死神と女神の狭間 第三章  

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 大切なものにも順位がある。
 リュールはそう考えることにした。
「お礼なんてよかったのに。あのときはリュールさんにぶつかったおわびのつもりだったから……」
「ううん。私が気をつけていたらぶつからずにすんだかもしれないし。たぶんあの荷物をもってここまでは来られなかったから、手伝ってもらって助かったの」
 ガダルカ。モスカートの仕事部屋。
 ここに、リュールは昨日のお礼がしたいとウェインを呼んでいた。
 いよいよ明日、サガンとネイルの戦いの火ぶたがきって落とされる。夕刻になり、城内は戦いの準備を進める兵士たちの姿であふれていた。剣の刃こぼれを点検するもの、鎧かぶとの異常を確かめるもの、馬の調子をみるもの等。剣兵隊も鉄兵隊もよく訓練された軍隊であったため、みな生真面目に装備品を点検し、明日への用意を怠らない。もちろん、命をかけた戦いを前にして気構えもできている。城内はいい意味での張りつめた空気に包まれていた。
 そんな中、リュールはウェインをこの部屋に招いていた。ちょうどモスカートは戦争の準備でしばらく席をはずしており、部屋には二人だけだった。
 リュールは急に呼びたてたローブ姿のウェインに、申し訳なさそうな顔で話しかけた。
「ごめんね、忙しいときに。明日には戦争が始まるし、今日じゃないとお礼できないと思ったから……」
「そんな、僕の方はいいよ。帰ってもウェラの修練につき合わされるだけだし……リュールさんこそ、モスカートさんの仕事があるんじゃないの?」
「ううん。モスカート様は鉱山局長だから、あまり戦争に直接関わる仕事はお持ちじゃないの」
 すわって、とリュールはソファをすすめる。ウェインは座ると、部屋を見回しながら云った。
「けっこう広いんだね……。ガダルカって国境の出城だと思ってたから、もっとひとつひとつの部屋が狭いのかと思ってたよ」
「ここは出城っていうよりも、ひとつの城下町みたいになっているの。城の後ろには百近くの民家が並んでいるし、いまはもうほとんど出ないけど、ひとむかし前は鉄鋼業が盛んだったって、モスカート様がおっしゃっていたわ」
 そうなんだ、とウェインがうなずく。リュールは彼の様子を見て、ほっとした表情を見せた。
「――なつかしいな、こうして二人で話すのって」
 ウェインが云う。
「学院時代を思い出すよ。ほら、図書委員だったとき、図書館の受付の裏においてあるソファがちょうどこんなふうだった。図書委員の特権だ、って云って、勉強の合間によく座ってのんびりしてた」
「一度、そのまま寝てたことがあったよね、ウェイン君。ぶ厚い本を読みながら」
「……え、そうだっけ?」
「うん。たしか……『ヴェルデコットの風地魔法学総論』だったと思う」
「……覚えてないや」
 苦笑するウェイン。つられてリュールも笑う。
 笑いながら、学院時代のことに彼女は思いをはせる。
 他愛のない話。真剣味も、深い意味もない。そんな話に華をさかせ、二人で微笑みあう。図書委員だったときは――いや、魔法学院にいたときは、いつもそうだった。同じ歳のみんなとしゃべったり、ふざけあったり――自分は物静かな性格だったから見ているだけのことが多かったが、でもそれだけで十分楽しかった。
 楽しくて、幸せだった。
 でもいまは――
 あのころとは、変わった。生活の状況も、周囲の人間も。
 リュールは思った。
 ウェイン君は、変わっていない。ほかの学院のみんなも、たぶん。ミコールで、あのころと同じように暮らしているはず。
 私は――
「そういえば」ウェインが云った。
「リュールさんのかけてる眼鏡、もう何年くらいになるの?」
 えっ、とリュールは沈んだ気持ちを引き上げながら、ウェインに顔を向けた。
「これ……十三歳からだから……もう五年になるかな」
 眼鏡のふちに左手で触れながらリュールが答えると、ウェインは云った。
「五年かぁ……でもきれいだね。ミコールの学者で眼鏡をかけている人をたまにみるけど、みんなすぐに汚くするから」
「お父さんにもらったものだから、大切にしないといけないって思ってるからかな……でもこれもけっこうゆがんできているから、直さないといけないんだけど」
「そう……。ご両親は元気?」
「うん。もうすぐお父さんも働けるようになるし、大丈夫」
 リュールが笑みをつくりながら云う。ウェインに余計な心配をかけないように。
 そう――
 現実は違った。
 リュールが胸のうちにしまったままの、モスカートにしか話していない、両親の本当の状態。
 父は右足にケガをしてから、まともに歩くこともできずにいた。
 母は心臓病が悪化しており、いつ亡くなってもおかしくないと医者には告げられていた。
 それが真実。
 気を遣わせないように、彼女なりに配慮して他人には隠していること。
 だから――
 だから私が、両親を支えないといけない。
 ここまで私を育ててくれた父と、母を。
 二つの透明なガラスの向こうで、リュールの瞳はひとつの決意を結ぼうとしていた。










