死神と女神の狭間 第三章  

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 ロイ=ギル。
 裏の世界で暗躍する、暗殺者ギルドの元締め。
 アルマダはこの男に会うとき、いつも心地の悪い汗を全身にかいた。
 まだそれほど歳はとっていない。三十代前半といったところか。体は決して大柄なほうではないし、筋肉質でもない。といって魔道師のようにローブや杖などを有している様子もない。ボディガードがいつもついているのだから、本人自体にそれほどの戦闘能力はないのだろう。だがすでに裏の世界――暗殺、窃盗、奴隷売買等、違法行為が平然と取引される世界――ではかなりの力をもっていると、彼は風のうわさで聞いていた。それが具体的にどういったことを指すのかは、裏の世界にうとい彼には想像しがたいところではあったが。
 フェルトールという障害を取り除くために暗殺者を雇うよう本国の高官から指示を受けたときには、彼はこんな厄介な者を相手にするとは予想だにしていなかった。殺し屋と呼ばれる人間は、我々に比べれば下せんで、いやしい者ばかりなのだと、彼は勝手に想像していたのだ。
 だが、高官の仲介ではじめてこのギルに会ったとき――彼はいっぺんにその憶測をかき消さねばならなくなった。
 男の顔つき、態度、雰囲気――そのどれもが、触れただけで襲いかかってくる毒蛇のような危険な気配を漂わせていた。少しでも相手が非礼な態度をとれば、その場で息の根を止めることくらい全くいとわない――『人を殺す』という行為に対し普通の人間ならあるはずの抵抗感が、この男にはまるで存在しない。それくらいの赤黒い空気を、アルマダは肌で感じたのだった。
 こんな人間が、我々の国で――いや、サガンやグリッグランドも含めた国々で暗躍している。そう考えると、彼は血の気が引いた。敵に回したくないのはもちろん、味方にもしたくない。いや、できれば自分の人生の中で関わりたくない。遠い他人でいたい。そんな種類の人間――それが、ギルだった。
 ひとことでいえば、悪魔のような存在。
 不意に訪れる、不吉の象徴。
 暗殺ギルドを束ねる者というのはだれもがこういった人間なのだろうか。裏の世界を知らないアルマダには分からなかった。
「殺し合いの準備は順調か、アルマダ」
 意図の分からない薄い笑みをつくりながら、ギルが話しかけてくる。彼の考えていることが、アルマダにはひとつも理解できないでいた。
「あ、ああ……明日だからな、いろいろ忙しくしているな……」
 なかばふるえる声で云うアルマダ。ミラたちに対しているときのぞんざいな態度とはまるで正反対だった。
「きょ、今日は何の用だ……」
 尋ねるアルマダにかまわず、ギルは胸から細い葉巻を取り出し、マッチをすって火をつける。
 悠長な様子にアルマダは若干いら立ちをおぼえながら、それを顔に出さないよう努めた。
 ゆっくりと葉巻を吸ってひとつ大きな煙をはくと、ギルはようやく云った。
「お前に頼まれたもう二つの仕事だが、両方とも次の月にはできそうだ」
 彼の言葉にアルマダは「そ、そうか……」と答えた。
 しばらく、ギルからは何も云ってこない。しびれをきらして、アルマダが口を開いた。
「そ……それだけか……?」
「ああ。進捗報告、ってやつだな」
「…………」
 進捗報告?
 それだけのために、この陣地までやってきたのか――。
 アルマダが考えていると、ギルがつぶやくように云った。
「そういえばさっき、お自慢の『魔法兵器』とやらを見てきた」
「あ、ああ、そうか……」
 強大な魔力を封じ込めた魔法石。きっと兵士らが荷台に載せる作業をしているのを見たのだろう。だがよく呼び止められなかったものだ。外見は明らかに兵士ではないこの二人。それがふらと陣内を歩いているのだから、怪しまない方が不思議だ。どうやってこの二人は自分のテントまで歩いてきたのだろう。
 彼の中で、怪しい者を兵士が呼び止めなかったことに対する不満と、だがこの二人に関しては見逃してくれてよかったという安心の二つの感情がわきあがる。
 アルマダがそんなことを思っていると、ギルが云った。
「あの石……本当に必要な分の魔力がたまっているんだろうな」
「……えっ?」
 アルマダが聞き返すと、ギルは黒く鋭い目を向けてくる。
「お前はどういうふうに考えているんだ、アルマダ。あれでどうして、鉄の壁を破壊できると踏んでいる?」
「それは……あれだけ大きな魔法石だからな。いかにむこうが鋼鉄でできた巨大な壁だとしても、あの爆発力にはかなわないだろうな」
「それだけか」
 それだけ?
