死神と女神の狭間 第一章  

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 にぎやかだった町並も、派手な喧騒が徐々に薄れ、ゆっくりと空が色あせようとしていた。
 主だった催し物もすべて終わり、人々の多くはその足を自分達の家へ向けた。祭りの期間中、夜中に催しがある日もあったが、今日はそれもなく、フランセの住民は、飲みに出る者以外は明日の最終日に備えて、みな夕飯の支度にかかろうとしていた。
 雨の上がった日中には大通りにぎっしりつまっていた出店の数々も、その大半は店の外枠だけを残し、人と商品と売上げの金貨はすべて引きあげられていた。実に多様な内容で並ぶ多くの店も、フランセの一年で最もさわがしい日々も、あと残り一日。人々は目前にせまった終わりの時をみつめながら、名残惜しそうに今日という日を思い返し、それぞれの帰途についた。
 そして日も落ち、代わりに夜の闇が広がりはじめたころ、街角の酒場はようやくこの日一番の人出となっていた。注文がひっきりなしに行き交い、店員が忙しく走り回る。厨房は火の車で、残り少ない祭りを十分に味わおうという客たちへのまかないに必死になっていた。
「お客さん、そろそろやめとかねえと、明日までもちませんぜ」
 と、そんなめまぐるしくまわる人だかりの中で、店主はやや困ったように眉を曲げながら、目の前のカウンターに座る客に告げた。
「いいのダ!もう俺には残っているものなどなにもないのだかラ!俺が日夜かわいがっていたあの『ゴム底つきダルマ人形【鳥形】』も、『反りかえるスルメ人形【亜種】』も、全部……全部、あの女二人に奪われたんだからナ!」
「……お金はちゃんと残してあるんでしょうね」
 店主は、その仮面をかぶったパンツ一丁の筋肉男の健康よりも、この客がきちんと酒の代金を払ってくれるのかどうか、そちらの方が気がかりだった。
「ちゃんと代金払ってくれねえと、警察呼ばなきゃいけなくなりますぜ」
「問題ナシ!警察など、この俺の手にかかれば簡単にひねりつぶせるワ!フハハハハハハ!!」
「………」
 店主の心配は、高まるばかりだった。










 そんな大騒ぎの酒場街から少しはずれた、ひとけの少ない通り。
 夜の闇がすっかり降り、町には家々からこぼれる部屋の明かりと、ところどころにある蝋灯のたよりない光だけが、数少ない道行く人の足元を照らす。ふとこの町に祭りのあることを忘れさせるくらい、その細い通りには静けさと寂しさがただよっていた。ときおり遠くからひびいてくる人々の騒ぎ声により、かろうじてこの町が活気に満ちあふれた祭りの最中にあるのだと実感できる。しかしそれもほんのわずかなものであったため、ここを通る多くの人間は、祭りの気配を感じられない通りを避けてまたそっと大通りの方へ戻るか、毎日の騒ぎにやや疲れ、一服を求めてこの細い通りをゆったりと歩くかのどちらかの選択をするのだった。
 そんな通り沿いにある小さな宿の一室で、ガルマ=フィリンクスはなにやら大きな羊皮紙を広げ、じっと思案していた。
「やっぱ侵入経路はここかこっちに変えないとな。他からじゃ遠すぎて、『目標』のところまでいくのに時間がかかりすぎる……ったく、仕事の追加ならもっと早めに伝えてくれりゃ……」
 ぶつぶついいながら、彼はさきほど酒屋にいたときの服装とは趣の全く変わった、重々しい装備を着込んでいた。
 革のスーツに鎖帷子(くさりかたびら)、皮手袋、手甲、すね当て、そして長剣。
 これらは彼の、いつも使っている商売道具であった。
「よし。まあ、これでなんとかなるだろ」
