死神と女神の狭間 第ニ章  

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第ニ章:ヴェルタ村の災厄






 海峡と山脈によって隔てられた、三つの国がある。
 豊富な鉄鉱山による鉄鋼業で一時代を築いている、西南の鋼鉄国家サガン。多くの諸外国と接し、それぞれの国境を州制により統治している東南の平原国家ネイル。そしてこの二つの国と海峡を挟んだ北側の島にある、多民族国家グリッグランド。
 三者三様のこれらの国が『悪夢の三国会談』をきっかけに、いつ終わるともしれない泥沼の戦いを繰り広げている。何人もの兵士の血が流れ、巻き添えになった市民の亡骸はかぞえきれない。
 はじめは国境付近に集中していた戦火も、やがて各国の地方都市へと飛び火していた。十日前には郊外の小さな村が焼かれた。三日前には隣町が壊滅した。その報を聞くたび、無力な住民らはひたすらにおびえ、逃げ場所の確保に追われなければならないのだった。
 脅威は外からだけではない。世情が不安になると、町の治安自体も徐々に悪化してくる。強盗、暴漢、殺人……ときには以前から内在していた野盗が幅をきかせ、村ひとつぶんの財産を根こそぎ奪い去る場合もあった。国だけでなく町の警備要員でさえ、大半が戦争に割り当てられていたのだから、それも当然のことといえた。
 特にサガンの場合はもともとの治安があまりよくなかったことから、この戦争に乗じていたるところで盗賊集団が勢力を拡大させていた。しかし絶対的な独裁権力をもつサガン国の王・ファルヴァン四世の目は国外にばかりむいているようで、国内の治安に関してはとくに対策らしい対策を打ち出すことはなかった。サガンの住民は次はこの村の番だとつねにおびえ、ふるえながら毎日を過ごさねばならず、ただただ不安をつのらせるしかないのだった。
 そしてそれは、サガンの東南部にあるこのヴェルタ村でも同じだった。




















 家の裏にある木には、赤くて大きな実がなっている。それがいつも母がこの時期に近所に配っている、甘酸っぱいおいしい「ヤチモモ」の木であることを、レオは知っていた。
 レオはこの実が大好きだった。だが毎年レオと弟がもらっているのは、もう母が配ってしまった後のひとつずつだけ。去年は弟がもっているその実を奪いとろうとして取り合いになり、結局母が怒ってしまってふたつともとりあげられてしまった。去年と同じような間違いは犯さないよう、なおかつあの実を三つも四つも食べられる方法を、今年十歳の幼い少年なりに考えた結果が、「収穫前に母にばれないよういくらかもぎとってしまう」だった。
「タウラスはここに残って見張ってろ。オレが木に登っているあいだに母ちゃんがきたら、手をたたいて知らせるんだぞ」
「うん、わかった」
 兄より一歳年下の弟タウラスが半ば緊張した様子でうなずくと、レオはさっとヤチモモの大木のそばまでちかづいていく。
 クツを脱ぎ、両手と右足をかける。そこからは速かった。木登りの得意なレオはするすると幹を登りきり、そこからのびる枝に体を移すと、手のひらほどの大きな粒粒した実のところまでたどりつくのに二呼吸もかからなかった。
 しかし運悪く、この様子をみていたタウラスの背後から、サンダル履きの足音がきこえてきた。母親のサンドラだ。
「タウラス、今日はあなたが廊下掃除の番でしょう。こんなところでなにをしているの」
 タウラスがふりかえると、若干眉をまげながら歩いてくる母の顔が目に入った。すかさず、彼は両手をパン、パンとたたく。
 とつぜんの息子のそぶりに、母のほうはきょとんとして云った。
「……タウラス、いまのなに?」
「え……あの、その……な、なんでもない……」
「なんでもないことないでしょう。急にママの前で手をたたくなんて。ちゃんと答えなさい」
「ほ、ほんとになんでもないよ」
「…………」
 明らかに不審の目を向ける母をみて、タウラスはあせった。ちらっと、兄のようすをうかがおうと後ろを見てしまう。
「タウラス、後ろに何かあるの」
 目ざとい母はそういってタウラスをどけ、庭のほうに目を向けると、ちょうどレオが実をとって枝からとびおりようとするところだった。
