死神と女神の狭間 第ニ章  

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 長い宴が終わった、翌日。
 『グレアムの兄弟』たちの朝は、泥酔した者、疲れ果てた者たちの長い眠りによりかなり遅くなったが、それでも太陽が中天にのぼるころまでにはほぼ全ての者が起き上がっていた。周りには食べかけの肉、ツボからこぼれた酒、燃え尽きた木くずなどがいたるところに散らかったままになっている。中には無残にも二人相うちになったらしい男二人のしかばねもすこし離れたところに転がっていたが、それにはあまり気付くものもなく、みつけた者も顔をしかめるだけで、特に驚き騒ぐようなこともなかった。
 首領からチンピラたちに集まるよう号令がかかったのは、昼を少し過ぎ、今日はじめての飯をたいらげ終わったころであった。
「お前ら、昨夜は十分楽しんだか?バカ騒ぎが過ぎてつぶれたやつもいるみたいだが、今日から早速働いてもらわにゃならねえからな」
「あっちの方で死んでるやつもいたぜ、ハーン」男が指摘すると、ハーンはあきれたような顔をつくり、ひとつため息をついた。
「しかたねえな、やつらは。おいお前ら、いくらチンピラだからってな、ちったあ命のかけどころってもんを考えろ。これからヴェルタ村を攻めるってときにそんな心もちじゃ、オレたちの国をつくるなんて夢のまた夢だぜ!やるなら相手を考えてやれ!」
「それをオレたちに言われても困るぜ、ハーン」チンピラたちが笑うと、ハーンも苦笑する。
「そうだな、わかってるって。オレは単にヴェルタ村にいく前につまらんことでもめてもらっちゃ困るってことを言いたかったんだ。ところで――
 お前たちにいま集まってもらったのは、そのヴェルタ村の話だ」
 ハーンがそう切り出すと、チンピラたちが全員顔を向け、より注意して聞こうとする。やはりヴェルタ村というのは彼らの中でかなり手ごわい意識があるようだ。ハーンは思った。
「次に襲うところはヴェルタ村だって話、お前らちゃんと覚えているだろうな?まさか酒の上の話だったなんて忘れてやしねえだろうな?次の目標は、お前らがビビってる『鉄兵団』のいるヴェルタ村なんだぜ!ちゃんと頭の中で確かめろよ!」
「オレたちゃびびっちゃいねえぜ!」ハーンの前にいた男が声を上げる。それから次々に、チンピラたちの中から威勢のいい声が出てきた。その光景に、ハーンは一応満足したような顔を見せると、続けて云った。
「さて、そのくそったれの『鉄兵団』がいるヴェルタ村だが……先にその襲撃に協力する、オレたちの新しい仲間を紹介する。お前らも昨日見たから知っているだろう。リースリングだ」
 そういってハーンは、後ろにいた黒髪の女を紹介した。
 男たちがそちらをみると、昨夜彼らの前に突然現れたときとおなじように、そこには日中にぽつんと浮かぶ黒いふきだまりのような人影があった。黒いジャケットとパンツを身につけ、その細い体型と偏りの無い体の側線が、日に当たってはっきりとみえる。とても昨日ラスターと戦い、負かしたとは思えないほど華奢(きゃしゃ)でスマートな体つきだった。その服の色よりも黒い髪は肩あたりまでしなやかに伸び、唯一といっていい色の見える瞳には深いアメジストが沈んでいる。そして、相変わらずまったくといっていいくらい色の無い表情を、彼女は目の前の男達に向けていた。
 ハーンがふたたび男達の方をみると、不満に染まった彼らの顔が目に入ってきた。
「おい、どういうことだ、ハーン?」
「ラスター達に大ケガさせたヤツが、オレたちの仲間だって?」
「ふざけんな。そんななに考えてるかわからねえ女、いっしょにいると思うだけでムカムカしてしかたねえ!」
 チンピラたちがたちまち騒ぎ始める。それを、ハーンは手を挙げて制した。
「早合点するなよ。オレは、こいつがただ純粋に戦力になりそうだから、仲間に加えただけだ。お前らだって、こいつの実力を目の当たりにしたろ。これからヴェルタ村を攻めるってんなら、戦力は多いほうがいいに決まってるってことさ」
