死神と女神の狭間 第ニ章  

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 あいも変わらず、彼女は落ち着き払っていた。
 人質が逃げ、ハーンが重傷を負い、盗賊たちの大半が倒されたこの絶対的に不利な状況において、なおも黒髪の女はつややかで平然とした表情を崩していなかった。まるでいまの状況が分かっていないのではと思わせるくらいに、その態度は平坦だった。
 リースリングがやってきてまず声をかけたのが、ハーンだった。
「リ、リースリング……おせえんだよ!!こんなときに限ってどこで油売ってやがった。お前が遅かったおかげで、オレがダグラスとサシでやりあう羽目になっちまったじゃねえか!」
 リースリングはちらとハーンの方を見て、彼が腹部に傷を負っているのを確かめる。そして少しはなれたところに転がっているゴブの亡骸に目を移す。
「……ゴブも、やられたのね」
 そう彼女が小さくつぶやく。ハーンは呼応した。
「そうだ。ゴブもやられちまった。お前のせいだぞ、リースリング!お前が肝心なときにのろのろしてるから――」
 不満をもらすハーンの言葉を聞いているのか聞いていないのか分からない顔で、リースリングは視線をハーンからはずして少しうつむく。
 そして今度は、ダグラスの方を向いた。
 このとき、ダグラスはリースリングとはじめて正面から向かい合った。
 大きな目をきつく細め、彼はリースリングの表情を探るように見る。色のない顔。両の瞳に深いアメジストが沈んでいる。ひどく虚ろな紫だと、彼は感じた。
「リースリング、と言ったな。俺は鉄剣団の団長、ダグラス=エシアンだ。お前に聞きたいことがある」
 リースリングは何も云わない。彼はにらみつけるような目つきで云った。
「リースリング。お前はなぜ『グレアムの兄弟』の片棒を担いでいる?みたところ、お前はプロだ。裏の世界で暗躍する、その道の専門家だと思う。他の盗賊たちとは決定的に違う実力と、冷静さをもっているようだ。それほどの腕のお前が、なぜこの盗賊たちに力を貸している?」
 ダグラスが尋ねる。すると、リースリングはしばらく間をおいてから、ひとりごとのようにかすかな声で答えた。
「……さっきタウラスを助けに来た男も、同じことを聞いてきた」
「なに?」
 ダグラスはその小さな声を聞き取った。
「ということは、お前がアラウンを――」
 ダグラスの問いに、しかしリースリングは答えない。それは無言の肯定だと、ダグラスはとらえた。
 ダグラスの腕に力がこもる。くやしさとあきらめとが、彼の心をきりきりとしめつけた。
 まだアラウンが殺されたとわかったわけではない。だから希望を捨てないようにしようと、彼は考えていた。だが、この殺し屋の手にかかったとなれば、望みは限りなく薄まる。
 団員たち、レオに続いて、アラウンまで。
 この女が――。
 ダグラスは自分の中に沸き上がってくる激しい怒りを感じた。それを、冷静なもう一人の自分がおさえる。
 怒りにわれを忘れては、この女に勝てない。デュデックが例えた、この『死神』には。
「リースリング……大事な仲間たちの命を奪ったこと、決して許さん」
 大剣をかまえ、彼はリースリングとの闘いを始めようとした。
 周囲ではいまだ鉄剣団とグレアムの兄弟との戦闘が繰り広げられていたが、おおかたの勝負はすでについていた。盗賊たちを倒した団員たちが一人、またひとりとダグラスの下へやってくる。そこで彼らの目に入ったのは、ダグラスと黒髪の女が対峙する光景だった。
 デュデックも戦いを忘れ、ダグラスとリースリングの闘いを不安そうに見つめる。
(ダグラス――たのむぞ。その女さえ片付けば、俺たちの勝利なんだ。俺たちの戦いが終わる)
(サガンの鉄兵、それもトップクラスにいたダグラスだ。まず心配ないと思うが――あの女、どんな卑怯な手を使ってくるかわからんからな。油断は禁物だぞ――)
 一方、ハーンのところにもニ、三人のチンピラたちがほうほうの体でやってきていた。しかし彼らに返事をするだけの余裕が、重傷を負ったハーンにはもはやなかった。
