死神と女神の狭間 第一章  

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 祭りの最終日は、にぎやかそのものだった。
 フランセの中央通は、祭りの最後を飾る出店の並びと催し物の数々で、この数日間の熱気が最高潮に達していた。祭りの由来など知らずとも、人々は朝から晩まで大騒ぎし、密度の濃い貴重な時間をすみからすみまで堪能しようと必死になっている。もちろん、ここアーヴァンク地方の有力者も総出で、自らの権力と地位を示しつつ祭りの最後を祝おうと、絢爛(けんらん)豪華な馬車に乗って現れたり、宝石のちりばめられた美麗な衣装を身にまとって白馬を回したりと、個性的な演出に腐心していた。
 さいわい天気も良好で、申し分ない一日となりそうだった。
 人通りの多い街角にあるこの喫茶店でも、祭りの時にのみ用意される屋外のテラス席は、はしゃぎあう客ですでに満席だった。
「……にしても、あいかわらずすごい人出だな」
 そのテラス席に座ろうとしたがあいにく席が埋まっていたため、やむなく屋内のテーブルについたガルマは、まぶしそうな外の風景をながめながら息をついた。
「お祭り最後の日ってのは、そんなに騒ぎたくなるもんかね」
 グラスの中の冷えた珈琲をすすりつつ、彼は目の前に座っている黒髪の女性に目をやった。
「この雰囲気じゃ、レンシンク一家の事件はとりあえず公表されてねえみたいだな。ばれりゃ、いまごろ大騒ぎだろうし……ま、さわぐ分には今と変わりゃしねえか」
 グラスを置いてのけぞる彼を見て、リースリングはそっと口をひらいた。
「……いつまでもこの街にいるのは、あまりよくないんじゃない」
「いいんだよ、ちょっとくらい。木を隠すなら森、っていうじゃねえか。あれと同じだ」
「……」
 不満そうに、リースリングは身をかがめた。
 実際、マルクス=レンシンクとその妻子の殺害事件は、警察関係者らの手によってひた隠しにされていた。後にこの一大事件が公表され、町中の人間が驚きと悲嘆にくれたときには、隠ぺいの理由は「祭りの最終日に水をささないためだった」と説明された。だがそれも表向きで、裏ではレンシンク家暗殺を依頼した警察局の幹部らが、この一日を利用して様々な根回し、取引、交渉等々を――たとえば、隣国サガンへの侵攻を進める手筈など――をおこなっていたのである。
 ただ、自分達の仕事を終えたこの二人にとって、あとのことはもはや違う世界での話だった。
「にしても、俺の変装がいきなりバレたときにはあせったな。それからすぐに、警備兵がうじゃうじゃでやがって……。厳重にもほどがあるぜ、ありゃ」
「……そう」
「あの警備隊長、ファルっていったか。やつがまた厄介だったぜ。おまえ、マルクスの娘に招待されたとき、会ってねえか」
「……少し、会ったけど」
「若くてあれだけの力がありゃ、さぞ未来有望だったろうにな。こんなことになったからには、あいつもこのへんにはいられないだろうよ。……そういえば、足、大丈夫か?相当長い距離、走ったんだろ」
「……心配されるほどのことじゃない」
「ちっ、かわいくねえな」
 苦笑いするガルマの前で、リースリングはほのかな香りがたつミントのお茶に口をつける。その様子をみて、ガルマは感心したようにゆるんだ目を向けた。
「……お前も成長したな」
 いわれ、リースリングは少し間をおいてから、ゆっくりと反応した。
「……成長」
「いや、昔に比べて、ちゃんと必要な仕事ができるようになった、ってことをな。お前がまだ十歳かそこらだったときは、ただ人を殺すことしかできなかったのに……それはそれである意味すげえことなんだが……いまじゃ、相手をだまして情報収集、十分準備してからの侵入、計画通りに正確な時間で実行、全部無難にこなせるようになってるし……もう俺の出番もいらねえんじゃねえかって思ったぜ、正直」
 感心と、そして、別の乾いた感情がこもった目を、彼は向ける。
 その先にある、まだ十八にしかならない女暗殺者は、深いアメジストの瞳をそっと上げて云った。
「……仕事だから、それくらい当然だと思う」
 無表情に、平然と云ってのける彼女を、ガルマはじっとみつめた。
 しばらくそうした後、彼は、あきらめたように視線を下ろした。
「ま、お前なら、な。子供のころからそうだったし。どうせマルクスの娘をやるときも、ひとことも言わずにさっさと片付けたんだろ」
 ガルマはそう云って、珈琲を飲み干した。彼の言葉に、リースリングは何もいわず、ただ彼にあわせて香り高い茶を口にしただけだった。
 遠くからにぎやかな音楽が聞こえてきた。きっと大通りで楽団が演奏でもはじめたのだろう。人々の気分を高揚させ、祭りの最終日をもりあげる、リズミカルで明るい楽曲。
「なあ」
 ふと、ガルマがリースリングに呼びかけた。
「ちょっと、お前にだけ言っておきたいことがあってな」
 リースリングが顔を向ける。あいかわらず表情はない。そんな彼女の細く白い顔に、彼は幼かったころの彼女の顔を重ねた。
 小さい殺し屋。暗殺者のエリート。
 こいつの面倒を見始めてから、もう八年ほどになる。その間、いろいろあった。
 こいつは、なんて云うだろう。そんなことを考えながら、ガルマはしっかりと目の前を見据え、口にした。
「残念だが……お前とは、今日でお別れだ」
 はっきりとした口調で、ガルマはそう云った。
 彼女は少し視線を落としてから、答えた。
「そう」
 ……と、ひとことだけ。
 とくに感慨もなく。
 ガルマはすこし待ってみた。しかし、目の前の無表情な顔からは、いっこうに次の言葉のでてくる気配はない。
 そう。その、あまりにあっさりした二文字に、ガルマはおもわず身を乗り出して
「おいっ」
 と、彼女の分まで大きくリアクションした。
「そう、って、もう少しいうことねえのかよ!」
「……いうこと、って?」
「たとえば、『別れるって、どういうこと?』とか、『いや、別れたくない!』とか」
「……暗殺稼業から足を洗う、ってことでしょ。べつに、ガルマがいいなら、いいと思う」
「あのなあ……俺たちの組織は足を洗ったら口止めに殺される、って話、知ってるだろ?お前がいますぐ俺に手をかけたって、おかしくないんだぜ?」
「……私のほうから、あなたと闘うつもりはない。そんな命令は受けてないから」
 あっさりした彼女の返事に、ガルマはなんとかくらいつく。
「まあそれはともかくとしてもだな、足を洗ったあとどうするの、とか、他にもいろいろ聞くことがあるだろ?」
「……足を洗ったあと、どうするの」
「おう、とりあえず北のグリッグランドにでもいって、畑でも耕すかな、なんて」
「そう」
「……」
「……」
「……」
 違う。なにかが違う。
「……いや、だからな、もっとこう、長年お前の面倒見てきた俺に対して、なにかいうこととかねえのかよ」
「……感謝はしてる」
「……で?」
「……それだけ」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
 あまりにドライすぎる彼女のリアクションに、ガルマは心底がっくりきた。
「……そうだよな。お前はそういう女だよ。子供のときから。俺が一番よく分かってたはずなのにな。そう、俺が暗殺者をやめて、組織の奴らから内部情報の口止めに命を狙われても、お前は平気な顔で『じゃあがんばって』っていうやつだよな。分かってたんだよ……」
「……なに一人でぶつぶついってるの」
 ガルマが半分あきらめ顔でひとりごとをのたまっているのを、リースリングは不思議だといわんばかりの目つきで眺めた。そうだ、よく考えてみれば、この八年間でこいつの口からやさしいセリフを聞いたことは、ついぞなかったんだった。
 大通りの演奏が近づいてくる。表の通りで踊り出す人がいる。店の中でゆかいな話題を持ち出す人がいる。いたって平和な、のどかな風景だった。
 ガルマは席を立った。
「……じゃ、俺、いくわ」
 彼女から贈られてくるはずのあたたかい言葉をあきらめた彼は、軽い手荷物を肩に担いで、明るい日差しの差し込む喫茶店の出口へ向かおうとした。
 外はよく晴れている。今日一日くらい、祭りを楽しんでいくのもありかな。ふとそんなことを、彼は思った。
 そのとき、
「まって」
 彼の背後から、今しがた背を向けたばかりの女の声がした。
 声が少し慌てている。
 若干の期待が、彼の中に膨らんだ。
 やはり。
 やはりそうだ。
 やはり、いくら子供の頃から冷徹な彼女でも、約八年間世話になった相手には、なにかしらの感情をもたずにはいられなかったのだ。
 ガルマは振り返った。次に彼女の口から出る言葉は?『やっぱりいかないで』『ガルマがいないと寂しい』『私一人じゃ、まだ不安なの』こんなところか。ま、どれがこようと俺は「すまん、もう決めたことなんだ」と言って颯爽と去っていくけどな。
 そこまで彼がイメージし、期待を込めていた彼女の口から出た言葉は、こうだった。
「……勘定。ガルマがおごってくれるって……」





