死神と女神の狭間 第ニ章  

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 ヴェルタ村をグレアムの兄弟が襲ってから、二日目の夜がやってきた。
 女子供らはいまだ近くの村に避難したまま。鉄剣団の団員たちとそれ以外の少数の住民らが、ヴェルタ村に残ったまま一夜を過ごそうとしていた。
 ダグラスと村長らは、無理な要求をつきつけてきたハーンらへどう対処するかを話し合っていた。とてもその要求の全てを飲むわけにはいかない。特に村の女たちを渡すことは、子供の命と引き換えに逆に多くの人質を彼らに引き渡すようなもので、全く交換条件になっていなかった。
 数人の決死隊をつくり、タウラスを救出するという案も出た。アラウンも、それに賛成した。しかしそれにはリスクが大きすぎた。見つからないよう忍び足で侵入し、手際よくタウラスを救出し彼らのアジトを抜け出す。それをやるにあたり、彼らは完全な素人ばかりだった。もし失敗した場合、タウラスの身の安全はもはや保障されないだろう。それを考えると、ダグラスは二の足を踏むほかなかった。
 まだ一日ある。彼らが明日再び交渉にきたとき、こちらの主張をさらに強くするしかない。彼らとて、自分たちが無茶な要求をしていることがわからないほど馬鹿ではないだろう。今日のハーンの態度はおそらくこちらをけん制するためのものだったに違いない。そう推論し、彼らは明日の交渉に賭けることにしたのだった。
 そうして迎えた夜。だれもが、心に不安を抱えたまま眠りについたころ。
 ヤチモモの実が赤々となった木の下に、そっと人の姿が現れた。
 それはなにか名残惜しいように、ヤチモモの木のある庭をながめていた。そして意を決したように口元を引きしめると、その庭を後にしようとする。
「……アラウン」
 と、突然声をかけられ、その男は立ち止まった。
 振り返ると、月の光にうっすらと照らされた、女性の姿があった。
「サンドラ……」
「どこにいくの、こんな夜遅くに」
 サンドラは尋ねた。その表情は、昼間に比べていくぶん落ち着いたものにみえた。
「……もしかして、タウラスのところ?」
 聞かれ、アラウンはしばらく間をおいてから、重々しくうなずいた。
「だめよ!危ないわ……。一人で盗賊のところに行くなんて……お願いだからやめて!」
「サンドラ……すまない、もう決めたんだ」
 アラウンの言葉に、サンドラは首を振った。
「いや。いやよ。あなたまで……あなたまで失ったら、私もう……」
「サンドラ……」
 声をうわずらせる妻を、アラウンは胸に寄せて抱きしめた。
「すまない……もうこれ以上、村のみんなに迷惑をかけるわけにはいかない。タウラスさえ助かれば、もう心置きなくやつらをけちらせるんだ」
「だからって、なにもあなた一人が背負い込まなくても……」
「ダグラスには言ったさ。でも、リスクが高いからと止められた。俺も、ダグラスの言い分が正しいと思う」
「だったら、どうして――?」
 サンドラの体を離し、彼女の目をみながらアラウンは云った。
「俺の、復讐だ。レオのための――。俺の目の前で、レオは殺された。俺は何も出来ずに、それをただ見ているしかなかった――。このまま何もしなかったら、交渉だけしてやつらに逃げられたりしたら、俺は一生後悔すると思うんだ。レオのために何もしてやれなかった自分の不甲斐なさを、ずっと抱えて過ごすことになると思う。だから――」
「そんなの――身勝手よ」
「ああ、俺は身勝手だ。身勝手で、つまらないことを気にする男だ。それは、お前が一番わかっているだろ」
 そういわれ、サンドラは黙った。夫は一度こうだと決めたことはけっして曲げないことを、彼女は知っていた。
 サンドラはまだ言い足りないことがあるようだったが、それを全部飲み込み、ただアラウンを見ている。
 その妻の唇に、アラウンはそっと自分の唇を重ねた。
 最後の別れを惜しむように――。
 彼は唇を離すと、もう何も言わなくなった妻に云った。
「もし夜明けまでに戻ってこなかったら、ダグラスに俺のことを伝えてくれ」
「……わかったわ」
 サンドラは涙にぬれた目をぬぐいながら、うなずいた。それを確かめると、アラウンは彼女から離れた。
