死神と女神の狭間 第三章  

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 ネイル軍陣地の隅にある牢屋。そこに、リースリングはいた。
 あいかわらず谷をふきぬける強風を受けながら、彼女は長い黒髪をなびかせて牢屋の前にたたずんでいる。
 最初は何をしているのかと思いトリッケンは後ろから声をかけた。だが同時に、これはどこかで見た光景だとも思っていた。
「リースリングさん」
 呼ばれるが、彼女は反応を示さない。風のせいで聞こえなかったのか、あるいは聞こえているが動かずにいるのか。
 トリッケンは彼女のすぐ横まで歩いていった。そして、彼女が注視しているらしい牢屋の中を見る。そこには、昨日まで中央の巨大なテントにつながれていた大きな番犬が三匹いた。
 思い出した。昨日も彼女はこの犬の前で――
「リースリングさん、こんなところで何を――」
 そのとき。
 牢屋の中にいた番犬が、いきなりほえかかってきた。
 当然、番犬がそこから飛び出してくることはない。だからトリッケンは全くあわてずに、うなり声をあげる犬たちを無視してリースリングの様子をうかがった。
 するとまた――
 彼女は、左腕を右手で覆うしぐさを見せる。それとともに、彼女は半歩後ろへ下がった。
 それは頭で考えて、というよりも、反射的にそうしてしまった、という急な動き方。
 自分が近づいた瞬間に犬がほえたため、どこかばつの悪そうにトリッケンは云った。
「すみません、どうやら私は犬に嫌われているようですね」
 少し間をおいて、リースリングがつぶやくように云った。
「……別に、あやまらなくていい」
 彼の方を見ず、犬のほうに目を向けながら云うリースリング。
 その左腕に目をやりながら、トリッケンは訊いた。
「左腕……大丈夫ですか」
 右手を下ろし、リースリングはうつむきかげんに云った。
「……このあいだと同じ質問ね」
「そうですね、そういえば。――痛みはないですか」
「……別に」
 云うと、彼女はやはりなにごともなかったかのように振り返って歩き始めた。トリッケンもそれについていく。
「リースリングさん、時間があるといつもあの番犬のところにいるようですが、何をされているんですか」
 リースリングは前を向きながら云った。
「……偶然、だと思う。私は陣内を巡っていただけだから」
 そうだろうか、と思いながら、トリッケンは再び彼女の左腕の方に目をやる。
 いまは薄手の綿製の服を着ている。細くしなやかな腕。はたからみれば、特になんということのない普通の、人間の腕だ。彼女はその腕でものをつかみ、食事をし、武器の手入れをする。なにも変わったところなどない。
 だがひとたび戦場に出れば――
 彼女の左腕は、相手の武器をはじき、ときには受け止めもする。
 傷つけばゲルマルクという名の専門の医者に治療を頼み、回復すればまた戦場で酷使する。まるで、盾の代わりだとでもいうように。
 一度、彼はさらけだされたリースリングの左腕を見たことがあった。エルフはもともと色白で細身の者が多く、人間から見ればスマートな体型を有している。そのエルフである彼がほれぼれするほど、彼女の肩の肌はつややかで、しなやかで、美しかった。だがそこから先、ひじの前後にある腕には、いたるところに破れたり裂けたりしたような白い傷痕が無数に残っていた。短い傷から長い傷まで、中にはやけど痕のような黒ずみや、傷があまりに深いために皮膚が裂けたままの箇所もあった。
 いくら彼女の腕が通常の人間の腕ではないとはいえ、そのあまりの傷の多さに、彼は胸を痛めた。それはただ単純に彼女の傷ついた姿がいたましいというだけではない。もっと深いところで、彼――トリッケンは心の奥底に痛みを感じていた。
 なぜか。
 リースリングの左腕を「そんな風」にしたのは、自分のせいだ。
 彼はそう考えていたからだった。









