死神と女神の狭間 第ニ章  

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 それは彼にとって、最悪のシナリオだった。
 グレアムの兄弟の中で、最も正体不明で、最も危険な人物。それが、リースリング。
 一番出会いたくなかった相手。一番避けたかった相手。
 そして――
 一番、地獄へ突き落としたい相手。
 愛するレオの命を奪った、憎き女。
 アラウンの表情が険しくなる。グレアムの兄弟の中に、突然ふってわいたような存在。この女さえいなければ、レオが命を落としタウラスが捕えられることはなかったろうし、鉄剣団の勝利は間違いないものだっただろう。いまのアラウンには、目の前にいる正体不明の女・リースリングが、ヴェルタ村を陥れるためにきまぐれにやってきた悪魔としか思えなかった。
 だが、その胸に湧き上がる思いとは別に、アラウンは彼女にある感想を抱いていた。
 彼女の目。紫色の瞳。
 そこにある、アラウンの気持ちを落ち着かせる色。
 恨みの念をぐっとおさえ、彼はリースリングの様子をながめてみた。こちらの状況を見て――牢屋番が死に、タウラスとここを脱出しようとしているこの状況を見て、彼女はすぐに動きをみせるかと思ったが、テントに入ったきりこちらをただじっとみているだけでなにもしてこない。
 よく見ると、服がところどころすり切れていたり血がにじんでいたりする。首のあたりにもあざがあるようだ。やはりさきほどラスターに暴力行為を受けていたのは、彼女だったのだ。だがそれにしては来るのが早い。たいしたケガではなかったのだろうか。それに、男たちは――?
 様々な疑問がかけめぐりながら、アラウンはリースリングをにらみつけつつ、タウラスを後ろへやる。この子だけは、絶対に自分が守る。そのことを示すように。
 しばし沈黙がおりた。なぜか、リースリングは一向に口を開かない。
 しかたなく、アラウンは自分の方から彼女に話しかけた。
「……どうして、俺がタウラスを助けにきたことに気がついた」
 しかし、リースリングは答えるそぶりを示さない。まるで彼女だけ時間が止まっているようだと、アラウンは思った。
「見逃してくれ、といっても無理なんだろうな。だが、俺はタウラスを助け出す。邪魔するなら……」
 アラウンは剣を構える。タウラスが不安そうにしているのが、彼にはわかった。タウラスにも、彼女がレオに短剣を投げ放った張本人であることがわかっているだろう。だからこそ余計に、自分の後ろに隠れるようにしている。年齢的に、タウラスの中では兄を殺されたことに対する恨みよりも、彼女に対する恐怖の方が勝っているに違いない。
 アラウンがリースリングをにらむ。そこでようやく、彼女が口を開いた。
「……なぜ」
 なぜ。
 短い、ふた文字だけの彼女の言葉。
 アラウンは眉を曲げた。それだけではわからない。
 すると彼女は、また小さな声で云った。
「……なぜ、助けに来たの」
 なぜ助けに来たの。
 アラウンは、心の中で彼女の言葉を繰り返した。タウラスを、なぜ助けに来たのか、ということか。
 どうして、彼女はこんなことを聞くのだろう。アラウンは思った。一人で盗賊団の本拠地に乗り込み牢屋に閉じ込められた息子を助けようとすることなど、あまりに無謀なことだと思っているのだろうか。
 アラウンは尋ね返した。
「親が息子を救いに来るのは当然だろう」
 その言葉に、リースリングは少しだけアラウンの方を見ていたが、やがて何も答えないままそっと視線をはずす。
 そしてそのまま、ひとりごとのように彼女は云った。
「……もし、あなたがその子をここから連れ出すというなら、あなたを見逃すわけにはいかない」
 やはり、すんなり通してはくれない。アラウンの顔が一層厳しくなる。
 しかし、彼はひとつ疑問を持った。彼女の言葉。まるで、タウラスを置いていけば俺は見逃してやるとでも言っているかのようだ。
 アラウンは剣の柄を握る右手に左手を重ねた。どのみち、この女が自分のことを逃がすはずがない。百歩ゆずって逃がしてくれたとしても、息子を置いていくことなど、自分にできるはずがない。
 やはり、選択肢はひとつしかないのだった。
 レオの仇を討ち、タウラスとここを脱出する。
「俺にとって、タウラスはかけがえない息子だ。そしてお前が命を奪ったレオも。お前が俺のことを見逃しても、俺はお前を見逃さない」
 力強く決意するように云い、剣を強く握る。手に汗をかいているのがわかる。ダグラスの予測では、相手はおそらくプロの殺し屋。まともにやりあえば、シロウトに近い自分の腕で勝てる見込みは低い。
