死神と女神の狭間 第三章  

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第三章:ガダルカの戦い(前編)





 サガン、ネイル、グリッグランドの三つ巴の争い。
 「悪夢の三国会談」以来、三つの国の対立は激化する一方だった。
 サガンが海峡を隔てたグリッグランドに攻め入ろうと動きを見せれば、その隙をネイルが狙おうとする。グリッグランドがサガンへ反攻に転じれば、そこにネイルがつけこむ。サガンが逆にネイルに攻め込めば、グリッグランドはサガンとネイルの港を抑えようとする。戦力だけでいえば広大な土地と多数の都市を持つグリッグランドが有利であったが、それでも二つの国を一度に相手にするほどの戦力はない。ネイルとサガンもしかり。三国間では、相変わらず緊張した状態が続いていた。
 特にひどかったのはネイルとサガンの間だった。国境を陸で接していることもあり、どちらかが国境を侵害することはもはや日常茶飯事だった。少しでも弱みを見せれば攻め入る。お互いにそれが野望でもあり、それこそが平和へ近づく方法でもあると、どこかで考えていた。
 ――考えていた?
 それはだれが、いつ考えたのだろう。
 国王か、それとも国民か。
 泥沼は一向に縮まることなく、むしろ人々の死とともに広がりつつある。
 どれだけの犠牲をもとに、どこの国が三国を制するのか。
 そこにあるのは、大勢の住民の涙と、一部の人間の乾いた笑い。
 終息は、いつ訪れるのか。
 重い閉塞感が、様々な人の心にのしかかっていた。










