死神と女神の狭間 第ニ章  

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 牢屋に閉じ込められたタウラスは、緊張を強いられてなかなか寝付けずにいた。
 グレアムの兄弟の宿営地後方にある、少し大型のテント。この中に、タウラスのいる牢屋はあった。行商人の列を襲った際に手に入れた折りたたみ式の鉄格子の牢屋で、やや古いが頑丈なもの。いつもは略奪で捕まえた人間を閉じ込めておくために使用されている。大きさ的には十人ほどを収監することが可能だが、いまはタウラス一人だけがこの広いスペースにさみしく座っている状態だった。
 牢屋の前、テントの入り口近くには小型の机と椅子が設けられていて、そこに牢屋番が座ることになっている。その、グレアムの兄弟にとって虎の子の人質である少年を守る番を担当させられたのが、いつもハーンに付き添っているソームだった。
 彼女の顔はもはや骨と皮だけしかないくらい完全にやせきっている。髪もごく短く、なにか偏った妄信にでもとりつかれているような風体だった。事実、盗賊たちの誰もが彼女の性格をつかみかねており、いつもそばにおいていたハーンでさえも、彼女の考えていることや行っていることがいまひとつ理解できていなかった。
 ただひとつ確かなことは、彼女は死体愛好家であることだった。
 グレアムの兄弟が行商人を襲うときに死体が出たりすると、ソームは目ざとくそれをみつけ、そのとき必要な部位――腕や足、時に頭部も――を誰にも見られないところで切り取り、入れ物にいれ持ち帰っていた。手に入れたものは、ソームいわく『人間が蘇生するための魔術の研究』に利用するらしく、いつも何かしらに加工してどこかへ処分してしまっていた。そのあたりの経緯を、チンピラたちはみな気味悪がってだれも詳しく調べようとしなかった。特に迷惑になるようなことでもなし、彼らはソームの奇行を見て見ぬふりしていたのだった。ソームはソームでむしろその方がよいらしく、あまり他人とかかわらずに自分だけの研究に身をうずめたいようなことをなにかにつけハーンや周囲の人間にもらしていたため、相互不干渉の状態でこれまでやってきたのだった。
 ハーンがタウラスの牢屋番にソームを指名したのも、彼女が「子供の体を欲しがっている」からだった。人質交渉をうまくつかい、ヴェルタ村を滅ぼすことができた暁には、この少年は好きなようにしていい。だがそれまでは何があってもこの人質を守れ。それがハーンの命令だった。ソームは偏向した趣味の持ち主ではあったが、目的のためには全力を尽くす性格でもあったため、これまでのところ牢屋から決して離れることなく、完全に牢屋番として役割を務めていた。ヴェルタ村との戦いが終われば、以前からほしかった子供の体がようやく手に入る。面には出さないものの、ソームのやる気はずっと高止まりしていたようだった。
 タウラスはしかし、そんなやせぎすの女のことを毛嫌いしていた。それは彼女が、昼も夜も自分の方をじろじろと見つめ続けてくるからだった。なめるような、調べるような目線を注ぎ込むソームがタウラスには気になって仕方なく、結果、彼は精神的に疲労しているはずなのに緊張してなかなか夜も眠れない状態を強いられていた。
 ハーンらに捕まってから、タウラスは泣きじゃくるばかりだった。
 目の前で兄が殺されたこと、父やダグラスの目の前で盗賊たちに捕まってしまったことが、まだ九歳の少年の心に重くのしかかっていた。彼は木から落ちたときの衝撃で腰とひじ、ひざを打撲しており、まだ体には相当の痛みが残っている。だがその痛みよりも、兄との思いつきでやったことで兄が命を落としたこと、父や母、村のみんなに迷惑をかけたことの方が彼には辛かった。本当なら今ごろ、兄弟はヴェルタ村の英雄になっているはずだった。その希望が、レオを襲った短剣により一瞬で暗転し、捕囚という悪夢になっていたのだった。
 兄は、たぶんもういない。はっきりと自分が兄の死を確かめたわけではないが、短剣が突き刺さりぴくりとも動かなかった兄の体をみて、タウラスは兄の死を直感できた。ヨシャブシの上から見ていた、殺された人間の姿と、木から落ちた兄の姿はうりふたつだった。だから彼には変な自信があった。
