死神と女神の狭間 第ニ章  

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 グレアムの兄弟が今日の寝床としてかまえた、古い城跡。もう何百年も前につくられたであろうことがうかがいしれる、苔のはりついた石積み、さびきって折れた鉄の門が、彼らの周りに幽玄な景色をつくりだしていた。
 彼らがここを見つけたのは、ちょうど一年前だった。グレアムの森は太古の昔、国境を争う者達の戦いの最前線にあったらしく、そこかしこにこうした城や小さな砦(とりで)、物見台の跡がある。ハーンらはそうした場所を時期により巡りながら、森を通りがかる旅人や行商人を襲っていたのである。したがって森を通る者にとっては、いまや城跡は決して近づくべきでない、うとまれた場所になっていた。
 そんな城跡の中でも、わりあい元の城の原型が残っているのが、現在彼らが祝杯をあげているこの場所だった。城の名はもはやわからないが、ここは他の場所に比べて戦火が及びにくいところであったらしく、城壁にあまり大きな損傷はみられなかった。篭(ろう)城とまではいかないが、万が一国軍が百名程度で攻め込んできたとしても、一日や二日、立てこもるくらいのことはできそうな場所であった。
 城は二階建てだったが、床はところどころ抜け落ちており、一階はその天井が崩れ落ちかけているため使えず、実質いすわることができたのは主に本城と城壁の間の空間だけだった。しかしそれでも、彼らにとっては四方八方からの脅威に注意を張りめぐらせるよりは、ひとつしかない城門にだけ気を配ればいいこの場所ははるかに気分的に落ち着けた。『グレアムの兄弟』にとってここはあくまで寝場所のひとつでしかなかったが、自分達の根城であるという意識も、少なからずあったのだった。
 その城跡の入り口で、貧乏くじを引く羽目になった二人のゴロツキは、文句をたらしながら他の者がさわいでいる中の様子をうかがっていた。
「ちっ。なんでオレたちだけ見張り役なんだよ。どうせいままで侵入者なんて来たことねえんだからよ、今日くれえ大目にみてくれたっていいじゃねえか」出っ歯の男が云うと、茶髪の男が毒づいた。
「まったくだ。ハーンも気が小せえんだよ。これじゃ、お国で兵士やってたときと何にも変わりゃしねえ」
「お前、兵士やってたのか。サガンの?」
「ああ。だが何年たってもずっと地方の城の門番しかやらせてもらえなかった。このままじゃ先がみえてるんで、こっちからやめてやった。家族もいねえし、故郷に未練もなかったしな――そういうお前は?」
「似たようなもんだ。町の雑貨屋で雑用をやってたんだが、客の女に色目つかっちまってよ。店主にクビにされちまった」
「全然似てねーじゃねーか。その女は?」
「それきり。まったく大損だったぜ。女房とも別れたしな」
「女房いたのか?」
「子供もいた。ま、しかなかったんじゃねーか。オレ、女癖わりいから」
「よくいうぜ。だからこんなところにいるんだろうがな」
「そうそう。人生、おもしろけりゃそれでいいんだよ。マジメに生きるなんてアホらしくてやってられっか」
 そんな会話を二人が続けていると、後ろからドタドタと背の低い男が走ってきた。
「い、異常はねえですか?」
 角ばった顔に汗をうかべながら、その男・ゴブに、出っ歯の男が云った。
「ねえねえ、全然ねえ!おいゴブ、なんでオレたちだけここにいなくちゃいけねえんだよ」
「そ、そりゃあ、首領が見張りに二人、くじ引きで選んでつけって言ったからで……」
「だれもこねえって、こんなとこ!いるだけ無駄だぜ」
 茶髪の男も賛同する。
