死神と女神の狭間 第ニ章  

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「まったく、あの子たちどこにいったのかしら」
 ヴェルタ村から少し離れた隣の村で、サンドラは気をもんでいた。
 結局、アラウンと別れた後も二人の息子たち――レオとタウラスは戻ってこず、サンドラは村中を散々探し回ってからようやく、近所の人に連れられてこの村に避難してきたのだった。
 他にも戦いに出た者以外の村人はみな、この村にやってきていた。その中でもサンドラは自分の息子の名前を呼び、周りの者に尋ねた。しかしだれも、二人の姿を見たものはいなかった。
 サンドラはあえなく、ヴェルタ村の人が大勢いる大きな宿場で夫の帰りを待つほかなかった。戦いに出た夫に対する不安、レオとタウラスに対するいら立ちと心配。サンドラはなかなか気が落ち着かず、ため息ばかりをついていた。
 他人に何か聞かれても、なかばうわのそらで、なかばいらいらしたように返事を返したため、次第に周りの人も声をかけなくなった。サンドラはサンドラであまりそういったことは気にしないたちだったし、心の中では少しそれを望んでいたところもあった。息子たちのことを知っていれば教えてほしい。でも基本的にはひとりにしてほしい。身勝手だと感じていても、サンドラは窓際の椅子に座り、もうすっかり暗くなった外をながめながらそう思っていた。
 サンドラはヴェルタ村からやや離れたところにある町の出身で、サガン国ではそこそこ名の知られた大きな鉄鋼具店の娘だった。そのため、ヴェルタ村には昔からの友人や知り合いはおらず、また本人自体もあまり社交的な性格ではなかったため、このようなときやさしく話をもちかける人は、彼女の周りにはいなかった。だがそのことを、彼女はあまり気にせずこれまで過ごしていた。いまの家庭が無事なら、アラウン、レオ、タウラスといつまでも変わらず過ごすことができればそれでいい。それ以外のことはなにも望まない。それが、彼女の思いだった。
 アラウンも、いまの家族を守ることをなによりも優先させている。だが夫は、すぐに自分を犠牲にするきらいがある。大切なものを守るためなら自分の命など考えないで、なりふりかまわず向かっていく性格。だからこそ、彼女は今日の戦いを心配していた。だれかのために、彼が犠牲になったりしないように。彼女はそればかりを祈っていた。
 レオは、タウラスは、どこにいってしまったのだろう。一日中外に遊びに出てなかなか帰ってこないことはいままでにもよくあった。しかし夕飯時になっても戻ってこなかったことは、これまでなかった。
 胸騒ぎがおさまらない。いまの自分からはどうしようもないことだが、それでも気にせずにはいられない。
 早く戻ってきてほしい。三人がまた彼女の前に姿を見せるまで、とても眠れそうにない。サンドラはまたひとつ、窓に向かってため息をついた。ガラスに少しの間だけ白い模様ができ、すぐに消える。その繰り返ししか、いまの彼女にはできることがなかった。





 青々と生い茂ったヨシャブシの幅広い葉の上で、低くにぶい音がした。
 このかすかな音が聞こえたのは、リースリングの近くにいたハーンら少数だけ。ダグラスにもアラウンにも、この奇妙で不吉な音は聞こえていなかった。
 それから少し間をおき、ばさばさと葉のこすれる音。それとともに枝の折れる音。
 なにかが、ヨシャブシの木の上から落ちてきた。
 それはヨシャブシの枝にぶつかって少しだけ方向を変える。そして何の反応もないまま、力なく地面に向かっていく。
 まもなく、どさり、という生々しい音がした。
 何が落ちてきたのか。周りの者がその地面にのびたものを確かめる。
 子供だ。
 ひと目で人間の体とわかる。頭、手、足。しかし全体に小さい。どうみても幼い子供の体だった。
 グレアムの兄弟たちも、鉄剣団たちも、目を見開いた。目の前の光景に、頭の理解がついていっていないようだった。
 そこへさらにもうひとつ、葉のこすれる音が降ってきた。
 今度のそれは縦長に落ちてきた。先ほどのものに比べまだしっかり力がある。しかしそれは地面に付いたとたんしりもちをつき、やはり同じように地面に倒れ伏した。
 彼らはそちらも見た。やはり子供。それも先ほどのものよりさらに小さい。
 痛くつらそうに体をふるわせ、その子供はなんとか起き上がろうと手足を動かしている。木に落ちた衝撃で、足か腰かを痛めてしまったらしい。最初に落ちた方の子供は、ずっと動かないまま。
 周りにいたもの全員の頭に、疑問がわいた。なぜこんなところに子供が?どうしてヨシャブシの上に?