「いままで、ありがとうな。こんなだめな夫についてきてくれて」
「そんなこと言わないで。戻ってくるって約束して」
「ああ、約束するよ」
 そうしてアラウンが行こうとしたところに、もうひとつ影がやってきた。
「……デュデック」
「アラウン……やっぱり行く気か」
 白髪の中年男・デュデックが、あきらめ顔でアラウンに声をかけた。もう彼はアラウンから事情を説明されていたので、驚く様子もなかった。
「ああ。考えは変わらない。止めたって無駄だ」
「さっき散々言ったから、もう止めるための言葉が思いつかん」デュデックは小さく苦笑した。
「だが、いくなら絶対戻ってこい。サンドラのためだぞ。それだけは守れ」
「ああ」アラウンは短く答えた。
 それからデュデックは、タウラスが閉じ込められていると考えられる場所をアラウンに説明した。彼らが宿営している場所に『牢屋』と呼ばれているテントがある。それは中に人間が五人ほど入ることのできる鉄製の小型檻があるテントで、襲撃した先のめぼしい人間を監禁しておくのに、いつもこのテントが使われていた。タウラスもおそらくそこに入れられているだろうというのが、デュデックの推測だった。
 彼らの宿営地とそのテントの位置を聞くと、アラウンはデュデックに感謝し、二人と別れた。サンドラもデュデックも、彼が見えなくなってからしばらくしても、まだ彼の行った方角をみつめていた。
 その先にあるのは、わずかな希望か、それとも死か。
 サンドラは両手を合わせ、神に願った。あのヤチモモの実を取り合っていた子供たちとそれをたしなめる夫を、幸せな日々をつむいでいた私の家族を、もうだれも死なせないで下さい、と。





 さすがにグレアムの兄弟の方も、このころには静かになっていた。今夜ももはや彼らの性分といっていい酒盛りで騒いではいたものの、彼らにとっては勝利を得た昨日に比べていくらか気分は下がっていたため、遅くまで歌い踊り続けることもなく、みな早々に寝静まってしまっていた。これがもしヴェルタ村から財産その他を巻き上げることになれば、また彼らは連夜の大騒ぎを続けるに違いないだろう。
 よって今日は、比較的静かなグレアムの森。しかし――
 そこにも、不穏な空気があった。
 中心にいるのは、盗賊団随一の巨躯の男、ラスター。
 月夜の照る森の中を、ラスターは歩いていた。彼はリースリングに怪我を負わされていたが、先の戦いでもたいした傷を負わなかったことで、最初に彼女につけられた左の肩口の怪我以外は戦闘にあまり支障のない状態にまで回復していた。これまで彼を痛々しく覆っていた包帯も、二日前よりはずっと薄くなっている。
 彼が向かっていたのは、そのリースリングのテント。
 彼がテントに近づくと、中から先に彼女が出てきた。やや薄手の服に身を包んでいる。明らかに警戒した目つき。
「夜分遅くに失礼」
 ラスターが気味の悪いくらい丁寧な言葉遣いで云うと、リースリングは冷たい口調で尋ねた。
「……今日は何の用」
「お前におわびをしようと思ってな」
 両手を挙げて何もする意思がないことを示し、ラスターは云った。なおも距離をとる彼女に、ラスターは先日の恨みなどすっかり忘れてしまったかのようにふるまう。
「おとといはすまなかった。お前の実力を疑っていたんだ。本当にハーンが言うほど、鉄剣団との戦いになったら役に立つのか、後ろの方で逃げ続けるだけじゃねえかってな。だがそんなことはなかった。俺は見てたぜ。鉄剣団のやつらをばったばったと倒していくお前の姿を。お前の力は本物だ。俺が悪かった。この通りだ」
 そう云って彼は大きな上半身を折って深々と頭を下げる。リースリングは眉ひとつ動かさず、無関心そうに彼の動きをただみつめている。
 ラスターは頭を上げてから云った。
「そのお詫びの気持ちといっちゃなんだが、ちょっとお前に見せたいものがあるんだ。この前、俺たちが行商人を襲ったときに手に入れた、高価なものがあるんだが」
「……いい」
 と、あっさり断る彼女に、ラスターは追いすがった。
「そんなこと言うなよ。一目だけでも見てくれねえか。もしお前にとっても貴重なものだったら、お前にやるから……」
「……いらない。あなたたちで使えば」
(………この!)