「そうそう。せっかくの祝いの日なんだから、オレたちも入ってしかるべきだぜ。だろ、ゴブ?」
「そ、それは……こまるでやす。ワシ、首領から怒鳴られるでやす」
「お前のことなんかどうでもいいんだよ」出っ歯の男がゴブの胸ぐらをつかみかかる。「こんなところでひたすら待ってるだけなんてごめんだぜ。なんならゴブ、お前が代われよ。どうせハーンのお付き以外にやることねえんだろ?」
「だいたい、なんでこいつがハーンの側近なんだよ」茶髪男が不満をもらす。「とくに剣の腕がたつわけでもねえし、頭が回るわけでもねえ。人に頭下げてばっかの卑屈な野郎をなんでハーンがそばにおいてるのか、オレにはわからねえ」
「単につかいっぱにしやすいからじゃねーの?こいつなら全く反抗しそうにねえもんな!」
 出っ歯の男にそういわれ、ゴブはちぢこまった。
「す、すいやせん……」
「なんで謝んだよ。お前の態度、みてるだけで腹が立つぜ!おいゴブ、お前ひとりで見張りやれ」
「えっ、ひとりで……?」
「そうだよ。オレたちだって今日命張って村襲ったんたぜ。そのオレたちが酒も飲めねえ、飯も食えねえじゃ、不公平だろ?そう思わねえか」
「へえ、そ、そりゃ、そうでげすが……」
「よ〜し、じゃ決まりだ。オレたちは行くからな。あとよろしく」
 茶髪の男と出っ歯の男が立ち上がる。ゴブは非常に困った顔をしておろおろしていたが、それを無視して二人はなにやら話しながら去っていこうとした。
 そのとき、古くさびた門の外で、かさっと、わずかな葉のすれる音がした。
 三人とも、その音に反応する。森は静寂。風は吹いていない。今の音は、明らかに何かが、もしくはだれかがたてたものだ。
「――なんだ、オオカミか?」一瞬不安になる茶髪の男に、出っ歯の男が答える。
「鳥じゃねえの。よくいたじゃねえか、カラスとか。ゴブ、見てきたらどうだ?」
「わ、わしですか……?」
 しかし見に行かずとも、その音の張本人は現れた。
 その人間は――そう、オオカミでもカラスでもなかった――暗闇から浮き出るようにして現れた。少なくとも、そのようにゴブら三人の目にはうつった。それは、現れた者が全身黒色の服に身を包んでいて、彼らの目に侵入者の肌や瞳の色が入ってくるまでに時間がかかったからである。
 さらに彼らを驚かせたことがあった。その侵入者が近づいてくると、はっきりわかった。曲線を基調とした体型に、丸みを帯びた頬と顎。黒一色の長い髪が似合うその者は、男のシルエットではなく――
「女……か?」
 出っ歯の男がつぶやく。革のジャケットとジーンズをまとい、肩からひとつだけ荷袋をぶらさげたその侵入者は、女だった。
 細身のしなやかな体に、とがった顎。たいまつの火にうっすらと照らされた両の瞳は、この闇夜と同じくどこまでも奥深い黒にみえるが、うっすらとその中に紫の色が差し込んでいるようにもみえた。
 三人があっけにとられていると、女は全員を見渡してから、一番前にいたゴブに顔を向けた。
「……あなたたちは、『グレアムの兄弟』の一員?」
 穏やかではあったがどこか鋭さをもった調子で、女は云った。
 しばらく押し黙っていた三人だが、やがてゴブが口を開いた。
「そ、そうでやすが……」
「……ここに、ハーン・ラチェットという男はいる?」
 自分の背よりも高いこの女に、ゴブは奇妙な感覚を覚えた。それは、夜中にこんな森のただ中に女が一人で来ることの不自然さからもきていたが、それ以上に目の前の女の放つ、油断の無いそぶり、落ち着き払った語気が、ゴブの心中を強く圧迫していた。ゴブはたしかにあまり頭の回るほうではなかったが、こうした他人のまとう特別な空気、雰囲気にはとても敏感だった。
 ゴブは、この女に恐怖していた。