「だからって、なにもそんな女を連れていかなくたって、オレたちだけでも十分だぜ」
 チンピラの一人が云うと、ハーンはけん制するように答えた。
「お前らはだから甘いんだよ。いいか。確かにオレは昨日、ヴェルタ村を攻めるのにオレたちの力なら十分だと、人を殺したこともねえ自警団なんざ何人寄ってきたところで話にならねえと言った。だがそれでも、やつらの頭にはあのダグラスがいやがるんだ。どんなにこっちが有利でも、あいつ一人だけはそうはいかねえ。やつらとやりあってる中で運悪くあいつの目の前に出てきちまったやつは、きっと大ケガじゃすまねえぜ。この中に、ダグラスとまともにやりあって確実に勝てるといえるやつがいるのか?――いねえだろ。オレだってまあ、不意をつくなりなんなりすれば勝機はいくらでもできるが、正面きって、ってなると、なかなか手ごわそうなのが正直なところだ。
 そこへもってきて、これだけの集団だ。前の村襲ったときみてえに全員生き残るなんてのは難しい。ダグラスがいるならなおさらだ。だから、無駄な死人がでねえよう、力のあるやつなら一人でも二人でも多いほうがいいんだ。実際、村を奪ったところでこっちにたった数人しか残らねえようじゃ話にならねえからな。それにもともと、オレたちゃ寄せ集めのゴロツキ集団だ、ってことを忘れるなよ。だれがいつ、オレたち『グレアムの兄弟』の仲間に入ったってだれも文句が言える立場じゃねえだろ?」
 いわれ、チンピラたちの言葉がとまった。たしかに彼らの結束は、集団での行動――あまりほめられた内容ではないが――が度重なるたび、またその収穫をむさぼるあいだに高まってはいたが、もともとはだれが入ろうと抜けようと自由な集団である。いま彼女が一員としてこの集団に加わったところで、それを拒む理由はだれにも無いのだった。
 ただひとり、その理由があるとすれば――
「おい、ラスター。なんとかいわねえのか?」
 ひとりが小さく声をかける。彼らの後ろの端に、名前を呼ばれた彼・ラスターの姿があった。
 昨夜、リースリングの一撃を受け重傷かと思われた彼の首もとの傷は、出血量のわりにはあまり深いものではなく、急所も外れていたようで、手当てをするとほどなく彼は動くことができた。とはいえ、左の首筋から肩にかけて大きく巻かれた包帯は痛々しく、いかにも動きづらそうな格好をしていた。右手で剣を振るうことくらいはできそうだったが、あまりアクティブには動けそうもない。
 これほどの傷を負わされて、ラスターならリースリングの協力を拒絶するに違いない。だれもがそう思っていた。
 しかし――
 意外にも、彼は不機嫌そうな顔をしてはいたが、彼女やハーンに対して特になにも言葉を発しなかった。ただぶぜんとその場に座っているだけの姿をみて、ハーンは首をややひねるも、それならそれでよしと他の者をみわたした。
「よし、だれも文句がねえなら、こいつにいっしょに来てもらう。いいな?」
 確認するようにハーンが云うと、チンピラたちはそれぞれ仕方なさそうにうなずいた。ハーンはリースリングを確かめると、彼女の方はうなずくでもなく、口を開くでもなく、ただちらと目配せだけして反応を示す。
(……ったく、きれいな顔して、つくづく愛想のねえ女だぜ)
 ハーンは向き直り、チンピラたちに云った。
「襲撃は明日の深夜。ちと早いかも知れねえが、こんなものは思い立ったときにやっちまったほうがいいからな。じゃあ、これから早速ヴェルタ村の方に移動だ。各自時間までに獲物の刃でもといでおけよ!」
 彼が云うと、チンピラたちは三々五々散っていき、移動のために荷物を整え始めた。ラスターはゆっくりした動作で黙ったままむこうのほうへ歩いていく。ハーンらも、自分たちのテントのほうへ向かった。
 テントでは、いつもハーンの近くにいる女がテントを片付けていた。
