死神と女神の狭間 第一章  

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 邸内はいたって静かだった。
 マルクス邸では、今日も相変わらず多くの警備兵達が敷地内のそこかしこに目を光らせながら、ネズミ一匹の侵入も許すまいと油断なく見張りを続けていた。とはいっても、町中からはやや離れたところにあるこの屋敷の周辺では、ここ数日騒ぎらしい騒ぎもなく、兵らは緊張を適度にゆるめ――もちろん彼らはいたって勤勉ではあったが――警務を続けていたのだった。
 緊張を緩めていることは、若き警備隊長ファルのはからいによる部分もあった。マルクス邸は広く、厳重な警備をおこなうには人手がいる。その人手から内部情報が漏れることを未然に防ごうと、マルクスは最初に雇った者達を屋敷内から一切出すことなく、二十四時間体制で警備させていた。これを実行すべく、マルクスは自分の命が狙われているらしいことが判明した段階でこの警備体制を考え、最初に十分すぎるほどの新たな警備兵を雇い入れた。ところが、いまの人数は過剰といってよく、時間帯によってはどうファルが仕事をわりふっても任せる仕事のない者が数名は出てしまうのだった。しかしマルクスは、前述の通りややかたくななところがある人間であったため、兵の数自体を減らすようなことはしなかった。そこでファルはマルクスに、仕事に空きの出た兵士数名に果実酒や小料理などのまかないをもたせて、もう一月以上屋敷から出られないでいる彼らの労をねぎらうことを提案したのである。
 マルクス自身、兵の数に余剰が出ていることをよくは思っていなかったため、彼はファルのその申し出を受け入れることにした。もちろん、マルクスが彼のことを信頼しているから、という部分もあったろう。ファルはマルクスに「警備兵をあまらせている現状をなんとかしたいと考え、苦し紛れに方策を練っただけ」と謙そんしていたのだが、これがそれなりに好評で、地味で変化のない見回り仕事の一服の清涼剤として部下の好感を得た。マルクスもはじめは兵たちの集中力が「まかない」によりそがれることを懸念していたのだが、来る日も来る日も自宅に帰る間もなく働かされている兵らの表情がこの一件をきっかけに少し変化したことに気付くと、むしろこのほうが職務にメリハリがでてよいかもしれぬ、と思い直したのである。
 そんなわけで、マルクスの中でのファルの評価はまたひとつあがり、マルクスの彼にかける思いはますます高まるばかりであった。
 その夜、ファルはマルクスの部屋に呼ばれていた。
 話題は、今日マルクスを悩ませた娘のことについてだった。
「ファル。わが娘をどう思う」
 ファルと現在の警備体制についてひととおり話してから、ふとマルクスが間をおき、低い声で切り出した。
 ファルははっとしながらも、落ち着いた声で答えた。
「メロウ様は、明るく元気があり、だれからも好かれるお美しい女性であられると……」
「そんなうわっ面なことを聞いているのではない。娘の性格、癖、内面的なことについて、お前の目から見て、感じることを率直に話してほしいのだ」
 そう彼が話すと、ファルは困った表情をした。
「率直に、ですか……」
「私は悩んでいるのだよ」マルクスは椅子にもたれながら、苦い顔をした。
「娘も今年でもう十八だ。だがどうもいまだにレンシンク家の一人娘としての自覚が身についていないように感じる。わがままで、感情的で、幼い。いつも夢ばかりみていて、現実との折り合いをつけることを知らぬ。私がネイル国の騎士長であり、国の中でもそれなりに地位のある人間であること、そしてその娘であるからにはそれなりの礼儀とつつましさを覚えなければならんのだが、それがなかなか娘には伝わらん。
 私はこれまで各地の戦いに身を投じ、私なりに必死になって働いて現在の地位を築いてきた。だがそのあいだ、病気がちの妻に娘の世話をすべて任せきりにしてきた。それがいけなかったのかもしれぬと、いまごろようやく気づかされたよ。テラはあの性格だから人を叱ることはなかなかできぬだろうし、世間の厳しさ、辛さを味わわせるには、妻だけでは不十分だ。私がその分を補っていれば、娘もあそこまで夢見がちな性格にならずにすんだのだと思う。――まあ、いまさらそんなことをいっても始まるまい。問題は、娘とこれからどのように接すれば、娘は司書を目指してくれるように――いや、このさい司書ではないにしろ、それなりの身分ある職務につくようになってくれるのか、ということなのだ」
 彼の中では、子の教育の主は親であるという信念があったため、邸内の使用人達や家庭教師などと娘の付き合いについては触れようとしなかった。
