死神と女神の狭間 第一章  

1 2 3 4 5  7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 後




「じゃあね。ぜったい、また遊びにきてね」
 巨大で重々しいマルクス邸の門の前で、メロウは帰途につくルナンを送ろうとしていた。
「今度は、エッセン川のヴィルトール公園にいこう。もう少ししたら、あそこで紅葉がみられるから。ヴィルトールのもみじ、とってもきれいなの」
「そうね。そうするわ」
 うきうきした口調で話すメロウとは正反対に、ごくおちついた調子でルナンはそう云った。
「こんどはぜひ、あなたの部屋も見てみたいし」
「わたしのへや?」
 きかれ、メロウはややうろたえた。
「そうね、そう……。今度は私の部屋にも、案内する。きっと。ちょっとはなれたところにあるから、今日はつれていけなかったけど。次はルナンにもみせるね」
「離れたところって……どこ?」
「ここから青い屋根の建物がみえるでしょ?あの二階の一番奥に、私の部屋があるの」
「そうなの。じゃあ次の機会に――といっても、次はいつ来られるかわからないけど」
「えーっ、紅葉が終わってからじゃこのへん、いくところないよ」
「できるだけはやくまたこられるようにするわ」
「ほんと?きっとよ!」
 そうして、ルナンはマルクス邸を離れた。メロウは手を振って、ルナンを見えなくなるまで見送る。いちど、ルナンがふりかえったとき、ひかえめに少し手をふり返してくれたことが、メロウにはとてもうれしかった。
 ルナンの姿が角を曲がってみえなくなり、メロウははじめて心の中で今日という日を振り返り、かみしめた。ひとりでの外出。おもいもよらぬトラブル。そして、はじめてできた友達――。今日一日だけで、ここ数ヶ月分の思い出をいっぺんにつめこんだような、そんな感覚がメロウにはあった。
 十七歳ではじめて、ですます調でなく、対等な立場で親以外の相手と思い切り話し合えた喜び。騎士長の娘などではなく、もっとふつうの親の子に産まれていれば、こんなことはたいしたことじゃないんだろうな。そう思い、メロウは恥ずかしさにも似た感傷に浸った。
 家の外の者で、これだけ言葉を交わした人間は、彼女の人生の中ではほとんどいなかった。外出しても、多くの者が彼女を敬い、形式ばったあいさつだけを交わす。彼女から話しかけようとしても、ほんの数分でまたすぐに別の者へあいさつにいかされる。そもそも、外の者と話す機会じたいが年二、三回ほどしかない。父が根っからの武人で、もともとあまり社交的な性格とはいえない点も手伝い、彼女の主な知り合いはいまでも、邸内の警備兵と、親のつける家庭教師だけだった。
(でも警備の人たちも、先生も、私にかしこまってばかりでまともに話をしてくれないし)
 メロウは邸内に戻りながら、扉の横で直立不動の警備兵らに目を向けた。彼らは「どうぞお入り下さい」と一礼し扉をあけるだけで、それ以外の言葉をメロウに発することは、彼らの主人である父から禁じられている。いまもそのとおり、型どおりのままの言葉で彼らは邸内への入り口を押し開けるだけ。それをみたメロウは、なぜか胸の中に言い知れない「もや」が残るような気分になった。
 邸内に入るとすぐに、父マルクスの姿が目に飛び込んできた。腕を組んでメロウの帰りを待っていた父は、やや眉を寄せながら、メロウの方をじっとみつめている。
「パパ……」
「戻ったか。これからはあまり外にでないようにしろ。お前がトラブルに巻き込まれたらと思うと、気が気でならん」
 そう言葉を吐く父に、メロウはかっと反発した。
「なによ、いきなり。ルナンがいなくなったからって、急に態度を変えるなんて」
「変えてなどいない。第一、客人のいる前で家庭内のことをもちだしては失礼だろう」
「客じゃないもん。ルナンは友達だもん!」
 メロウは訴えた。
「どうしていつも、パパはくる人くる人、みんなお客さん扱いするの?私の話す人は、みんな赤の他人なの?」