「おい、よかったなソーム。女仲間ができたじゃねえか」
 ハーンは一年ほど前からこの集団に加わっているやせぎすの女に向かって云った。ソームはきびきびした、というよりどこがぎこちない動きで、テントを片付けながら答える。
「仲間が増えたことに関しては、一人一人のリスクが小さくなるのでよかったと思いますが。それが男であるか女であるかは、私には全く、興味がありません。ただ強いて言うなら、あの女は若いようなので、早く死ぬなり重傷を負うなりしてくれれば、私のいい研究材料になるとは思います」
 ひどく残虐で奇怪なことを平然とソームが云うと、ハーンは彼女の目線を避けるようにやや離れたところにいたリースリングの姿をながめてから、再びソームの方をみた。
「……ったく、おまえには女らしさってもんが欠片もねえな」
 ハーンのつぶやきが聞こえなかったのか、ソームは何も答えず、またテントをたたむことに没頭しはじめた。それをみて、次のヴェルタ村では若くてきれいで「まともな」女を片っぱしからつかまえてやると、彼は改めて決心した。
 さて、オレは自分の荷物でも片付けるか、とあたりをみまわしたとき、彼のそばにいつのまにかリースリングが近づいてきていた。
「なんだ、リースリング。滞在期間を延ばしてくれる気になったか?」
「……違う」
「なあ、四日間、ってのは短すぎやしねえか?もう少しいりゃ、お前だって村から略奪したごちそうに十分ありつけるってもんだぜ」
 ハーンはやや下卑た口調で云ったが、リースリングのほうはそれを全く意に介さず、ただ冷たく告げた。
「……約束は四日。それ以上になるのなら、別の情報口をさがす」
「おいおい、冗談だよ、冗談。わかってるって。四日間だな。四日。わかってる。――で、何のようだ?」
 彼が切れ長の目を向けると、リースリングは少し間をおいてから、口を開いた。
「……ヴェルタ村をどうやって襲うのか、具体的に聞きたい」
「どうやって?なんでまた」
「……私の役割を明確にしておきたいから」
「なんだ、そんなことか。作戦は、夜中になったら全員で静かに忍び寄って、やつらの村のそばまできたら合図で一斉に襲いかかる、ってとこだな」
「……それだけ」
「それだけだ。なんだ、なにか文句でもあるのか?」
 彼の言葉に、リースリングはただなにも言わず、ほんの少しだけ目を細めた。
「なにか言いたいことがあるって顔だな。プロの殺し屋さんには、オレの立案がご不満か?」
「……ヴェルタ村の自警団は、あなたの言うほど簡単に組できる相手じゃない」
 彼女の突然の言葉に、ハーンは目を細めた。
「……なんでお前がやつらのことを知ってんだ?」
 それには答えず、リースリングは続けた。
「人を殺したことのない者が大半だ、というのは、そうかもしれない。でも彼らは、普通の自警団ではしないような実戦訓練をかなり受けている。剣、弓矢、吹き矢、馬術。一対一での戦い、集団での戦略、夜襲への備え。戦いで使える技術を彼らはひととおり習得しているとみたほうがいい」
「――ほう」
「あなたの方法では、もしヴェルタ村に夜襲への備えがされていたら、あなたたちの損害はあなたが思っている以上に大きくなる」
 彼女の言葉に、ハーンはなにも云わず、しばし彼女の目を刺すように見続けた。自分の作戦に真っ向から反対する彼女を腹立たしく思う気持ちもふつふつとわかせながら、彼はもうひとつ別のことに考えをめぐらせていた。
 彼が考えていたのは、彼女がこれを自分に告げてなにか利益になることがあるだろうか、ということだった。実際、まだこのリースリングという女がどういった素性の者であるかは彼には謎であったし、もしかしたら国やそれに関連したどこかの差し金である可能性もある。この『グレアムの兄弟』を、壊滅まではいかずとも弱体化させる何か作戦をふきこまれているのかもしれない。そう考えた場合、はたして彼女はヴェルタ村の襲撃を知ってどういう行動をとるだろう?