「……なんだこいつらは」
 ハーンはつぶやき、リースリングの方を見た。またいつもの色のない顔つきなのだろうと思いながら。
 確かに、彼女はいつもどおりの無表情だった。自分の放った凶刃の成果を、冷酷なアメジストの瞳で眺め下ろしている。違うとすれば、彼女の目がほんの少しだけ、いつもより強く狭まっているような気が彼にはした。
 今度は子供のほうに視線を向ける。
 彼女の投げ放った短剣が、木の上に潜んでいた子供に突き刺さり、地面に落ちてきた。もう一人の子供はそれを追ったのか、あるいはショックで足を滑らせて木から落ちてしまったのか、という推論が妥当なようにハーンには思えた。
「――――レオ?」
 と。
 ダグラスの後ろにいたアラウンが小さく声を出した。その表情が、一気にこわばる。
 小さいほうの子供がちょうどダグラスとアラウンの方へ顔を向けた。そのとき、アラウンの不安は確信に、そして絶望へ変わった。
「――タウラス!レオ!!」
 アラウンは走り出していた。その顔はひどく青ざめている。
 ダグラスもアラウンよりわずかに遅く、二人の子供を認識した。しかしそのときにはもうアラウンは自分の前に飛び出していた。彼は止めようとしたが、もうアラウンは手の届かないところまで走ってしまっている。
「アラウン、待て!」
 ダグラスが叫ぶ。しかしアラウンは全く耳を貸す様子もなく、二人の息子のもとへかけよろうとした。
 それら一連の動きにとっさに反応したのが、ハーンだった。
 彼の口元に、残忍な笑みが浮かぶ。
「リースリング!」
 彼の言葉に気が付いたように、リースリングは駆け出した。
 いま子供のいる場所に最も近いのが、リースリング。地面に倒れて苦しむ小さいほうの子供をつかみ、首筋にナイフを当てるまでさほど時間はかからなかった。
 それを確認してから、ハーンは走り寄ろうとする男――アラウンと周りの鉄剣団に向かって告げた。
「そこまでだ、お前ら!!それ以上近づくと、あの子供の首をかき切ってやるからな!!」
 アラウンが足を止める。ダグラスもデュデックも表情を固くして動きを止める。それとは対照的に、ハーンはさきほどまでの焦りがウソのように勝ち誇った顔で云った。
「まったく、戦いってのはどっちに転ぶか最後までわからねえもんだな、え?あいつらはお前の息子か?なんでこんなところにのこのこ顔を出しているのか知らねえが、見ての通りのざまだ。かわいそうに、ひとりはどうやら死んでるみたいだぜ?」
 ハーンは落ちてからぴくりとも動かない子供のところへ近寄った。そしてその体を足で乱暴に蹴り上げる。
「やめろ!!レオに乱暴するな!!」
 アラウンが悲痛な叫び声をもらす。が、ハーンはそれさえももはや快感といわんばかりに笑みをたたえ、幼い子供の体を転がし、それをしきりに踏みつけた。
 レオと呼ばれたその体に、リースリングの投げた短剣が突き刺さっている。心臓のあたりを貫いている短剣。それが直接の致命傷にみえた。さらに木から落ちたときの衝撃で、ひじと足が妙な角度に曲がっている。ハーンがレオの体を足でいらううち、目を閉じてぐったりしたレオの表情がアラウンに見え、胸を鋭く、痛々しく突いた。生きている可能性は、もはや絶望的だった。
「へえ、レオってのか。かわいそうになあ。こんな歳でもう死んじまうなんて。そっちのは弟か?」
 ハーンはおかしくてたまらないというふうに、今度はリースリングが抱えている子供のほうを見て云った。
 うっすらと、苦痛に顔をゆがめながら、捕えられたタウラスは弱々しく口を開いた。
「……兄ちゃん……父ちゃん……ごめん…………ごめんなさい…………」
 しだいに泣きべそをかくタウラスを遠間から見て、アラウンは胸を痛めるとともに、なんとなく事情を飲み込んだようだった。
 レオとタウラスは、鉄剣団に強いあこがれをもっていた。その鉄剣団が総出で本格的な戦いに出るのを聞き、二人はそれを見てみたいと思って、絶対見つからない自信のあったヨシャブシの木の上に身を隠していたのではないか。
 たしかに普通の人間なら、気づくことはないだろう。実際、盗賊たちも自分たちも、今の今まで二人が潜んでいたことなど露とも気が付かなかった。
 いまタウラスの首にナイフを当てている、あの女を除いては。
 リースリング――デュデックの言っていた、最も注意するべき敵。プロの殺し屋。
「どうする、ダグラス?」デュデックが苦々しい顔で相談する。しかしダグラスも、この突然の状況に判断を迷わされていた。
 人数ではこちらが有利。だが、タウラスを人質に取られ、身動きがとれない。
