死神と女神の狭間 第三章  

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 いかにもいまいましいといった表情で、アルマダは折られた指をさすっていた。
 数日間の待機からようやく動き始めたネイル軍。その中で、アルマダは包帯をぐるぐる巻きにした左手をかばいながら、全軍の指揮をとっていた。
 行軍はとてもゆるやかなものだった。ネイル軍は『鉄の壁』及びガダルカの城の攻略が目的であったため、歩兵が部隊の大半を占めていた。よって隊の進行速度も元々ゆっくりしたものだったが、それにしても今回ばかりは進みが遅かった。
 その原因はまぎれもなく、魔法兵器を積んだ巨大な車のせいだった。
 木材の中でも頑丈さでは並ぶもののないシラゾウの木でできた荷台に、人の背ほどもある八対もの巨大な車輪を有した荷車。その上に幾重ものロープでしっかりと固定された、黒く大きな「岩」が鎮座している。巨大な荷を動かすために走牛を四頭もつなげて駆っているが、その動きはなんとも重々しい。従者にムチでたたかれながら鼻息も荒く一歩一歩ふみだす牛らの姿は、もはや拷問を受けている罪人のようにすらみえてなんとも哀れだった。
 そんな光景を全く気にとめることもなく、むしろ左手の痛みばかりを気にしながら、アルマダは軍の進行を後方から純白の立派な馬に乗って見守っていた。当然、彼の座る鞍やあぶみには金の装飾がほどこされ、馬の首には金色の光り輝く首飾りがぶらさがっている。
「さあ、早く進むんだな。『鉄の壁』の前まではまだまだ距離があるぞ」
 いつものようになかばのけぞりながら、高慢な調子で指示するアルマダ。身につけている鎧は、宝石の代わりに金の装飾でうめつくされている。
 自分の命令で大勢の人間が動くことが、出世心の高い彼にとってはなによりも快感だった。自分の判断ひとつでこの大勢の兵士が右へも左へも動き、命を賭して突撃し、将軍である自分の身を守るのだ。兵士あがりではない自分には剣の腕はない。だがこれこそが自分に与えられた力なのだ。そんな気さえ彼にはしていた。
 たとえ個人にどれだけの力があったとしても、この軍勢はたちうちできない。いくら闇の世界でいばっていたとしても、力があるのは自分の方なのだ。ロイ=ギルにしても、あの四人の暗殺者たちにしても、金を払ってつかってやっているのはこちらなんだぞと、アルマダは心の中で何度もうなずいた。自分たちは国の命運をかけて戦っている。だがやつらの動機はしょせん金。そこには正義や道徳といったものは存在し得ない。だから彼らはいやしく、自分たちには誇りがあるのだ。
 アルマダの視線の先に鉄の壁が見え始めた。ふだんは砂ぼこりがたってかなり近くまでこないとはっきりみえないはずだったが、今日は風が止まっているため、暗黒色の重厚なフォルムがまだ遠いこの位置からでも見える。
 あいかわらず大きい。この壁がこれまで何度ネイル軍の進攻をはばんできたことか。だがそれも今日で終わりだ。アルマダは太陽を見上げ、時間を確認した。
「殺し屋たちがフェルトールのところに着くまで、あまり時間がないな。速度を上げろ。早く『鉄の壁』に近寄るんだな!」
 アルマダは命令ともひとりごとともとりにくい言葉じりで周りの兵士らに指示を出す。彼らの後ろには、大軍の歩いた軌跡を示す砂煙がもうもうと上がっていた。










 一方。
 ガダルカ、物見の塔。
 日は中天にのぼろうというころなのに、ウェインのいた最上階の部屋はいやに暗かった。
 中には壁際にかがり火が三点。それ以外にも魔法を利用した灯があるはずだったが、それらは全て消されている。昼にもかかわらず、この部屋の中にはあやしげな色でかたどられた妖気のようなものがただよっていた。