 そんなゴブを押しのけ、後ろから出っ歯の男が進み出た。
「なんだネエちゃん、ハーンに用事があるのか?なんならオレが案内してやるぜ。ちょっと利用料がかかるけどな」
 そう言いながら、彼は細めた目で女に近づく。後ろから「おいおい、お手やわらかにしておけよ」という茶髪の男の声が飛んだ。
「こんなところに女一人でやってくるなんてよ。……まてよ。おい、お前のうしろにだれかいるんじゃねえだろうな」
 気づいて立ち止まる男に、女は全く表情を変えずに云った。
「……私一人。だからなに」
「だからなに?だってよ!聞いたかおい。お前一人なら、オレたちがゆっくりもてあそべるっつってんだよ!」
 そうして走りかかろうとした男は、しかし、女が腰の鞘から抜いたナイフに再び足をとめられた。
「……ハーンは、いるの」
「へっ、やろうってのか。ま、森の中を一人でやってきたくらいだ。いくらか腕はたつんだろうがな、男に勝てると思ってるのかよ。女がナイフもったところでなにができんだ?ん?」
 そういって男の方は腰の短剣を抜く。勝ち誇った表情が、男の顔面にはっきりと浮き出ていた。
「ナイフでも、自分で自分の身を守ろうとするなんて、かわいいじゃねえか。ま、やるだけ無駄だけどな!」
 出っ歯の男が、今度こそ女に襲いかかる。
 男は女がもつ獲物――ナイフを狙って短剣を横になぎ払う。それを女は軽く後ろへよける。
 次の瞬間に、もう勝負は決した。
 よけた女はすばやく手首を返しナイフを投げる。それは、短剣を横に払って大きく開いた男の右肩に、正確に、深々と突き刺さった。
「ぐあっ!」
 一気に右腕の力が抜け、短剣を落とす男。表情がみるみるゆがんでいく。
「い、いてえぇ……」
 ひざを折って右肩を助ける出っ歯の男をみて、茶髪の男の、そしてゴブの顔が青ざめた。
「て、てめえ……調子に乗るなよ!」
 茶髪の男が長剣を抜く。いまなら女はナイフも何ももっていない。そう思うとすぐに彼は駆け出し、女に斬りかかろうとした。
 すると女は、急に地面に手を伸ばした。そしてそこにあった小石を手に取る。
 女が元の体勢に戻るころには、茶髪の男の剣先が女の目の前まで迫っていた。
 男は肩を突こうと右手で剣をくり出す。それを女は紙一重で右にかわすと、そのまま腰を落として地面を転がる。立ち上がりざま、女は右手に握った石を振りかぶり――
 男へ投げつけた!
「うがっ」
 石は眉間にぶつかり、男はそのまま地面へ倒れ去った。
 しん、とする場。ほんの少しの間だけ、この森本来の不気味な静寂が戻る。
 痛みに歯ぎしりしかできない出っ歯の男。小石をぶつけられ気絶した茶髪の男。二人の無残な状態を目の当たりにし、ゴブは声が出なかった。
「あっ……」
 腰が抜けてしりもちをつく彼に、女は無表情で云った。
「……ハーンは、どこ」
「ひ、ひいっ」
 そうしてゴブが慌てふためいて首領・ハーンを呼びにいったのが、さきほどの話。





「だから、お前の説明じゃ納得いかねえんだよ。だいたいなんで女がこの森に一人でいて、しかもこのオレに用があるんだ?」
「そ、それがワシにもわからねえんでやすよ。とにかく首領を出せ、首領はどこ、って……」
「慕われてるじゃねえかハーン。もてる男はつらいねえ」周りの男たちからヤジが飛ぶ。
「うるせえ!そんなわけのわからねえ怪しい女、オレの知り合いにゃいねえんだよ!」
 ハーンはさんざん文句をわめき散らしながら入り口に向かって足早に歩いていくと、向こう側から歩いてくる人影がみえた。
『グレアムの兄弟』全員がおもわず身構えた。ゆっくりとした足取りで、こちらにやってくる者。ゴブのいうあの女に違いなかった。
