死神と女神の狭間 第ニ章  

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 赤さび色の壁に、ほこりをかぶった床。
 夕日の差す窓ガラスはしばらく手入れがされておらず、おせじにもきれいとはいえない。ランプはたよりない光をともし、徐々に室内を支配しようとする夕闇の力にはとても勝てそうにない。もともと三本足だったはずの丸机は足が一本欠けており、バランスの悪い姿勢でかろうじて立っている。
 目につくものといえば、室内に二つある年代物の白い棚くらいだった。そこにはなにかしらの液体の入ったビンがところせましと並べられており、主人にいつ使われるのだろうと意味ありげにたたずんでいた。空きっぱなしの引き出しには銀色に光るいくつもの細長い道具。先端が刃になっているもの、丸くふくらんでいるもの、とげ抜きのようにはさめるもの等。別の引き出しには少量のガーゼや包帯といった類のものも入っていた。
 さらに別の意味で目につくといえば、床に無造作に置かれた酒だった。部屋のすみに四本のビンが置かれ、床には飲みさしや空のものも含め五本のビンが横倒しになっている。酒は無色透明。どれもリラン科の植物から採れる、アルコール度数の高い蒸留酒だった。
 とある町の端にある、みすぼらしい家。夕日の当たる姿は、はるか遠い昔から建っていたような歴史的な趣き深ささえ感じる。だがそれは全く、家の主人の手入れが行き届いていない結果でしかなかった。
 ドンドンッ、と部屋の入り口にある古びた扉を激しくたたく音がした。
「ゲルマルク、いるんだろ!さっさと出てこねえとぶちのめすぞ!!」
 外からどなりちらす若い男の声。そして扉を蹴りつける音。ただでさえ古びて傷んでいた扉が、悲鳴をあげて激しくきしむ。
「今日こそは借りた金、耳そろえてきっちり払ってもらうからな!わかってんだろうな!さっさと出て来やがれ!!」
「うるせえ!!そんなでかい声出さなくたってわかってんだよ!!」
 と。
 部屋の中にいた大柄な男が、さらに大きな声で答える。
 背が高く、わりとがっしりした体格のその男は、扉の方をにらみつけるように見やった。もう四十はこえているだろう、やや年季の入った浅黒い肌をしている。灰色の短い髪で、全く整えられていない。同じ色の無精ひげに、やや太い眉。肩幅の広い体のわりにほおはややこけている。くたびれた中年男の様相だが、濃い緑色の目だけが、らんらんと生気にあふれている。
 身につけているのは白衣だったが、しわだらけで、洗ってもとれない類の汚れがそこかしこにみえる。実際そうなのかはともかく、見た目では清潔感というものがみじんも感じられない。本当はこんなものつけたくないのだが、一応形だけ整えたといったようないい加減な雰囲気が、その男の白衣姿にはあった。
「いるんじゃねーか。だったらさっさとこのカギ開けろヤブ医者!」
「いまとりこみ中だ!またあしたこい、あした!」
「ざけたこと言ってんじゃねえ!金返せっつってんだよ!!」
 また扉をけりつける音。さびついたカギがかろうじて扉が開かれるのを食い止めていたが、それが壊されるのも時間の問題だった。
「ゲルマルク!金払わねえってんなら、てめえをのしてこの家にあるもの全部もらっていくからな!」
 ゲルマルク、と呼ばれた男は顔をしかめたまま、部屋にひかえめに配置されたベッドでさきほどから続けていた作業を中断した。
「いま患者を診ている。大声出すんじゃねえ!」
「はっ!患者だあ?てめえみたいなヤブに誰が診てもらうっつんだ。いいかげんなこと言うんじゃねえ!」
「本当だ!患者がいるんだよ!だからもう帰れ!」
 そのとき。
 ひときわ扉を蹴りつける大きい音がしたと同時に、ばきっと木が割れるいやな音がした。
 カギが無残に壊された扉が勢いよく内側へ開かれる。夕方の日差しが、薄暗い室内にさっと入り込む。
 外には、がらの悪そうな顔立ちの男が三人、立っていた。
「あーあー、とうとう入り口壊しちまった。これもお前のせいだぜゲルマルク――」
 そう云って、一番前にいた男が部屋の中をうかがう。と、彼は白衣を着た男の方をみて足を止めた。
「……なんだ、患者いんじゃねえか」
「だからさっきからいるっつってんだろ。カギ壊しやがって。弁償しろ」
 ゲルマルクは云いながら苦々しい顔でベッドに向き直る。そのベッドには、端正な顔立ちの若い女性の姿があった。
 白黒のブラウスとショートパンツという格好の女は、みすぼらしいこの病室内では浮きだってみえるほど、細身で洗練された容姿をしている。長く美しい黒髪と紫色のやや細まった目が、特に印象深く映った。
 その女が、ベッドに腰かけた状態で、両手を後ろについて足を投げ出している。顔つきはいたって無表情で、アメジストの瞳はやや視線を下げて、自分の足元を見つめている。
