死神と女神の狭間 第ニ章  

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 後


 ラスターがむきになってリースリングを痛めつける光景。
 それを、遠くからやぶに隠れてみつめていた者がいた。
(あれは――たしかラスターとかいったな。そしてやつが蹴りつけているのは――黒髪の女?)
 明るい月に照らされた岩場の様子を、目を凝らして確かめようとする男。
 それは、『黒髪の女』に息子を殺された父親、アラウンだった。
 彼は人質となったもう一人の息子、タウラスを救うべく、グレアムの兄弟の宿営地まで忍び込んでいた。
 村を出てからこの宿営地までは問題なく来ることができた。そして注意を払いながら宿営地の周りをめぐり、裏側に回り込もうとしていた。もうすぐ、タウラスが閉じ込められていると聞かされたテント。その途中で、森の中からかすかに人の怒鳴り声が聞こえた。声のするほうを注意してみてみると――
 巨漢の男が、長髪で細身の人間を何度も蹴りつけている場面が見えたのだった。
 見るからに痛々しい光景。だがある種不思議な取り合わせでもある。そんな場面を目にして、彼は考えをめぐらせた。そういえば、デュデックが言っていた。あの巨漢の男が肩に大ケガを負ったのは、リースリングと一対一の勝負をしたためだと。これは、そのことに対する復讐か。
 とにもかくにも、これは彼にとって好都合といえた。タウラスを助けるにあたり彼の中での一番の懸念材料は、正体不明の殺し屋・リースリングに見つかってしまうことだった。他の者は剣の腕前でいえばそれなりに実力を有した者もいるだろうが、それでも常識的な想像の範囲におさまる力しか持っていないとアラウンはふんでいた。だがリースリングだけは――あの女の力だけは、底が知れない。そう彼は、先日の彼女の戦いぶりを見て感じていた。彼女が宿営地の周り全てにアンテナをめぐらせていて、どこから侵入しても彼女にだけはばれてしまうような、そんな気さえした。だからなるべく彼女とは出会わないよう細く暗い獣道を選び、細心の注意を払いながらようやくここまで来たのだった。
 その彼女が、どういうわけか巨漢の男になすすべなく暴行されている。彼の後ろに男二人の姿もみえた。もしかしたら、彼女は恨みをかった男たちに何らかの方法でおとしいれられたのかもしれない。
 しかし彼にとってはどちらでもよかった。とにかくあの女がああして動けずにいることで、タウラスを救い出す時間ができたからだ。いまのうちに、さっさとテントに向かおう。
 だが――
 アラウンはなぜか、後ろ髪をひかれる思いがした。
 彼の目に映った、あまりに一方的な暴力。女に対する、男たちの容赦ない仕打ち。
 彼は首を振った。一瞬、心の中にあの女を助けたいと思う自分がいたことを、必死に否定した。
 そうだ。あの女はヴェルタ村の者を何人も殺した。俺の息子――レオの命も奪った。あれくらいされて当然なのだ。むしろいい気味だ。
 そう自分に言い聞かせながら、アラウンは胸ぐらをつかまれる彼女の表情をにらむようにながめた。
 すると一瞬――
 彼女の暗いアメジストの目が、アラウンのいるやぶの方を向いた。
「――――!?」
 アラウンはとっさに体をふせた。
 みつかった――?