 近づいてくるにつれ、その体型、顔立ちがゆらめく炎に映し出され、はっきりとしてくる。ハーンは目を細めた。
「……なんだ、どんなごついやつかと思ったが、普通の女じゃねえか。しかも若え」
 侵入者本人を見てますます疑問を膨らませたハーンは、次第に心の中に興味深さという念が芽生え始めていた。こういった状況を、彼は面白がるふしがあった。つまり、自分の想像外のことが起きたことに対する積極性、ポジティブさを、彼は備えていた。
 なにをしにきた?どういう目的で?いや、そもそもこいつは何者だ?見張りの二人をあしらったくらいだ。オレを殺しに来た可能性も、あるのではないか?いやそれなら、こんな堂々と入ってきたりはしないだろう。なら、なぜ?疑問それ自体が、彼にとっては一種の楽しみであり、挑戦だった。
 ある程度距離をおいたところでお互いに立ち止まる。先に口を開いたのは、ハーンだった。
「お前か。オレに用があるっていって、オレ達の兄弟を痛めつけやがったのは」
 その言葉に、女は眉ひとつ動かさずに、そっと云った。
「……あなたが、ハーン」
「そうだ。オレがこの『グレアムの兄弟』の首領、ハーン・ラチェットだ。お前は?」
 ハーンが腕を組みながら聞くと、女はアメジストの瞳をじっと彼の方に向け、云った。
「……リースリング」
「あんまり聞いたことのねえ名前だな。それは名前か?苗字か?」
「……どちらでもいい」
「おい、いい加減にしろよ」彼女の周りにいたチンピラの一人が前に出る。「てめえ、首領の前でそのなめた態度はなんだ?え?」
「やめろ、お前は口を出すな」ハーンがいうと、チンピラは拳をにぎりしめ、かろうじてひきさがった。
「リースリング、か。目的は何だ」
 ハーンが尋ねると、リースリングはゆっくり、はっきりと答えた。
「……あなたのもっている、情報が欲しい」
「情報?なんだそりゃ」
「『蒼い蛇』と呼ばれている犯罪者を捜している。本名と、居場所。どちらかでも知っていたら、教えてほしい」
『青い蛇』。
 その彼女の言葉に、チンピラたちは不思議な表情を浮かべるしかなかった。彼らには全く心当たりの無い名前だった。
 しかしハーンは、なにやらおもわしげな表情を一瞬みせ、すぐにそれを隠した。腕を組みなおし、少し考えるようなしぐさをする。
「ふーん。蒼い蛇、ねえ。なるほどな」
 もったいぶるように時間をかけてから、彼はリースリングの方を向いた。
「だがなあ、お前、自分の状況がわかってるのか?お前は交渉のつもりかもしれないが、こっちにとっちゃ、お前はガラの悪いオオカミに囲まれた、ただのかわいい子猫なんだぜ」
 それを聞き、チンピラたちがおのおの自分の武器に手をかける。うっすらとにじむ笑みが、全員の顔に見える。
 しかしそれでも、リースリングは平然としていた。
「……いまのままじゃ、話は聞いてもらえない、と」
「そういうこった。おい、ラスター」ハーンが近くにいた大柄の男を呼んだ。
「この女を黙らせろ。てこずるようなら、オレたちの兄弟を傷つけたやつだ。殺してもかまわん」
 名を呼ばれた男は、前に出ながらにたりと笑った。
「オレが、まさか女相手にてこずるとお思いですかい、首領。あんなやつぁ、ものの十秒で何もしゃべらせねえようにしてやりますよ」
「やれやれ、やっちまえ!」「ラスター、遠慮はいらねえ。あの太え態度の女、ぐうの音も出ねえようにしちまえ!」チンピラたちからの声に、ラスターと呼ばれた男は女の前に進み出る。
「首領、いいのですか。ラスターにやらせても」
 そう云ったのは、ハーンのすぐ横にいたやせぎすの女、ソームだった。ハーンは彼女に向かい、答えた。
