死神と女神の狭間 第一章  

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 マルクス=レンシンクの部屋は、どこかのダンス・ホールと見間違うほどに、実に広々としていた。
 床が広く、天井が高いうえ、部屋に置かれているテーブルやソファー等の調度品の類が少ないことが、この部屋のさっぱりとした広さを感じさせる。数人の子供をもしこの部屋に入れれば、きっと屋外の広場と同様に元気に走りだし、おいかけっこやボール遊びに興じることだろう。
 マルクスのいるこの部屋は応接間であり、部屋の奥まったところには自分と夫人の部屋がある。グリッグランド製の赤く大きな敷物がしかれ、黒い革張りの椅子とテーブル、書物のつまった書棚、そのほかの調度品が、部屋にまばらに置かれている。唯一目立つのは、部屋の角に飾られた立派な騎士の防具だった。金と銀の装飾にいろどられた鎧、派手な赤い長毛の飾りのついた大きな兜、ぶ厚い鉄板が幾重にも重ねられた小手とすねあてに、つま先のとがった、しゃれた鋼の靴。そこに人の姿が重なって見えるくらい、頭部から足の先まで、騎士として装着するものが装着する位置そのままに飾られていた。
「いつもなら、そこにあるものを着ていまごろ収穫祭にでているのだがな」
 そう、マルクスはたくわえたひげをなでながら、部屋の角に座るきらびやかな防具に目を向ける。
「今日は『麦火の行進』という行事があったのだが、ルナン君もみられたかな」
 マルクスは、目の前で姿勢正しく椅子に座る女性に、低くはっきりした声で尋ねた。
「はい。この町の権力者が騎馬で大通りを行進する行事ですね。オセール様やティモシー様の御姿を拝見しました」
 あいかわらず、自分をおそれない調子で明朗に話す彼女を見ながら、彼はやや表情を沈ませた。
「その行事に私も毎年出ていたのだが、今年ばかりはすこし自重せねばならんと思って、辞退したのだよ。まったく、騎士長になってから余計な心配事が増えて困ったものだ」
 そういいながらため息をつき、彼も椅子に座る。
「私に話とは、おそらく私のことをつけねらう戦争反対派の者たちのことだろう」
「はい」
 マルクスの言葉に、ルナンはうなずいた。
「マルクス様の身辺のことは、局のほうでうかがっています。サガンの開戦宣告に対して、わがネイル国がどのように対応するか。その議論で国の中央部が二分してしまったと」
「そう。その発端が私だと、開戦派は言っているそうだが」
 マルクスは使用人に用意させた白湯に、口をつけた。
「まったく、発端など、私でなくともだれかが言い始めたに違いないだろうに。反戦派の人間はもともと多くいたのだから。なのに私が反戦派の代表のようにみられているのは、至極心外だ」
「しかし反戦派の一人、黒鳥隊隊長補佐のヘラルド様が、何者かの手によって殺されました」
「それは知っている。黒鳥隊。わが国最高の迅速さと鋭敏さを備えた、世界に誇るべき騎士団だ。その隊長補佐が殺されたときは、私にとっても大きな衝撃だった」
 すこしいらだった様子で、マルクスは湯の入ったグラスをたたき置いた。
「だからこそ、念のためとこの家の警備を厳重にし、私自身も外に出ないようにしているのだ」
「警察局としては、あなたの身辺警護にいくらかの人手をお貸ししたいと考えております、マルクス様」
「その提案は何度も局の者から聞いた。しかしこう言ってはなんだが、見知らぬ警察局の者を手元に置くより、自前の兵隊を用意した方が、私としては安心できるのだ。君たちを信頼していないわけではない。ただヘラルドを殺した犯人は、警備兵を装って彼の近くにもぐりこんでいた。その懸念を、私は払拭したいのだ」
 そして、彼は青く細い目でルナンをうかがう。
 ルナンはあいかわらず平然とした様子で、彼に答えた。