 倒れた体をなんとか片手で起こし、闘いの行方を見守るだけ。
 こんな簡単にやられちまうなんて、情けねえ。所詮、オレの実力なんざ、こんなものだったってのか。
 リースリング――。
 彼は青ざめた顔で、最後の支えとなった彼女の方を見た。
 袖から小さく平らなナイフを取り出す。その顔は、いつもとやはり変わりない。
 平然と殺し合いに向かい、平然と人の命を奪う。
 殺し屋にこれ以上向いた人間はいないのかもしれない。
 ハーンはそう思った。そして彼女と向き合うダグラスも、そう感じていた。
 人の命を雑草のように簡単に刈り取る女。常に表情を崩さない、冷酷で非情な女。
 この女には、本当に血が通っているのか。
 ダグラスがリースリングをにらむ。彼女が手にしたナイフ。おそらくそれを投げてくるのだろう。鎧が覆いきれていない顔や首、手足の先に注意を払う。
 彼は左斜め前に足を運ぶ。どうにかして距離をつめなければ、この大剣を振るうことができない。
 リースリングは右手に刃物を持ち、ゆっくり腕を下げる。ひとたびそれを振りあげれば、鋭いナイフが飛んでくる格好だ。
 ダグラスはさらに足を進める。徐々に彼とリースリングの間が縮まってくる。
 もう一歩ふみこめば剣が届く。その距離まできた――
 その瞬間。
 リースリングは、腕をすばやく振り上げた!
 ダグラスとしては、完全に予想していた行為。かわした途端、彼は女のふところに飛び込もうと――
「――なに!?」
 しかし。
 ダグラスには、それができなかった。
 飛んでくるナイフの速さが、彼の想像をはるかに超えていたのだ。
 キインッ、と金属のぶつかり合う高い音が鳴る。
 彼は襲いかかってきたナイフの切っ先をかろうじて大剣で弾いていた。そうするだけで、精一杯だった。
 おもわず数歩後ろに下がり、また彼女との距離をとるダグラス。
 周囲には、リースリングの放った刃を見事に受け流したように見えていただろう。だが彼の心中に響いた衝撃は、大きかった。
(――なんだ、いまの速さは?)
 人間が投げた物の速さはたかが知れている。それも大きく振りかぶて投げたのでないのだから、そんなにスピードの出るはずがない。彼はそう考えていた。
 だが、いまの速度は尋常ではない。まばたきをすればもうかわせない。仲間たちが次々と彼女の投げる刃に倒れていった理由が、いまはじめて分かったような気がした。
 そこへ、背後からデュデックの声が飛んだ。
「ダグラス、気をつけろ!あの女は、お前の頭の上を飛び越えるくらい飛び上がって、いまみたいにナイフを投げてくるぞ!!」
 ダグラスはそれを聞き、デュデックとの会話を思い出した。たしか、ラスターという大男を彼女が倒したときに、デュデックがみたあの女の闘い方だ。
 彼の忠告をしっかり頭に入れる。緊迫した状況。
 カギは接近戦だ。そこへ持ち込めば、こちらに分がある。
 ダグラスが再び慎重に近づく。リースリングは再び袖から小さく平たいナイフを取り出す。服に仕込んでいるのだろうか。一体何本くらい用意しているのだろう。
 ふと、彼は思った。
 もし仕込んでいる全てのナイフを使わせれば、あの女はもう何もしてこられないのではないか。
 ナイフは小さく細かったが、それでも彼女のか細い袖に仕込める数は知れている。二本、多くても三本だ。両腕で六本。
 つまり、残り五本もかわせば、あの女の凶器は底をつく。
 ダグラスは、試してみることにした。
 またさきほどと同様に近づく。リースリングも、また同じく構える。
 じっくり、ゆっくりと。
 また同じ間合いでしかけてみる。大剣を握りしめ、ダグラスがにじり寄る。
 だが今度は――
 リースリングのほうが先に動いた。
 腕を振り上げる彼女。再び、ナイフがとてつもない速さで飛び出す。
 先ほどの速度が頭に入っていたダグラスは、それを大剣ではじき返す。
 だが、今度はそこへ――
 彼がはじき返したナイフのすぐ後ろから、もう一本の刃物が彼の頭部めがけて飛んでくる!