「娘は私が体面にこだわっていると言っているが、そうではない。すでにわがネイル国は国境付近でサガン国やグリッグランドと一触即発の緊張状態に陥っている。大規模な争いが始まるのも時間の問題だ。もしかすればこのフランセにも火種がとぶかもしれぬ。そんなとき、それなりに高い身分の人間であれば、国境から遠いドルトンやイザの町の役場で仕事につき、警備兵に守られながら安全に生活することも可能になるのだ。それを、娘は町で人形屋をやりたいと……人形屋だと?幸せに安全に暮らせるせっかくの機会を娘はとり逃がし、自分の集めた人形達を並べて、いつ戦争に巻き込まれるやもしれぬ下町で働こうというのだ。しかしそれが娘の夢だといい、なかなか譲らぬ。私には、娘のやろうとしていることがわからぬ。人形が好きなのは結構だが、もう十七だ。人形相手の子供の遊びから抜け出し、そろそろ大人になってもらいたい。現実を見て、その幼い夢を心の隅にしまっておいてもらいたい。しかしこれまでの私の接し方では、娘に反発されるばかりなのだ。いまひとつ、娘の考えていることがよくわからぬ。そこで、君に尋ねた次第なのだ」
 そこまで一気にしゃべり、彼はファルの顔色を見た。ファルはしばらくのあいだ深く考える様子を見せると、ゆっくりと云った。
「……さきほど私が申し上げたことは、嘘ではありません。明るい方で、だれからも好かれる。邸内のものでメロウ様のことを悪く思っている者などいないだろうと、私は心の底から思っています。メロウ様はわれわれ下々の者に対してもなんでも気兼ねなく話すよういつも気をつかって下さいますし、メロウ様自身もよく我々に相談事をなさいます。そのため、我々はメロウ様をとても身近に感じます。このことは人の上に立つ人間として、多くの知識、教養を身につけることよりも重要で、価値の高いことだと私は思います。
 人形遊びに興じられるのは、ご友人のいないことの寂しさを紛らわすための、メロウ様なりの手段だと思います。今日ルナン殿と知り合われたことでそれも少しは和らぐかと思いますが……」
 他の部下ならここまで自分の考えは表明しないだろう。しかしファルは、いつも自分の思いの全てを正直に、真面目に述べてくれる。マルクスがファルを買っている点のひとつだった。
「メロウ様はおそらく、人形屋になりたいのではなく、人形達とともにずっとこれからも過ごしたいだけだと、そんな気がします。司書になると、蔵書整理に時間を追われ、『彼ら』と一緒にいる時間が少なくなるでしょうし、居を移した先で見知らぬ警備兵に人形遊びをみられれば、メロウ様の人となりを知らない人たちのこと、何を噂されるかわかりません。メロウ様も、そのあたりのことが不安なのではないでしょうか」
「では人形についての不安が払拭されれば、娘は司書になってくれるのか。娘は勉強が嫌いなようだから、結局は拒否するのではないかな」
「これはあくまで私の憶測なのですが」ファルは断ってから、「メロウ様は、自分が司書にならなければ、周りの人達に迷惑をかけるということを十分わかっておられると思います。メロウ様は自分を好いてくれる人達に迷惑がかかるのを嫌われる方です。だからそれと決まれば、司書になるための努力は惜しまない、しっかりとした自覚を持って取り組まれると、私は思います」
 ファルの言葉に、マルクスはうなずいた。
「そうか――。人形、人形か。やはり、娘にもっと『現実的な』友人をつくらせることが先決なのだろうな。これまで娘にはあまりに友人が少なすぎた。いなかったといってもいい。それが、娘の心の隙間を生んだか……」
 彼は云った。
「私は、すこしうれしかったのだよ。ファル」
「うれしかった?」
「娘が今日、ルナン君を連れてきたことだ。帰ってきた娘の顔をみると、あまりにもうれしそうにしていたものでな……。普通に生活していれば当然できるものが娘にはこれまでになく、よほど不満だったのだろうな。本当に、楽しそうな表情をしていた」
 マルクスは感慨深げに、ひとつ息をついた。
「娘はずっと、かしこまることなく、自分と対等に話してくれる人間を求めていたのか。騎士長の娘、という身分に嫌気がさしたのも、そのあたりが原因なのかもしれぬな」
 マルクスはひとつ納得したように云うと、しばらく二人とも沈黙した。
(親友、か)
 マルクスは、相手に聞こえないくらい小さな声でつぶやいた。
(娘の考えていることがわからん、と言ったが……)
(案外、自分に当てはめて考えた方が、よかったのかもしれぬな)
 彼がそうしていると、ファルが顔を上げ、云った。
「私は――、メロウ様は、とても前向きな方だと思います」
 ファルがなにかを訴えるように、自分に向かってまっすぐな目を向けるのを、マルクスは見た。
