死神と女神の狭間 第一章  

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 これで何回目のため息だろうか。
 さきほどまでルナンと話していた部屋の奥にある自室の中で、父マルクスは無意識のうちに、また深いため息をもらしていた。椅子に座り、しわを寄せた難しい顔をしながら。
 原因はもちろん、娘メロウのことである。
 つい数分前まで、夫人テラが彼の部屋に、娘の進路について相談しにきていた。あまり無理強いはやめたほうが。メロウの心の負担にならないでしょうか。きわめてやさしい口調で、夫人は夫にそう告げたのだった。
 しかしマルクスは、妻のうったえをかたくなに退けた。
(メロウには、自分の身分をわかってもらわねばならん。自分が騎士長の娘であるという立場を――。メロウはまだ若い。というより、実年齢以上に、メロウはまだ精神的に幼い。私が甘やかしすぎたのがいけなかったのか。もう少し幼少のころから厳しくあたるべきだったか)
(もう司書になるまで一年もない。そのあいだにメロウをなんとか説得せねばならぬ。人形屋?とんでもない!自分の好き勝手にすごせるほど、いまのこの国の状況は平和ではない。いつ国境付近の戦争が本格化し、この地方にも争いの火種が舞いこむかわからぬのに。町に居を構えて、サガン兵などに襲われれば、ひとたまりもない。しかし司書ならば――)
(国抱えの司書ならば、国の兵士達が強固に守ってくれるのだ。それに国立図書館の司書など、戦争からは最も遠い存在だ。宮廷の使用人や看護士では、いつ前線に借り出されるやわからぬし、下手な貴族と婚約し夫に死なれでもすれば、それこそ不幸だ。私自身の命も、いつどうなることか――)
(とにかくこの数年は司書として過ごし、また少し争いが落ち着いたところでそれなりに地位のある文官の貴族に嫁ぐのが、最も安全で、幸せな方法なのだ)
 彼はひとことでいって、かたくなな性格の男だった。
 いちど自分の決めたことはけっして曲げず、他人が挟む口は検討することもなくうち捨て、自らの信念のみに従う。娘と話すたび涙目でうったえられようが、妻から慎重な提案がなされようが、彼はそれらに理解を示さず、自分の考えの正しさを述べ、押し切ってしまう。それは人の目には時に力強さともうつるが、時に乱暴で物分かりのよくない人間ともみられてしまう、両極端な態度だった。
 さらに彼はただの一騎士から成り上がり、戦争での成功を通して現在の地位を得た男であったため、兵営において、自らの腕力を磨く努力のみをひたすらにおこなってきていた。男ばかりの環境で暮らし、地位を得てからも前線に出張ってここ何十年も過ごしてきた。それゆえ、力で周囲のつわものを動かす術を彼は十分に心得ていた。だが反対に、やさしい言葉により人の心をひきつける術は、彼はもっていなかった。
 その相手が若い女性――自分の娘であればなおさらで、彼は自分が娘に対し、どんな態度で接すべきなのか、どんな言葉で諭すべきなのかがずっとわからずにいた。そのためにいつも男子に対するような厳しい言葉で娘をはねつけてしまい、結果娘の心が自分からどんどん離れていることを彼は危惧し、胸を痛めていた。
 かといって、自分の主張を曲げることは決してなく、娘との話し合いはいつもけんか別れに終わる。悪循環だった。
(メロウが二年前に自分の部屋を別館に移してから、その姿を本館でみかけることが少なくなり、自分の娘がやけに遠く感じたものだ。いまだ自分の部屋を私に見せてくれたこともない。テラから聞いたところでは、部屋中人形だらけだということだが――)
(人形か――。まるで子供だ。そんなものとたわむれているから、いつまでも夢みたいなことを考えておるのだ。人形屋になって、世界中の人形達とお話するなどと……)
(ルナン。もしあの者が再びこの邸にやってきたら、彼女からうまくつたえてもらい、娘に現実を見すえさせようか――)
 そのとき、彼の部屋にノックの音が響いた。
「入れ」マルクスは云うと、とりあえず娘のことを心の隅へやり、次なる問題への対応に頭を切り替えた。
 部屋に入ってきたのは、全身灰色のローブをまとった老人、ボダ=ハだった。
 とぼとぼと部屋を進み、マルクスと机をはさんで向かい合うと、老人が口を開いた。
「ごきげんいかがかな、ご主人」
 ヒヒッ、と、気味の悪い笑みをふくんだ顔が、フードの下からのぞく。その妙にひきずるような笑いが、マルクスは嫌いだった。
「お前のせいで、よけいに気分が悪くなった」
「そうかそうか。それはけっこう。憎まれ口をたたけるくらいなら、元気はある証拠」
 杖の頭に両手を置き、クククと押し殺したような声を出す。何かにつけ、不愉快な男。そのそぶりといい、話し方といい、すべてがマルクスのかんにさわった。
 あきらめるように、マルクスは今日もう何回目か分からないため息をひとつついてから、云った。
「邸内の様子は、どうだ」
「おうおう、またそのことだ。わしがよばれれば、いつもそのことばかりじゃな。もうすこし気のきいた話でも、この老いぼれに聞かせてくれんものかな」
「ごたくはいいから、さっさと教えろ」
「ヒヒ。とくにかわったことはあらん。平穏無事。暗殺者の気配など、みじんもないわ」
「そうか。ならいい、もう行け」
 それだけ云って、マルクスはボダ=ハに背を向けた。話を終わらせ、彼はさっさとひとりになりたがっていた。仕事について、家庭について、これから思案することは、いくらでもあった。