 無事に帰れたとしても、父も母も、ダグラスおじさんもきっと怒っていることだろう。鉄剣団に入るなんてとんでもない。それどころか、もしかしたらもう家に戻ってくるなと、村から追い出されてしまうかもしれない。少年はそう考え込んでしまい、またひとりですすり泣くのだった。
 ソームが来たころにはさすがにタウラスも落ち着き、というより泣き疲れてしまい、牢屋の隅でうとうとしかかっていた。しかしそこへふりかかってきたのが、ソームの妖しい視線なのだった。
 テントの中にはランプの灯がともっていたが、牢屋の入った広いスペースを照らすにはやや物足りない明かりだった。おそらくソームの座る椅子からはタウラスの表情やしぐさなどは見えづらいはずである。だがそれでも、じろじろとなにかにつけソームは幼い少年の方へ目を向ける。タウラスも気になり、ときどきソームの方をちらと見る。たまにそれで視線が合うことがあって、あわてて目をはずす。あの人はいったい自分の何をみているのだろう。タウラスは気になって自分の体を確かめもしたが、おかしなところはみつからず、ただ気味悪さだけが残るのだった。
 夜が更けた今に至っても、ずっとこの状態が続いていた。するとさすがにタウラスにも睡魔が襲い、牢屋番の視線が気になりつつも、意識が徐々に薄れてきていた。
 と、とつぜん何を思ったか、牢屋番が椅子から立ち上がった。
 タウラスは閉じかかった目でそれを確かめた。ランプの油でも交換するのだろうか。それとも、番をだれかと交代するのかな。
 だが牢屋番のソームは、なぜか少年が閉じ込められている牢屋の入り口にやってきた。
 入り口の扉には大きな南京錠がかけられている。その鍵はソームが腰から下げている。そこにしゃがみこみ、ソームはこれまでよりも近い距離で、タウラスの方をじっと観察し始めた。目を見開いたり、こらしたり、なにかと落ち着きのない表情。
 タウラスは戸惑い、せっかくおとずれた睡魔を払いのけざるを得なかった。いったいこの人はどういうつもりなのだろう。考えても考えても思いつかない。もしかして、僕のことを助けてくれようとしているのだろうか。そんな淡い期待も一瞬抱いたが、それならすぐにここから出してくれてもよさそうだ。なら、どういうことか。
 タウラスは聞いてみようと思った。ようやく、それくらいの元気が出てきていた。
「あの……どうしてさっきから、ぼくの方をじろじろみてるんですか」
 知らない人と話すときはですます調で、と母から何度も言われていた。タウラスはそれを守り、相手の返答を待った。
 ソームは、はじめて口を開いた少年にむけて、にや〜と口角をめいっぱいあげて微笑んだ。
「どうして、だって……?」
 それから、女性にしてはおそろしく低い声で云った。
「それは、お前の体がもうすぐ手に入ると思うと、体がうずくからだよ……」
 そして、ソームは「シシシシシ」という奇怪な笑い声をたてた。牢屋番の豹変ぶりに、タウラスの顔が一気に青ざめる。
「ぼくの……からだ……?」
「そう、そうだ……おまえの体がほしい。ずっと前からほしかったんだ。新鮮なおさない子供の腕、首、内臓、骨、血……ここに来る前は町で子供をつかまえて殺せばすんだのに、この森に逃げてきてからは子供にであう機会がめっきり減ってしまった。お前の体……いますぐほしい……いますぐほしい……ほしいほしいほしい……ああ、もうがまんできない!」
 ソームは憑かれたような目になると、牢屋の鉄格子を激しくゆすった。タウラスは驚き、体顔をひきつらせる。よくわからないが、こわい。自分をみつめる牢屋番の目が異常なものであることを感じとり、タウラスは思わず座ったまま後ずさった。だが、すぐに牢屋の端に当たってしまう。
「ヴェルタ村との話し合いが終われば、この子供を好きにしていい……それまで牢屋番をしていれば……でも、これじゃあんまりだ。目の前にエサがあるのに伏せといわれた犬みたいなもんだ。目の前にあるのに……子供の新鮮な体が……」
 すると、ソームは腰からさげていた鍵をふるえた手で取り出し、入り口の南京錠に差し込んだ。
「ここまでやったんだ……ちょっとくらいいいだろ……そうだ、ハーン様も許してくれる……ちょっとだけ……体の一部だけ……」
 ひとりでつぶやきながら、ソームはついに鍵を回し、牢屋の入り口を開けてしまった。
