死神と女神の狭間 第一章  

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 いつものように。
 あの女性は、今回の仕事の報告に来るはずだった。
 とある町の、とある住居。
 彼女の属する暗殺者集団の頭が、今日はここにいる。
 頭は、いままで一度も決まったところにいた試しがない。頻繁に居場所を変えている。今日はこの町の、この家だった。
 ウルサンが彼女の到来に気がついたのは、頭のいる部屋の扉の前だ。
 木製の古びた扉。特別大きくもなく、かといって極端にみすぼらしくもない。どこにでもあるような、普通の扉。
 その扉を、彼――ウルサンがいきおいよく開けた。
「ちょっとまて!もう一度やらせてくれ!たのむよ!ギル!!」
 三十代ぐらいの色白の男が、しきりに叫んでいる。それを、肌の黒い大男、頭の用心棒であるウルサンが背中からおさえ、部屋の外にむりやり連れ出そうとしていた。
 部屋をでたところで、彼と男はリースリングの存在に気がついた。焦った様子の色白の男は彼女の姿を見てとると、とっさに方向を変え、彼女の方に向かおうとした。しかし、大男の頑丈なしばりを抜けられないまま、彼は首だけをなんとかめぐらせるだけで精一杯だった。
「お、おお!あんた……もしかして、リースリングか?そうだろ?なあ、あんたからもいってくれよ……。俺が仕事でちょっとミスしたからって、あの頭、もう用はないって見放しやがって……。しかたなかったんだよ、あれはタイミングが悪かったんだ。殺ろうとしていたやつのところにたまたまその日だけ、知り合いだかなんだかしらねえが、国務めの剣士が来てて……俺にはどうしようもないところだったんだよ。なあ、あんただってそんなことのひとつやふたつ、あっただろ?だから、なんとか言ってやってくれよ……」
 その、仕事に失敗した男の陳情を、リースリングはだまって聞いていた。だが、なにひとつ顔の色を変えないまま、結局彼女は一言もいわずに男の横を通り過ぎた。
 ウルサンは扉の側にいた、これまた屈強そうな遣いの者にその男を任せると、リースリングのうしろから部屋に入った。男のなにやら罵倒するような、断末魔のような声が背後に聞こえる。それは古びた木の扉が閉じられると同時に、急に遠くなった。
 部屋の中はこざっぱりとしている。大きな机や本棚、時計台などが置かれ、床にはじゅうたんが敷かれているが、「頭」の持ち物は、すぐに居を移せるよういつも非常に限られているはずで、こうした部屋の中のものの大半は、以前住んでいた者が置いていったものに違いなかった。
 「頭」――立ち止まっているリースリングの斜め前で、黒色の背の高い椅子に腰をかけている細身の男が、用心棒である彼が雇われている、そしてリースリングの属している暗殺者集団の「頭」ロイ=ギルだった。
 その風貌は、襟付きのシャツに直線的な折り目のズボン、ぼさぼさの黒い髪に、くわえた長い煙草――と、特に「頭」を印象づけるようなものではない。顔つきは三十代前半くらいにみえるだろうか。若くはないが、中年と呼ぶにはまだ何年かかかる、そんな容姿。それでも、集団をまとめる「頭」としては、かなり若い部類に入る。
 ただし――
 彼が放っている、雰囲気とか、空気――あるいは、目のすわり方――
 そういったものには、どこか重苦しい、灰のような色が宿っていた。
 ウルサンが黙ったままギルの斜め後ろ、いつもの定位置に戻ると、彼は椅子からそろりと立ち上がった。
「よう、リリィ」
 なかばしわがれた声で、その彼が煙草をはずし、リースリングに声をかける。
「元気にやってるか」
 煙草の火を灰皿でつぶす彼に、リースリングは尋ねた。
「……さっきの男は」
「あいつか?」
 火が消え、たちのぼる白い煙を見下ろしながら、ギルは苦い笑みを浮かべた。
「ターゲットを逃がしたんだと。だから、もう用はないといった。それだけさ」
 そう言って、はじめて彼はリースリングに視線を向けた。
「往生際が悪いから、ウルサンに部屋の外へつまみだしてもらった。本当は、やつが残した仕事の尻ぬぐいをお前にやってもらう予定だったんだがな。先にトリッケンの方が帰ってきたから、やつにやらせた」
 彼の細く黒い目が、リースリングの表情をながめる。再び椅子に手をかけてから、彼はねぎらいの言葉を口にした。
「今回もうまくやったな。依頼人も喜んでいた。これで隣国への侵攻に最大の障害がなくなった、ってな。これから戦争が始まれば、うちの仕事も増えてくるだろう。リリィにも、もっと働いてもらわないといけなくなる。まだまだこれからだぜ、面白いのは」