 アラウンは少し間をおいてから、再びゆっくりと上半身をもちあげ、やぶの中から岩場のほうをみた。女の体が地面に放り出されている。こちらに気づいた様子はない。
 たまたまだ、こちらに顔を向けたのは。彼はそう考えほっとすると、やぶから出て宿営地の方へ向かった。ここであまり時間をつぶしている暇はない。早くタウラスのところにいかなければ。
 そんな彼に追いすがるように、ラスターたちが女にあびせるかすかな罵声(ばせい)が、後ろからしつこく彼の耳に届いていた。





「…………どうだ。そろそろ降参する気になったか。え?」
 少し息を荒くして、ラスターは言った。その下に、もうほとんど動かなくなったリースリングの姿があった。
 長い黒髪は乱れ、服はいたるところに土がつき、しわが寄っている。手首や足元など、肌の見えるところには青いあざのついているところもあった。おそらく全身が同じように痛めつけられているだろう。
「もう抵抗もできねえか。鉄剣団のやつらをばたばたと倒し、ガキが木の上に隠れているのを真っ先に見つけた優秀な殺し屋さんも、こんなザマじゃな」
 もう一度軽く蹴る。リースリングはそれに反応したように、ゆっくりとまた立ち上がろうとする。だが体の動きがあまりに重い。苦しそうなのはもはやはた目にも明らかだった。
「立とうとしても無駄だぜ。薬が効いている間はな。へへ……」
 愉快そうにラスターは後ろの男たちと笑みを浮かべる。さきほどは左腕の傷に顔を引きつらせていた彼らも、徐々にまた最初の気勢を取り戻していた。
「おい、お前らも好きなようにしていいぜ。もうさすがに何もできねえだろ」
「そ、そうだな……へへ、じゃあ、おとといの続きといくか」
「顔だけは傷つけるなよ。いままでオレたちに向けていたこいつの能面づらがどこまでゆがむか見てみてえ」
「違えねえ。よし」
 そうして、ラスターの代わりに二人の男がリースリングに近づく。最初は多少腰が引けていたものの、地面に倒れ伏す彼女を足の先でつついても反応が無いのを見定め、ようやく本当に心を落ち着かせた。
 男のうちの一人が彼女の服をつかみ、無理やり起き上がらせる。彼女のまぶたは閉じかかっており、意識がはっきりしていないようにみえる。
「この前はじっと黙ったままバカにしたような目つきでオレの方を見やがったな。血の通ってねえ冷血人間のくせして。なんとかいってみろよ」
「オレたちチンピラになんかいつでも勝てると思ってたら大間違いだぜ。女のくせして力で男の前に立つなんざ、虫唾(むしず)がはしるんだよ」
 そうして男がリースリングの腹部をおもいきり殴ろうと右手をふりかざす。
 そのときだった。
 リースリングのかすれていた瞳が、生気を取り戻したかのように色濃くなったのは。
 彼女はこれまで痛めつけられて動けずにいたのがうそだったかのように、すばやい動作で自分の服をつかんでいた男の腕をつかむと、男のふところに一瞬ですべり込む。
 そのまま彼女は力を込め、男の体を自分の背中で背負って投げた。
「なっ、うわっ!?」
 女とは思えない力でひっぱられ、地面にたたきつけられる男。突然の動きに、そばにいたもうひとりの男、そしてすぐ後ろにいたラスターは何が起きたのか理解できずにいた。
 その間を、彼女は逃さない。
 男を投げ終えると、リースリングは靴の裏側に手を差し入れ、小さく細い刃物をつかむ。それを躊躇(ちゅうちょ)無く、そばにいた男に投げつける。
 彼女の手から放たれた刃物が鋭く男の首筋に向かう。その刃先が彼の首にふれ、そのまま深々と皮膚を、血管を、ノドを切り裂く。
「――――ぐっ?」
 刃物が首筋につきささったことを男が理解する前に、彼の首からはリースリングの左腕からは出なかった鮮やかな液が勢いよく流れ出た。
「!?」
 リースリングの思わぬ変容に、ラスターが身構える。
 だが彼女は間髪いれずに、自分に散々暴力の限りを尽くした男へ死神のナタを振るう。
 リースリングは地面に落ちていたナイフを拾う。それは、ラスターが彼女の左腕を切り裂いたあとに捨てたナイフ。
 彼女は血の付いていないそのナイフをすぐさま投げ放つ。狙いは、ラスターの右大腿部。
 目にもとまらぬ速さで空気を切り裂きながら、ナイフはラスターの右足へと一直線に突っ込む。
 そして――
 ラスターは少しも避けることができず、ナイフの切っ先を右足の太ももで受け止めた。
「あっ?」
 彼が気が付いたときには――
 右足に、自分のナイフが突き立っていた。
 その光景をようやくとらえた彼を、激痛が襲う。赤い血がにじむ。
 今度は、彼がひざを折る番だった。
「――――!!」
 声も出ず、ラスターは姿勢を大きく崩す。
 全てが、あまりに短い時間での出来事だった。
 ラスターが痛みにうめきながら、右足に刺さったナイフに手を伸ばす。刃は柄のあたりまで足に埋まっており、簡単には抜けそうに無い。どうしたものか考えあぐねているうち、はっとして彼は前面を確かめた。
 立ち上がっている黒髪の女。その足元で倒れている、投げられた男。そして首筋をおさえながら、青ざめて地面に崩れ去ろうとしている、血まみれの男。