「……おそらくそういうことだと、私も思っていました。なので、局からは情報提供という形で、協力させていただきたいのです」
「情報提供?」
「はい。我々は不穏な情報が得られれば、それをすぐにマルクス様にお伝えする。そして事が荒立たないよう、できるだけの協力をする。マルクス様から何かをしていただくようなことは、局からは望みません。いかがでしょうか」
 彼は、考えるように眉間にしわをつくりながら、云った。
「そういうことなら、私は構わないが。情報は多いにこしたことはない。だがなぜ、警察局は私をそこまで守ろうとするのだ」
 ルナンは云った。「我々は、犯罪が起きる温床があると知っていて、それを野放しにしてはおけません。命を狙われそうな人がいれば、その方を全力でお守りするのが、我々の役目です。それが騎士長という身分のある方であれば、なおさらです」
 それに、と彼女はついだ。
「正直なところ、ヘラルド様に続いて期間をおかずにまた、となれば、我々警察局の威信に関わるのも事実です。そのため、我々はマルクス様をお守りできるよう、あらゆる面で支援したいと考えております。直接警備をさせていただけないのであれば、我々の手に入れた情報だけでも、ぜひお役立ていただきたいのです」
 この彼女の言い分を聞き、マルクスはさきほどから抱いていた彼女への印象をさらに強くした。
 ルナン。まだ若いのに、騎士長を前にしても物怖じせず、はっきりとものを言う。
 マルクスはルナンに真正面から向かい合った。彼はこういったタイプの人間を、昔から買っていた。
 もうひとつ、しかけてみるか。
「ルナン君。君はまだ若いようだが、いま言ったことを実行できるだけの権限はあるのかね。君の今の状況は、娘に急に招かれ、そのついでに私と話をしにきた、ただそれだけのものだろう。それとも私にこの話をとりつけるため、君が娘にわざと近づいたのかな」
 そう意地の悪いことを云ったマルクスは、ルナンがどのように反応するかを期待してみた。
 ルナンは、マルクスの目を見返しながら、少しだけ厳しい口調でつげた。
「マルクス様。わざわざお時間を頂きここで話をさせて頂いている以上、私にも情報提供をおこなうくらいの権限はあると思って頂いて結構です。それを歳が若いから、メロウ様とつき合わせていただいたからという理由ではねつけられるのはやや心外です。我々は上の者から常に、マルクス様にお会いする機会があれば、これまで私が申し上げた内容のことをぜひお勧め差し上げろと言いつかっております。だから私は、この機会をぜひ活かそうと思った、ただそれだけです」
 マルクスは、ルナンの静かだが厳然とした態度をみて、心の中でうなずいた。
「……ルナン君。君の言い分はわかった」
 おだやかな顔で、マルクスは云った。
「では、情報提供の件、お願いしよう。いや、いまの質問は気にしないでくれ。君を少し試したかったのだ」
「試す?」
 ルナンがけげんな表情を浮かべているのが、マルクスにはわかった。
「君に興味がわいた。まだ若いのに、揺るぎのないその堂々たる態度。警察局に仕える君の信条は立派なものだ。うちの娘にも見習わせてやりたいものだ」
 そういって苦笑するマルクスに、ルナンは何も云わず、またすぐにもとの涼しい顔に戻った。
「歳をとるとどうも疑い深くなっていかんな。あの三国会談以来、身の回りの何もかもが信じられなくなってきているのだよ」
「現在の戦争の火種となった、あの会談ですか」
「そうだ。グリッグランド、サガン、わがネイル国。現在起きている国境線付近の争いの大元となった、あの会談……」
 マルクスは、どこか遠くをみるように、うつろな視線を部屋の隅に投げた。声のトーンも、いくぶんか落ちる。
「いまだに現実のこととは思えん。あのときのことは、いまでも頭の中に鮮明に残っている。