 どこかの家と思わしき図面の描かれた紙を彼は指で叩き、ひとつうなずく。そしてそれを雑に折りたたみ、机の端に置いた。固まっていた緊張をほぐすように体を伸ばしながら、彼は椅子の背におもいきりもたれかかる。
 彼は、依頼人から頼まれて他人の命を奪う仕事――いわゆる暗殺稼業に身を置く人間だった。
 彼のような者達が集まるギルド(集団、団体)から、ここフランセの町に仕向けられた「暗殺者」。それが、彼ガルマの肩書きであり、飯の食いだねだった。
 今回の『目標』――いわゆる暗殺の対象者は、酒場で彼が店主から話を聞いた、ネイル国アーヴァンク地方騎士長・マルクス=レンシンク。
「マルクス家、か。こうしてみると、神経質なくらい堅い警備じゃねえか。なあ、リースリングもそう思わねえか」
 もたれかかったまま、彼は隣の部屋にいる人間に声をかけた。
 その窓がひとつしかない部屋は、日当たりがもともと悪いせいもあってか、やや暗がりで陰気な雰囲気がただよっていた。家具らしいものはほとんどなく、古びた机と椅子、シーツの整えられたベット、そして、あまり本のはいっていない本棚があるだけの、殺風景な部屋である。
 その数少ない家具のひとつである古くやや傷んだ椅子に、若い女性が座っている。
 アメジスト色の瞳をもつ彼女は、目を細め、何もあるはずのない壁をただぼうっと見つめ続けている。黒く長い直線的な髪は一本とて微動だにせず、端整な顔についた小さな淡い唇をうっすらと開けたまま、はたして生きているのか死んでいるのか分からないくらいぼう然とした表情で、その女性は壁の向こうのどこか遠くに視線を投げていた。
 ほとんど黒色で構成されたジャケットとズボンにつつまれた彼女の体は、その髪と同様、とても細く、直線的にみえる。そこには彼女のような歳の若い女性が用いがちな、少し花のあるスマートさはなく、およそお洒落などとは縁遠い、シンプルで確実な印象を見る人にもたせる、ある種の純然さがあった。しかし彼女は、純然というにはやや陰りの強い雰囲気を備えており、そのことが、彼女が何者たるかをわかりにくくしていた。
 女性はその深い紫の瞳をガルマに向けることなく、机の上にある小さな道具をずっといじっている。
 それを細い目でみながら、ガルマはつぶやいた。
「リースリング、どう思う。今回の客の依頼」
 今回の仕事の相棒である彼女――リースリングに、ガルマは呼びかけた。
「いくらなんでもやりすぎだっておもわねえか。ついさっきあわてて来た遣いっぱしりから聞いた契約変更、俺はちょっと耳を疑ったぜ。いったい何の恨みがあってここまでやるんだろうな」
 リースリングは相変わらず手もとを休めず、ずっと細かな針のようなものを、その繊細な手の中でいじっている。
 ガルマは気にせず、話を続けた。
「戦争反対としきりに叫んで目障りなマルクスを消して、このネイル国を開戦の方向へもっていく。そこまではいいんだが、なんでその妻と子供にまで手をかけることになったんだ。私怨?それともなにか弱みでも握られたのか?」
 ガルマはやや考え込んだ。が、すぐに気を持ち直し、
「どっちにしろ、こっちにとっちゃ厄介なこった。ほんの数時間前までマルクス一人でよかったのに、いきなり二人『目標』が増えてよけいな手間がかかる。それで増えた分だけこっちにご利益が回ってくるわけでもないだろうしな」
 そういって彼はまた、ちらとリースリングの方を見た。透きとおるような細く冷たい顔の彼女は、彼の話などに耳を貸すそぶりを全く見せず、ずっと机の上で小物を仕込む作業に徹していた。
「おーい、リースリング」
 彼は椅子から立ち上がり、彼女のそばに寄った。
「聞こえてるかー。気づいてるかー」