「外部から来られる方を自宅に招くのだ。それなりの礼儀をもって迎えるのが当然だ。お前にはそれがまだわかってない」
 父マルクスは、き然とメロウの前にそびえる。
「お前こそなんだ、あのルナン君に対するなれなれしい態度は。お前ももう少し自分の身分と立場をわきまえて、それなりの距離感をもって接しなければならん。これからお前も司書になり、社会に出ていくというのに、あんな対し方ではやっていけんぞ」
「これからなんて関係ない!わたし、司書になんてなりたくない!お人形屋さんが」
「またお人形屋さんか」
 そういってため息をつくと、マルクスは一転して諭すように云った。
「聞き分けのない子だな、メロウ。お前ももう十七だ。同年代の者では職についてしっかり仕事をこなす者、貴族と結婚して幸せな家庭を築いている者もいる。もう立派な大人なのだ。そろそろ現実から逃げるのはやめ、自分の境遇を理解しなさい」
「いや!」
 メロウは目の前につくられた不安をかき消すように、頭をふってそれを拒絶した。まっすぐに、青い大きな目を、困り果てた父の顔に向ける。そのメロウの瞳には、自身の未来への渇望と、父への反抗心とがにじんでいた。
「私、貴族なんかと結婚したくない!どんな人とも形ばっかりのつきあいで、言いたいこともいえない生活を一生続けるなんて、私、がまんできない!」
「だから子供なのだ、メロウは。ルナン君をみなさい。君といくつも歳が変わらんのに、立派に自分の職務をこなしているじゃないか」
 ルナンのことを出され、メロウは一瞬、声が止まった。
「ルナンは、……ルナンは、ちがう」
 あえぎあえぎ言葉をつむぐメロウに、父はすかさず口を差した。
「なにが違う?ルナン君だって、自分のやりたいこと、進みたい道が別にあったと聞いた。しかしそれを自制して、彼女は警察局に入ったのだ。彼女のように自分を律して、仕事に真面目になるのが大人というものじゃないのか」
 いま、マルクスは嘘をついた。
 ルナンが警察局に入った経緯など、彼は聞いていない。彼はただ、ルナンの存在は娘の泣きどころだと考え、彼女のことを引き合いに出しただけだった。
 そして事実、メロウの心は少しゆらいだ。父のついた嘘など知る由もなく、メロウは、ルナンが自分の進みたい道をあきらめて警察にいるという話を、ただ信じるしかなかった。ルナンを尊敬し、信頼しているだけに、その彼女の生き方は、メロウの関心を強く引いた。
 しかし、この心のゆらぎは、メロウのいまの気持ちとは、別の次元の話だった。
 父はメロウが、堅苦しい司書になどなりたくない、もっと自由奔放に生きたいと駄々をこねている、そう思い、そういう目で娘を説得しているはずだった。それは、ある意味では当たっていた。メロウは司書になどなりたくはなかったし、好きでもない経済や工学の本を本棚に囲まれながらあくせく読み続ける毎日よりも、もっと自分のしたいことのできる、自由のある生活を送りたがっていた。
 だが、それは本質ではなかった。
 メロウはうつむき、望みのない落ち込んだ調子で、父に告げた。
「パパ、なにもわかってない――」
 それだけいうと、メロウは廊下をかけだした。父のしがらみから逃げ出すように。
 メロウの背後から、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。どうしても、彼女は父の話に耳を傾ける気にはなれなかった。
 いつもこうだ。父と話すときは必ず自分の将来の話になる。そのたびに、礼儀と形式に押し固められ息苦しい思いをしている自分の姿を想像し、顔をうつむかせる。そのたびに、自分の生まれた「騎士長の娘」というたぐいまれな境遇をうらみたくなる。
 そして、それとはまた違った、別の思いを父はわかってくれず、メロウはただくすぶったものを胸の残す。それを話せず、また父の前から去る。毎回、このくり返しだ。