 アルマダは疑問に思ったが、すぐにうなずいた。
「そ、それだけだが……ほかになにかあるのかな」
「そうか」
 ギルはなぜか小さく笑った。苦笑、いや、嘲笑なのか――アルマダには図りかねた。
 さらにギルは云った。
「お前がそう考えているなら、それでいいさ。ところで――」
 ギルはアルマダの机に広げられた見取り図に目を落とす。
「図面は、やつらに渡したか」
「図面? ――見取り図のことか?」
 とそこで、彼は先日のやりとりを思い出した。
 ガダルカの見取り図をもらうはずだったと主張したやつら――四人の殺し屋ども。それにしらを切り通したときのことを。
 図面は――
「図面は――まだ渡していないな」
 そうアルマダが小さく云うのに、ギルは目を向けた。
「渡していない? なぜ」
「それは、だな――や、やつらからまだ図面がほしいとは言われていないからだな」
 アルマダはウソをついた。
 本当は――用意するのをただ単純に忘れていただけ。
 そしてそれをいやしい殺し屋どもに指摘され――腹が立って「図面はない」といまだにしらを切っているだけだった。ミラに「本当は忘れてただけだろ」と云われたのは、彼にとって図星だったのだ。
 しかしそのことをこの男に指摘されるとは、思ってもみなかった。
 それほどガダルカの見取り図は重要なのか。アルマダには疑問だった。今回の作戦で、ガダルカの城にやつらが侵入することはないのだ。『物見の塔』にのぼってフェルトールを始末し、魔法石によって鉄の壁が崩壊するのをみてから城の外を回り、ベル王弟が出てきたところを始末する、そういう段取りのはずだ。それなら見取り図は基本的に不要だろう。アルマダはそう考えていたし、だから図面のことを忘れもしたのだった。
 だが、目の前の男は冷たく云いはなった。
「ウソをつけ」
 アルマダの表情がこわばる。
 ギルの目つきが――いっそう鋭いものになっているのが分かった。
「もう一度聞く。なぜ図面をやつらに渡していない?」
 どうして――
(どうしてウソがばれた――そうか。さてはこの男、ここに来る前にやつらに会って話を聞いたんだな。くそっ)
(それにしても、こいつらはなぜそこまで図面にこだわるんだな……)
 アルマダは額に汗をうかべながら、弁解するように云った。
「わ、悪かった。図面をくれと言われていたんだが、まだあいつらには渡せていないんだな。実は図面を作成するのに手間取ってしまって……だ、だまそうとかそういうつもりじゃなかったんだな」
 焦りの見える彼の言葉を聞くと、ギルは冷たい目を――そこから残忍さを帯びたあきれたような目線を、アルマダに向けた。
 無言のプレッシャーに、アルマダが息をのむ。
 すると、ギルは平然とした調子で後ろにいた用心棒へ向けて云った。
「ウルサン、あいつの左手指を二本ほど折ってやれ」
 一瞬――
 彼がなんと云ったのか、アルマダには理解できなかった。
 左手指を――
 折る?