 眼下に、数え切れない人の群れが見える。
 石造りの塔にある狭いバルコニーのスペース。そこに、魔道士見習いの青年ウェイン=ジェリドの姿はあった。
 サガン国にある要塞都市ガダルカ。その最も高く威厳のある建物が、王の塔。その上階にあるバルコニーから、彼は青く大きな瞳で、下に規則正しく並んだサガンの兵士達を見下ろしていた。
 その数の多さに圧倒されながら。
 ウェインはいま自分のいる場所が、自分には不相応なところではないかと、この瞬間に自覚した。目をそらさなければ、足がすくみ、ふるえそうだ。
 彼は気を落ち着けるため、また周りを見回してみた。
 ウェインの前には、彼の師匠である大導師フェルトールの姿がある。白髪で、青白いローブをまとい、長い木の杖を右手に持った大導師の背中は、彼とは違って堂々と落ち着き払っている。彼は師匠であるこのフェルトールにつれられ、盛大な兵士達を眼下に見下ろすこの場に立っているのだった。
 その右側、バルコニーのほぼ中央部には、大柄な中年男の姿。ぶ厚く派手な赤いコートを身につけ、頭には宝石の入ったバンドをつけている。
 この人物こそ、ガダルカを治めるサガン王弟・ベルだった。
「諸君!ネイル国の野望を打ち砕くために集った勇者達よ!!いまやネイルの軍勢はわれらがサガン国との国境を侵害せんと、このガダルカの目前まで軍を侵攻させている。だが、それも全くの失敗に終わるだろう。なぜなら、ガダルカには勇猛果敢な諸君らと、この『鉄の壁』があるからだ!!」
 近くで聞くと耳が痛くなるほどの大きくよく通る声で、ベル王弟は塔の下に並ぶ数千の軍勢に呼びかけた。
「諸君らも知るとおり、この急峻で狭いアマウロティス渓谷には、我らがサガン国が十数年をかけて造り上げた『鉄の壁』がある。どんな軍勢もよせつけず、どんな魔法もはね返す、我らがサガンのあふれる鉄鋼資源により可能となった鋼鉄の壁だ。これがある限り、ネイル軍は手も足も出ない。この渓谷をやつらが通り抜けることなど、万に一つもありえないのだ。それなのにあえてここに攻め込んでこようとするネイル軍は、愚かで野蛮というほかないではないか!なら我らが教えてやろう!やつらがどんな姑息な手を使ってこようとも、ガダルカは決して破れはしないのだと!!」
 歓声がわき起こる。嵐のような人々の声が、その場の空気を震わせ、広がる。それに飲まれそうになるのを、ウェインは必死にこらえた。
 『鉄の壁』。それは、いまもウェインの目に映る景色の中に広がっている。
 狭い谷。その端から端まで一直線に伸びる鉄の壁。巨大、というのを通り越し、もはや広大ともいえるほどの鉄のかたまりが、そこにはあった。
 赤黒く沈んだ色の壁が、ガダルカの都市とネイル側の外界とを完全に遮断している。いまウェインらのいる城の城壁よりも高くそびえたつ壁。いまは太陽の光に照らされていくぶん明るく見えるが、夕方になり太陽の向きが変わると、壁の手前側はその影に覆われ、まだ夜がきていないのに夜同然の暗さになってしまう。だから壁の近くには人家が無く、ただ荒地が広がっているだけになっている。
 ウェインはその壁を見ると、なぜかいつも気が滅入った。ガダルカの都市を外敵から守る絶対的な存在。その模様ひとつ無いあまりに純然な壁の様子が、彼の心を冷えさせるのかもしれなかった。
「だが、愚かなネイルの軍勢もただでは攻めてこない。やつらは魔法の力がため込まれた兵器を用意しているとのことだ。このガダルカの『鉄の壁』を破壊するために!馬鹿な者たちだ。我らの『鉄の壁』に真っ向正面からぶつかり、破るなどという手段はもはや戦術ではなくただの横暴だ!!ネイル軍はそこにいくつかの勝算があると思って挑んでくるのだろうが、やつらは鉄の壁のことを全く分かっていない!こちらにとっては完全にお笑いぐさだ!!」
 賞賛の声。同意の声。ベル王弟の言葉に感化され、大勢の兵士達が士気をあげる。ウェインはその光景にただただ呆気にとられていた。
(兄さん!)
 と、ウェインはいきなり横腹をひじでつつかれた。
(なにぼけーっとしてるのよ。フェルトール様の警護で来ているんだから、もう少しシャキっとしなさいよ!)
 彼の隣には、同じくらいの背丈で、赤いローブをまとった女性の姿があった。肩の下までのびる長い髪。兄と同じ金髪だが、やや赤みがかっている。瞳も燃えるように赤い。ウェインの双子の妹・ウェラだ。
 彼女は小声で、足のふるえを必死に抑えている兄に向かって云った。
(万が一だれかが襲ってきたら、私達がフェルトール様を守らなくちゃいけないんだから。気を集中して――それとももしかして兄さん、この雰囲気に飲まれてるの?)
 痛いところをつかれたウェイン。
(――う、ウェラは平気なの?)
(ぜーんぜん。こんな大人数の集会なんて、ちょっと大きなお祭りだと思えばいいんだから。私達の国でもあったでしょ?これくらい人数が集まったの)
(お祭りとはまた違うと思うんだけど……)
 苦笑気味の表情になったウェインの前で、ベル王の演説は続いていた。声は疲れてくるどころか、興奮してさらにトーンが上がってきたような気さえする。
「ネイルの軍勢がその兵器でいかように攻めてこようとも、ガダルカが誇るべき『鉄の壁』と諸君らがいれば、負けることなどあるはずがない!そしてさらに、今度の戦いではそれをさらに後押ししてくれる協力者がいる。遠い同胞の国、魔道立国ミコールからはせ参じてくれた、世界三大魔道師の一人、大導師フェルトール殿だ!!」
 ベル王弟の紹介とともに、ウェインの前にいた老人がバルコニーの手すりの近くまで進み出る。再び湧き上がる歓声。それに答えるように、ウェインとウェラの師匠・フェルトールは右手を静かに上げた。
「ネイルの軍勢にある魔法兵器の存在は、フェルトール殿が得た情報によるものだ。これにより我らの勝利はより確実に、より確信に満ちたものとなるだろう!!」
 ウォーッ!!ワァーーッ!!
 ガダルカ!!ガダルカ!!
 ベル王!ベル王!!
 フェルトール!!
 兵士達は次々に拳を上げ、王弟の言葉に答え、フェルトールを称賛する。自分自身を、周りの兵士を、軍全体を、そしてガダルカそのものを鼓舞するように。
「かのサガン建国者、ハーン=ルーベンスは言った。『国境が無ければ国は無く、国防の要は国境に有る』と。フェルトール殿の協力を得た今、ネイル軍に勝算はかけらも無い!我らがこの国境をネイルの邪悪な侵攻から守り、やつらが今後数十年、侵攻する気力を失わせるほどの完全な勝利を手に入れようではないか!!」
 さらなる歓声。響き渡る兵士達の声。
 城が、塔が、揺れ動くほどの音。
 その響きを耳に感じながら、ウェインはフェルトールの後ろから見えるはるか下の兵士達を見て、考えていた。
 何が彼らをそこまで奮い立たせているのか。
 やはりふるえそうになる足を止めながら、自分の中の冷静な別のところで、彼はそんな思いをめぐらせる。
「ウェイン、ウェラ」
 そのとき。
 目の前にいたフェルトールが、そっと彼ら兄妹の方を振り返った。はっとするウェイン。ウェラの方は、わりと落ち着いた表情。
「よく見ておきなさい。この光景を」
 しわがれた、しかしはっきりとした口調で、フェルトールは云った。大きな歓声の中では聞こえにくくなるはずの声が、なぜかよく彼の耳に届いた。
「彼らは、恐怖している。今度の戦いに、少なからず恐れ、おののいている。その姿、様子を、しっかり心に留めておきなさい」
 恐れている――?
 師匠の言葉に、ウェインは疑問を持った。勢いを増す彼らの歓声。王の言葉に呼応する彼らの気勢。戦争に立ち向かう彼らに、恐怖などみじんも無いように感じる。
 彼らに云った後、また前を向いたフェルトールの後ろで、ウェラがまたウェインの横腹をこついた。
(――恐怖しているって、あの兵士達のこと?)
(……たぶん、そうじゃないの)
(全然そんなふうに見えないんだけど――兄さん、どういうことか分かる?)
(僕も、よく分からないけど……)
(けど?)
(いや、ううん。なんでもない)
(なにそれ)
 小息をつくウェラ。ウェインも、もう一度兵士達に視線を落としてみる。
 続いているベル王弟の演説。それに応える兵士。
 もしかすると――
 ウェインは思った。
 士気を高めるということは、どういうことか。
 自分がもし、生死を賭けた戦争に最前線で向き合うとしたら。
 自分がもし、これからひとりの人間と切りあい、殺しあうのだとしたら。
 たぶん、怖さのあまり、体のふるえがとまらなくなる。
 その恐怖の裏返しが、今ある風景なのではないか。
 怖れる自分を激励し勇気付けるため、声を上げ、拳を突き上げる。
 彼は足が奮えた。それは大歓声から受ける単純な圧倒ではなく、その裏側が見えたことへの関心や不安、疑問が複雑に入り混じった感情からくるものだった。




 
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