 本館を出たところで、メロウの足は遅くなった。活気のない空気を身にまといながら、とぼとぼと自分の部屋のある別館に向かう。
 ふと顔を上げると、彼女の前にみえる紅葉色の木に、オリーブ色の小鳥がとまって、枝になる果実をついばんでいた。一心不乱で周りが見えていないのか、彼女が近づいてもまったく気にする様子もなく、たくさんある小さな赤い実をせわしなく飲み込んでいく。
 メロウは立ち止まり、ただただ餌をとるばかりの鳥の姿を、薄い目でながめた。そこにはどこか、小鳥に対する羨望(せんぼう)の色さえうかんでいた。
 ――いっそ鳥にうまれていれば、こんなに思い悩むこともなかったのに――。
 しばらくしてふと、彼女の存在にきがついたその鳥は、あわてた様子ですぐに建物のむこうへ飛び去っていった。
 それを目で追いながら、メロウは思った。
 もし生まれ変われるなら、今度は鳥になりたいな。
「メロウ様」
 と。
 すぐ近くで聞こえた声に、メロウは一瞬体を強ばらせた。
 ふりかえると、目立つ金飾りのついた鎧をまとった、真面目な青年の顔が彼女の目にうつった。
「ファル」
 ちいさくそういうと、メロウはほっとしたような表情になった。
「もう、おどろかさないでよ。いきなり後ろから呼ばれたから……」
「す、すみません。なにか考え事をされていたようでしたので、声をかけようか少し迷ってしまいました」
「なによ、それ」メロウは笑みをこぼしながら、ややはずかしそうに云った。「そんなに私、ずっと立ちっぱなしだった?」
「いえ、そんなことは……。ただ、なにもないところで立ち止まっておられたので、どうなさったのかと思ったのです」
「なにもない?」
 メロウは不思議な表情をした。
「いたよ、小鳥が」
「小鳥?」ファルも不思議な表情で、だがどこか納得した様子で云った。
「鳥が、お好きなのですか」
「うん」
 どこか遠い目で、メロウは答えた。
「うまれかわれたら、あの鳥になりたいな、なんて、そんなこと考えてた」
「……そうですか」
 どこかかわいた口調で云うメロウに、ファルは心配そうな、深刻な顔をした。
「――また、マルクス様と口論されたのですか」
 そっとたずねるファルに、メロウは再び鳥のいた方をふりかえりながら、うなずくでもなく、ただすべてあきらめたかのように、悲しそうな表情を木立にむける。
 弱い風がふく。冬に向かうにつれ色あせるその木の枝から、紅葉が数枚、地面にゆれおちた。メロウは木の下に敷かれた赤い葉のじゅうたんの中から一枚を拾い上げ、その赤くかわいた表をみつめた。
「ファル」メロウはつぶやくように、七年間ずっと自分を見守っていてくれている青年の名を呼んだ。
「パパは、もう私がなにをいっても、全然聞いてくれないような、そんな気がする。私がどれだけ司書になるのがいやだっていっても、まだ子供だ、はやく大人になりなさいって、そればっかり。いくらけんかしても、結局なにもかわらない――」
 うつむき、メロウは沈み込んだ。
「わたし、やっぱりなにもかもあきらめて、パパのいう通りにしたほうがいいのかな。そのほうが、ママにも、ファルにも、心配かけずにすむし……」
「メロウ様……」
 重い口調を呈するメロウに、ファルは困ったように言葉をしぼるだけだった。それを感じ、メロウはふたたび彼を振り返った。
「――ごめんね。こんなことファルに相談しても、よけい困らせるだけだよね」
 きこえるかきこえないか、かすれるような声で、メロウはファルの足元をながめ下ろした。
「……メロウ様」
 ファルはなにか必死に言葉をつむごうとしたが、それが喉にまでかかったところで、メロウが先に口をひらいた。
「でもね、もう大丈夫。わたし、ルナンっていう友達ができたから」
 それまでの暗い空気をかき消すように、メロウはぱっと表情をやわらげた。
「どんなにパパに怒られても、ルナンが友達でいてくれたら私、大丈夫だって。今日、本当にそう思えた。私と対等に、ふつうに接してくれる人が、わたし、ずっと前からほしかったの。いっしょに遊んで、楽しんで、素直に喜び合える人。今日のことだって、またルナンとどこかにいって遊べば、きっと忘れられると思う」