 ヴェルタ村の襲撃を遅らせるつもりで、こんなことを教えてきたのだろうか。だとすればおかしい。この女は「四日間」という期限を設けてきた。その期限があったからこそ、オレは村を襲撃する日を早めたのだ。遅らせるつもりなら、はじめから期限など設ける必要は無いはずだ。
 とすれば、彼女はただ純粋に今回の作戦のことを心配しているのか。余計なお世話だ、と彼は思った。
「お前が言いたいことはそれだけか、リースリング」
 ハーンはいっそう彼女のほうへ顔を近づけ、云った。
「やつらに備えがあるとして、じゃあ他にどうするってんだ?お前にはなにかいい策があるってのか?」
 ハーンに聞かれ、しかしリースリングは無言のまままぶたを少し下げるだけだった。
「だろ?それにだいたい複雑な策を用意したところで、チンピラどもがその通りに動くと思うのか?やつらは兵隊じゃねえんだぜ。言われたとおりにきびきび動くわけがねえ。各自が自分のやり方で動く単純な方法が、オレたちに一番合ってんだよ。ずっと前からこのやりかたでやってんだからわかる。下手な作戦は立てねえのが作戦だ。だいたい、自分でいい作戦もねえくせに他人にアドバイスしてんじゃねえよ」
 一気にまくしたて、彼はリースリングから顔を離した。どうだ、言ってやった、という実感がハーンの中に残った。
 だがすこしして、リースリングはつぶやくように、しかしはっきりした調子で云った。
「……策は無い。あなたたちのための策は。でも――」
「――?」
「……あなたのための策なら、いくつかある」
「……どういうことだ?」
 すると、リースリングはひどく冷えた口調で、興味のなさそうに告げた。
「……私にとっては、あなたが助かればそれでいい。他はどうなろうと関係ない、ということ」
 それを聞き、ハーンは急激に顔をこわばらせた。
「なんだと。オレの仲間は関係ない?」
「……私が用のあるのは、あなた個人。あなたさえ生かすことができればいい、ということよ」
「ふざけんな!」ハーンは激昂した。「だったら仲間全員だ!オレの仲間たち全員を助けるのが、『蒼い蛇』の情報との交換条件だ!」
「それは無理」リースリングがきっぱりと云った。「あれだけの人数をかばうのは、難しい。あなた個人を守るのなら、協力する」
「守るだあ?オレは女なんかに守ってもらうつもりなんざさらさらねえんだよ!お前にどのくらいの実力があるのか知らねえが、女に守られるくらいなら、いまからサガンの兵舎に自首して潔く首をくくったほうがマシだ。オレの男としてのプライドが許さねえ。いいか、リースリング――」
 声を荒げ、さらにハーンはリースリングをにらみつけた。
「役割、つったな。じゃあお前が、まずいの一番にダグラスと戦え。それがオレたち全員のためになる。襲撃中にやつをみかけたら、真っ先にやつのところにいって殺せ。それを『青い蛇』の情報と交換条件にする。いいな?」
 どうせできねえだろ、とハーンはなかば思いながらそう云った。しかしリースリングは、あいかわらずの無表情で
「……いいわ」
 あっさり答えた。
 ハーンは彼女の短い言葉に、拍子抜けしたように目を見開いた。
 『鉄剣団』に関する詳しい情報を持っているのなら、ダグラスのことも十分知っているだろう。なら、このサガン国で最も重きを置かれている兵隊・鉄兵団の団長だったダグラスに、この女は勝てると思っているのか。
(――だがまあいい。こっちにとっちゃ時間稼ぎになるだけでも好都合だ)
 ハーンはそう判断し、リースリングに向かって云った。
「ふん。いいな、約束は守れよ」










「……まずいぞ、これは」
 そうつぶやく、白髪まじりの中年男が城跡の中にいた。
 彼は移動のために自分の荷物を片付けるフリをしながら、これからどう動くべきかを頭をかきながら思案していた。
 周囲はヴェルタ村襲撃のために意気の上がった男たちが、身を震わせながら支度をととのえている。まもなくこの城跡を出て、ヴェルタ村の近くにある小さな岩山の裏に移るだろう。彼は考えていた。どこまでこの盗賊団に同行するか、いまのうちに決めておかなければならない。