 まだ自分が幼いころ、少ない給料なのに、父は魔法学院へ行くことを許してくれた。それを母は、全力で応援してくれた。
 必死に勉強しようとした矢先、十三歳でなぜか視力が急激に低下し、勉学に支障が出るようになった。落ち込んでいた自分に父は、視力を回復させるこの装身具――眼鏡を買ってくれた。
 決して安くない、りっぱな眼鏡を。
 父は酒が好きだった。でも私が眼鏡をかけてから、父は酒を飲まなくなった。










 いま。
 父は右足にケガをしてから、また酒を飲み始めた。
 自棄(やけ)をおこしての酒。
 母は一日中寝たきりで、食事がのどを通らないことも多い。
 父や自分とも、あまり会話はない。
 良い状況とはいえない、現在の家庭。
 ケガをして動けない父、病気でふさぎこむ母――
 考えるまでもなく、両親は自分にとってかけがえのない存在。二人がいなければ、いまの自分はなかった。
 だから、リュールは決心した。
 自分が――
 自分が、なんとかしないと――。
 できることは、生活の世話。
 家事は全てリュールが行っていた。ガダルカで働きながら、三食の用意も、洗濯も、掃除も。
 ガダルカに住んでいた両親はいま、近くの村に他の住民とともに避難しており、一時的に家事から離れている。しかしいまの間も、移動中に母の身になにかないか、父は酒におぼれていないか、リュールは不安にかられていた。
 あとは、金銭面。
 母の治療は、モスカートに完全に頼っていた。それだけではない。生活費も、住居も、全てモスカートが便宜を図っていた。リュールの両親の窮状を知ったモスカートが、自ら勧めてくれたのだった。
 リュールは自分の仕える優しき主人に、心から感謝した。身動きのとれない自分の不幸な境遇に差す、それは一条の光にも思えた。だからこそ、モスカートがサガンを裏切り、ネイルにつこうとすることに彼女は賛成し、手助けもしたのだった。
 いまをがんばっていれば、いつか父も母も元気になり、元のように暮らせる。そう信じて。
 私にとって、かけがえのないものは、父と母。
 裏切れないものは、モスカート様。
 それが、私の大切なものの順位。
 なら、私のすることは決まっている。
 私は――










「――お茶、入れるね」
 そう云って、リュールがおもむろに立ち上がる。ウェインの「うん、ありがとう」という言葉を聞きながら、彼女は来客用の食器や菓子類が並んでいる小部屋に向かった。
 彼女は部屋に入ると、ポットとカップを取り出し、火の魔法石が込められた鉄製の箱の上のケトルに手をかける。ケトルは鉄製の火の魔法が込められた小さな箱の上に置かれており、すでに熱湯ができていた。
 リュールはそのケトルの湯をポットとカップに入れ、しばらく温めた。そして湯を捨て、茶こしに茶葉を入れる。
 そこまできて、彼女は手を止めた。
 昨日と、同じところで。
 リュールがバーベナといたときと、同じところで。
 彼女は思い出す。
 昨日、バーベナの命を奪ったあと、モスカートに云われたことを。
 彼女の亡骸が横たわる部屋のとなりで、ソファに座りながら――
 まだ心の平静が取り戻せないまま、モスカートに云われたことを。