 冷たく云われ、短気なラスターはいら立ちを覚えたが、それを顔に出さないよう必死になった。
「たのむぜ、リースリング。俺、育ちが悪いんで謝り方がわからねえんだ。このくらいしかやり方が思いつかねえんだよ。だから――」
「……別に、謝ってもらわなくてもいい」
「怒らないでくれよ。ほんとに反省してんだ、俺」
「…………」
 完全に弱り果てたといった表情をみせるラスターを、彼女はしばしみつめる。ラスターは再び頭を下げたり弱り顔を見せながら、その場を動こうとしない。
 そんな彼についにあきらめたのか、彼女は動かないため息を小さくついてから目を向けた。
「…………それ、どんなものなの」
「それ?――ああ」
 ラスターは、ほっとしたような顔で云った。
「それは――薬だ」
「薬?」
「ああ、粉薬なんだが、ちょっと仲間が探しててな。まだみつかってねえんだ。でももうそろそろ……」
「……わかった。連れていって」
「おお!ありがとう、リースリング。さあ、こっちだ……」
 苦労の末ようやくリースリングの了承が得られ、ラスターは表情を和らげる。
 彼が連れてきたのは、森のはずれにあった小さな岩場だった。盗賊らは手持ち以外のストックした食糧品をいつもこの物陰においていた。宿営地からやや離れた場所に食糧をおくのは、万一凶暴なモリオオカミやビックラット――巨大ネズミ等の怪物が食糧を狙ってきた場合、それらが宿営地内に入って仲間に危害を加えるのを避けるためであった。
 リースリングを連れてラスターがその岩場にやってくると、待ってましたとばかり岩陰から二人、彼の仲間が飛び出してきた。一昨日、リースリングを襲った者と同じだった。一人は先の戦いで戦死したため、ラスターとあわせて三人になっている。
 彼らは出てくるやいなや、リースリングに頭を下げた。先日とはうってかわって違和感のあるくらい腰の低い態度だったが、リースリングはなにも表情を変えず、ただ彼らがそうしているのをつまらなさそうに見ていた。
「さあ、リースリング。さっき話していた物をみせたいんだが……」
「それが……」仲間の一人が申し訳なさそうに云った。「まだみつからないんだ。だいぶ奥の方にしまっちまったようで……もう少し待っててもらえねえか」
「なにい。そうか。それなら仕方ねえな。すまん、リースリング。もう少し待ってくれねえか」
 ラスターは言葉とは裏腹に、やや横柄な口調でリースリングに云った。彼女はそれを気にした様子でもなかったが、
「……なら、見つかったら私のテントまでもってきて」
 と、すぐに去っていこうとした。それを見たラスターの表情が急にあわてたものになる。
「あ、ちょ、ちょっと待て!」
 ラスターは大声で呼び止めた。リースリングが振り返る。
「…………なに」
「いやその……なんというか……その薬、大きすぎてお前のテントまではとてももっていけねえんだよ」
「……ならいらない」
「ま、まて。もうすぐみつかるから。もう少しだけ待ってくれよ、な」
「……そんなに大きなもの、私がもらっても――」
 そのとき。
 彼女が急に口をつぐんだ。
 そして、腰が少しだけ振れたかと思うと、とつぜん足元をふらつかせる。
「…………?」
 リースリングは少し眉をゆがめ、確かめるように右足を一歩踏み出す。すると今度は、踏み出した足のひざがかくんと折れる。
 彼女の体に、異常が起きていた。
 それを見て、ラスター以下三名は口元にゆがんだ笑みを浮かべた。
「へへ……ラスター、うまくいったな」
「ああ。こいつでも睡眠薬が効くんだな。ほっとしたぜ」
 勝利を確信したかのようにリースリングを見下ろすラスター。
 彼女はもう両足に力が入らないようで、まもなく両手を地面においてかろうじて体を支えるような状態になった。
「……これ…………あなたたち……が……」
「そうさ。見せたいものは薬だって言っただろ?お前の晩飯に、行商人から奪った貴重な睡眠薬を混ぜ込んでやったんだ」
「…………」
 ラスターたちが低く押し殺したように笑う。
「いつもお前の晩飯をもってきていたのはゴブだよな。お前はあいつのもってきた飯だからなにも疑わずに食ったのかも知れねえが、それ以前に俺があのおかずにコレを入れていたんだ」
 仲間の一人が腰のポケットから小さなビンを取り出す。中に、うすら赤い液体が見える。
「ゴブは自分が毒入り飯を運んだなんて全く知らねえだろうよ。まったく、役に立つつかいっぱしりだぜ、あいつは」
 ラスターたちが笑った。その間も、リースリングは何度も目を閉じそうになるのを必死にこらえているふうだった。
 ラスターはリースリングに近づくと、彼女の長い髪を乱暴につかみ、引き上げた。リースリングの顔が若干、苦痛にゆがむ。
「ようやく、お前を存分にいたぶってやれるぜ。このときをどんなに待ちわびたか……」
 そういって、彼はあいさつ代わりに彼女の腹に拳を食らわせた。続いて、つかんだ髪を放しながら横蹴りを一発。
「っ……!」