「どうしたデュデック。なに難しい顔してやがる」
 はっとして振り返ると、そこには左肩を負傷したラスターの大きな体躯(たいく)があった。
「年をとるといろいろストレスでもたまるのか?それとも前の村の襲撃でどこか筋肉痛にでもなったか?」
 押し黙っていたさっきとは別人のように朗らかな表情に、デュデックは若干戸惑いながらも、言葉を返した。
「い、いや、少し魔法の練習をしすぎてな。肩がこったんだ」
「魔法か?また怪しげなことを……」
「それよりなんだ。用事か?」
 デュデックがたずねると、ラスターが云った。
「いや、中年男のお前にも、ちっとはこういった楽しみがあったほうがいいのかと思ってな」
「どういう意味だ?」
「あのリースリングとかいう女――」
 ラスターはそこから小声になってなにやらぼそぼそとささやく。それを聞き、しかしデュデックは首を小さく横に振った。
「いや、今日はあいにく早く寝たいんだ。どうも年をとると疲れがたまるんでな。明日の夜は存分に働かにゃならんし、今日のうちに休んでおかないと」
「そうか、残念だな。また誘う」
 いうとすぐに、ラスターは立ち去っていった。明日の戦いには、彼も参加するのだろうか。彼は思った。リースリングとかいうそこそこ力のありそうな女が加わったのは心配だが、引き換えにラスターが手傷を負ったのは幸いというべきか。
(しかしどちらにしろ、彼らがヴェルタ村を襲撃するということ自体がなによりの一大事だ。はやいとこここを抜け出して、村に知らせにいかねばな……)
 そう考え、彼は眉間にしわをよせて難しい顔をつくった。
 お察しの通り、彼は『鉄兵団』のダグラスが忍び込ませた、スパイである。自身も『鉄兵団』の一員である彼は、一月ほど前に「不正な金の使い込みがばれ、ここまで逃げ込んできた」という偽の経緯でグレアムの兄弟に加わり、彼らの動向を探っていたのだった。
 彼自身はもっと込み入った自分の状況を説明するつもりでいたが、ハーンもだれもそこまでつっこんだことは聞いてこず、すんなりと仲間に入ることができた。それからは、この集団の規模、構成、ねぐらをどこに定めているか、いつも行商人を襲っているのはどのあたりか、などを細かく記録し、もうしばらくしてからヴェルタ村に報告に戻るつもりでいたのだった。
 しかしハーンが急にヴェルタ村を襲うと言い出し、チンピラたちはそれに賛成。明日にもヴェルタ村は戦火に見舞われることとなり、デュデックはすぐにでもこのことをダグラスに知らせなければならない状況になっていた。
 ここから抜け出すのはそれほど難しいことではない。だれも見張っているものなどいないのだから、黙って去ればいいだけだ。しかしその前に、彼にはひとつだけ調べておかなければいけないことがあった。
 彼が周りを見渡すと、遠くにあるテントの近くで荷物を持とうとしていた黒い服の女性が目に入った。彼はそこへ近づき、彼女に声をかける。
「リースリングさん、だったな?」
 デュデックが云うと、彼女は一瞬彼の方を向くも、すぐにまた荷を持ち直し、何も言わず去っていこうとした。あわててデュデックがとめる。
「おいおい、ちょっとまてって。つれない態度だな。自己紹介くらいさせてくれたっていいだろ?」
 彼が云うと、リースリングがようやく立ち止まる。彼はすこし明るめの笑みを浮かべながら、きさくな様子で話しかけた。
「俺はデュデックだ。よろしく」
 そうして彼が右手を差し出す。握手を求めるが、リースリングは沈んだ瞳を向けるだけで手を出そうとしない。
「なんだ、握手は嫌いか?つれないなあ。一応これから一緒に行動する仲間だろう?」
「……なにか用」
 最低限の返事に、デュデックは苦笑するしかなかった。
「いや、まあその、なんだ……用、ってほどのことでもないんだがな」
「……ないのなら……」
「ああ、ちょっとまてよ。その……さっきちょっと小耳に挟んだんだがな、あんた、気をつけたほうがいいかもしれん」
「……どうして」