「レオ!あなたなにしてるの!?」
 大声でよばれ、びっくりしたレオはあわてて枝からおりようとした結果、体勢が中途半端になってしまい、うまく着地できずに尻からどすん、と落ちてしまった。
「いてて……」
 ゆがんだ顔でなんとかひざ立ちになる彼の目の前に、さきほどまで手につかんでいたヤチモモの実が転がる。
 それを見た瞬間、母の顔がみるみるこわばっていくのがレオにはわかった。
「……レオ、これ、どういうこと?」
「やべ」
 顔をひきつらせるレオの前に、タウラスの腕をむりやりつかんでひきずる母が、どすどすと早足で歩いてくる。いつものことなのだが、もともと細い目をさらにとがらせた厳しい表情に、レオもタウラスもたじろいだ。
 タウラスをレオの横にやり、自分の前に座らせ、母は両手を腰に当てながら息子達に問いつめた。
「レオ。あなた、私に黙ってどうしてヤチモモの実をとったの?」
「それは……ヤチモモの実がほしかったから……」
 ついさっきまでの元気はまったく影をひそめ、レオはちぢこまりながら告げた。
「ヤチモモなら、もうすこしたってから毎年あげているでしょう?どうして待てなかったの」
「でも、いつも一個だけだし……もっとほしかったし……」
 母は転がっていたヤチモモの実をひろってみせながら云った。「これはね、ご近所様にお配りするためのものなのよ。あなたたちには一個ずつで十分。でもこんなことするんだったら、また去年みたいに……」
「ま、まってよ。もうやらないから……」
「だめです!全然反省していないから、今年もヤチモモはあげません!」
「そんなあ……」
 ほぼ二人同時にもらし、かわいそうな兄弟はがっかりした様子でうなだれた。
 と、新たに庭に入ってくる人影があった。
「まあまあ、それくらいでいいんじゃないか、サンドラ。レオもタウラスも、一年に一回しかない楽しみにはしゃいでいただけなんだろう」
 そうやって助け舟を出したのは、彼らの父親・アラウンだった。
 中肉中背、まだ三十代前半だが、歳のわりに落ち着いた、おだやかな雰囲気をもっている。妻と子供達にむける表情もやさしく、とても怒ったときの顔など想像できない。実際、レオもタウラスも、彼がだれかに対し怒りの表情をむけるのをみたことがなかった。
 逆に、母の方は怒った顔ばかりをみていた。いまのように。
「でもこの子たち、私にだまってヤチモモをとろうとしたのよ。またやらないなんて保証があるかしら?」
「だいじょうぶさ。な、レオ。タウラス。もうやらないって誓うな?」
 父にうながされ、レオはうんうんと何度も、タウラスはひかえめに一度だけ、うなずいた。
「あなたがそうやって甘やかすから、この子たちがつけあがるのよ」サンドラはもらし、右手で二人を交互に指差した。
「じゃあお父さんに免じて、今回は見逃します。でもその代わり罰として、二人ともいますぐ廊下の掃除と二階の片付けをやりなさい」
「え〜」レオが露骨にイヤな顔をすると、サンドラはまた彼の顔をにらみつけた。
「やらないのならいいわ。もうヤチモモの実は――」
「あ、やる、やるっ!おい、タウラス。いくぞ」
「う、うんっ」
 あわててベランダへ走り始める彼らを、サンドラは困った顔で、アラウンはあいかわらずおだやかな顔で、見送った。
 そこへふと、玄関のほうから杖をついた初老の男性が現れた。アラウンが気づくと、すぐに頭を下げる。
「これは村長さん」
「やあ、グロスさん。ちょっと近くを通ったものでね。調子はどうかね」
「どうもこうもありません」答えたのはサンドラだった。「あの子たちが、ヤチモモの実を収穫前にとろうとしてしまって……」
「ははは、そうかねそうかね。子どもはそれくらい元気があったほうがええもんじゃて」
「村長まで」と、サンドラはあきれた顔をつくった。「息子たちが将来どろぼうになってもいいとお考えなんですか」
「おいおい、サンドラ。村長の前でいいすぎだぞ」アラウンの言葉にも、サンドラはどこか納得いかない様子だった。
「関係ありません。私にはあなたのぶんまで息子たちをしつけなければいけない義務がありますので」
「ハッハッハッ!あいかわらず威勢がいいな、サンドラ」
 と、大きな笑い声とともに、村長の後ろから大柄な男性が姿を見せた。