 確かに、ギルはそう云った。そう聞こえた。
 アルマダの顔から、血の気が引く。
 と同時。
 ギルの用心棒である大柄の男ウルサンが、その巨体に似合わぬスピードでアルマダの元まで瞬時に近寄った。そしてすぐさま彼の左腕をとる。
 アルマダは驚いて抵抗しようとするが、圧倒的な力に引っ張られ、なすすべがない。
「な、なに――!?」
 と彼が言葉にもならない声を出したとき。
 無理やりに、彼の左手がウルサンの力で開かれる。
 そして――
「あっ――あああっ!!」
 人差し指と、中指――二本の指が、手の甲の方へ曲げられる。
 それはあっさりと限界をこえ――
 ぼきり、と。
 骨の折れる音。
「ああああああ!!」
 これまで陣中で発したことのない苦もんに満ちた叫びが、テント内にこだました。
 アルマダの目が、口が、痛みでめいっぱい開かれる。
 ウルサンから開放されると、アルマダは左腕をかかえこみながらその場にうずくまった。
「ああ――あああああ――!!」
 体を震わせながら、気が狂いそうな痛みに耐えるアルマダ。そこへ、テントの外から彼の叫び声に気づいた兵士があわてて中へ入ってきた。
「アルマダ様、どうかされましたか――ああっ!?」
 地面に伏すアルマダを認め、すぐさまギルの方へ向かって剣を抜く兵士ら。しかしそれへ、アルマダは苦痛にゆがめた顔つきのまま云った。
「やめろ……お前たちはいい、早くテントの外へ戻れ……」
「で、ですがしかし……」
「かまわんのだ……早く戻れ!」
「は……はっ!」
 明らかにアルマダが異常な状態にあることが分かった兵士らであったが、仕方なく剣をさやにおさめ、そのままテントの外へためらいつつ出て行った。
 左手の指を折られて苦しみにあえぐアルマダ。そんな様子も、ギルは細い葉巻を人差し指と中指ではさんで優雅にくゆらせながら、まるで遠い街の風景でもながめるかのように平然とした表情で見ていた。
「――どうしてこれくらいのことで、とでも思っているか?」
 ギルは紫煙がたちのぼる葉巻でアルマダを指しながら云う。答えられないアルマダに、ギルは続けた。
「お前は俺にウソをついた。これがどういうことか分かるか、アルマダ」
 痛みをこらえてなんとか顔を上げるアルマダ。そこへ、ギルが歩み寄る。
「ネイルの軍司令官殿は利口だから、俺の言っている意味が分かるだろう」
「…………わ、分かった……分かったから…………許してくれ…………」
「分かった? そうか」
 そう云いながら、ギルはいまだひざまづいているアルマダの顔を横から思い切り蹴りつける。
「ぐあっ!?」
 アルマダの上半身が、じゅうたんの敷かれた地面に強くたたきつけられる。
 痛みで動けないアルマダ。その頭を、ギルは足で容赦なくふみつける。
「がぁっ……!」
「だが何が分かったか、いやしい身分の俺には分からないな。具体的に教えてくれ、司令官殿」
「うう……か、かんべんしてくれ……もうかんべん……」
「勘弁してほしいなら、どうするんだ」
「ああ……も、もうウソはつかない……決してつかない……」
「それで?」
「……ち、地図はすぐに……机の後ろの、幕の裏に……それを渡す……」
 横面を革靴でふみつけられたままあえぐように云うアルマダ。そこから、ギルの靴がようやく離れる。
 ほっとするアルマダ。
 ――と思ったのもつかの間、今度は彼の横っ面が思い切り蹴りつけられた。
「がはっ!!」
 アルマダは横に倒れたまま身を縮ませ、右手で顔をおさえる。
 鼻から出血。くちびるも切れている。
 口の中に広がる鉄の味を、彼はギルに対する底知れぬ恐怖とともに感じた。
 身動きの取れないアルマダ。その前に悠然と立つギルが悪魔のような残忍な視線を落とす。
「なるほど。お前の誠意は分かった。これからはいまのようなふざけたマネはするなよ。もしもう一度俺をだますようなことがあるなら――」
「…………」
 アルマダはその場にうずくまることしかできない。
 その後ろで、幕の裏を物色していた用心棒のウルサンが低い声で云った。
「ギル、図面がありました」
「よし。持って出ろ」
「はっ」
 ウルサンは丸められた図面を持ち出すと、先にテントの外へ出る。それにギルも何食わぬ顔で続く。
 別れの言葉もないまま、何事もなかったように去っていく二人。