「――!!」
 ダグラスは反射的に首を横に傾けてかわす。
 刃物は、彼の顔をかすめ――
 そのまま、ずっと後ろにあった樹木めがけて飛んでいき――
 その太い幹に突き立った。
 間一髪。
 彼は、リースリングの放った二連のナイフを回避した。
 ほおからうっすらと血がにじみでる。ダグラスは心に冷や汗をかき、ほおの痛みに気づかない。
 いったい、どうやって――
 体勢を立て直しながら、ダグラスは考えた。そしてふと、はじき返して前方に落ちたナイフをみる。
 小さく平たいナイフ。その形状を見て、彼は気づいた。
 あれだけ薄い刃物なら、二つに重ねても遠間から見れば一本に見える。
 おそらくあの女は、二本の刃物を同時に手に持ち、連続で投げ放ってきたのだ。
 ダグラスは剣を構え直し、再度彼女に近づこうとする。
 リースリング。彼女が暗殺のプロであることを、彼は確信した。
 人を殺めるために洗練された技。彼女の右腕には、幾人もの命を刈り取った死神の鎌が仕込まれている。
 彼女は早々に次のナイフを手にしていた。右袖から左手でナイフを取り出し、右手に持ちかえる。
 それをみて、ダグラスは思った。
(やはり、片方の袖に三本。残りは三本のはずだ)
 さらに、彼には二点気づいたことがあった。
 彼はさきほどよりも大きく左に回りながら、リースリングに近づき始める。彼女は右手にナイフをもったまま、ダグラスの動きに合わせ、体の向きを変える。
 一点目は、ナイフを投げる手だった。
(あの女、わざわざ左手で袖から出したナイフを右手に持ち替えた。さっきも左手は使わずに、右手で二本を投げた)
(右利きだから、左ではあのナイフを投げられない、投げても狙いが定まらないということだろう。それなら――)
(左回りで近づけば、つまりリースリングから見て右へ右へ近づくようにすれば、多少なりともこちらを狙いにくくなるはずだ)
 大きく横へスライドしながら、少しずつリースリングとの間をつめる。彼女の方は、放った凶器がかわされたことなどつゆとも思っていないとでもいうかのように、いまだ色の無い表情のまま。ただナイフを右手にもち、体の向きを変える。
 ダグラスが気づいた二点目は、リースリングの足がほとんど動かないことだった。
 闘いが始まってから、彼女はほとんど最初の位置から動いていない。さきほどダグラスがほおに傷を受けたときも、彼女は第ニ、第三の攻撃を繰り出してこず、その場に止まったままだった。
 理由は分からない。それだけに、妙にひっかかるものがあった。なにか企みがあってのことかもしれない。
 ダグラスは体中の全神経を最大限に張りめぐらせて、リースリングに近づく。にらみ合いを続けながら。
 残りは三本。
 ダグラスがかなり近い位置までリースリングに近寄る。もう一歩踏み出せば――
 そこまできたとき。
 リースリングは、手に持っていたナイフを投げ放った!
 だが今度は、その速度が拍子抜けするほど遅い。
 さきほどまでの鋭さが嘘のようなスピード。彼女の放ったナイフが一本か二本か見極めるのに、ダグラスはさして苦労しなかった。
 少しの戸惑いを心の底に沈め、瞬時に判断する。向かってくるナイフは、一本だ。
 それを確実に剣でなぎ払う。小さなナイフが軽い金属音をとばしあっさり弾かれる。
 そのまま、ダグラスは一気にリースリングのそばまでふみこむ。
 右袖からさらにナイフを出そうとしたリースリングは、それを右手に持ちかえようとする。
 だがそれより先に、ダグラスがすかさず間合いをつめる。
 はじめて大剣が届く距離に、リースリングを追いつめた。
「もらった!!」
 ダグラスが大剣を振りかぶり、すぐさま勢いよく下ろす!