「いまラスターのやつが来てな。……ああ、ラスター、っていうのはあんたが昨日闘ったでかい男だ。そいつがな、あんたにケガさせられたこと、まだ根に持っているようだった」
 神妙な顔つきで、デュデックは云った。
「それで何らかの形で必ず復讐してやる、ってあいつ言ってたんだ。ラスターはああみえて結構執念深いというか、残忍なところがあってな。襲撃中に恨みのある仲間を後ろから切りかかるなんてこと平気でやってくる男だ。あんたに対してもなにかやってくるかもしれんから、せいぜい注意しておいたほうがいいよ」
「…………」
 リースリングはなにかおもわしげに目を横にやるも、すぐにまた色の無い表情に戻った。デュデックはそれを見て、興味深げなまなざしを向ける。
「ところであんた、昨日ラスターを簡単に手玉にとっていたが、いったい何者なんだ?壁のでっぱりを踏み台にしても、普通の人間はあんな高くジャンプなんてできないし、そこから宙返りしながらそこらに落ちていた石を投げて人間の首筋をきりつけるなんてこと、常人じゃ考えられない。俺がみたところ、あんたは通常の戦闘術をみにつけているのでない、なにか特別な……暗殺のプロとか、そういったもののような気がする。あれはおどしたり威嚇(いかく)したりするためじゃなく、完全に人を殺めるための技術だろう。でも、小剣やナイフを振るったり、拳で急所を狙ったり、薬物を使ったりするようなタイプとは違う。あんたの力、いったいどういったものなんだ?」
 デュデックは、昨日現れたこの謎めいた女・リースリングの力を探るつもりでいた。
 『グレアムの兄弟』の仲間になると言っている以上、ヴェルタ村を襲撃する際にはこの女も参戦する。昨日のラスターとの闘いをみる限り、彼女のほうがラスターより一段も二段も上だ。それは、力が、というより、格が、という意味に近い。年若く見える彼女の方がラスターより落ち着いているようにみえたし、なにより闘い方に余裕があった。そしてそれは、ヴェルタ村が窮地に立たされているいまとなっては自分達『鉄兵団』にとって大きな障害になるだろうと、彼は考えていた。
「あんた、いままで何人殺してきたんだ?まさか、ひとりも殺したことがないなんてことはないよな?」
 デュデックが口の端を少しだけ上げて微笑む。だがそれでも――
「……あなたに話す必要は無い」
 そういって、リースリングは彼の質問を無視しようとした。
「ま、まて。今度のヴェルタ村の襲撃には、あんたもくるんだろ。なら、あんたがどういうふるまいをするか、どこまでのことをするのか、俺たちに知らせてくれたっていいんじゃないか。実力がわからなきゃ、俺たちはあんたにどこまで任せていいのかわからないし、サポートも難しくなるんだ。だから……」
 しかしリースリングは、変化の無い目つきでデュデックの方をただみつめながら、小さく、はっきりとした口調で答えた。
「……殺した人の数なんかで、私の何がわかるの」
「いや、それは……」
 言葉につまるデュデック。リースリングはそれからもうなにも言わないまま、彼の前からすぐに去っていってしまった。
 呼び止めるも、彼女はもう振り返らない。そんな彼女の後姿を、デュデックはただ難しい顔をつくりながらみているしかなかった。
(リースリング、か。やっかいなやつだ。いろんな意味で)
 彼はため息とともにそう心の中でつぶやいた。気を取り直し、移動のために自分の荷物をまとめようとする。
(明日の晩。それまでに何とか全部の対策を整えないとな)
(ハーンやチンピラたちは、一斉にかかってこられなければダグラスなら軽くいなせるだろう。ラスターも手負いだ)
(あとはあの女だけ。まさかダグラスより強いなんてことは無いと思うが、一応注意するように、とダグラスに報告するか)
 そうして彼は考え込むような難しい顔をつくり、報告のための様々なものごとに思いをめぐらせた。そのあいだにも、『グレアムの兄弟』が巻き起こす大きな一戦の準備が、彼の周辺では着々を進められていたのだった。




 
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