死神と女神の狭間 第ニ章  

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「――バカバカしいな」
 時間は、まだ深夜。
 月が中天を過ぎ、誰もが完全に寝静まったころ。昼間は元気に動き回っていた獣や鳥たちも眠りにつき、夜行性のモリオオカミでさえ中休みをとるような時間帯。
 そんなときにあわてたゴブにたたき起こされたハーンは、不機嫌そうにまずゴブの頭をごついた。こんな時間にどうした。いい夢みてたのに、邪魔しやがって。
 頭を痛そうにおさえながら、ゴブはリースリングを連れてきたことを告げた。ハーンがみると、テント内にはいつものように革のジャケットを着た――先の服はすでに着替えていた――リースリングの姿があった。
 彼女は今夜の一部始終について手短に話した。ラスターほか二人が自分に暴行を加えたこと、その三人を殺したこと、その後に人質の父親が単身乗り込んできてソームを斬ったこと、その父親を自分が始末したこと。ハーンは眠気まなこだった顔をすぐに目覚めさせ、ときおり驚き、ときおりうなずきながら、彼女の話を聞いた。
 話が終わり、ハーンは大きくため息をついた。そして出た言葉が、冒頭のものである。
「ラスターめ、そんなに肝の小せえやつだとは思わなかったぜ。でかいのは体だけじゃねえか……。おいリースリング。お前、やつにひでえケガ負わされてねえだろうな」
「べつに……大丈夫」
 やはりなんでもないというふうな顔で答える彼女に、ハーンはもう慣れた口で云った。
「ま、いまのけろっとした表情を見ればわかるけどな。どうせなにもさせずにあっという間に片付けたんだろ」
 リースリングはなにもいわず、ただ平然としているだけ。
 彼女はハーンに「ラスターらに暴力を振るわれた」としか云っていなかった。そのためハーンは何も気づかず、ただ簡単にリースリングがラスターらをばたばた倒していったのだとしか考えなかった。
「ソームも殺されちまったか。ちっ。あんな素人野郎に負けるなんざ、ソームの実力もたいしたことなかったな。いま牢屋番は別のやつがついているのか」
 ハーンがゴブの方を向いて云う。
「へ?い、いえ……いまはだれも」
「バカやろう!じゃあいまはだれもあのガキをみてるやつはいねえのか?その間にまた誰かきて人質をさらっていったらどうする気だ!早く見張り番のやつらからだれか、牢屋に張りつかせろ!!」
「へ、へえ!」
 ゴブが焦ってあしもとのでっぱりにつまづきながら、テントを走って出ていく。それを、ハーンはため息で見送った。
「まったく、それくらい頭回せってんだ。――それで、その人質のオヤジはきっちり始末したんだな」
 リースリングはだまってうなずく。
「あのガキ、オヤジが殺されてまた泣きわめいてたんじゃないのか」
「……テントの外だったから、子供のことはわからない」
 彼女の答えは相変わらずそっけない。それがむしろ、ハーンにはいまや安心感となっていた。こいつが取り乱すようなことがあれば、よほどの一大事だ。そうでなければ、たいがい大丈夫だろう。
「ま、とにかくよくやってくれた。あのガキがいなくなっちゃ、こっちの計画はまるつぶれだからな。万事解決だ」
 あやうく人質を失いそうになったことを反省することなく、彼は人質が無事である事実に安心しきっていた。
 その後、彼はひととおりラスターやソームのことでぼやいてから、リースリングを適当にねぎらい、もう寝るよう促した。あくびをひとつ。また眠気が襲いはじめていたようだった。
 椅子から立ち上がりテントの奥へ下がろうとする。そのとき、リースリングが口を開いた。
「……わかってると思うけど」
「あん?なんだ」
「……あと一日。私がここにいるのは」
「ん、そうだったか?オレの記憶じゃ、もう半月くらいはいっしょに来てくれる予定なんだがな」
 頭をかきながら、ハーンはとぼけてみせる。しかしリースリングから刺すような視線を向けられ、彼は苦笑した。
「ああ、ああ。わかってる、わかってるって。あと一日だ。そうだったな」
 いたずらっぽく手を振りながら返事する彼に対し、リースリングはいたって真剣な表情で云った。
「……本当に、あなたは知っているの」
 その言葉に、ハーンは手振りを止める。リースリングは静かに、だが確実な口調で云った。
「『蒼い蛇』のこと。もし次の晩を過ぎて、知らないということなら――」
「心配するな。その点は、大丈夫だ」