「リュールや。フェルトールについている弟子二人を、同じ方法で除いてくれんか」



 除く。
 それはつまり――
 バーベナに飲ませた薬と同じものを、フェルトールの弟子二人――
 ウェインとウェラに飲ませ――
 殺すこと。



 彼女は棚の引き出しを開けた。
 そこには、小さな薬包紙に包まれた白い粉があった。
 バーベナを無残な死へ追いやった、睡眠薬が――
 永遠に覚めることのない眠りへといざなう薬――致死薬が。
 彼女は右手を引き出しの中へのばすと、親指と人差し指でそれをゆっくりつかみ、湯気の立つポットの上まで持ち上げた。つまんだ紙を指でずらすと、少しずつ白色の粉末がポットの中に注ぎ込まれる。
 全ての粉が注がれてから、リュールは紅茶の入った茶こしを入れ、ケトルを再び持ってポットに湯を注ぐ。湯は茶こしを通り、下に積もった粉を徐々に溶かしていく。
 なにも変わらない。昨日となにも。
 同じことを、同じように、『他人』へすればいいだけ。
 ウェイン君も、ウェラさんも、大切な友人。フェルトール様は、大切な先生。
 でも、それは他人としての話。
 リュールは心の中で、両親と『他人』を天秤にかけている。
 重いのは、どっち。
 助けるべきなのは、どっち。
 心の中の自分に言い聞かせながら、彼女は茶こしを取り出す。金属製のスティックで中をかきまぜて、香りと色を確かめてから、ポットにふたをする。紅茶と判別できない液体の入ったポットとカップ、ソーサーと簡単な菓子を盆に載せ、彼女はそれを持った。
 この時点で、リュールには冷静な判断ができていたのか。
 両親とモスカートのことを思うあまり、ひと一人の命を奪うこと自体の善悪が抜け落ちている。彼女の精神状態は、正常なものとはいえなかったのかもしれない。
 だが、不遇な家庭の状況、両親を失うことの恐怖、そしてなにより同僚であるバーベナを殺してしまった、『人殺し』をしてしまったことに対する混乱――そういったものが、彼女の透き通った心をにごらせ、前を見えなくさせていた。
 ウェイン君も、結局は他人。
 いまは自分の生活に関わりのない、他人。
 リュールは心の中を真っ白にしたまま、ウェインのもとへ戻る。
 ウェインは考え事をしていたのか、リュールが近づくまで気づかなかった。
「あっ、ありがとう……」
 ウェインがなかばうわのそらで云う。その表情を、リュールは見ようとしなかった。
 ソファに座るとすぐ、ティーカップに紅茶を注ぐ。
 睡眠薬入りの――致死薬入りの。
 なにも考えないようにして、彼女はティーカップをソーサーにのせ、ウェインの前に置いた。
 どうぞ、と。
 自分のカップにも紅茶を注ぐ。当然飲むつもりのない紅茶を。
 リュールはうつむき加減のまま、自分のカップに満たされたオレンジ色の水面をみつめる。
 なんでもない、どこにでもある紅茶。
 この中に――
 人の命を奪う、毒が――
「――あのさ」
 ウェインの声に、リュールは顔を上げた。彼が、少し真剣な目つきになっている。
 まさか――
 リュールは若干動揺しながら、答えた。
「……うん?」
「リュールさんの、仕事のことなんだけど……」
 云われ、彼女は少しだけ胸をなでおろす。だが次のウェインの言葉に、彼女は驚かされた。
「もし――リュールさんとお父さん、お母さんがよければだけど――ミコールに、僕らの国に戻って来る気はない?」
「えっ?」
 リュールが尋ね返す。ウェインは眼鏡のむこうにある彼女の黄色味がかった瞳をみながら云った。
「リュールさん、お父さんの仕事の都合でサガンに来ているっていってたよね。でもお父さんがケガをしてしまって、リュールさんが家庭を支えているっていうのをこのあいだ聞いて……リュールさんさえよければ、ミコールに戻ってきて働いてもいいと思うんだ。そのほうがお母さんの病気の治療もはかどるだろうし……ミコールには医療の研究者もたくさんいるからね」
 突然の提案に、リュールは困惑した。
「ミコールに……戻る……」
「うん」
 一瞬、心の中で芽生えたものを、彼女はすぐにかき消した。