 ネイル軍の魔法兵器に動きがあるのを察知したフェルトールは、部屋の床に大きく描かれた魔法陣の力を借りて、兵器の爆発を止めようとしていた。魔法陣の中央に座し意識を集中させて、やってくる魔法石の力を遠隔魔法により封じ込める。ウェインは師匠からそう説明を受けていたが、ふだん使う魔法とはかけ離れたスケールの内容に、魔道師である彼も具体的なイメージをつかみかねていた。
 もうすぐやってくる決戦のとき。もうすぐ始まる国と国との戦争。大勢の人間が演じる命の奪い合い。いつものウェインなら、そのことを想像しただけで緊張して身を硬直させていたに違いない。だがいまの彼は、いつもと少し異なる気分をもっていた。
「兄さん……ちょっと兄さん」
 あいかわらず緊張することよりも強気の方が勝っているウェラが、兄を後ろから呼ぶ。だが彼の耳には入らず、振り返ろうともしない。
「兄さんってば! 聞こえているでしょ!」
「え? ……あ、ああ……ウェラか」
「ああウェラか、じゃないでしょ! もうすぐフェルトール様がめい想状態に入られるのに、兄さんったら集中力切れっぱなしなんだから!!」
「うん……ごめん」
 あっさりと肯定してどこかうつろな表情のウェインに、ため息をつくウェラ。
「昨日からずっとそんな調子。疲れがとれないなんてジジくさいこと言ってる場合じゃないだから、もっとシャキっとしてよ」
「わかってるよ」
 集中力の切れている原因を「ここ数日、寝ても疲れがとれない」などと釈明していた彼がなんとか笑顔をみせる。そんな兄を、ウェラが赤い瞳でじっとみつめる。
「……ほんっっっっっとうにシャキっとしてよね、兄さん。フェルトール様は病気がちだし、なにかあったら命の危険だってあるかもしれないんだから」
「わ、わかってるって……」
 すごまれるウェインは、とりつくろうような苦笑いを返すので精一杯だった。
 昨日、リュールの部屋であったことを、ウェインはだれにも話していなかった。
 先日のお礼と称して部屋に招き、ウェインが紅茶を飲もうとしたとたんカップを払い落としてそのまま出ていってしまったリュール。少し追ったところで彼女の姿を見失い、しかたなく部屋に戻ってしばらく待ってみたが、結局彼女は帰ってこなかった。
 どうしてリュールがとつぜん自分の前から逃げていったのか、彼には見当がつかなかった。自分の国へ戻るよう提案してみたのが彼女の心にさわったのか。それともなにか急用を思い出して言葉足らずのまま部屋を出て行ったのか――。しかしどう考えても、彼のカップをわざわざ払い落として部屋を出た理由が、彼には思いつけなかった。まさか彼女が紅茶をつかって毒殺をはかっていたことなど、ウェインには予測できるはずもなかった。
 それゆえ、彼はリュールの最後の姿がどうしても頭の隅にひっかかり、ことあるごとに昨日の光景を思い起こさずにはいられないのだった。
 
 ――私のことは心配しなくてもいいよ。大丈夫。

 そう云って決まりきった笑顔をつくるリュールの表情が、頭から消えない。
 彼女は無理をしている。その気配がウェインには伝わってきていた。だからこそ、故郷に戻ったほうがいいとウェインは彼女に伝えた。ミコールなら知り合いも多く、サガンに比べて魔法による医療技術も高い。なによりお師匠様――フェルトール様の助けを借りやすい。ガダルカのような山あいの辺境では、それら全てがままならない。ミコールにいた方が、あらゆる面で生活がしやすい。だから、リュールさんは戻ってきた方がいい。彼自身は、そう考えていた。
 理屈としては、そう考えていた。
 リュールのことが頭から離れずどこか気の抜けた表情のウェインのもとへ、今度は落ち着いた様子の白ひげの老人――フェルトールが姿を現した。
「フェルトール様!」ウェラがすぐに気づくと、フェルトールはやや固い顔つきで二人の方を向いた。
「二人とも、心の準備はできているかな」
「はい! あ、兄さんの方はまだみたいですけど」
 と、横目で兄の方をみるウェラ。ウェインもリュールのことをいったん隅に置き、気を取り直してフェルトールに向かった。
「僕も、だいじょうぶです。お師匠様の方は――」