 この様子を見て、グレアムの兄弟は再び息を吹き返したようだった。かなり後方に控えていた者たちも、徐々にハーンの近くに集まってくる。ゴブやソームがハーンのそばへ、ラスターも、ついさっきまで自分がどう逃げるかを勘案していたようだったが、いまはしたり顔で前に出てきていた。
 戦いは、完全に膠着(こうちゃく)していた。もはや剣の触れ合う音や血肉が裂かれる音は聞こえない。静かなにらみあい。
 そっと、夜の風が彼らの周りを吹き抜けた。いつしか夜鳥の鳴き声も彼らの耳に入るくらい、彼らのいる場所に音がなくなっていた。
 アラウンは動かない。そのすぐ後ろまできたダグラスも、やはり動かない。動けないでいた。
 ようやくハーンが口を開いた。
「ようし、お前ら。人質交渉だ」
 自分たちにとでも、相手にとでも、彼は周りを見渡しながら云った。
「この場はとりあえず引き上げる。また明日、俺たちがお前らの村に来てやるから、そのときに交換条件を話し合うってのでどうだ?」
 何か云おうとするアラウンの肩をたたき、ダグラスが前に出た。一瞬、警戒するハーン。しかしダグラスは剣を下ろし、にらみつけるようにハーンに云った。
「……何を用意すれば、タウラスを返してくれる?」
「ダグラス!!待ってくれ……」
 アラウンはダグラスの肩をつかんだ。だが――
 ダグラスはそれを払って振り返り、アラウンの胸ぐらをつかみかかった。
「待つだと?なにを待つんだ。お前は、自分の息子が犠牲になっても、村のためにやつらを全滅させたほうがいいとでも考えているんじゃないだろうな?」
 ダグラスの剣幕に、アラウンは少し戸惑った。
「ダグラス……」
「俺たちは村の人たちを守ると約束したんだ。自分は犠牲になっても、自分にとって大切なものを守るためにみなここに来ている。それなのに、目の前の自分の子供を村のために見殺しにするというのは本末転倒じゃないか?ここはこらえろ。我慢するんだ、アラウン」
「ダグラス――」
 そう云うアラウンが無念そうに肩を落とすのを、ダグラスは難しい目でみつめた。
 彼が最も恐れていたことのひとつが、人質を取られることだった。村を守るためではない。村の人を守るために戦っている、そう言って士気を高めている以上、一人の人間も見捨てるわけにはいかない。だからこそ、彼らはグレアムの兄弟が村に攻め込む前に決着をつける必要があった。もちろん人質をとってダグラスに逆らえなくさせることはハーンも考えていたことだが、まだ完全に森の中にいる状態で戦いが始まってしまい、さらに戦力差がついてしまっては、村に攻め込むことすらままならなかった。逆にダグラスにとっては計画通り、これ以上はないほど予定通りの成果だった。
 しかし、二人の子供が戦場に来ていたこと、そしてグレアムの兄弟に「黒髪の女」のいたことが、不幸にもここで結びついてしまったのだ。
 鉄剣団の向こう側から、彼らを追い込むような軽々しい声が飛び込んでくる。
「交換条件は、ゆっくり考えておくぜ。ま、人一人の命がかかってるんだから、そう安くはねえだろうけどな」
 ハーンが悪魔のように笑う。勝利を確信した、いかにもおおげさな笑いだった。
 鉄剣団はだれもが悔しさに打ち震えていた。さっき以上に、戦いへの士気はあがっている。しかしアラウンの息子タウラスは、黒髪の女に抱きかかえられ、少しでも怪しい動きを見せれば簡単に首を切り裂かれる状態のまま。村人を必ず守り抜くという彼らの高い信条が、逆に彼らをきつく縛り付けていた。
 もはやどうすることもできない。タウラスが彼らのもとから離れるほどに、顔に悔しさがにじむ。
 グレアムの兄弟たちは徐々に後方へ下がり、彼らとの距離をとっていく。リースリングに連れられて、タウラスの姿も消えた。
「次の昼ごろ、またくるからな。それまでに、いろいろ話しておくこった」
 ハーンが意気揚々と背を向ける。グレアムの兄弟の姿がゆっくりと、森の暗闇の中に消えていった。
 鉄剣団は失意に包まれた。ある者は剣を振り落とし、ある者は吹き矢を地面にたたきつけ、ある者は地面にひざを折って泣き崩れた。
 アラウンはすぐさまレオの倒れているところに駆けていった。
 その力ない体を持ち上げ、息子の名前を呼ぶ。
 何度も、何度も。
 だがその声は、戦いが終わり静寂が戻ったグレアムの森に、むなしく響くばかりだった。
 二つの月明かりが、ヨシャブシの林冠の隙間から差し込む。その美しく細い光は、彼らの辛くやりきれない思いをむなしく照らし出していた。




 
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