 しかしこの状況で、勝算などはかるだけ無駄なことだ。アラウンは迷いを自分の中から追い払った。
 アラウンは完全に戦闘態勢に入っている。相手はなにをしかけてくるのか。見た目には、彼女は何も持っていない。だが戦うつもりがないのに、こんなところにはこないだろう。きっと何かを隠しているに違いない。息子の命を刈り取った短剣か、それとも――。
 そのとき、リースリングの視線がやや下の方を向いた。こちらの足元あたりをみている。
 なにをみている?アラウンは彼女の目線を追った。
 そこにあるものは、自分の斜め後ろに隠れている、タウラスの顔。
 アラウンは警戒する。しかし彼女はなぜかタウラスの方を見ているだけ。
 そして再び、視線をアラウンに投げかける。
 それだけだった。
「……?」
 あまりに小さい彼女の動作。
 なにかを気にしているのか。いったい何を。
 だまったままたたずむリースリング。剣を構える自分。
 その光景を改めて思い、彼は、ようやくはっと気が付いた。
「タウラス」
 アラウンは息子の名を呼んだ。父のすぐ後ろに隠れていた息子が小さく「えっ」と返事をする。
「タウラス、少しの間このテントに隠れていてくれないか。絶対に外に出ないように。外をのぞくのもだめだ。父ちゃん、この人と話があるんだ」
「……はなし?」
「ああ。ちょっとテントの外で。タウラスはテントの中にいるんだ。他の盗賊たちにみつからないようにな」
「いや、いやだ……」タウラスは首を振った。「父ちゃんと離れるの、いやだ」
「言うことをきくんだ、タウラス」アラウンは諭した。「すぐに戻ってくるから。必ず」
 父親に真剣な顔を向けられ、おとなしい性格のタウラスはもううなずくしかなかった。
「父ちゃん……」
「すぐ戻ってくる。心配するな」
「…………うん」
 不安で涙目になりながらタウラスがなんとか声をしぼるのをみて、アラウンもうなずいた。
 そして、リースリングとともに、アラウンはテントを出る。
 リースリングはテントの正面を歩いていく。アラウンもそれについていく。
 静まり返る「グレアムの兄弟」の宿営地。二人の足音と、ときおり聞こえる木々の葉のこすれる音だけが、この真夜中の森を徘徊(はいかい)する。
 やや大きな木の幹の前まで来て、彼女はアラウンを振り返った。木々に囲まれた中で、ぽつんと空が開けた場所。月明かりが、足元に生える草を深い緑に照らす。
「……ここでいい」
 彼女がアラウンに尋ねる。彼は答えた。
「ああ。だが……」
 言葉をとめ、アラウンは云い直す。
「わざわざ気をつかってくれたのか。タウラスが、俺とお前の殺し合いをみないように……」
 彼の言葉に、リースリングはうなずきも首を振りもしない。それが彼女の答え方らしいと、アラウンははじめて思った。
「リースリング、というんだな。デュデックから聞いた。お前には聞きたいことが山ほどあるんだ。レオの仇を討つ前に、少し話してもいいか」
 リースリングはやはり反応しない。ただアメジストの目をアラウンの方へ静かに向けるだけ。アラウンはかまわず云った。
「リースリング。お前の目的はなんだ。なぜグレアムの兄弟に加担する?」
 彼の言葉に、少し間をおいて、彼女は答えた。
「……私があの男たちの仲間じゃ、不都合でもあるの」
「あるさ」彼は云い切った。「グレアムの兄弟自体は、いつどんな人間が入るも抜けるも自由だと聞いた。だからこそデュデックもあっさり侵入できた。そういう意味では、お前が三日前に来たことも不都合はない。だがデュデックの話を聞いて、昨日の戦いを見て、お前はほかのチンピラとは違うんじゃないかと感じた。実力の面ではもちろんそうだが、それよりお前のまとっている雰囲気が、ただの盗賊じゃない、もっとはるかに厳しいもののように俺にはみえる」
 アラウンの言葉に、リースリングはだまって表情を変えないまま。
「ダグラス――鉄剣団の団長が言っていた。リースリングはプロの殺し屋だと。それが、サガンのこんな辺境でいったい何をしているんだ。こんな時期に、こんなところで……」
「……もし私が殺し屋だとして」リースリングは口を開いた。「その目的を、どうしてあなたに言わなければいけないの」
「レオは、お前に殺された」
 アラウンは云った。「なぜレオは死ぬことになったのかを、俺は知りたい。息子がわけもわからないやつに殺されたんじゃ、納得がいかない。お前がいなければ、きっとレオは死なずにすんだだろう。もちろん、お前に殺されたほかの団員達もだ。教えろ。どうしてグレアムの兄弟に加わって、俺たちの村との争いに参加した?」
「……あなたに話す必要はない。それに――」
