な瞳で、うわごとのようにつぶやく。
「……ルナン……たすけて、ルナン……。このひと、わたしの知ってるルナンじゃない……」
 メロウの心から、ルナンが消えない。
 それは、彼女にできた、初めての友達。
 その友達の手から、メロウの命を刈取る刃が、すっと投げ放たれる。
 祭りで人形をしとめたときと同じ、細くしなやかな手から。
 音もなく――
 銀色の鋭利な刃が、メロウの胸に深々とつきささる。
「…………」
 それさえも、もはやメロウの目には映っていない。
 あるのはただ、彼女に残された、たった一日だけの、小さな思い出。
 そこに描かれたのは、友達との幸せな記憶だろうか。あるいは、自分の将来を憂う父との一場面だろうか。
 かすれる視界。青ざめる体。
 メロウは薄れゆく意識の中で、思った。


 ――明日は、お祭りに――。


 晴れたあしたの青空を映し込んだような真っ青な瞳が、そっと閉じられる。
 ナイフを投げ終えた女――リースリングは、犠牲となった娘の姿をただじっと見つめていた。
 その暗いアメジストの瞳に、メロウという形の影を落としながら。





 ドアの開く音がした。続いて、駆け込んでくる音。
「メロウ様!」
 青年の声が、薄暗がりの小さな部屋に響いた。
 廊下の奥まで息を切らしながら走ってきたファルの目に映ったのは、ベッドの上で血にまみれたメロウ。そして――
 窓に手をかけた、黒い衣裳を身にまとった女。
「……あなたは」
 口にすると、女はファルの方を一瞥(いちべつ)した。
 ランプの明かりにわずかに照らされたその細面の顔をみて、ファルは息をとめた。
 ――ルナン。
 メロウがつれてきた、生まれて初めての友達。
 ファルは何か呼びかけようとした。
 しかし女はすぐさま、さっと窓の外に飛び去っていった。
「なっ!?まて!!」
 ファルは驚愕の表情で、すぐさま窓に駆け寄った。
 ここは二階。
 月明かりの中、ファルは窓から下をのぞきこんだ。
 月明かりの庭には、もはやだれの姿もない。
(……いったい……)
 首をめぐらせたが、探してもみつからないことを悟ると、彼はすぐに窓から離れた。そして、メロウの側に寄る。
「メロウ様!メロウ様……」
 彼が力のないメロウの体を揺り起こすと、どこかあどけなさの残る安らかな彼女の死に顔が、目に映った。
「メロウ様、目をお開け下さい……。メロウ様……私は……私は――」
 もう心ここにないメロウの様子に、ファルは全てが遅かったことを実感した。
 彼の守っていた尊いものが、このわずかな時の間に、ことごとく奪われた。人の命だけではない。彼の誇り、自信。そういったものさえも、もはや彼の中ではむなしい。
 しかしそれら全てよりも、メロウの死が、彼の心中に最も重くのしかかった。
 ファルの存在がメロウにとって数少ない慰めであったと同時に、ファルにとっても彼女は、この数年の間に青年の心底でかけがえのない存在となっていた。それは単に主従関係というのでも、恋愛関係というのでもない。メロウの相談に乗り、メロウの愚痴を聞き、メロウのわがままを笑顔で受け止めることが、彼の生き方の一部になっていたし、彼自身、その時間を確かに楽しんでいた。
 それゆえの、たとえがたい喪失感。
 もはや人形と化したメロウの表情が、彼にはなぜかどこまでも安らかなものにみえた。
 偶然か。あるいは彼の願望がそうみせたのか。
 ランプの薄暗がりの中で、メロウもファルもじっと動かない。
 そんな二人を、まるで仲間ができたことを喜ぶように、周りを取り囲む人形たちはただじっと見つめていた。




 
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