 ゲルマルクはかがみこんだ状態でその女の左足に包帯を巻きながら、入ってきた借金取りに云った。
「金なら明日渡すから、また取りに来い。こっちはこのとおり取り込み中だ」
「明日、あした!なんべんその言葉聞いた?ゲルマルク。――おいねーちゃん、あんたもなんだってこんなヤブ医者にケガなんか見てもらってんだ?この町での評判聞かなかったか。こいつはただの飲んだくれ、アル中のおっさんだぜ。手の震えがとまらねえから、すり傷だって診れねえ」
「おい、もう少し言葉を慎めよ、若造」
 男に云われ、ゲルマルクが包帯を巻く作業を中断して振り返る。そこに、さらに男は云った。
「本当のことだろうが。この町じゃ、お前に診てもらうやつなんざ一人もいねえ。お前を医者だなんてだれも思ってねえんだよ。この酒びたりのヨタオヤジが」
「言わせておけば……」
 そうしてゲルマルクが立ち上がる。だがすでに酒が入っているのか、足元はなんとも危うい。それを見て、借金取りの男はさらに云った。
「酒でふらふらになってやがる。この国のどこにアル中のまま患者を診察する医者がいんだ?あ?答えてみろよ」
「……このくそ野郎!」
 挑発する男に、ゲルマルクはふらつく足でなぐりかかる。だがそれを男は難なくかわし、代わりに足を引っ掛ける。ゲルマルクはそれに簡単につまづき、床へつっぷしてしまった。
「おっさん、ケンカする気か?やめろやめろ。やるだけムダだ。――ってか酒くせえ。やっぱこいつ酒のんでやがる。なんでこんなのが医者名乗ってんだ?おい、金はどこだ。なけりゃここにある金目のもの全部もらっていくからな」
 そう云って男が動きのにぶいゲルマルクを蹴りつける。低くうなるゲルマルク。
「ま、こんな家に金目のものがあるとも思えねえが……なんならねーちゃん、あんたをもらっていってもいいんだぜ、え?こんな医者にかかるってことは、どうせこいつの知り合いかなんかだろ。よく見りゃ、なかなかかわいい顔してるじゃねえか。高く売れるぜ。あんたも人助けだと思って――」
 そのとき。
 ゲルマルクが急に体を起こした。
 と同時に、借金取りの男にとびかかろうとする。
「なんだぁ?」
 だがあえなく――
 ゲルマルクは残り二人の男につかまってしまった。
 それから片方の男に顔面を思い切り殴られる。
「ぐっ!」
 そのまま勢いよく床にたたきつけられるゲルマルク。大きな体が頼りなく崩れる。
 ため息をつきながら、男は彼を汚いネズミでも見たかのように苦い顔つきで見下ろした。
「おいゲルマルク。金がねえなら無様な抵抗するんじゃねえよ。今日のとこはこの女もらって勘弁してやるから、また明日、金つくってこい」
「…………」
 殴られて意識がもうろうとしているのか、ゲルマルクは返事をしない。
 借金取りたちは彼が落伍者であるかのようにながめながら、にやにやと冷めた笑みを浮かべた。患者の来ない自称医者が、酒を買うために借金を重ねた。その末路がこれだ。どうしようもないやつだ。こんな人間、生きていても死んでいてもそんなに変わらないだろ。
 そうして彼らがゲルマルクの方をみていると、ふいに、バサッ、という音がした。
「ん……?」
 男達が振り返る。そこには、ベッドに座る女の姿。その女と彼らとのちょうど中間くらいの距離の床に、女の投げたものがあった。
 札束。
「……こりゃあ……」
 けっこうな額。
「……それで足りる?」
 と。
 女が、はじめて口を開いた。
 抑揚の無い声。小さく、だがはっきりとした声。
 表情に色は無く、目は細められ、いくぶん冷たい。ついさっき、男達がゲルマルクに向けたものと同種のまなざしのようにも見えた。
「……あん?」
 どこから出したのかいぶかしむように、借金取りは女の方をうかがった。しかし床に落ちているのは、まぎれもなく札束。
「ねーちゃん、あんた何だってこんな金――」
「それで足りるのなら、早く出ていってほしい」
 女の紫色の目が、男の顔を刺す。
 鋭い視線。
「……?」
 そのとき、男は一瞬だけ、その目の中にある危険な空気を見た。
 違う。
 普通ではない。
 男は、体がしびれるような感覚を覚えた。
 心で自覚できない恐れを、直感が感じている。
「……な、なんだっ……てんだ……」
 男は戸惑いながら、札束を取ろうと一歩足を前へ進めた。
 二歩、三歩。はじめゆっくりと、そしてすぐに思いなおしたかのようにすばやく、床の札束を拾う。
 そして額を数えようともせず、彼はそれを二つに分け、ズボンの両のポケットにねじこんだ。
「ちっ……おい、ゲルマルク!とりあえず今日のところは見逃してやる。また来るからな!」
 おい、行くぞ、と男は残り二人を連れて、そのみすぼらしい部屋を後にした。
 残ったのは、相変わらずベッドに座り左足に包帯が巻かれるのを待つ女と、床にうずくまったままの医者。
 その医者がようやくといった動きで床に手をつき、軽く頭を振りながらそろそろと立ち上がった。左ほおには赤くあざができている。