 リースリングは冷たい目をアラウンに向ける。
「そんなことを知って、何の意味があるの」
「なに?」
「私がそれを話したところで、あなたの子供が戻ってくるわけじゃない。あなたは疑問が解けて満足するかもしれないけれど、それはただあなた自身が楽になりたいからじゃないの」
 彼女にいわれ、アラウンは憤慨するよりも、彼女に対する違った印象をますます強めた。
 アラウンは改めて彼女をながめる。どうみても、十代から二十代のやや幼さの残る顔。殺し屋というものはどのような人間がなるものなのか彼はあまり知らなかったが、たいていは、対人戦闘において突出した技術と経験を備えたもの、もしくは先の牢屋番のように性格的に偏向し、世間からはみだしたもの、といった人間がなるのだろうと考えていた。しかし目の前の女は、そうした彼の中での『殺し屋』像には全くあてはまらない。
 夜の闇の中で、彼女の姿は洗練されていた。それは、盗賊たちの帯びているような野蛮さとは異質の存在。怪我を負ってもそれを面に出さず、常に冷静を装う姿。月の黄色い光で照らし出された彼女の若々しい顔と漆黒に沈む黒髪。孤高、という言葉が一番似合っている気が彼にはした。
「楽になりたい、か」小さく息をつき、彼は云った。
「たしかにそうかもしれん。だが親として、息子をどういった人間に殺されたのか知ろうとするのは当然じゃないのか。俺は、お前のことが知りたい。どうして、お前は殺し屋なんだ。まだ若いのに、しかも女で、どうやって鉄剣団の団員を何人も殺し、ヨシャブシの上のレオやタウラスをみつけて短剣を投げつけられるほどの腕をみにつけたんだ」
 アラウンは一気に云った。しかし、リースリングの答えは同じだった。
「……あなたに話す必要はない」
「なら、さっきグレアムの兄弟のチンピラたちから暴力を受けていたのはどうしてだ」
 その言葉に、リースリングは少しだけ目を細くする。わずかなしぐさ。彼はそれを見逃さなかった。
「ここに来る前に見えたんだ。お前があのラスターとかいうやつに殴られているのを。お前が加担している仲間から、なにか恨みでも買ったのか?いや、それより――」
 アラウンは彼女の瞳をまっすぐに見すえた。
「そんなボロボロの体にされながら、どうしてここに来たんだ。仲間に裏切られたのに、どうしてまだやつらの肩を持つ?」
 答えは、だいたいわかっていた。
 それは、彼女が盗賊たちをはじめから仲間とは思っていないから。
 つまりこれは、純粋にビジネスなのだ。彼女はそう考えている。
 寄せ集めの盗賊とはいえ、彼らには自分たちの集団を維持するための最低限の結束がある。だが、その最低限の意識すら、彼女には無い。
 盗賊団の誰が死のうと、自分が誰を殺そうと、彼女は自分の仕事をこなすことしか考えていない。
 もしかしたらそのあたりのことが、周りのチンピラたちのカンにさわり、さっきの暴力沙汰に発展したのかもしれない。彼はそう予想した。
 彼女がまた、小さくつぶやくように云う。
「……あなたには何も話すことはない」
「それはおかしい」アラウンは云った。
「何か話せることがあるはずだ。でなければ、俺をわざわざここまで連れてこない。本当に俺と話す気がないなら、どうしてテントで出会った瞬間に俺を殺そうとしなかった」
 リースリングは答えない。アラウンが続けて云った。
「鉄剣団の仲間は、みんなお前のことを死神だと言った。人の命を軽々と刈り取る、冷酷な悪魔の女だと。俺も最初はそう思っていた。でも、お前がタウラスの前で俺と戦うのを避けようとしたから、少し見方が変わった。それくらいの分別はある人間なんだなと思った。だから少し、話をしてみたかったんだ。お前もそれが目的だったんじゃないのか」
 アラウンが言い終えると、リースリングはようやく答えた。
「……それは、あなたの勘違い。ここに来たのは、テントを汚さないようにしたかったから」
「ウソだな」アラウンは云ったが、もうそれ以上言葉を継がなかった。これ以上彼女と話すゆとりはない。
 リースリングは左の袖に右手を差し込むと、布地の裏にでも仕込んであったのか、そこから小さなナイフ状の刃物を抜き出した。アラウンも剣を構える。
 相手は、プロの殺し屋。まともにやれば勝算は低い。だが彼女がラスターらに痛めつけられたことは、アラウンにとって少しの希望だった。もしかすると、先の戦いのときより動きはにぶくなっているかもしれない。げんにいま刃物を取り出そうとした左腕にも、大きな切り傷がついて――
 そこで、アラウンはふとしたことに気が付いた。
 違和感が残るその光景。リースリングの左腕の切り傷。布地が完全に切り裂かれている。傷はかなり深く、大きいに違いない。