 そういって、右手を彼女の目の前でひらひらさせる。
 そこまでしてようやく、リースリングが反応を示した。
「…………なに」
 小さく、振り返りもしない彼女に、ガルマは云った。
「どう思う?」
「……なにが……?」
「なにがって、いまの話だよ。聞いてたろ?」
「……はなし……?」
 いいながらまた作業に戻る彼女に、ガルマはあきらめたように息をついた。
「へいへい。お嬢様は下準備にさぞ忙しいようで」
 黙々と作業を進める彼女の姿をみて、ガルマはもはやおなじみとなった愛想のない態度に別段特別な反応をするでもなく、ただおもわしげな顔をつくるだけだった。
 リースリング。彼と同じ、れっきとした暗殺者。
(あのギルが手塩にかけて育てた、リースリング)
(ひさしぶりに会ったが、ずいぶんと成長したもんだ。ほっそりした体、細かな手つき、引きしまった厳しい顔。俺が初めて会ったころはあんなに小さかったのに、この数年で見違えちまった。もう少し歳が近くて愛想がよけりゃ、俺の女にでも……なんてな)
(若いよな。殺し屋をやるには、若すぎる)
 彼自身、まだ三十を迎えていない齢だったが、その彼よりリースリングはまだひとまわりほど若く見える。全体的に大人びた雰囲気があるものの、その白い横顔には幼いといえるくらいの柔らかな肌の張りがあった。二十歳にもなっていないだろうその殺し屋をみながら、ガルマは目を細くした。
 彼の頭の中で、ひとつの光景が思い出された。










 六年前のこと。
 とある金持ちの依頼で、郊外に住むある男とその息子が『目標』――殺しの対象――になったときのこと。ガルマは今も属している暗殺者ギルドの頭目から、ひとりのパートナーを連れて行けと言われた。
 依頼の動機は、男が自分に対する借金を全く返さないことに対して腹を立てた金持ちの、私的な罰。人の命を奪う理由としては軽すぎるのかもしれなかったが、おそらく半分は金持ちの酔狂だったのだろう。男は大工職人で、息子はまだ八歳。素人に子供。自分一人でも十分可能な、たやすい仕事だった。といって、彼は特にひとりで仕事をすることにこだわる性格ではなかったため、手伝いがいる分には結構と、その命令をすんなりと受け入れたのだった。
 しかし頭目にうながされ、部屋の奥から出てきたパートナーをみたとき、彼は自分の目を疑った。
 その目に映ったのは、まだ自分の腰ほどの背しかない、アメジスト色の目をした少女だった。
 彼は冗談かとおもわず笑った。こりゃ、お前の娘か?いつつくったんだ?だが頭目はいたってまじめに答えた。
「使えば分かる。こいつは、お前の肝を抜くだろう」
 そうして彼は半信半疑で、いや、九割以上は疑って、少女とともに『目標』の家へむかった。
 彼はその少女にいろいろ質問をぶつけた。名前は?いま何歳だ?いつからおまえ、こんな仕事に?
 それに少女は、白い紙をはりつけたような顔で、淡々と答えた。リースリング。十三歳。四年前から。
 聞いて、ガルマはあきれた。四年前といえば、九歳だ。九歳で依頼を受けて、人殺し?そんなバカなこと、あるか。
 しかし本人は平然とした顔で、ちゃんと成功した、とだけ答えた。
 それが本当かどうか確かめてやろうと、彼はためしにその少女を一人で行かせることにした。もちろん、すぐ後に彼がついてのことだが。相手はただの一般市民。もしこの小さな殺し屋ちゃんが失敗しても、自分がすぐに出て行けば逃げられることはないだろう。そう考え、彼は少し離れた物かげからじっと少女の様子をうかがった。
 唯一信じていたことは、あの頭目は嘘はつかない、ということだった。ガルマはそれだけは、十分に分かっていた。なら、この少女は?