 青い瞳をまっすぐにファルに向け、メロウは、本当は父に言いたかった胸のうちを明かした。
「わたし、こんな友達を、もっといっぱいつくりたい。もっといっぱい遊んで、いろんなことを楽しみたい。司書になってしまったら、そんな機会もずっとないまま、ただ歳だけをとっていくような気がして……。心の底から喜べるようなこと、もっともっとしたいの。それがないまま大人になるくらいなら、私、ずっと子供のままでいい」
 メロウは両拳に力をいれて、一気にまくしたてた。
「パパはそれを、ぜんぜん分かってくれないの。わたしはただ友達がほしいだけ。気をつかったり、つかわれたりせずに、私と同じ立場で話せる人を、もっとつくりたいだけ。チャーリーや、二クラスみたいに」
 最後の言葉は小さくすぼまったが、ファルには聞こえたようだった。
「――それで、お人形屋さんを?」
 きかれ、メロウはとっさに手をふった。
「ちがうの。チャーリーは古い友達。だから、大事にしたいだけ。だから」
 云おうとして、メロウはやめた。心の中にあるつかえが、それをさせた。
「……メロウ様。私は、あなたが立派に成長するまで、ずっとお守りし続けます。それは、お約束致します」
 ファルは低い声で、それだけ云った。
「……ありがとう」
 ちいさな感謝をファルに伝え、メロウは明るくなった青い目を彼に向けた。
「また、相談してもいい?」
「ええ、いつでもかまいません」
「わたし、なんでも相談できるの、ファルとママだけだから」
 そういって、メロウは静かに自分の部屋に向かい始めた。ついさきほどより、彼女の心はずっと晴れ晴れとしていた。
 そんな彼女の姿を、ファルはおだやかな表情で見送った。心中では、複雑な思いを秘めながら。










「ただいま」
 自分の部屋に入ると、メロウはいつものように、中の者に帰りを知らせた。
 閉じられたカーテンから光がもれるだけの、やや薄暗い室内。マルクスの部屋に比べて、いや、本館にある他の一般の部屋に比べても、彼女の部屋は狭く、半分以下の面積しかない。
 二年ほど前までは、彼女の部屋は父の部屋の隣にあり、現在よりもかなり広々としていた。しかし彼女が好んで、この別館にあるもともと使用人のための部屋を使い始めたのだった。
「今日は一日楽しかったよ!話したいことがいっぱいあるの。チャーリーにもニクラスにもエレナにも、みんなに話してあげるからね」
 そういって、彼女は夢みるような目つきで部屋をぐるりを見回した。数え切れぬほどの目線が、中央にいる彼女に注がれている。
 タンクトップの子供の人形、パーマのかかった赤い髪の女の子の人形、馬に乗った騎士の人形、おままごとをしている二人一組の人形、ネズミの人形、イヌの人形、カエルの人形、チョウの人形――。
 野菜に目と口のついた人形、二足で立っている牛の人形、火遊びをする魔導師の人形、大きな目をしたラットリスの人形、木の人形とそれにとまる小さなトンボの人形、腕を組んでつっ立っている男の子の人形、舞をまう踊り子の人形――。もちろん、ついさっきルナンのおかげで手に入れた、鳥のダルマ人形も。
 狭い部屋の壁中を完全にうめてしまうくらい、尋常でない数の人形たちが、メロウをとりかこんでいる。その中でのみ、メロウは本当に落ち着いた気分になることができた。
 人形達の住む部屋。その光景に満足そうにしながら、メロウはゆっくりとベッドに腰かけ、一番近くにあったイヌの人形を手にとって話しかけた。
「ねえニクラス。今日、祭りにいったらね……」
 そうして長い時間、彼女は今日一日に起きたことをつぶさに、人形に向かってしゃべった。舌を出してひょうきんな顔をしたイヌの人形は、彼女の話をだまって、あきることなく、ずっと聞いてくれていた。


 
前へ TOPへ 次へ