 形勢は、一瞬のうちに逆転していた。
 彼はリースリングの方を見た。服はだいぶ汚れ髪も乱れているが、表情はいつもの通り、彼の嫌いなあの能面づらをしている。
「おまえ……どうして……」
 苦しそうにラスターはあえぐ。そして、無表情なリースリングの顔をくやしそうににらんだ。
「どうしてだ……毒が効いていたんじゃないのか」
「……毒は効いた。でも、少し前にもう体は動くようになっていた。だから体が動かないフリをして、あなたたちが近づくのを待っていた」
「なんだって……」
 ラスターがくちびるをかむ。
「くそ……毒が薄かったのか……もう少し多めに入れておけば……」
「冗談言わないで」
 と、リースリングが口調を変え、ラスターに突き刺すような鋭い目線を向ける。ラスターは戸惑いながら、彼女の強い目におされた。
「夕飯に毒が入っていたことは、最初の一口を口に含んだときに分かった。他は捨てた。並の睡眠薬ならそれで大丈夫なのに……あなたが行商人から手に入れたその薬は、ごく濃度が高くて珍しい種類の睡眠薬だった。だからほんのわずか体内に入っただけで、これだけの効果が出た」
「なんだと……」
「そんなものを、もし知らずに全て食べていたら……私は、いまごろ永遠に眠ってた」
 リースリングの言葉は、普段ないくらい怒りの感情を秘めているようにラスターには聞こえた。
「ラスター。あなたはこのグレアムの兄弟にとって貴重な戦力のようだから、ずっとひかえていたけど……ここまでされたからには、もうあなたの『遊び』に付き合うことはできない」
 その怒りを徐々に、冷たく、一切の感情を排したような調子に変え、彼女は告げた。
「……あなたには、死んでもらう」
 彼女のアメジストの瞳が、暗く冷淡な色で、ラスターの輪郭をとらえる。
「ま、まて、リースリング」
 ラスターは、恐怖していた。
 心の底からの、恐怖だった。
 足をやられ動けない彼には、もはや命乞いしかできなかった。
「な、なあ、リースリング。落ち着いて話し合おう。オレが毒をもったことは謝る。致死量も知らずに無茶なことをして、本当にすまなかったと思ってる。ほんとだ。だから、これからお前のいうことなら何でも聞く。遣い走りになれというなら喜んでなる。クツをなめろというなら喜んでなめる。だから許してくれ。オレは本当にバカな男だった。全面的にオレが悪い。認めるよ。だから――」
 彼は必死に懇願した。だが、その目の前で――
 黒髪の女は、足元に倒れていた男の首裏を踏みつけた。
 ぐしっ、と、魚の延髄をへし折ったときのようなにぶい音が鳴る。
 ラスターは反射的に踏まれた男の首のあたりを見た。男の頭と胴体をつなぐはずの首が変な角度で曲がっている。認めたくはないが、首が折られているとみて間違いなさそうだった。
 普通のクツでは首を踏んだところでああはならない。爪に刃物を隠していたのと同じように、クツにもなにか仕掛けがあるのか。彼はそう想像した。
 ゆっくりと、リースリングの細い顔が、長い黒髪の間からラスターの方をのぞく。冷淡な、色のない顔。彼にはそれが、何の感情も持たずに人間の命を刈り取る、ドクロの顔をした死神に見えた。
 ラスターはさきほどまでの威勢のよさをまるきり反転させ、必死に逃げ出そうともがいた。しかし右足が痛く、彼は立ち上がることもできずに無様に腰を地面に転がした。
 近づいてくるリースリング。ラスターは地面に座った状態で後ずさりするしかなかった。
「や、やめてくれ……お願いだ、命だけは……」
 手のひらを前につき出し、ラスターは情けない顔で懇願する。他のものが見ていれば、巨漢である彼の体がいつもよりとても小さく見えただろう。
 闇色の死神がゆっくりと右腕を引く。そして、すっと弧を描くように下から上へ腕を引き上げる。
 ラスターの首元に、小さな痛みが走る。
「――っ?」
 リースリングの投げたものが、自分の首にささった。
 針だ。
 細長い針が、彼の首にささっている。
 どういうことだろう。これだけでは、とても致命傷にはなりえない――
 しかし、それもつかの間だった。
 彼は突然、全身にしびれを覚えた。けいれんが起き、地面をのたうつ。それと同時に、息ができなくなる。自発呼吸が止まり、彼は声も出せなくなった。
「…………!!」
 あたかも酸素を求める魚のように口を開け閉めする。混乱する頭の中で、彼は自分の身に何がおきたのかを感じ取った。
 毒だ。
 針の先には毒がぬられていた。それも、ごく濃度が高いものが。
 ラスターはかすむ目の先にたたずむ女の姿を、最後まで脳裏に焼き付けていた。
 この女、本当に――。
 ラスターはしきりに口を動かす。なにか言いたいことがあるかのように。だがそれは、結局最後までかなうことはなかった。
 風は弱くそよぎ、何かの動物の声がときおり聞こえる。おだやかな帳の下りるこの冷たい岩場で起きた恐慌は、三つの亡骸を残し、静かに幕を閉じようとしていた。




 
前へ TOPへ 次へ