 仕事振りは、すばらしかった。ベランダから自然に家に入った少女は、相手の男がいる居間へむかうと、その眼前に躊躇(ちゅうちょ)なく姿を見せた。とつぜん現れた少女に、男は驚きはしたものの、相手が子供であったため、やさしい調子で少女に話しかけた。いったいどうしたんだい。もしかして、息子の友達かな。
 少女はおもむろに袖に隠していた小型のナイフを二本取り出すと、一本をすぐさま投げつけた。
 それはきわめて正確に男の喉下につきささった。男はなにが起きたのかわからないまま、あふれでる鮮血を両手でとめようと必死にもがく。
 少女は二本目のナイフを手にとり、機械のような動作で再び同じように投げつける。今度は胸に深々とつきささり、男は椅子をまき込みながら大きな音を立てて床につっぷした。
 ガルマは目を見張った。少女の小さく細い右手から放たれる、死の鎌。その残像が、彼には見えた気がした。わずか十三にして高度なナイフ投げの技術を身につけている暗殺者の少女。それを実際に目にしてもなお、彼には少女のやったことが信じられなかった。
 だが彼の驚嘆は、それだけでは終わらなかった。
 奥から扉の開く音がし、ちいさな子供が出てきた。力ない足取り。やせぎすのその子供は、たったいま絶命した男の息子に違いなかった。
 青ざめた顔をしたその子供は、変わり果てた父の姿におどろき、あやうい足どりで父のもとまでかけよると、血で赤く染まった父の大きい体を力いっぱいゆすった。パパ。パパ。だいじょうぶ。しっかりして。どうしたの。パパ。パパ。
「あなたのパパは、私が殺した」
 とつぜん、冷たい口調で、少女は告げた。
 子供はゆっくりと少女の方を向いた。刺すような冷たい言葉をぶつけられ、彼はとまどいながら、少女の言ったことを頭の中でかみほぐそうとするかのように、しばし目線をさまよわせた。だが要領を得ない様子で、彼は目の前にたたずむ無表情の少女にむかって、ひとことだけしぼりだすように云った。
 どうして?
 それは、パパが殺されたことに対してか。それとも、少女が殺したことに対してか。
 涙ぐむ幼い子供にきかれ、少女はこたえた。
 はっきりと、切り捨てるように。
「パパは死んだ。あなたももう、ひとりじゃ生きていけない」
 少女は云った。
「さっさと死ねば」
 その瞬間、言われた子供の両の目が、深い闇に覆われた。
 急にうつろな顔になった子供は、胸を震わせると、突然、息をつまらせた。
 ……パパ……ごほっ……パパ……
 父の亡骸に寄りかかりながら、息苦しそうに、彼は徐々に身を縮ませる。声が小さく、弱々しいものになっていき、やがて消えかかったろうそくの火の最期のように、ふっ、と途絶えた。
 それをなにもいわず見下ろす少女の背後から、ガルマがゆっくりと姿をみせた。
 もうわずかな動きすらみせない子供の前まで近づくと、しゃがみこみ、確かめる。
 子供は、息絶えていた。
 彼が病を患っているらしいことは、ガルマにも分かっていた。病人がつける白いローブに身を包み、青ざめた顔つきで細い体にも力がない。呼吸器か、心臓か、体のどこかを悪くしているであろうことは容易に想像できた。
 それゆえ、少女の冷酷な言葉は、彼の身にさわったのか。
 ガルマは少女を振り返った。子供の死を確かめると、少女は早々に背を向けて立ち去ろうとした。
 彼は少女の名を呼んだ。少女が立ち止まる。
 あのなあ、なにも言葉で殺すような真似しなくてもよかったんじゃねえのか。彼は後ろから、こぼすようにそう言った。
 少女は真っ白な表情のまま、小さく、しかしはっきりと答えた。
「どうせ殺すのなら、同じ」










「冷たいというか、非情というか。あのころのお前は、何を言っても人間味がなくて、とんでもなくドライだったな――まあ、いまもそんなにゃ変わんねえか」
 ガルマは普通の人が聞いたなら少なからず気にさわる、結構ひどい内容の台詞をぼやいた。それでも相変わらず返答のないリースリングの方をみると、彼女の方はおこなっていた作業が片付いたらしく、椅子から静かに立ち上がるところだった。
 それを確かめ、ガルマも沈み込んだ思い出の世界から目覚めたように、勢いよく両の足を立てた。
 窓の外に夜の闇が見える。蝋灯のともった通りの風景は、大きな街であればどこにでもあるようなものであったが、これから仕事に出かけようとする彼の目には、いつもと少し違った、どこか幻想的で物憂げな景色に見えていた。
 奥の部屋の戸を閉め、リースリングがやってくる。彼女はその深く妖しいアメジスト色の瞳になにをうつし、なにを感じているのだろう。彼女とはそれなりに長い付き合いを経たガルマでさえ、いまだにそれが読みきれないでいた。
 ガルマは頭をひとつひっかき、余計な雑念を頭から取っ払った。
「よし。いっちょいくか」
 まずは目の前の仕事に集中あるのみ。彼は玄関の扉に勢いよく、手をかけた。




 
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