 だが――
 そこには、当然あっていいはずの血のあとが、全くない。
「――左腕、かなり深い傷のようだが……」
 アラウンは聞いた。
「どうして血が出ていない」
 アラウンの質問に、リースリングはすこしだけまぶたを下げた。表情がかげったようにもみえる。
 そしてまたアラウンの方を見て、彼女はつまらなさそうに云った。
「……あなたたちが言う、死神だからじゃない」
 笑えない冗談だ。アラウンは思った。
 黒髪の女と対峙する。緊張からか、アラウンは両手に汗をかいた。
 レオの仇。この女だけは、俺が必ず――
 じりじりと、二人の距離が狭まる。アラウンは地面をすりながら両足を慎重に進める。リースリングは右手に刃物をもったまま、半歩ずつ詰める。
 あの刃物を投げてくることはわかっている。どうにか接近して、一撃だけでも――
 張り詰める空気。包み込む静寂。
 風もふかない。月の明かりだけが静かに降り注ぐ。
 あるのは、二人の足を草がすれる音。地面をふみしめる音。
 そして、二人の重い息づかい。
 その緊張に耐えかねたのか――
 バサッ、と。
 近くにいたらしい鳥が、急に木の枝から羽ばたいた。
 それが、二人の戦いの合図だった。
 羽音とともにアラウンがふみこむ。全神経を、女のもつ刃物に集中させて。
 予想通り、アラウンが近づく前にリースリングは右手の中のものを投げ放った。小さく鋭い刃が、一直線にアラウンの頭部を狙う。
 それはアラウンの想像していたスピードを上回っていた。だが――
 その一閃を、彼は紙一重でかわす。
 そのまま、手にした長剣を目の前に突き出す。さきほどソームを刺し倒したときと同様に、一分の迷いもなく。
 月明かりに光る剣先が、リースリングの胸元を突く――
 だがこれを、彼女はアラウンの右手側にかわす。紙一重で。
 受身の態勢がとれないアラウン。足をふんばり、リースリングのかわした右手側に思い切り剣を振り払う。
 それを後方に跳びかわすリースリング。かわしながら――
 彼女が右手を一回、二回振るう。その手から、小さな円盤状のものが放たれる。
 また飛び道具だ。アラウンは反射的に飛んできたものを剣で払い上げ、払い落とす。
 気がつくと、リースリングが視界から消えていた。
「――?」
 消えた――?
 彼は周りを見回す。回り込まれたか。後ろを振り返る。いない。
 どこに――
 そのとき。
 彼の後頭部に、強い衝撃が走った。
 耳元に響く、にぶい音。
「がっ!?」
 視界が揺らぐ。
 そのまま、アラウンは前のめりに地面に倒れる。
 頭に、リースリングが放ったものをぶつけられた。そのことを、アラウンは認識した。
 なんとか両手を前に突き出して受身をとる。だが、もう意識が半分消えかかっていた。
 どうやって――?
 後ろには誰もいなかった。なら、なぜ。
 彼は薄れゆく意識の中で、必死に考えをめぐらせた。
 左右でも、前後でもない。ということは――
 真上?
 上空から、ぶつけられた?
 彼は確かめようとした。しかし、もう体が動かない。
 肩に力を入れようとする。だが体は逆に地面に転がる。遠くで、剣が落ちる音が聞こえたような気がした。
 あっけない決着。
 実力差を考えれば、それは当然かもしれなかった。
 だがアラウンの心は、消えかかる意識の中で、奮え立とうと必至にもがいた。
 こんなところで――
 レオの仇も討てず、タウラスも助けられず――
 俺は――
「タウラス――レオ――
 サンドラ――」
 アラウンの意識が、消えていく。
 その中で、かすかに彼は、愛する家族の名前を口にした。
 力なく、アラウンが倒れ去る。幕切れだった。
 そして――
 リースリングは――
 彼の背後の地面に、全く平然とした表情で降り立った。
 彼女の手口。
 それは、ラスターと勝負したときと同じものだった。
 彼女は常人とは思えないジャンプ力で飛び上がり、アラウンの視界から消えた。そしてアラウンの頭上から、手にしていた小さな凶器を投げ放ったのだった。
 時間にして、十数えるに満たない、短い戦闘。アラウンの意志はかなうことなく、殺し屋の足元に沈んだ。
 アラウンはもう動かない。リースリングはゆっくりとした足取りで、彼のそばに近づく。まるで自分のこなした仕事の成果を確かめるように。
 そして彼女は、誰にも聞こえないようなわずかな声で、彼に云った。
「……一人で助けに来るから、こんなことになるのよ」




 
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