 アルマダはお気に入りの黄金の机にすがりながら、なんとか立ち上がる。その顔は鼻がつぶれ口周りは血まみれで、側頭部にも傷がいくつもできていた。そして、左手指の二本は折られたまま。
 テントのすぐ外にいた兵士が入ってくる。司令官の変わり果てた様子に、彼らは驚いた表情を見せる。
 だがアルマダは、そのままイスにどっかと座ると、兵士らに云った。
「……やつらのことは放っておけ。絶対に手を出すな……」










 ふと、テントの中にいたミラは顔を上げた。
「ギルの声だ」
 そうミラがつぶやくのを聞き、マクギガンが不思議な顔をする。
「いまなんて……」
「ギルの声がしたんだよ、テントの外で」
「あのなあ、ギルがこんなところにわざわざくるはずないだろ」
「でも聞こえたんだって! あたし見てくる」
 と、期待に満ち満ちた顔でミラがテントを飛び出す。
 するとそこには、帰ってきたばかりのトリッケンとリースリング、
 そして――
 しばらく見ていなかった、だが決して忘れない人の顔が見えた。
「ギル!」
 うれしそうに走り寄るミラに、トリッケンが苦笑する。
「いま呼ぼうとしたんですが……よく分かりましたね」
「ああ、声が聞こえたからね! ギル、ひさしぶり……」
 ミラがギルに顔を向ける。どこか緊張した様子。だがそれはアルマダのような恐怖からではなく、全く別の感情からきているものだった。
 彼女へ向ける細い目――何を見通しているのか分からない、どこまでも鋭い目。
「相変わらずで結構だな、ミラ」
「ああ、明日が作戦実行の日だからな。気合入ってるよ」
 その後ろからよろよろとマクギガンが姿を現す。そしてギルとウルサンがいることを確認し、目をむく。
「わっ、ほんとにいやがった……」
「マクギガン、われらが首領に対してその言葉づかいはないだろ」とミラ。
「お前に言われたくねーよ! ……ってか、何しに来たんだ?」
「作戦に変更でも?」トリッケンが訊くのに、ギルは云った。
「ちょっと司令官殿に用事があったんでな。寄っただけだ。それから――」
 ウルサン、とギルが云うと、用心棒の大男が持っていた図面をトリッケンの前に差し出す。
「――これは、まさか」
「ほしかったんじゃないか」
「ええ、助かります――でも、どうやって?」
 と、そこでミラが口を挟む。「なになに、これなに?」
「見取り図です。ガダルカの――先日の会議でもめたアレです」
「あっ! アレのこと? すごいギル、あたしらがさんざ言っても無視しやがったのに……」
「でも、どうしてこれを私たちがもらえなかったことが分かったんですか」
 トリッケンの質問に、だがギルは答えずに云った。
「お前は、見取り図無しで作戦に臨むつもりだったのか」
 その瞬間だけ――
 ギルの目つきが変わったのを、ミラはみつけた。
 彼とトリッケンの間に、わずかに緊張が走る。
「――はい。そのつもりで算段はしていました」
 トリッケンが言葉を返す。彼にしては珍しく、その端正な顔がややこわばっている。
 二人の視線がぶつかるような状態。
 しかしすぐに、ギルの方が口を開いた。
「――まあいい。しっかりやれよ」
 それだけ言い残し、ギルは彼らの前から去っていく。
「ギル、ちょっと――」あっさり行ってしまうギルに思わず声をかけようとしたミラだが、呼び止める理由がないことに気づき、そのあとの言葉が続かない。
 そのとき、三人から少し離れて立っていたリースリングのところで、ギルが止まる。
「――腕とひざの具合はどうだ、リースリング」
 訊かれ、ギルの『養子』のリースリングはいつもの色のない表情で小さく答えた。
「……トリッケンにも同じようなことを訊かれた」
「そうか。ならいい」
 そう云うと、今度こそギルはウルサンとともに早々に彼らのもとを去っていった。
 砂嵐のふきすさぶ中、すぐに二人の姿は砂煙に隠れて見えなくなる。
 その影を目で追いながら、ミラは小声で云った。
「やっぱいい男だわ……」
 ほれぼれするといわんばかりのミラに、マクギガンが顔をひきつらせた。
「……俺はやっぱ怖え」




 
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