 リースリングが言い終わるのを待たずに、ハーンは答えた。その言葉のときだけ、なぜかハーンの顔はやつれた表情になった。
「教えてやるさ。いくらでも。お前の知りたがっている『犯罪者』のことをな」
 彼がそういうと、リースリングはもう何も云わなかった。
 そこへ、ゴブが戻ってくる。
「しゅ、首領。牢屋番にダンをまわしやした」
「そうか。人質は逃げてなかっただろうな」
「へえ、だいじょうぶでやした。ただガキが父ちゃん父ちゃんってうるさくて、黙らせるのにてこずりやした」
「いくらでも泣かせておけ。泣いたって父ちゃんは戻ってこねえんだからよ。なあ、リースリング」
 彼がふったものの、リースリングは目をそらすだけだった。
 ハーンは小さく鼻で笑ってから、ゴブに云った。
「ゴブ。リースリングのテントに、行商人からとったクリスタルの腕輪をもっていってやれ。功労者だからな」
「へ、へえ、わかりやした!」
 ゴブがすぐにまたテントを出て行く。リースリングが「べつにいらない」と云いかけたが、ハーンはそれをさえぎった。
「報酬だ。時間外手当だと思ってくれりゃいい」
 ハーンは言いながら、テントの奥に垂れ下がった布をひきあげる。と、彼は気がついたように再びリースリングの方を向き直った。
「リースリング。どうだ、最後の夜くらい。こっちにきてオレと燃えあがってみねえか――」
 だが、すでにリースリングはテントの外へ出た後だった。
 ひとりで苦い顔をするハーン。
「……早いな」
 つぶやき、ハーンもテントの奥に消える。
 そうして、彼はリースリングに聞かれたことを思った。
 蒼い蛇。
 本当に、あなた知っているの。
『蒼い蛇』のことを。
「本当に知っているか、だって?」
 彼はランプの光が届かない暗闇の中で、ひきつるように笑った。
「ああ、知っているさ。やつのことなら、頭のてっぺんから足のつま先までな……」
 言葉とは裏腹に、彼の顔がなぜか苦しそうにゆがむ。だが、そこに浮かぶ憎しみに染まったしわの深い肖像は、闇に沈んで誰からも見られることはなかった。





「リースリングさん、お待たせしやした!」
 リースリングが自分のテントに戻ってすぐに、ゴブが息を切らせながら走ってきた。
「首領に言われたとおり、クリスタルを持ってきやした!開けてくだせえ」
 呼びかけると、テントの入り口の幕が開き、リースリングの姿が見えた。
「……べつにいらないっていったのに」
「そりゃもったいねえですよ!こんな貴重なもの、なかなかお目にかかれやせんぜ」
「……あなたに、これが貴重かどうかなんてわかるの」
「え?い、いや、そりゃ、その……と、とにかく見てくだせえ」
 そういうと、ゴブが布切れに包んでいたものをひらく。中から、透き通った薄い青色が沈んだ美しいクリスタルがいくつもはめこまれた腕輪が姿をあらわした。
「ね、高価そうでやしょ?」
「…………」
 リースリングは彼の手から腕輪をとり、しばらくながめまわした。
 そしてそっと、ゴブの手に戻す。
「……これ、偽物よ」
「え……ええっ!?」
 ゴブが腕輪を確かめる。そして同じようにながめまわす。
「にせ……にせもの……?」
「……光り方が違う。それに、変な傷がついている」
「ど、どこでやすか?」
「……それに、周りの金属の部分、一ヶ所はがれてる」
「はがれてる……?」
「……安い素材に塗料をぬっただけ、ということ」
 リースリングのあまりにあっさりした言葉でかたづけられた腕輪を、ゴブは信じられないという様子でひたすら凝視する。
「でもこの腕輪、行商人が大事そうにかかえていて、それを無理やり奪ってやったんだって首領が……」
「……ハーンがウソついたんじゃない」
 ゴブはショックであいた口がふさがらなかった。
「しゅ、首領が、ウソを……?いや、そんなはずはないでやす!こんなきれいな腕輪、見たことがねえでやすよ!」
「……たとえば、この部分」
 と、リースリングが再びゴブの持つ腕輪を取り、その一部分を指し示す。ゴブがあわててつめよる。
 そのとき。
 あまりにとりみだしていたのか、ゴブはハーンのテントからあわてて出ようとしたときと同じように、地面の石につまづいた。
「うわっ!」
 そしてそのまま、彼の肩がリースリングにぶつかり、彼女を巻き込んで倒れる。
「……!」
 バランスを崩したように、力なく背中から倒れるリースリング。
 同じように前から地面にぶつかり、いたがるゴブ。
「いたた……」
 のろのろと立ち上がり、彼はリースリングにぶつかったことを謝ろうとした。