「でも、お父さんは……もうすぐケガも治るし、私もモスカート様にはいろいろお世話になっているから、簡単にはやめられないの……私のことは心配しなくてもいいよ。大丈夫」
 そう云ってほほえむリュールにいつもなら応じるウェインが、なぜか真面目な顔のままじっと彼女を見ている。
 笑顔をおもわず戻したリュールに、彼は云った。
「リュールさん……無理してない?」
 ウェインの放った言葉に、リュールは胸を刺された気持ちになった。
「いつも大丈夫、って言ってるけど……本当に大丈夫なの?」
 だいじょうぶ、とリュールは云おうとした。だがなぜか、それはのどもとまできて止まってしまう。
 ウェインはかまわず云った。
「僕は心配なんだ。リュールさんが、どこかで無理をしてるんじゃないかって……つらさを飲み込んでいるんじゃないかって。魔法学院で――図書委員でずっといっしょだったんだから、それくらいは分かるつもりだよ。いまのリュールさんは……なんていうか、その……なにかを抱えたまま、それを自分の中にため続けているような、そんな気がするんだ」
 ウェインに云われると、リュールは目線をさまよわせた。
 そう。
 私は――
 ウェイン君に、隠し事をしている。
 ウソをついている。
 そしていま、殺そうとしている。
 なにも云わない彼女をみてか、ウェインはさらに云った。
「リュールさんって、自分を犠牲にして他の人を立てることが多いよね……。でも、お師匠様や学院のみんなにはできるだけ素直でいてほしいんだ。みんなリュールさんのことを応援しているし、助けたいと思ってる。だから、苦しいときは苦しいって云ってほしいんだ……」
 するとウェインは自分の首元に手を入れ、そこにさげていた小さなペンダントを取り出してテーブルに置いた。青銅色で、角や丸みある、一見するとパズルのピースのようにみえるもの。
「ほら、覚えてる? 卒業式のとき、五人で分け合ったカギ。箱に思い出の品を入れて、十年後にまたみんな集まって開けようって。でもこのペンダントが五つそろわないと、箱は開かない。だから絶対にだれも欠けないよう、はなればなれになってもがんばろうって言ってたのを」
 覚えてる。
 家に、置いてある。
 リュールはウェインの置いたペンダントをながめた。自分の持っているのとは違う形。五人全員が、違う形。
 組み合わせてひとつにすれば、思い出の箱が開く。
「僕の思い過ごしだったらごめん。でも……いまのリュールさんをみていると、心配なんだ。僕らから遠ざかっていくような気がして――僕なんかじゃたいした力になれないかもしれないけれど、でもリュールさんの気持ちを少しでも楽にさせたいから――」
 うつむきながらウェインの言葉を聞くリュール。
 私は――
 ウェイン君は他人――
 私の生活にかかわりのない、赤の他人――
 そう考えていた。
 いや、そう考えようとしていた。
 でも――
 気がついた。
 忘れていた。
 私は、忘れていた。
 学院で、私が仲間からもらったいろんなものを。
 みんながいなければ、いまの私は――。
 リュールはおもむろに顔を上げた。ずっとこちらに目を向けてくるウェインの顔が視界に入る。
 私をいままで支えてくれたのは、両親。私の生活を支援してくれたのは、モスカート様。
 じゃあ、私の気持ちを理解してくれる人は――?
 リュールは心の中で混乱した。人を殺すためにつくった自分の理屈が、あっけなく崩れる。
 大事なのは、だれ?
 『だれの方』が大事?
 だれなら、死んでいい?
 順位は――
 リュールは瞳をくもらせたまま視線を落とす。そのとき、ウェインはすこし表情をやわらげ、テーブルにあったティーカップを手にした。
 リュールがはっとする。ウェインは云った。
「ごめん、リュールさん……問いつめるみたいになっちゃったけど。ちょっとでも僕がリュールさんの助けになれないかと思っただけなんだ。本当に小さなことでもいいから、気軽に言ってね。僕でも、お師匠様でも……」
 そうして、ウェインはカップの紅茶に口をつけた。




 
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