 しかし不愉快な老人は室から去ろうとせず、その場から動く気配がなかった。
 窓ガラスに映るボダ=ハの姿に辟易しながら、彼は振り返った。
「なんだ。もうお前に用はない。早くでていけ」
「老いぼれを邪険にあつかうな。もうすこし話し相手になってくれてもよかろう」
「話などないわ。お前はその自慢の地獄耳で、敷地内の不審な動きを知らせてくるだけでかまわん。それ以上のことは望んでいない」
「なんだなんだ、なにをそんなに焦っておる。おまえの命をつけねらう暗殺者のことか?それとも――自分の思い通りに行かぬ娘のことか?」
 いたいところをつかれ、マルクスは心底この老人を恨めしく思った。
「――おまえには関係のないことだ」
「そんなことはないぞ。あれだけ邸内でうるさくさわがれては、聞こうとせずともわしの耳に入るて」
 ひきつった笑みをうかべ、ボダ=ハは云った。
「毎回の口論をきいていると、あんたがどれだけ悩み苦しんでいるか、いやでも分かるわい。あんたの部下も心の底ではそう思っていることじゃし」
 マルクスは、あと少しで剣の柄に手をかけたくなるほど極度に気分をいらだたせながら、かろうじて老人の言葉に返答した。
「部下の噂を盗み聞きか。さぞ愉快なんだろうな」
「気になるか?部下の、あんたに対するうわさが」
「噂は噂にすぎん。そんなものを気にしていたら、騎士長は務まらぬ」
「そうかな。なによりあんたが、町の噂をたよりに暗殺者の動向を探ろうとしているじゃないか。人間とは矛盾に満ちた生き物じゃな、全く」
 今度は声を立てて大笑いする老人に、マルクスもついに我慢の限界がきた。
「耳障りだ。用がないならさっさと消えろ!」
「おっとっと、あわてるなマルクス。あわててはせっかくの有用な話もだいなしになるぞ」
 ボダ=ハの言葉に、マルクスは眉をあげた。
「有用な話だと」
「そうそう。あんたの娘じゃ。さきほどファルにむかって、おもしろくもないことをぬかしておった」
「ファルに?」
 けげんな顔をするマルクスに、ボダ=ハはおかしくてたまらないとでもいうふうに口端をつり上げた。
「知りたいか?知りたいか?」
「教えろ。傭兵として私と契約した、お前の義務だ」
「ククク、そうか。ならば教えるが」
 なにがおかしいのかと、マルクスは不機嫌極まりないしかめ面をしたが、かろうじて自分を抑え、ボダ=ハの言葉を待った。
「クク。あんたは娘が、司書になりたがっていることそれ自体を嫌がっていると思っているようだが……」
 彼は右手の人差し指を立て、マルクスにゆっくりと向けた。
「娘の方はそうでもないようじゃな。ただ友達がほしい、自分と対等に話せる人間を多くつくりたい、と。そればかりあの青年に訴えておった」
「友達」
 そういわれ、マルクスはすぐに、一人の女性の名が浮かんだ。
「あんたもよくよく、娘をみる目がないようじゃな。このままでは永遠に、娘の気持ちを推し量れぬまま、ずっとすれ違ったままじゃろうに」
「ルナン。娘がつれてきた、あの国付きの警官か」
 ボダ=ハのそぶりを無視し、マルクスはつぶやくように、ルナンの名を呼んだ。それとともに、彼女の色のない顔が彼の目に浮かんだ。
(騎士長を前に堂々とした態度、おちついた振る舞い。あのような年齢で、なかなかあれだけ素質のみこめる人間は、そうはいない。だから安心ともいえるかもしれんが、逆に心を許せぬところもある。なにより、開戦派が多いといわれる警察局の者という点がひっかかる。あの女が開戦派のスパイという可能性も、なくはない――)
(しかし、メロウが彼女を初めての友達として、対等に付き合える人物として選んだのなら、それを尊重して多少の無理は認めてやるべきなのか。ルナンの存在を認めることで、メロウが司書になってくれるのであれば、それも――)
(「保険」をかけるのも、ひとつの手か――)
 娘に対する苦悩が、再び彼の中によみがえってきた。それを読み取ってか、ボダ=ハは怪しげな笑みをそのしわがれた顔につくった。
「おもいなやむマルクスの姿、おおいに結構。そんな格好をみるのがわしにとってはなにより愉しい。人が真剣になり、深刻になればなるほど、それがいかにむなしく後に響くか、わしにはわかっているだけに、余計に可笑しい」
 そう、マルクスには聞こえないくらい小さな声で、ボダ=ハはつぶやいた。
「いくらでも悩むがいい。しかしあんたには結局なにもできんじゃろう。自分の信条をねじ曲げてまで、娘の将来を気遣うことなど。最後には、ルナンを娘から遠ざけ、メロウを力ずくで司書にさせ、そして平穏で無感動な生活を送らせるに決まっておる。そんな未来が、わしにはみえる。ククク。人間とは、なんと愚かしい生き物かな」
「さっきからなにをぶつぶつ言ってる」
 マルクスは、ボダ=ハをにらみつけた。しかし老人はなんでもない様子で、
「なに、ひとりごとじゃよ。それでは、わしはこれで失礼するとしよう」
 そういって、じゅうぶん満足した様子で、ローブの男は杖をつきつつ去っていこうとした。
「まて」
 それを、今度はマルクスの方からとめた。老人はやや目を大きく開き、マルクスの顔を見た。
「なにかな。ようやくこの老人のつまらない話相手を引き受ける気にでもなったか?」
 老人を呼び止めたのちしばらくは、彼は考え込むように押し黙っていたが、やがて決心したように口をひらいた。
「お前への追加の命令だ」


 
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