 あれは四年前。四の月の頃だった。
 その時期にしてはとても寒い日だった。口から白い息が出て、手先は寒さでしびれるような、そんな日。
 貴族の邸宅にある芝生と植え込みの間で、激しく体を揺さぶっている少女。
 それを見つけたトリッケンが、少女の名を呼びながら駆け寄る。
 目に映るのは、凄惨な光景。
 少女の左腕に――
 大きな灰色の犬が、牙をむいてかみついていた。
 その犬を振り払おうと必死に左腕を動かしながら、右手で犬の顔を何度もたたく少女。しかし大型の犬に引っ張られ、彼女は何度も地面に転ばされる。
 トリッケンはすぐさま狙いすました右手のレイピアを犬に勢いよく突き刺す。何度も。
 ようやく犬が少女の腕を開放し、のたうちながら倒れ、そのまま絶命する。
 少女が芝生に座り込む。その左腕は服が破れて真っ赤に染まり、いく筋もの血が肩からひじへかけて流れている。強い力で何度も引っ張られたためか、腕は芯が外れたように力なくぶらついている。
 即座に回復魔法を唱えようとするトリッケン。しかし――
 少女がトリッケンの手を右手で強くおさえつける。
 はっとする彼。それに向かって、少女は云う。


 はやく、逃げないと。


 屋敷の兵士が多数走ってくる音が聞こえてくる。
 彼は治療をあきらめ、少女とともに転移魔法で屋敷の外へ移動する――。







 あのとき――
 リースリングは、十四歳。
 まだ十四年しか生きていなかった。
 その歳で、彼女は自分の左腕を失った。
 傷を受けた直後は出血が激しく、彼女は数日間生死の境をさまよった。だから結果的に、自分の腕を失うだけでよかった、といえるのかもしれない。
 だが、あのとき――
 あのとき自分が彼女の代わりになっていれば――
 少なくとも、腕を失うほどの重傷を負うことはなかった。
 彼にはそう断言できた。
 だからこそ、彼はあのときの「判断」を、いまだに悔やんでいる。
 彼がそのことをときおりリースリングに伝える。しかし、彼女の返事は決まっていた。
「……あなたのせいじゃない」
 いつもの色のない表情で云う。彼にはむしろそれが、痛々しかった。
 ネイルの陣営の中を自分のテントに戻るいまも、トリッケンは思いだしたように前のリースリングに向けてあのときのことを話した。そして帰ってきた返事が、いつものこれだった。
 犬にほえられて思わず左腕をかばうのは、あの事故――いや、事件のせいだ。
 それはおそらく一生癒えることのない、彼女に刻まれた心の傷でもある。
 だからトリッケンには、そのことが悔やんでも悔やみきれないのだった。
「リースリングさん」
 トリッケンが少し強い調子で呼ぶと、リースリングは無言のまま立ち止まって振り向いた。
「リースリングさん――今度の作戦、あまり無理しないで下さい。計画通りに運べば、リースリングさんにあまり負担はかからないと思います」
 彼女の腕を気づかってそう云う彼に対し、リースリングは深いアメジストの瞳を向けながら、ひとりごとのように云った。
「……完全に計画通りに進んだ作戦なんて、いままでなかったと思うけど」
 無表情のまま、前を向いてまた歩き出すリースリング。
 そのうしろ姿を見ながら、彼はリースリングが本当に自分の三分の一の時間しか生きていないのか、と不思議な気持ちになった。
 十八歳。だがたまに、その何倍も歳をとった雰囲気をまとう時がある。それは老けている、ということでなく、心が落ち着いている、という点でだ。
 若いな。殺し屋をやるには、若すぎる――。
 ずっと以前にガルマという同僚が言っていたな。トリッケンはひとつ息をつき、いつもの気品のある足取りでリースリングを追った。


 常に落ち着いていて、常に動じず、常に感情が平らにならされているリースリング。
 だから――
 あのときの少女――リースリングの様子が、いまもトリッケンの目の裏に焼きついている。
 いつも無表情な彼女が、激痛に顔をゆがめながら、震える右手で彼に逃げることをすすめたあのときの様子が。
 彼は記憶力がいい。だがその才能をたまに恨みたくなるときもあるのだった。