「……す、すいやせん、リースリングさん……」
 彼は頭を下げておそるおそるリースリングのほうを見る。
 だが――
 ゴブは彼女の姿を見て、戸惑った。
 ゴブに倒された彼女は、まだ地面に横倒しになったまま起き上がっていない。
「――リースリングさん?」
 ゴブは妙な感じを受けた。倒れたままのリースリング。体が小刻みに震えている。
 いつもと違う様子に、ゴブはまたあわてはじめた。
「リースリングさん!?大丈夫でやすか?まさか、打ちどころが悪かったんでやすか!?」
 ゴブがおろおろしていると、リースリングは小さく声を上げた。
「……大、丈夫……」
 ふりしぼったような声でそう云うと、彼女はごくゆっくり、立ち上がり始めた。ゴブは気づかなかったが、彼女は体のどこかをかばっているようにもみえた。
 実のところ、彼女の倒れ方も不自然だった。ゴブがいくら急にぶつかってきたとして、地面に倒されるほど彼女が無防備であることは、これまでの彼女の油断のない態度から見ておかしかった。だがゴブはそんなことなどつゆとも気にとめず、泣きそうな顔で彼女の周りをうろちょろするだけだった。
「すいやせん、リースリングさん!わしが……わしがつまづいてぶつかっちまったばっかりに……」
「……あなたのせいじゃ、ない……。だから気にしないで」
「じゃ、じゃあ、どうしたんでやすか……。どこか悪いところでも――」
「……大丈夫。大丈夫だから」
 そう云って、リースリングはゴブに顔を向ける。その表情はいつもよりぎこちなかったが、ゴブにはそこまで深く他人の顔色をうかがう習慣はなかったため、それ以上のことは分からなかった。たとえなにか気がついたとしても、それを問う勇気はゴブにはなかっただろう。
「ほ、本当でやすか……それならいいんでやすが……あ、あの」
 そして申し訳なさそうに、彼は地面に落ちた腕輪を拾ってみせる。
「この腕輪は……」
「……いらない……けど」
 すると、リースリングは彼の手から腕輪をつまみあげた。
「……もってきたなら、もらっておく」
「そ、そうでやすか……!」
 ゴブが一気にほっとした表情になる。そして、それを包んでいた布切れも彼女に渡す。
「でも、この腕輪が偽物なんて、オレたちゃだれも気がつかなかったでやすよ。こんなきれいな物、見慣れてねえもんだから、つい本物だと思っちまった。さすがリースリングさんでやす」
 尊敬のまなざしで、背の低いゴブがリースリングを見上げる。その卑屈で腰の低い態度を、彼女は若干細めた目でながめた。
「……ひとつ、聞いていい」
「へっ?」
 彼女の方から言葉をかけられるのははじめてだったため、ゴブは驚いてなぜか半歩後ずさった。
「な、なんでやしょ……?」
「あなたは……どうしてそこまでハーンに肩入れしているの」
「か、肩入れ……でやすか」
「そう。あなたがハーンについていく理由は、なに」
 もうすっかり元の無表情の顔を取り戻したリースリングが、ゴブにそう尋ねた。
「わ、わしは……首領に、命を助けられたからでやす」
「……」
 黙ってみつめるリースリングに、ゴブはさきほどと違ったやや落ち着いた表情で話した。
「わしは、サガンの鉄鋼場で使用人をやってたんでやすが、ドジ踏んじまって、町を通りがかった貴族のだんなに運んでいた昼飯をぶちまけちまったんでやす。だんなは怒ってわしをつかまえようとしやした。わしはつかまったら命はねえと思ったんで、必死で町中を逃げ回ったんでやす。そうしたら偶然、首領とお仲間がたむろしていた路地裏に出たんで……
 わしはもう無我夢中で首領のいるところに入っていったんでやす。そうしたら首領は、後ろから追ってくる貴族のだんなの遣いをいきなり斬り倒したんでやす。まだわしはなにも言ってなかったのに……首領は、わしの風体と状況から、だいたい事情を察したんでやしょうね……
 それから首領とお仲間は、逃げようとしやした。わしにも声をかけてくださったんでやす。いっしょにくるか、って。わし、どうせ工場に戻ってもろくな扱いはうけねえと思ったから、そのまま首領についていくことにしたんでやす」
 それを聞いたリースリングは、云った。
「……あなたこそ、ハーンが何者なのか、何も聞かずについていったの」
「へ、へえ。首領が何者でも、あっしの命の恩人なことに変わりはねえんで」
 それから二、三言葉を交わし、ゴブはそそくさと去っていった。
 その姿を、リースリングは思わしげなアメジストの瞳でながめる。