 リースリングはそれを一瞬早く横っ飛びでかわす。そのまま、地面を一回転する彼女。
 ダグラスは剣を持ち上げ、避けた女をなおも追おうとする。
 そのとき、ひざ立ちになった彼女の右手が空を切った。それも二回。
「!!」
 ダグラスは反射的に身をよける。だが、かわしきれない。
 彼の左の肩口に、ナイフが突き刺さる。もう一本は、彼のわきばらをかすめる。
 しまった、とダグラスは思った。
 すぐに体勢を整えるが、彼はまた彼女との間合いをとらざるを得なかった。
 一瞬の攻防。傷を負ったのはダグラス。周囲から動揺する声がわき起こる。
「ダグラス!!」
 デュデックが声を上げるが、ダグラスはそれを制した。
「大丈夫だ。心配するな……」
 彼は左肩の防具の隙間に刺さったナイフに手をかけ、勢いよく抜いた。みるみるうちに肩口が赤くにじむ。
 リースリングは、地面を転がりつつ袖からナイフを二本抜き、ひざ立ちになった瞬間にそれを投げたのだった。
 やはり簡単にはしとめられない。ダグラスは左肩の痛みをこらえ、リースリングに向き直る。
 そのとき。
 妙だと思える光景が、ダグラスに見えた。
 彼の目に入ったのは、まだひざ立ちのままになっているリースリングの姿。
 ダグラスは不思議に思った。
 なぜすぐに立たない。
 神経が張り詰めているからだろうか。彼にはリースリングの一挙手一投足に意味があるように見えた。
 まもなく、彼女はゆっくりとした動作で両の足を立ち上げる。やはり特に意味はなかったのか――
 だが、その彼女の動きに、ダグラスは違和感を覚えた。
 右肩をわずかに下げながら立つ彼女。姿勢のバランスが崩れているように、彼には見えた。まるで体のどこかをかばっているように――。
 気のせいだろうか。さらに彼女の方を注視する。
 そして彼は、リースリングの明らかな変化をとらえた。
 これまで表情を全く変えることのなかった彼女が、ほんのすこし、口元をゆがめた。
 それは遠くからでは判別できないほどの、わずかな変化だった。実際、デュデックや周囲の人間は気づいていない。ダグラスだけが、その小さな動きを見逃さなかった。
(あの女、もしかして――)
 体のどこかを傷めたのか。おそらく右足か、右わき腹あたり。
 いつ傷めた?
 その答えは、さきほどから彼が疑問に思っていたことがらと結びつき、ひとつの形になった。
 彼女があまり動かず、同じ場所にほとんどじっとしたまま闘っていた理由。それは、動かなかったのではなく、「動けなかった」のではないか。
 ここに来るより前に、深い傷を負ったために。
 なぜかは分からない。先日の戦いでどこか傷を負ったのだろうか。だがそれなら、人質交渉の場に現れたりしないはずだ。だとすれば、その後で傷めたのか。もしやアラウンが――
 その答えをダグラスがいますぐ知ることは難しかった。しかしどんな理由にせよ、最も厄介な相手が手負いであることは、彼にとって都合のいいことだった。
 さらに予想では、あの女のナイフは底をつきたはず。まさにいまこのときが、あの女をしとめる絶好の機会ではないか。彼にはそう思えた。
 彼は前進した。両手で大剣を握りしめて。
 ナイフが刺さったのが左肩であったことはむしろ運が良かった。右腕が生きている限り、大剣を存分に振るうことができる。
 走り出すダグラス。みるみるうちにリースリングとの距離が狭まっていく。
 はじめて、彼女が後ろへ足をひいた。逃げ腰になっているとダグラスは見た。
 逃がさないよう、ダグラスは勢いよく体を寄せ――
 一気に、大剣の剣先を「死神」目がけて突き出す!
 リースリングはナイフを取り出すしぐさをみせないまま、体を横に開いてかわそうとする。
 紙一重。幅の広いダグラスの剣がリースリングの左肩をかすめる。
 それで終わらない。ダグラスはさらに剣を横へなぎ払う!
 リースリングはなんとかしゃがんでそれを避け、後方へ跳ぶ。
 なおもダグラスの切っ先がニつ、三つと「死神」の前を斬り裂く。リースリングはなにもできないまま、ただそれを避け続けるだけ。
(ダグラス、もう少しだ……!)