「……くそっ。ワン・パンチ・マルクといわれた俺が、あんな若造にやられるとは……歳だけは食うもんじゃないな」
 云いながら、唇から出ている血を右手でぬぐう。それを、ベッドの女は彼を介抱しようともせず、無関心そうにながめている。
「……あまり無理しないほうがいい」
 そう云う女に、ゲルマルクは汚れた右手と顔を近くの湿った布でふきながら憤慨して答えた。
「お前に言われたくないぞ。全く、いつも無茶苦茶な状態にしてから来やがって。それを治さなくちゃならんこっちの身にもなってみろ」
 ゲルマルクは口をぬぐうついでに顔全体もふいてから、布を乱暴に棚の方へ投げ捨てた。そして女の方へ近づくと、さきほどと同様にかがみこみ、女の左足に再び包帯を巻き始める。
 すると、さきほどまでふらついていて緩慢だった彼の動きが、見違えるようになめらかになった。
 患者に対する処置のときだけ集中力が倍加したような、無駄のない動作。
「リースリング、一応あるていどのことはしておいたがな。お前の足、もうそうとうガタがきている。筋肉も、神経もだ。お前のやっているアレは、通常の人間の二倍も三倍も足に負担をかけているってことを、いい加減理解しろ」
「……分かってる」
「ふん、どうだかな」ゲルマルクは息をついてから、彼女の足へ包帯をきつくしめた。「これ以上同じことを続けるなら、この先どうなるかは保証できん。ま、俺としてはいい研究材料になるから全く気にはしないんだが、お前が困るだろうと思うから忠告しておくぞ」
 彼は軽くリースリングの左足をたたき、包帯のしめ終わったことを示した。彼女はベッドから立ち上がり、足の感触を確かめるように二、三度ひざを曲げ伸ばしした。
「……ありがとう」
 それに返事をせず、ゲルマルクは早速近くにあった酒ビンを手に取った。慣れた手つきでふたをとばし、口をつける。
 気分良さそうに一口のどをうるおしてから、彼は床にあぐらをかいて云った。
「リースリング、さっきの金だが――もしかしてあれで今回の分、全部じゃないだろうな」
 心配そうに尋ねる彼に、リースリングは黙ったままベッドの裏に置いていたバッグから、さらにさきほどとほぼ同じ額の札束を取り出した。ゲルマルクの方まで近づき、それを手渡す。
「ありがたい。これでしばらく酒には困らんな」
 酒びたりの彼に、リースリングが云った。
「……酒より、借金を返すことを考えたらどう」
「心配してくれるのか?ふん、借金がなんだ。借金があっても死なねえが、酒がないと死ぬ。酒が優先だ」
「……あなたがいなければ、私が困る」
「知ったことか。その足を使い続けることの方が異常だ」
 そう云うと、彼はリースリングにややまじめな表情を見せた。
「リースリング、勘違いするなよ。お前、若くからそれを使っているから、それが普通だと思ってるんだろ。異常な能力なんだよ、お前の手にしているのは。俺はあくまで研究だからやってやってるが、もし人の親だったら即刻やめろと言うぞ。――ま、それだけ若くて殺し屋なんてやってること自体がどうかしていると俺は思うがね」
 ゲルマルクが苦々しい顔をし、また酒ビンから一口酒をあおる。そのとき、少しだけリースリングの瞳が暗く下がるのを、彼は見た。
「……気をつける」
 つぶやくようにそう云う彼女に、ゲルマルクは云った。
「おいおい、落ち込むな。そのままなら何にも問題ないんだからな。使い方に気をつければいいんだ。――ギルにも言っておけ。いちおう自分の娘なんだから、もう少しいたわりってものを考えてやれってな」
「…………」
 彼の言葉に、リースリングはうなずくような、首をかしげるような微妙な動作をした。
 無言のまま、入り口に向かうリースリング。壊れて半分開きっぱなしの扉を少し押し、部屋の外に出ようとする。いつものように、油断も無駄もない動作で。
「おい」
 そこへ、ゲルマルクは床に半分寝転んでから声をかけた。
「おい――お前。いったいいつまでそんな仕事を続ける気だ。いつも命を賭け事みたいに危うくして、体をひたすら痛めつけて――そこまでしてやる価値があるのか、暗殺ってのは」
 その言葉に、リースリングは長い漆黒の髪を揺らしながら、ほんの少しだけ振り返った。
 そしてひとりごとのように、彼女は口にした。
「……賭け事よりは、まだ可能性があると思う」
 云って、彼女が去っていく。壊れた扉がぎいと音をたて、半端に閉じられる。
 ゲルマルクは、向こうに行ってしまった若い暗殺者をずっと見通すかのように、その扉をしばらくの間じっと見つめていた。
(――なんの可能性だかな)
 彼は酒をあおった。そして面倒な考えを、頭の外にやった。


<第二章 了>




 
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