 あれは忘れようもない。私がデヨング最高騎士長に誘われて、三国会談の行われるガルム島にいったときのことだ。会談は開戦を強くせまるサガン国の主張によって難航しながらも、なんとかわが国の外交主任であるフィリップ様とグリッグランドの王、アンヌーン五世がかれらの妥協を引き出し、一時休戦という形で和平交渉がまとまりそうだった。そして五日目の夜。あとは翌日朝の調印式を残すのみで、晩の会食に祝いの酒がふるまわれたときのことだ。私が部屋の隅でその会食の贅に預かっていたら、突然、何箇所にもあった火の明かりがすべて消え、部屋は暗闇に落ちた。みなは慌てて明かりをつけようと右往左往し、ようやく部屋の一番奥でひとつだけ明かりが戻った。そのとき、ゆらめく火の光に映し出されたのは、床に倒れ伏したフィリップ様だった……」
 彼はひとつ間を置くと、その細く小さな瞳の奥によみがえる悔むべき無惨な光景に、胸をひどく痛めた。
「部屋中からどよめきと叫び声があがった。徐々に明かりがともされると、さらにサガン国の最高軍師ラミー、そしてグリッグランドのアンヌーン五世が、喉元から血を流し、床に敷かれた青色の絨毯(じゅうたん)を真っ赤に染めていた。
 たった数秒。そのわずかな時間のあいだに、三人もの人間が、暗闇の中で殺されたのだ!しかも、喉元を一閃しただけの、全く無駄のない手口で。
 我々はその後、必死に犯人を探した。しかしその晩中、それから翌日も、どれだけ探しても、その殺し屋は見つからなかった。その間に、残された大臣らは口々に相手を疑い、非難し合い、いつしか会談は決裂していた――」
 まさに最悪の結末だった、と、マルクスは目を伏せ、組んだ拳を眉間に当てた。そしてまるで記憶からにじみ出る黒いもやを紛らわそうとでもするかのように、彼は拳に力を込め、頭に押し当てた。
「闇色の死神――。あの犯人だけは、私のこの命ある限り、必ずみつけ出さねばならん。国民みなが待ち望んでいた、三国間の争いを終息させるあの話し合いの場を血まみれにしたのは、いったいどんな男なのか。きっと私の目で確かめ、問いただす。隣り合う三つの国とそこに住む人々を混乱と絶望におとしいれた、そのわけを」
 マルクスは顔を上げ、自分の胸の中に秘めた決意を目の前にいる客人に伝えた。まっすぐに、悲壮な視線を投げかけながら。
 それは間違いなく、彼の人生にとって、最悪のできごとだったろう。そう思わせる張りつめた重い空気が、彼のまわりを包んでいた。
 ネイル、サガン、グリッグランド。彼は騎士として、隣国同士であるこの三国間の争いに若い頃からずっと関わっていた。戦争の最前線を指揮したこともあるし、彼自身ももちろん、剣を振り敵を切り倒し、何度か死地も味わった。それゆえ、争いの被害を直接受ける人々の苦しむ姿を、彼は常日頃から目の当たりにしていた。サガン国の兵士に食糧や女を略奪された村、グリッグランドの海兵隊に沈められた客船、命令により殺さざるをえなかった相手国の捕虜、そして彼らの無事を信じて待つ国の家族ら……。マルクスはそれらを思い出すたび、やりきれない思いと、終戦への渇望が募っていたのだった。
 その彼の願い、いや国全体の願いでもあったろう和平の最大の好機が、あの三国会談であった、はずだった。
「ルナン君なら、いま話したことはよく知っているだろう。闇色の死神について」
「はい」マルクスの話を聞くあいだ、ずっと考え込むふうをしていた彼女は、ゆっくりと顔をもちあげた。
「局の誰もがその名前を存じております。なんでも屈強で大柄な男だったとか」