 金色にきらめくテント。
 ネイル軍の司令官アルマダは、金色の品々に囲まれながら、お気に入りの黄金の机で事務的な作業をこなしていた。
 明日はいよいよガダルカに攻め込む日。万全の状態で臨まなくてはならない。
 魔法石への魔法の充填は完了した。荷車にも載せた。あとはあれをガダルカの『鉄の壁』にぶつけるだけだ。壁さえ破れれば、勝つことは容易のはず。ガダルカの城は鉄の壁がある前提で建設されているため、籠城のための能力はそれほど高くない。そうモスカートから聞いている。さらに兵力の半分は、こちらの陣地に向かって明日の朝、打って出るらしい。そうなれば落城させるのはさらに容易――だから、大丈夫のはずだ。
 ただひとつ、懸念があるとすれば――
(フェルトール……ひいては、あの殺し屋どもか)
 アルマダは苦りきった顔で、机に広げられた見取り図をながめた。
(本国からの命令で、ギルのところの殺し屋を仕方なしにつかってやったが……なんとも頼りになりそうにないやつらだな。四人いたが、どれも屈強というイメージにはほど遠いし、うち二人は女だ。あんなやつらで本当に大導師フェルトールを抹殺することができるのか……)
(だいたい、このような国の命運をかけた戦いの成否を、殺し屋のような下せんの者にゆだねることが間違っているのだな。本来ならうちの兵士だけでことが足りるものを……つくづく扱いに困るやつらだ)
(フェルトールとかいう者の魔法ごときで、わがネイル国の魔道師の力を結集した魔法石の力を破れるものか。そうだ。そうに決まっている。最初から、あんな殺し屋たちの手など借りなくてもよかったのだな――)
 そう彼が考えにふけっていると――
 突然、天幕の入り口が開き、外にいた兵士が入ってきた。
「アルマダ様!」
 呼ばれ、面倒くさそうにアルマダが返事をする。
「なんだ、いまは仕事中だ。用事ならもう少し後で来るんだな」
「そ、それが……」
 なぜか兵士がいいづらそうにする。アルマダは見取り図から目をはずし、いらいらしながらうながした。
「なんだ。重要な連絡かな」
「あの……アルマダ様の知り合いだという方がいらっしゃっているのですが……」
「知り合い?」
 いぶかしげに眉を上げるアルマダ。その視線の先にいた兵士の後ろ、天幕の入り口から、さらに二人の影がテントの中に入ってきた。
 それは、兵士ではなかった。
 外で待ちきれなかったのか、勝手に入ってきたらしい。気が付いた兵士はあわててとめようとする。
 そこでアルマダが二人の顔を認める。と、突如彼の顔色が変わった。
「ま、待て! その二人はいい! 中に入れるんだ!!」
「で、ですが、しかし……」
「かまわんのだ! お前は早く見張りに戻るんだな!」
 云われ、兵士はよく状況が飲み込めないという表情をしつつ、一礼してテントの外へ出ていった。
 二人が中へ入り、テントの中央にしかれた金色の敷物のところまで来る。
 テント内に点いた燭台(しょくだい)で彼らの姿を再確認する。やはり、間違いない。アルマダは心の中で汗をかきながら、表情をこわばらせた。
 前の男は、黒白のジャケットに黒いパンツ姿。髪は黒くぼさぼさで、やせ型の体。それだけなら、とり立てて目立つところのない人物である。
 だが、その男の目を、アルマダは直視することができなかった。
 黒く光る細く小さな瞳。その視線が刺すように、また切り込むように、アルマダの顔に注がれる。そこには情熱や敬愛といった感情が全てが崩壊し、灰色に落ち着いたような、深い穴にも似た細い眼があった。
 それにその男のまとう雰囲気。決して威圧しているわけではないのに、なぜか圧迫感を感じる男の立ち姿。黒く立ち上るものが彼の背中に見える。そんな気が、アルマダにはしていた。
 もう一人の男は肩幅の広い、大きな体格をしている。こちらもアルマダは知っている。前の細身の男のボディガードだ。肌は黒く、いかにも力の強そうな男である。ただしこちらは前の男のように独特の雰囲気をまとっているわけではない。兵士と同じにおいがする。ただそれだけだ。
 彼がイスから思わず立ち上がると、前の細身の男がジャケットのポケットに手をつっこんだまま乾いた調子で云った。
「――元気にしてるか。アルマダ」
 彼の言葉に、アルマダは唇を震わせながら云った。
「……ギ、ギル……どうして……」
「どうして? なんだ、俺が来ちゃまずいことでもあったか」
 そう云って、殺し屋たちの元締めは、皮肉めいた笑みを浮かべた。




 
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