 彼の攻勢にデュデックや他の団員の意気も上がる。鉄剣団の仲間を、幼い子供を、そして息子を助けに行ったアラウンをも無差別に殺した悪魔の女を、ついに倒すことができる。その期待を胸に、彼らは固唾をのんだ。
 一方、ハーンは――
 まっ青な顔で、もはや精力のない視線をただ送り続けているだけだった。
 いつものハーンなら、守勢に回るいまの彼女に罵声のひとつでもあびせていただろう。だがその元気すら、彼にはもう残っていなかった。それほどに、ダグラスに斬られた彼のケガの具合はひどくなっていた。
 大きな出血こそ止まっていたものの、横腹に受けた切り傷からはいまだに血がにじみでている。手で押さえようにも、その手にすら力が入らない。意識も少しずつ、もうろうとしてきた。
(リースリング……)
 声にならない声で、ハーンは口を動かす。それが精一杯だった。
 戦況は絶望的。ゴブは殺され、他の仲間もほとんどがやられるか逃げるかしただろう。
 ハーンには、もはや目の前で繰り広げられている闘いしか残されていなかった。
(リースリング……)
 その彼女さえ、危うい状況。
 かすんで揺れ動くハーンの細まった目に映る、ダグラスの一方的な攻撃。なんとかそれを避け続けるリースリング。
 だがそれも、長くはもたなかった。
 わずかにリースリングがバランスを崩す。明らかに傷を一瞬意識した足の止め方だった。
 その瞬間を、ダグラスは逃さない。
 一歩力強く踏み込み、手にした大剣をすばやく振り上げる。
「もらった!!」
 そして――
 動きをとめた彼女に向けて、ダグラスが幅広の刃を叩き下ろす!
 反応が遅れているリースリング。
 だれもが、今度こそ逃げられないと思った。
 ダグラスが、戦場の死神を切り倒す光景が――
 だが。
 彼らの前にうつったのは、死神が鉄剣団の団長のもとに倒される場面ではなかった。
 代わりにそこにあったのは――
 見ている彼ら自身も、信じられないような光景だった。
 ダグラスの剣は、リースリングを完全にとらえていた。
 彼女は、確かにそれを避けられなかった。
 避けるかわり、リースリングは――
「――!?」
 ダグラスの大きな剣を、左腕で受け止めていた。
 ダグラスが目を見開いた。その顔が、驚愕にひきつっている。
 彼はもちろん知らないが、リースリングはラスター相手にしたことと同じことをやってのけたのだった。
 左腕の裏から右手を添えて、ダグラスの斬撃に抵抗する。まるで腕が鋼鉄の棒だとでもいうかのような扱いで、大剣の刃先を左の長袖に食い込ませて。
 ダグラスは一瞬、何が起きているのか理解できなかった。
 自分の剣を、生身の腕が受け止めている。
 服に何か仕込まれているのか?だが服がたとえ斬れない素材だったとしても、剣を受け止めた腕の骨は砕けているはずだ。重い大剣。それを大男のダグラスが両腕で思い切り叩きつけたのだから。
 一体、どうなっている――?
 剣と左腕の奇妙な押し合いが始まる。
 彼は考えることをやめ、ますます力を込める。体重で、リースリングを徐々に押し込んでいく。
 剣を受け止めたものの、彼女の劣勢は変わらなかった。力ではやはりダグラスの方が勝っている。ゆっくりと、彼女のひじが曲がってくる。
 リースリングのアメジストの瞳の上にはじめて汗が浮かぶのを、ダグラスはみつけた。それはたぶん、右腹か右足の負傷の影響もあったろう。
 明らかに人間のものと思えない彼女の左腕については大きな疑問があるが、とにかくこの女とっていまは苦しい状況なのだ。
 もう少し追い込めば、勝てる――
 ダグラスがそう思ったとき、リースリングは急に、体を左へひねった。
 ダグラスの剣が横にそらされる。力負けしそうになり、なんとか彼女が逃げた格好。
 ダグラスは反射的に足をふんばり、彼女が逃げた方向へすぐさま剣を走らせる。
「逃がさん――」
 だが――
 そこにはすでに、リースリングの姿はなかった。




 
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