「うむ。だが不謹慎を承知でいうが、あれは見事な腕だった。暗闇の中とはいえ、誰にも気づかれることなく、三人もの人間の命をあっさり奪い、そしてその場から脱出する。逃げる際に一瞬、窓の近くにいた者がその影に気づき、それが大柄な男にみえたそうだが……。それが犯人だったのかどうかはいまでは判断がつかん。とはいえ、闇の中で正確に殺人を実行し、捕まらずに逃げおおせる、などということは並大抵の技術や体力では不可能だろう。いったいどんな男なのか。あるいは――」
 彼はつぶやいた。
「そもそも人間ではないのか」
 そこまで言って、マルクスは気づいたようにルナンに向き直った。
「すまんな、君には関係のない話だったか。いや、私を狙っているという者がもし闇色の死神だったとしても、わが邸はそれなりの備えをしていると、それを言いたかったのだ」
「いえ、お気になさらず。それよりも」
 ルナンはたずねた。「備え、とは」
「警備兵の数を倍に増やしたこともあるが、ひとり優秀な者を雇った」
「傭兵、ボダ=ハさんのことですか」
「そうだ。娘から聞いたかね。魔道立国ミコールからきた魔法使いだ」
 それを聞き、ルナンの口元が一瞬こわばった。
「ミコールの、魔法使い?」
「そう。わが邸には魔法を使える者が少ないからな。ひとりおいておきたかったのだ。それに警備隊長のファルもいる。この二人がいれば、なかなか暗殺者もうまくはいくまい」
 自信をみせるマルクスに、ルナンがしばし考えるようにしてから、口を開く。
「ファルさんは優秀な方のようですね。まだ若くお見受けしましたが」
「ファルは強いぞ。今年の国の武芸大会で、初出場で準優勝をとった男だ。あのままいけば将来は私のあとを継ぐことも可能だろう、と私は思っているのだが」
 マルクスはすこし笑みを見せる。これまでルナンに対し固い表情しかみせなかったその笑みは、彼のファルへの好感の深さを示していた。
 それを感じ取ったのか、ルナンは白湯を手にとりつつ、云った。
「かなりファルさんを信頼されているようですね」
「うむ。ファルがやってきたのは、五年ほど前だったかな」
 マルクスは黒いひげの生えたあごをなでながら、昔の光景を頭に描いた。
「まだ娘が十二歳のときだ。騎士見習いからやっと卒業したばかりでわが家の警備についたのだが、ファルはそのときから真面目な性格で、勤勉で、努力家だった。はじめはそれほど目立たなかったのだが、数年でめきめきと力をつけてきてな。いつのまにか剣の腕では、警備兵随一だ。
 それにファルの場合は、力だけではなく、優しさと謙虚さも兼ね備えている。決しておごることなく、常に努力を怠らず。他の警備兵からの信頼もあついようだし、娘がいろいろと悩んでいるときにもよく相談に乗ってくれている。優しすぎていささか頼りない面もあるが、それでも私は将来を見込んで、彼を警備隊長に任命したのだよ」
 マルクスは誇らしげに、ファルのことをほめたたえた。
「おそらくまだまだファルは伸びるだろう。剣の腕も、人間としても。彼にはそれを感じさせる、他人とちがった何かがあるのだよ。君と同様にな」
「私、ですか」
 とつぜんのことで面食らったのか、ルナンは少し言葉をつまらせる。マルクスは再び、探るような目で彼女の表情をとらえた。
「君にも、見込みがある」
「私など、とてもファルさんにはおよびません。力の面でも、人間性においても」
「いや、私のみたところ、君は表にはあまり出ることのない、しっかりした筋が心の中に通っているように見える。それがあるからこそ、権力に物怖じしない堂々とした態度をとることができるのだろう。これからの活躍に期待しているよ、ルナン君」
 そういい、マルクスは小さな含みをもたせた笑みをルナンにみせた。彼女の反応を注視しながら。
 しかし白湯をおろしたルナンは、マルクスから褒めの言葉をもらっても、あいかわらず色のない表情を浮かべただけだった。


 
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