 鉄格子の扉がひらき、ソームが中に入る。広いとはいえ、しょせんは移動用の牢屋。ニ、三歩で角にいるタウラスのところまでつめよれた。
 見方によっては、これはタウラスにとって牢屋から逃げ出す絶好の機会ともいえた。しかしかわいそうな少年は、ソームの異常に興奮した雰囲気に気圧され、立ち上がることさえできなかった。ただ必死に鉄格子の角に体を寄せようとするだけ。
 恐怖のあまり涙目になりながら、タウラスは弱々しい声で云った。
「な、なにするの……」
 ソームは怪しく笑みを浮かべ、胸のポケットから小さな折りたたみナイフを取り出す。そのときソームのごく浅い胸の谷間が目に入ったことで、タウラスははじめてこの牢屋番が女であることを知った。
「さあ、どこにしよう……どこがいいだろう……切り取りやすいところがいい……耳か……指か……それとも……」
 ソームは少年の頭から首、胸、腹、腰、足と順番にながめる。タウラスはその彼女のなめまわすような視線を、ただ目をそむけて耐えるしかなかった。
 逃げたい。でももう角に追い詰められている。いつもなら兄が助けてくれるはずだった。だがもう勝気で活発な兄の姿が現れることは決してない。頼もしい父ちゃんも、憧れのダグラスおじさんも、ここにはいないはずだ。自分は一人ぼっち。それでも、タウラスは心の中で叫ばずにはいられなかった。
 兄ちゃん……
 父ちゃん……ダグラスおじさん……
 助けて……!
「タウラス!!」
 そのときだった。
 テントの中に、男の大きな声が響き渡ったのは。
 ソームがはっと後ろをふりかえる。タウラスが、テントの入り口の方を見る。
 たよりないランプの灯にかすかに照らされ、そこに男の影が浮かんだ。
 タウラスは感じた。聞きなれたあの声。そしてあのシルエット。
「タウラス!!」
「父ちゃん!?」
 タウラスは叫んだ。そして確信した。
 父ちゃんだ。
 父ちゃんが、自分を助けに来てくれた。
 男の影が牢屋の入り口まで近づく。はっきりとみえた。精悍な顔つき。大きくすんだ青い瞳。手にしたすらりと長い鋼の剣。尊敬する、父親の姿。
 本当に、助けに来てくれた。
 タウラスはすぐにでも走っていこうとした。しかしそれを、ソームがとめる。
「だれだ?動くな。勝手に入ってくるな!」
 ソームが手のひらほどの長さのナイフを、これみよがしにふりまわす。アラウンは牢屋の入り口まで来て、足を止めざるをえなかった。
「おまえ……こいつの父親か!?う、うごくな……うご、うごけば、こいつの指を一本ずつ切り落としてやるからな……」
 言いながらソームはタウラスの肩をつかみ、刃先を少年に向けた。彼女のつかむ手は女のものとは思えないほどの力でタウラスは肩が痛んだが、なんとかがまんした。
「うごくな……うごくなといっただろ!ちょっとでも動けば……」
「……くっ」
 一方、アラウンとしてはこの状況は予想外だった。彼の予定では牢屋番を切り倒した後、鍵をうばって息子を助け出す算段だったが、まさかその牢屋番がすでに鍵を開けて牢屋に入っているとは、考えていなかったのだ。
「タウラス、今助けてやるからな」
「父ちゃん!」
 親子の会話に、自分の趣味の時間を邪魔されたソームは声を荒げた。
「うるさいうるさい!おまえはだまってろ!いいか、いますぐ手に持っている武器を地面に置け!いますぐだ!さっさとしろ!!」
 ソームはもはや完全に、いつもの落ち着きを失っていた。
 アラウンはソームの方をみながら、おとなしく右手に持っていた長剣を地面にゆっくり近づける。
 ゆっくり、本当にゆっくりと。わざとらしいくらい遅い動作で。
 じっとこちらを見ているアラウンに、ソームはいらいらし、目を血走らせながら云った。
「早く武器を置けっていってるんだ!早くしないと、こいつの指を切り落としてやる――」
 そのとき――
 ソームの方を見ていたアラウンの目が、ある動きをとらえた。
 彼が見ていたのは、ソームではなく――
 ソームの腕にかみつこうとした、タウラスの方だった。
「いだあっ!?」
 勇気ある彼の息子は、ソームの手から逃れることに成功した。
 そこに生まれた一瞬の隙を、アラウンは見逃さなかった。
 地面に置こうとした剣を再び握りなおし、二歩、三歩でソームに突進する。
 そして、右手の切っ先で力強く彼女の胴体を突く!