「ダグラス、きてたの?」サンドラが目をやると、大きな瞳をまっすぐにむける、鼻の下からアゴまでつながる豪快なヒゲをはやした色黒の顔がみえた。
「きてたのとはごあいさつだな。オレだってたまにはお前らのかわいい息子たちの顔をおがみたいときがあるんだよ。――レオとタウラスは?」
 そう彼がたずねるのと同時に、家の中からダグラスの姿をみつけたレオが、ベランダから勢いよく出てきた。タウラスも続けて出てくる。
「おじさん!いまきたの?」レオがかけよると、ダグラスはその太い腕で軽々と彼をもちあげた。
「そうだ。おっ、お前、また重くなったな」
「おじさんにいわれたとおり、毎日のこさずケープ食べてるよ」
「そうかそうか。若いときになんでも好き嫌いせず食っておかないと、強い大人になれんからな。これからも続けろよ」
「うん!」
 レオに続けてタウラスをもちあげている彼の光景をみて、サンドラは思わずため息をついた。
「私の言うことは全然きかないくせに、ダグラスの言ったことはすぐに守るんだから」
 アラウンも、ダグラスの方をみながら云った。
「ダグラスは強いからな。なんといってもこの村の自警団『鉄剣団』の団長だから」
「そんなこと言って、あなただって団員でしょう。あなたがもっとしっかりしないから、あの子たちが……」
「わかってる」そう短く云い、アラウンはそっとサンドラの肩に手をやる。サンドラは彼から顔をそむけながらも、それで気分がいくぶん落ち着いたようだった。
「村長。今日は、子供たちは?」アラウンがたずねると、村長はうなずきながら答えた。
「子どもらは、手伝いの者に任せてあるよ。今日は村の行事が多くてな。一日じゅう村の中をまわらにゃならんのだ」
 杖の頭に両手をおきながら立つ村長に、サンドラはきいた。
「村長も大変でしょう?あれだけの子どもをお持ちでしたら、言うことを聞かない子も、いるんじゃないですか」
 その言葉に、村長は若干笑みを浮かべながら、年老いた者独特のゆるやかな口調で答えた。
「いまは十三人、おるのう。四歳から十四歳までおるが……。でもあの歳の子供は、多かれ少なかれ反抗的なもんじゃて。二・三年もすれば、もっと親に対してきつくあたるようになる。それにいちいち腹を立てていては身が持たんよ、サンドラさん」
 そういいながら、村長はレオとタウラスの方へ目線を向ける。その彼の表情は心から楽しそうに見えた。もう何十年も前から、戦争地域で両親を失った子供たちをひきとり、育てている。本当に、この人は子供が好きなのだ、そう思わせるだけのにじみでる笑顔を、老人はしわの深い顔にたたえていた。
「いつも大きな心で接してやれば、いつか子供たちのほうから言うことを聞いてくれるようになる。それまであせらず、じっくり待つことじゃ。尊敬されるような人になるよう努めれば、いつか必ず子供らはわかってくれる。子供は、大人より利口じゃからの」
「そうですか……」サンドラは云った。「でも待つなんて、私、一番苦手なことです。すぐに子どもたちに手を上げてしまうわ」
「そのぶんを、夫が引き受ければ問題なかろう。のう、アラウンさん」
 云われ、アラウンはなにもいわず、ただうなずくだけだった。
「そうだぞ、アラウン」ダグラスがタウラスをおろすと、この距離にしては不要なくらい大きな声で、アラウンに云った。
「男にはまず落ち着きと力強さが必要だ。背中で語れるようになれれば、子供は勝手についてくるぞ」
「そうだな」アラウンはなにか深く思うような顔でうなずく。
 そういえば、とダグラスは気がついたように云った。
「最近、仕事のほうはどうだ。戦争特需でもうかってるんじゃないか」
「そうでもない」アラウンの表情が少しだけ苦くなった。「鉄製品は売れる量が半端じゃないが、国から卸値を安く統制されて売っても売ってもたいしてもうからない。戦争のために働かされてるようなもんだ」
 アラウンは、鉄製品の卸業を営んでいた。工場から町の店への橋渡し役。ほぼ毎日、このヴェルタ村の近くにある都市にでかけているのだが、今日は休日だった。
 一方のダグラスは、このヴェルタ村の自警団として、唯一国に雇われている立場にあった。アラウンとは逆で、都市の方に実家があり、村の家は仮ずまいだった。