 テントの前。腕輪をもち、彼女はテント内に入ろうとする。
 そうして一歩踏み出したとき、また彼女の顔が少しゆがんだ。
 右のわき腹あたりをおさえる。肋骨の最下部あたり。
 リースリングは少しだけ考えにふけるように立ち止まった。しかしそれもほんの少しの間で、またすぐに歩き出し、テントの中に姿を消した。
 あいかわらず、月の明るい静かな夜は続いている。今夜は一晩中静寂が続くようだった。





 それは、明け方のことだった。
 長い夜が明け、太陽が顔をのぞかせようとするわずかな時間。薄暮の村のある家に、大きな声が響いた。
「ばかやろう!!」
 さけんだのは、アゴにひげをたくわえた鉄剣団の団長・ダグラス。
「アラウンのやつ……どうしてオレに言ってくれなかったんだ!」
 憤慨するダグラスの前には、アラウンの妻・サンドラの姿があった。明け方になっても結局夫は戻ってこず、やむなく彼女はダグラスのもとに向かったのだった。
「サンドラも、もっと早くに教えてくれれば……」
「だって、アラウンが……」
 サンドラは声を震わせる。ダグラスの目が、いつになくやりきれない怒りに満ちている。サンドラはその彼の真剣さに、圧倒されていた。
「アラウンが……明け方になるまで誰にも言うなって……」
「オレもとめたんだが、だめだった」サンドラの横にいたデュデックがフォローした。「鬼気迫る顔っていうのかな。あいつ、全部腹を決めちまったらしかった」
「それでもオレなら止めている」ダグラスは云った。
「ひとりでグレアムの兄弟の根城へ忍び込んでタウラスを助け出すなんて、無謀過ぎる。もしつかまったり殺されたりすれば、やつらはそれをタテにして人質交渉のときにさらに法外な条件をつけてくるだろう。そこまであいつは考えていたのか?絶対止めさせるべきだったんだ!」
「邪魔したら斬るといわれてもか」
 デュデックはダグラスの強い言葉を受け流すように云った。
「剣を抜いて、オレに剣先を向けやがった。多少、気が狂っていたのかも知れんな。あいつ、子煩悩だから」
「アラウンは、気なんか狂っていないわ」
 サンドラが対抗するように云う。しかし、口調にいつもの覇気が感じられなかった。
「私だって、どれだけそうしたかったか……。あのひとは責任感が強いから、ヴェルタ村に迷惑をかけたことを気にして……」
「それにしたって、なにか方法はあったはずだ。ひとりでなく数人で潜入するやり方もあっただろう。どうしてそんなところで気を遣うんだ……」
 机を叩こうとし、やめる。ダグラスは興奮していた自分をようやくおさえにかかった。奮える腕をもう片方の腕を重ねることでしずめる。
「……すまん、お前たちに言っても仕方がないな」
「いいえ、いいのよ、ダグラス……。私が悪いんだわ。アラウンの言うことなんか無視して、早くあなたに伝えればよかった」
 そしてサンドラは息をつく。その場にいた全員が、アラウンのことを心配し、首をうなだれる。
 アラウンが出て行った時刻からいままでの時間があれば、グレアムの兄弟の宿営地がよほど遠くにつくられていない限り、あるいは途中で道に迷いでもしない限り、行って戻ってくることは悠々可能だ。彼になにかあったのか。その『何か』について、誰もつきつめて考えようとはしなかった。
 ダグラスがそっと村長の方を見る。高齢の村長もこの急な集まりに積極的に顔を見せていた。
「村長、申し訳ありません。俺がもっとちゃんとあいつにいっておけば、こんなことには……」
「いまからいうても仕方ないて。それに、自分の子供の安否が心配な親の気持ちはわしにもよくわかる。ダグラスさんもそうじゃろう」
「…………」
 ダグラスは黙ってしまった。
 もし仮に誘拐されたのが、自分の息子だとしたら――。
 だからこそ、アラウンの行為を口惜しがることはあっても、非難することは彼にはできなかった。
 沈黙がおりる。朝の鳥のさわやかな声が、かすかに彼らのいる村長の家の窓からもれきこえてくる。それは、いま彼らの置かれている深刻な状況とはあまりに正反対の平和な世界だった。
 白み始める空。太陽の光が徐々に差す、低い窓。
「村長」
 ダグラスは腕を組みながら、ようやく口を開いた。どこか決意のこもったまなざしを年老いた老人に向けて。
「総攻撃を――『グレアムの兄弟』へ向けて、こちらから攻め込みたいと考えています。これからすぐに」




 
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