……。





「326ラムになります」
 勘定を払い終え、ガルマは財布の中を確かめた。1ラムコインが2枚。
「な、なあ、リースリング……」
「……いままで散々貸してあげたけど」
 ぴしゃりといわれ、ガルマはため息しか出なかった。
「はぁ……しゃあねえ、どっかで少し稼いでいくか」
 旅の出鼻をくじかれた彼は、店を出たところで再び荷物を担ぎ直した。
「じゃあな。もう会うこともねえだろうけど」
 そうして、ガルマは去っていこうとした。
「ガルマ」
 そのとき、小さな声で呼び止められ、ガルマは振り返った。
「――ありがとう、いままで。気をつけて」
 幼い頃から知っている、いつからか「闇色の死神」と呼ばれ、おそれられている彼女が、ガルマに小さく云った。
 なにげないように、でも少し言いづらそうに。
 ガルマは、何も言わずリースリングに近づくと、彼女の頭を、まるで子供にしてやるみたいに右手でごしごしとなでた。
 すぐにその手を払う彼女に、彼は少し笑いかけてから、今度こそ背を向けた。
 祭の最終日を祝うように、太陽がきらきらと石の敷かれた地面を照りつけている。二人におとずれた八年間の別れも、通り過ぎる馬車や店で交わされる会話に溶け込み、フランセの一日を紡ぎ出す一本の糸となって他の糸と重なり、次第に見えなくなっていった。




 
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