「どれだけ落ち込まれてもすぐに立ち直って、周囲を安心させようと振るまわれる。だから表にはなかなかでないのですが、メロウ様は、心の奥では本当はずっと悩んでおられるような、そんな気がするのです。それでも決してふさぎこまずに、なんとかしようと積極的に、明るい表情で周りの人達にはたらきかける。我々はそんなメロウ様が好きです。だから、その――、もし望まない職につくことで、今のメロウ様の魅力が、無邪気さ、純粋さが失われるくらいなら、我々は――」
 はっと気づき、ファルは言い直した。
「――す、すみません。出すぎた意見でした」
「いや、かまわぬ。率直な意見を言えといったのは私だ」
 マルクスはあごひげをなでながら、ファルの言葉を聞いていた。いまの話でファルのみせた真剣な顔つき、力の入りよう。それが、彼の関心をひいた。
 マルクスの中で、またすこしのいたずら心――相手を試し、その反応を観察する――が芽生え始めていた。興味深い人間と少しでも長く話すと、彼は常になにかふっかけたくなる性分なのだった。
 彼は、神妙な顔をつくり、こう切り出した。
「――私はね、ファル君。もし君が受け入れてくれるならば、だが――」
 少し時間をかけて、いおうかいうまいか迷うような表情をする。ファルも、なにやらマルクスの様子の変化に気づき、姿勢を直す。
 マルクスは、云った。
「娘を、君にやってもいい、と考えている」
「は……?」
 とつぜんのことに、ファルは一瞬、口を開けたまま固まった。
「メロウ様、を……私に……?」
「うむ。いや、もちろん娘の行く先が落ち着いてからの話だが。君は若いがよく働いてくれているし、将来も有望だ。娘も君を気に入っているようだし、付き合いも長いだろう。割とすんなり君との生活になじむのではないかな。君は真面目だから、はしゃぎがちな娘をしっかりと抑えてくれそうだ。ま、これはあくまで私の個人的な希望だがな」
 淡々と話すマルクスに、ファルはあわてたようすで首を振った。
「そ、そんな……。わたしのような者では、メロウ様とはとうていつりあいません!もっとしっかりとしたご身分の貴族や領主の方が……。私はただのいち警備兵ですし、メロウ様をお守りするにはあまりに頼りない人間です……」
「それでは、君がもう少し高い地位を得てから、というのではどうかな」
「それは……」
「なんだ、君は娘を気に入ってくれていると思っていたのだが」
「も、もちろん、メロウ様は――私は素敵な方だと……。ですがそれは、メロウ様の一部下としてのこと。とても夫……夫としてメロウ様と接するなど、私には……」
 ふだんみせないようなファルの戸惑いように、マルクスは少しの驚きと、おかしさを感じていた。
「では、一人の男としてなら、ファル君は娘のことを愛せるかね」
 マルクスは追い討ちをかけるように、ファルに云った。
 ファルは頭をややさげつつ、答えた。
「……どうお答えしていいものか……。どうか、ご勘弁下さい……」
 さすがに気の毒になり、マルクスは苦笑した。
「いいのだ、いいのだ。すまんな、ファル。困らせてしまったな。確かにこんなことを急に返事をしろといっても土台無理な話だ。まあ、心の隅にでも置いておいてくれ。ただ、メロウもそろそろそういうことを考えてもいい年齢なのだと、そう思ったまでだ。気にしないでくれたまえ」
 マルクスはそういって席を立つと、ファルの肩を軽くたたいた。
「警備、引き続きよろしく頼む。兵らに配る酒はいつもの部屋に用意させた。朝、運輸大臣のナターレ様に頂いたモルガン産の干物もつけておいた」
「お心遣い、痛み入ります」ファルもあわてて立ち上がり、礼を云った。
「部下達もさぞ喜ぶことでしょう」
「たのむぞ。……それとついでなのだが、ルナン殿にも今日のお礼としてなにかお贈りするよう、部屋の執事に言っておいてくれ。送り先は――そうだな、アーヴァングの中央庁にある警察局、でいいだろう
「警察局あて、ですか」
 ふとファルが心配げにするのをみて、マルクスは云った。
「あそこの幹部には私に不満を持つ者が多いようだが、な。贈り物くらいは届けてくれるだろう」
「承知しました」
 そう伝えると、マルクスはファルと別れ、応接間から自室へと戻った。
 殺風景な部屋のソファに座り息をつくと、彼はテーブルにあったグレーン酒を注ぎ、一口あおった。
 ファルに聞いた話。娘のいまの想い。
(娘は、親友をほしがっている)
(そんなこと、いままで考えもせなんだ。友人など、特に気にかけずとも自然とできるものだとばかり思っていたが)
(娘は、そうではなかったのだな)
 明日の外出は許してやろうか。そう、マルクスは胸の中で思った。




 
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