「……」
 リースリングは特に感想を述べず、ただだまっているだけだった。ギルもそれを分かっていて、マッチを取り出して新しい煙草に火をつけるまで、何も言わなかった。
 少しして、リースリングがアメジストの瞳をギルにむけ、云った。
「……できれば、『目標』の追加は、もう少しはやく知らせてほしかった」
 彼女の言葉に、ギルは思い出すように目線を上に向けた。
「追加……殺す対象に母と娘を加えたことか?そうだな。今回は雇い主がきまぐれでな。父親があの世にいくのなら、母や娘も一緒の方がいいだろう、慈悲だ、だと。警察局の副局長があれじゃ、世も末だな」
 そう云ってから、彼はククッと小さく笑った。「今度から、計画変更の可能性もあらかじめ知らせることにしよう」
 ギルの答えを聞き、リースリングの表情がむしろ曇ったように、ウルサンには見えた。
 それに気付いたのか気付いていないのか、焦茶色の煙草を吸い、ひとつ大きく息をはいてから、ギルは突然切り出した。
「リリィ、ガルマのやつが足を洗ったの、知ってるな」
 低い声で彼が云うと、リースリングは一瞬間をあけてから、短く答えた。
「……ええ」
「お前じゃ、やつは殺せなかったんだろ」
 いわれ、リースリングはとっさに返した。
「私の力なら、彼でも……」
「実力的なことを言ってるんじゃない。状況的に、ってことだ」
 言葉の内容とは裏腹に、きわめて落ち着いた調子で、ギルは云った。
「べつにお前を責めてるわけじゃないさ。口封じはお前の仕事じゃないからな。それにガルマとやりあって万一ケガでもされたらことだ。手を出さなくて正解」
 煙草を吸う。リースリングはギルになにかいおうとしたが、その言葉は彼女の喉元で止まったようだった。
 ギルは云った。
「だから、別のやつに殺させた」
 なにげなく、なんら特別なことでもないように、彼は云ってのけた。
 その言葉が耳に届いたリースリングは、ギルに目を向けたまま、ひとことだけ云った。
「……そう」
 とくに感慨もなく。
 まるで「自分の知らないどこかの誰かが事故で死んだ」と聞いただけのような、平凡な反応。
 そう見えた。
「……ギル」
 リースリングは、自分を暗殺者に仕立て上げた男に、そっと云った。
「……次の仕事は?」
「次の仕事」
 ギルは灰皿に煙草をおいた。
「次はたぶん、半年ほど後だ。そのあいだ、しばらく休め。でかい仕事になる。あの三国会談のときよりも、もっと派手になるかもな」
 彼はリースリングに、別の部屋で世話人が待っていることだけ告げ、机の上にひろがった書類に目を通し始めた。
 それを見て取ると、リースリングはゆっくりと部屋を出て行った。その後ろ姿を、ウルサンは追う。
「ウルサン」
 ギルが彼の名を呼んだ。
「はい」
「遣いに、ミラをこの部屋へ来させるように言え。もうすぐサガンとネイルが戦争をはじめるから、いろいろ走り回ってもらわないとな」
「承知しました」
 従順で寡黙なウルサンは、すぐさま彼の命をうけ、部屋の外へ出た。
 扉の側にいる遣いの者に用件を告げ、いかせる。
 ふと彼が目線をあげると、長い廊下のさきに、リースリングの姿が見えた。
 角を曲がるところだった彼女は、色のない表情を崩すことのないまま、アメジストの瞳を人気のない廊下に投げていた。
 まもなく彼女が、視界から消える。
 ウルサンはその姿を目に焼き付けながら、彼女をみるたびに毎回感じるものを、今も無意識に感じていた。
 用心棒のウルサンはあまり小難しいことに頭のはたらく人間ではなかったが、そんな彼でも、リースリングの謎めいたアメジストの瞳をみるとき、その奥に封じ込められた「何か」を思わずにはいられなかった。それは虚無、疲弊、絶望――そんな負の感情をイメージさせる、底がみえないくらいの深い霧であるような、または押しつぶされそうな圧力から必死に耐えている、細い細い枯れ木のような、そんな彼の口からは表現しがたい不思議な印象が、若い女暗殺者・リースリングにはあった。
 ウルサンが部屋に戻る。部屋の扉がきしむ音をたてながら、ゆっくりとしまる。
 長い廊下に、夕方のこもれびが入る。遣いの者が床を駆ける足音もいつしか消え、午後の閑静な空気だけが、この質素で古びた住居を支配するようになった。


<第一章 了>




 
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