「なんだ。お前はラスターが、あの女に負けるとでも思ってるのか?」
「いえ……。ただ、わざわざラスターを出すほどの相手ではないのでは、とおもったまでのことです。ラスターはこの『グレアムの兄弟』の中でも一・二を争う剣の使い手です。負けることはないにしても、彼が何か怪我をすることでもあれば、今度のヴェルタ村への侵攻にも支障が……」
「お前は心配性なんだよ。デュデックに似てきたんじゃねえか」ハーンが云った。「オレだって、あいつが負けるなんて思ってもいねえし、怪我をするなんてことすら、思っちゃいねえ。心配すんな。それともなにか、お前があいつの相手をしたいっていうんじゃねえだろうな」
「……」
 いわれ、ソームはひきつるような笑みを浮かべた。ハーンはそれをみて苦笑いを返し、再び相対する二人のほうへ目線をやった。
 ただ、とハーンは考えていた。
 もしこの女が、ラスターに大怪我を負わすほどのやつなら、逆に――。
「女。さっさと獲物をとれ。それとも、魔法でも使うのか?」
 リースリングと対峙したラスターは、自信満々の表情で女に云い放った。
「……あなたこそ、何ももたないの」
「オレか?ふん、お前なんぞ、素手で十分だ」両手を組み合わせ、バキバキと骨を鳴らしてみせる。
「……そう。なら、私は――」
 そう言い、彼女は周りを見回した。そして近くに落ちていた、石積みの割れたものと思われる石の欠片を手に取る。大きさは、女のちょうど手のひら程度。
「――お前、ふざけてるのか」
「……別に」
「この……」
 ラスターは怒り心頭になった。目の前の女は、右手にやや先のとがった割れ石の欠片をもっている。いま拾ったばかりのそれが武器だと、女は云う。ふざけるのもたいがいにしろ。
 ラスターは一歩一歩、リースリングの方へ歩を進めた。すると後方にいたゴブが気がついたように云った。
「ら、ラスターっ。そういえばあいつさっき、ひろった石を投げつけて使っていやした!」
「投げつける?ふん。だからなんだってんだ」
 ラスターが云うと、まず一歩ふみこんで右手で女につかみかかる。大柄な彼の一振りは殴りかかるわけでもないのに、それ自体が凶器であるかのような勢いで女の肩口をねらう。
 しかしリースリングは右手に欠片をもったまま、なんなくそれをよける。ラスターは彼女の右手に注意を払いつつ、またすばやく前へ出てつかみかかる。リースリングが後ろへ下がってよける。そんなことを三、四度くりかえしたが、まったく平然としている女にラスターは業を煮やした。
「おいラスター、鬼ごっこでもしているのか?さっさとしろ」
 そんな声がチンピラたちから出始め、ラスターの腕にもしだいに力が入り始めた。
「女!ネズミみてえにちょろちょろ逃げ回りやがって。おとなしくしろ!」
 ラスターがとびかかるようにしてリースリングに襲いかかる。右腕が、左腕が次々にふりおろされる。しかしそれらも、彼女はさっと横へ後ろへかわす。そんなことが延々と続くかと思われた。
 だがようやくそれも終わるようにみえた。リースリングが、高い石壁の角にどんどん追い詰められていったからだ。
「いいぞ、ラスター」「やっちまえ!」チンピラたちが盛り上がる中、ハーンはその様子を目を凝らしてみていた。
「さすがラスターだな。多少頭の回るとこらへんが他のやつらと違うところだ」
 ラスターはじっくり足を進め、一歩、また一歩とリースリングが自由に動ける範囲を少なくしていく。だんだんと、彼女の背後に形が崩れてがたがたになった古い石壁がせまる。
「へへ、どうする。もう逃げ場はないぜ?」
 ラスターが勝ち誇った笑みをつくる。焦る女の表情がラスターの目にうかんだが、しかし目の前の侵入者はいまだにもとの顔のまま、なんの色もみせていない。それがラスターの感情を余計に逆なでした。