「そうか。まあこの国は、一部の限られた人間しかもうからないようにうまくできているからな」
 含みをもった言い方でダグラスがいうと、アラウンは静かに答えた。
「お前もそれがイヤで、中央の鉄兵をやめたんだよな。――ところで、そっちの方はどうだ。家族は元気か」
「おかげさまでな。あいつも娘も元気にやっているみたいだ。だがどうやら向こうのほうでもそろそろ戦争の火種が舞い込んできそうでな。町の若いやつらもどんどん兵役にとられているらしい。そろそろこっちのほうへこさせてやった方がいいかもしれん」
「気をつけろよ。ネイルの軍が東のアル山脈に潜伏しているともいうし、いつどこで戦火に巻き込まれるかわからんからな」
「わかってるさ」
 ダグラスが大様にうなずく。ダグラスはアラウンより十歳ほど年上だった。しかし形式ばった言葉づかいをきらう彼は、団員やその家族に対しては上下関係などの下手な礼儀にこだわらず、率直な態度で向き合うようにしていた。彼のそんなふるまいを受け、周囲の者も、ダグラスに対してだけは言葉づかいに寛容になっていたのである。
「でも、この村だって危ないんでしょう?」
 レオとタウラスに掃除をするよう言い、家の中へやってから、サンドラは神妙な顔つきで口にした。
「盗賊団がこの近くまできているって話、本当?」
「ああ、本当だ」ダグラスは自慢の濃いヒゲに少し右手でふれ、云った。
「グレアムの森を根城にしている盗賊団が、ここのところ急速に勢力を拡大しているらしい。以前まではときどきニ・三人の無用心な旅人が襲われる程度だったのが、最近は武装した商人の一団までが襲われ、金品をあらかた奪われた上、何人もの死人を出した。それだけ盗賊団の人数が増えてる、ってことだ」
「村ひとつ焼き払われた、という話も町で聞いた」
 アラウンが云うと、ダグラスを目を見開いた。
「本当か、それは?」
「ああ。森のそばにあるヨセンユル村に寄った商人の話だが、もう完全に焼け野原になっていたらしい。あんなところにネイルの軍が来るわけはないから、おそらく――」
「だとすれば、ここもあまり安心できる状況とはいえんな。グレアムの森が近いし、盗賊も比較的近づきやすい」
 彼の言葉に不安にかられたサンドラは、おろおろとその場にいた三人の男たちを見回す。
「じゃが、心配することは無かろう。ここにはこの国の元鉄兵団長ダグラス=エシアン率いる自警団『鉄剣団』があるんじゃから。のう、ダグラス」
「そのとおりだ。毎日監視もしているし、ぬかりはない。アラウンだっているからな。なあ、アラウン?」
「ああ」アラウンはうなずく。「俺たちの村は、俺たちで守る。盗賊団なんかに、好きなようにはさせないさ」
「でも本当に襲ってきたら、どうするの?本当に対抗できるの?」
 心配性なサンドラは、なおもダグラスに聞いた。
「ああ。ひとり、うちの団員に便利なやつがいてな。そいつをいま、やつらのアジトにもぐりこませてある」
「もぐりこませて……?」
 サンドラは、ダグラスの言葉をゆっくりと飲み込んだ。
「それって、スパイ、ってこと?それより、アジトがもうわかっているの?なら、早く国の警察兵につたえれば……」
「もちろんもう伝えてあるが、つれない返事だったぜ。『国はこの小さな村のために人員を裂くほどの時間的人員的余裕は無い』だと。はなから助ける気なんてないってことさ。それにわかっているっていっても、やつらのアジトはあってないようなもので、森の中を転々としながら活動しているようだから、動きがつかみにくい。だからスパイをつかったんだ。ついこの間だがな。うまくいけば、これからのやつらの情報は全部こちらに入ってくるはずだ」
 しかしどうしても不安がぬぐえないサンドラに、ダグラスは大きな口をひきあげて笑った。
「大丈夫。鉄剣団に任せておけば、この村の平和は必ず守ってみせる。『寸大な魂もてば、災い近づかず』というだろう?なにごとも気構えが大事だぞ、サンドラ。村のことを心配するくらいなら、そのぶんをレオとタウラスのほうにむけてやれ、ハハハハハ」
 この豪快な笑いに、サンドラはただ苦い笑みを浮かべるしかなかった。




 
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