 驚きと痛みで思わずタウラスを離してしまったソームの胸に、アラウンの剣が深く突き刺さった。
 アラウンには、人を実際に斬った経験が先の戦いを含めごくわずかしかない。だが息子を守りたいという強い思いが、彼の右手からのびた剣先を迷わせなかった。
「ぐあっ……あああっ!?」
 アラウンが刺さった剣を引き抜くと、ソームが足をふんばろうとする。しかしそのうちふらふらと後退し、牢屋の鉄格子に背をぶつけた。
 胸から多量の血が流れる。どうやら心臓を傷つけたらしい。
 父の足元に逃げ込んだタウラスに、ソームは赤いものを口からふきこぼしながら、恨むような、悔しがるようなおぞましい目を向ける。アラウンはそっと息子の目を隠した。
「わたしの……わたしの……がらだッ」
 鉄格子から離れようとするが、ソームはそのまま土の地面に倒れこむ。それが、彼女の最期だった。
 牢屋番が動かなくなったのを確かめ、アラウンは自分の足にしがみついた息子に顔を寄せた。すぐに抱きつくタウラス。
「父ちゃん!!」
「タウラス……よかった、なにもされていなくて……」
 アラウンは、息子をいままでになく力の限り抱きしめた。もう決して離すことのないよう、心を込めて。
「タウラス……ごめんな。父ちゃん、レオを助けてやれなくて……」
「父ちゃん、ごめん……ごめんなさい……」
 父も息子も涙を浮かべ、お互いの体温を感じあう。生きて存在しているのだという証を確かめるように。
 レオが死に、鉄剣団の団員にも死者が多く出た。それを感じているだけに、息子が生きていることの実感が、なによりアラウンにはうれしかった。タウラスは、ただひたすら謝りながら泣きじゃくるだけ。
 二人の残影が、弱々しいランプの光の向こう側に照らし出される。人間よりひとまわり大きなその影は、二人のいだく思いの大きさを表しているかのようだった。
 親子の再会。だがそれも、長くは続かない。
 アラウンはタウラスを離すと、すぐにまた顔を引き締めた。ここは敵地の真ん中。ゆっくりしている暇はないのだった。
 そうして彼が息子をつれてテントから出ようとする、まさにその矢先だった。
 アラウンは聞いた。
 わずかな音だったが、たしかに彼の耳に入ってきていた。
 テントに入ってこようとする、土を踏む人間の足音を。
 動きを止めるアラウン。表情が厳しくなる。
 父に続いてタウラスもその音に気づき、身をかたくする。
 信じたくなかった。だが、二人の耳にはすぐそこまで迫った死の宣告のように、どうしようもなく確かな響きとなって届いてくる。
 だれかが来る。
 来るとすれば、盗賊団の誰かしかいない。
 牢屋番の交代だろうか。自分のつきの悪さをアラウンは感じたが、そうとしたところでどうしようもないと腹をくくった。
 その音が、テントをくぐる。
 そこにみえた姿に――
 アラウンは、絶望的な気分になった。
 彼の青い目にうつったのは、黒い、とても黒い影。
 黒い服に、黒く長い髪。
 ランプの小さな灯の下では、それが影そのものにすら見える。
 彼らに向ける瞳は、暗く深いアメジスト。
 アラウンは、左手でタウラスの手をにぎった。
 その彼の目の前に現れたのは――
 レオの命を奪い――
 タウラスを連れさらい――
 鉄剣団の仲間を幾人も殺した――
 死神。
「黒髪の女……リースリング」
 アラウンは、戦場で耳にしたその死神の名を口にした。
 いつものままの冷え切った顔で、夜の闇の中にひっそりとたたずんでいる彼女の名を。




 
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