 女のすぐ後ろは壁。それを見定め、ラスターは目の前の獲物をしっかり見据える。
「ちっ。そのかわい気のない表情が気にいらねえんだよ!」
 そして、ラスターが一気にリースリングとの距離をつめようとした――
 その瞬間。
 リースリングは後ろを、壁のほうを向いた。
 そして一、二歩で跳び上がる。
 彼女の振り上げられた右足が、古くがたがたになった石壁の、ほんの少しだけ欠けてくぼんだ角にかかる。それを足がかりに、彼女の体がさらに、背中から後方へ高く上がる。
 そのか細い体つきからは信じられないほど高く上がった彼女の体は、ちょうど棒高跳びの背面跳びのようにラスターの真上を通り過ぎる。驚いたラスターは、その彼女の光景を目で追うことしかできない。
 ラスターの目に一瞬だけみえた、リースリングの表情。
 宙を舞う彼女の瞳は、すでに自分を捉えていた。
 上から下へ一瞬で振り下ろされる右手。そこから発せられた石の欠片は、なぜか全く回転しないまま、その石の最も鋭い部分を下に向け、ラスターの首筋へたたきつけられた!
「がっ」
 ラスターの体に衝撃が走る。すぐに起きる激痛と出血。
 えぐるようにして食い込んだ石の欠片が、ゆっくりと彼の足元に落ちる。
 思わず片ひざ立ちになり、手で左の首筋をおさえるラスター。苦痛に顔がみるみるゆがんていく。
 そのころリースリングの足が、ようやく地面についた。軽やかに着地すると、まるで『なにかあったの』とでもいうような相も変らぬ静かな目つきで、彼女はラスターのほうを見やった。
「ら、ラスターっ!」
 周りのチンピラたちがさわぎだす。それとともに、いくつかのさや走る音が聞こえた。ラスターを助けようと、いまにも飛び出しそうなものもいる。この女侵入者に対して、彼らがみな敵意をもった瞬間だった。
「待て!お前ら落ち着け」
 と、ハーンがここで大きく叫んだ。皆の視線が、そしてリースリングも、ハーンのほうを向く。
「そこまでだ、リースリング。――おい、だれかラスターを助けてやれ」
 彼が云うと、男たちの中から数人がかけより、ラスターの傷の具合を確かめた。リースリングはそれに対してなにも云わず、ただハーンの顔を見返しているだけだった。
「しゅ、首領……オレはまだ……」
 ラスターが声をしぼり出すも、すでに顔は青ざめ始めていた。
「ラスター、無理すんな。お前、そのままだと死んじまうぞ。さっさと下がれ」
 ハーンが云うと、巨漢のラスターはくやしさに拳を地面にたたきつけ、男数人に抱えられていった。
「――リースリング。お前の実力、よくわかったよ。なんだかしらねえが、その『蒼い蛇』のやつに会いたがってるんだな。いまの手口をみていると、さしずめお前はプロの殺し屋、ってとこか?」
「……なにか知っているの。それともなにも知らないの」
 紫色の瞳を細め、視線を突き刺してくる彼女に、ハーンは腕組をしながら答えた。
「知ってるさ。やつがどんなやつで、いまどこにいるのかも、な」
「……どうすれば教えてくれる?」
「察しがいいな。そう、タダじゃ教えらんねえ。なにか対価になるものをもらわなくちゃな」
「……金」
「でもいいが。それならラスターを使った意味がねえ、ってことさ」
「…………」
 じっと返事を待つつもりのリースリングに、ハーンはわざともったいぶってから、云った。
「オレが情報をやる条件は――お前が、これから実行するオレたちの略奪に協力することだ」




 
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