 衝撃で、彼女の体が人二人分ほど転がっていく。彼女はなんとか時間をかけてひざ立ちになるが、やはりそれ以上立ち上がれない。
「最初はお前には睡眠薬なんて効かねえんじゃねえかと思って不安だったぜ。だがやっぱり、お前も人間――普通の女だったってことだな!」
 そういって子供がおもちゃの球で遊ぶように、ラスターはリースリングの体を右足で思い切り蹴りとばす。
「あぅっ……!」
 立ち上がろうと踏ん張っていたのが、またあえなく倒れてしまう。
 ラスターはこれ以上楽しいことはないといわんばかりにただれた笑顔を満面に浮かべた。それは、彼の醜い本性が現れた瞬間でもあった。
 何度かリースリングを蹴りつけてから、ラスターは腰に差していたナイフを取り出し、彼女の前でちらつかせた。
「俺につけてくれた傷と同じものをつけてやるよ。お返しだ」
 そういって彼はリースリングに近づいた。彼女は両ひざを折ったまま、逃げられずにいる。
 ラスターがナイフを振りかぶる。半ば狂喜の目つきで、彼はそれを彼女の左肩にむかって、勢いよく振り落ろした。
 そのときだった。
 彼女はラスターのナイフが自分の肩に届く前に、左腕を前に突き出す。
 そして、そのまま彼のナイフの刃を生身の腕で受ける。
 か細い腕に突き刺さるナイフ。
 だがラスターの右手に、なにか硬いものをさわった感触があった。
「――なっ?」
 ラスターは思わずナイフを引いた。当然、そこには切り裂かれて血にまみれたリースリングの腕が残るはずだった。
 しかし――
 彼の目が、狂喜から徐々に驚きの表情に変わっていく。
 後ろの男二人も、同様に目を見開いている。
 ナイフを左腕で防ごうとする行為。それ自体は特に驚くことではなかった。素手で刃物は防げないとわかっていても、反射的に手が出てしまったのだろう。だがラスターの力なら、下手をすれば彼女の薄い服しかまとっていないか細い腕を完全に切り落としてしまうんじゃないか。そう後ろの二人は考えていたし、当人もそれぐらい力を込めて切ってかかっていた。
 だが結果は――
 ラスターのナイフは、全くリースリングの腕に食い込めなかった。皮膚に深い切り傷がついただけ。骨にさえ届いていないようなのが意外だった。
 だが、それよりも彼らを驚愕させたことがあった。
 後ろへ下がっていこうとするリースリング。それをみて、ラスターは声をしぼり出す。
「……お、おまえ……」
 そうして、彼が指をさす。その先には、袖とともに切り傷のついた彼女の左腕があった。
「どうして……血が出てねえんだ?」
 ラスターの刃先をまともに受けたはずの彼女の左腕には、袖の布地の奥にしっかりと皮膚が切り裂かれた痕ができていた。一目見ただけで目を背けたくなるくらい、痛々しい傷。
 だが――
 そこからは、一滴の血液も流れ出ていなかった。
 あれだけの傷なら、とっくに袖が血で赤く染まっているはず。だがどれだけ目を凝らしてみても、彼女の腕は全く赤くなっていない。
 ラスターは二の句が継げなかった。後ろの男たちは、恐怖にとらわれ腰を落とす。
「……や、やっぱり……あいつ、人間じゃねえ……。化け物だ……!」
「お、落ち着け!」ラスターは云ったが、後ろの男はなおも身を震わせた。
「だ、だって……血が出てねえ……血が通ってねえんだぜ?あんな人間、見たことねえ……やっぱりあの女、俺たちとは違う、なにか別の……」
「落ち着けって言ってるだろ!」
 ラスターは再び声をあげた。そうしなければ、自分も腰を落としてしまいそうだった。
「あ、あいつはただの人間だ!ただの女だ!第一、げんに毒は効いてるじゃねえか。あいつが化け物だったら、毒だってきかねえはずだ」
「でも商人の話だと、あの薬は遅効性だから効き目が出るまでに三時間ほどかかるけど、効き始めたら一気に眠りだす、って言ってたぜ。でもあの女、まだ起きてるし……」
「だからなんだ!細かいことをごちゃごちゃぬかすんじゃねえ!ようはオレがあいつを痛めつけて黙らせりゃ、それで万事解決だろうが!もうどうせこのアマ、なにもしゃべれやしねえんだからよ!そうだろ?なあおい、なんとか言ってみろよ、口が開くんならな!ははは」
 そうわめくと、ラスターはナイフを捨て、再び彼女の体を蹴りつけ始めた。またか細い体が、痛々しく地面の上を転がっていく。しかしラスターは、痛めつけているのがただの人形であるかのような奇怪な感触を覚えていた。
 夕方ごろから吹き始めた風は少しずつ強さを増しているようだったが、それでも森の中は風が木々にさえぎられ、寂しいほどに静かな空気がただよっている。
 その森に囲まれた岩場での彼らの光景を、遠くからみつけ、やぶの中から眺めていた者がいた。
 一方、タウラスの閉じ込められたテントでも、だれかがそろそろと動き出す気配がある。
 様々な者たちがひそやかに動く宵。今日の暗闇に閉ざされた時間は、とても長いものになりそうだった。




 
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