「おおかたの用意はできた。あとは精神を集中させ、使用する魔法を形作るだけだ」
「かたち――づくる?」
 ウェラが尋ねると、代わりにウェインが答えた。
「ふだん使う魔法は呪文で身の回りにある聖霊の力を借りて、その力を具現化するだけのものだけど、魔法の規模が大きくなると体に負荷がかかりすぎて一気に具現化することができないんだ。だからつくりたいものを少しずつ構築していって、それを最後に解放する、という手法をとる。でもこれを実行するには、長い時間集中力を切らさずに魔法を練り上げていかなきゃいけないから、すごく大変なんだ。体力だってつかうし――って、ウェラも授業で習ったろ」
「――習ったっけ?」
 学院では実技の試験で上位三人、講座の試験で下位三人の中に必ず入っていたウェラの予想通りの返事に、ウェインはあきらめたように首をさげた。
「でもま、集中力のないいまの兄さんにはとうてい無理な魔法だってことはわかったわ。フェルトール様、がんばってくださいね」
「うむ。二人もくれぐれも――ごほっ」
 そのとき、フェルトールが腰を折って少しせきごむ姿をみせた。思わずウェラが声を上げる。
「フェルトール様!」
「ごほっ……いや、大丈夫」手を貸そうとするウェラを止めて、フェルトールは云った。
「たいしたことはない……それより二人とも」
 体勢を立て直しフェルトールはひとつ息をつくと、二人に向かって云った。
「先日私がおこなった占いを覚えているな。不吉な兆候のある場所を」
 ウェインも師匠の体調を心配しつつ、答えた。「ガダルカの南と、中央部ですね」
「うむ。そして南には、この塔も含まれている。占いで出た凶兆が何をあらわしているのかは分からんが、二人ともじゅうぶん注意してほしい」
「はい。お師匠様がめい想しておられるあいだは、僕たちに任せてください」
「モスカートが何をたくらんでいるのか知らないけど、もしここに来たら私の魔法でふっとばしますから」
 ウェラが拳をにぎって力強く云うのを、フェルトールは軽くおさえた。
「これこれ、モスカート殿がどうという話ではないだろう」
「でもあの人、占いで不吉な兆候が出ていたし、あの顔つきからしてどう考えても絶対なにかたくらんでいそうだから――」
「ウェラ、顔つきだけで人の内面まで判断してはいけないよ」フェルトールが笑みをうかべながら云う。「それに占いは、あくまで目安だ。彼の凶兆と南の凶兆が通じている保証はないし、我々に災いをおよぼすかどうかも分からない」
 ウェインの脳裏にリュールのことがよぎる。そういえば、モスカートはリュールの主だった。彼女には知らせておいたが、モスカートには不吉な兆しがある。それが、昨日彼女が突然みせた態度とは関係ないだろうか。
 彼は急に、リュールの身がひどく心配になった。根拠があるわけではない。あくまでモスカートの凶兆は占いの結果。だが、なぜか彼には悪い予感がした。
 いまごろリュールさんはどうしているだろう。もうすぐ戦争が始まる。大半の使用人は近くの村へ避難しているが、リュールは城付きの侍女としてまだ城に残っているはずだ。もし万が一、ネイル軍が何らかの形で別の箇所から攻め込んでくるようなことがあった場合、彼女は安全でいられるだろうか。
 再びウェインがリュールへの不安にとらわれているところへ、フェルトールが穏やかな調子で云った。
「二人とも、良い機会だからここで伝えておこう。占いで凶兆とされた相手が我々に危害を及ぼしてきたとする。君たちなら、その相手をどう思うかね」
「当然、やっつけるべき相手と思います。私たちに対して悪意があるんだから」
 ウェラが口をとがらせながら云うのに、ウェインも心の中で同意する。それに対し、フェルトールは云った。
「いま悪意といったが、では我々に対して、どんな悪意があるのかな」
「私たちに危害を加えにきてるんだから、あきらかだと思います」
 ウェラがはっきり云うのに、フェルトールは返した。
「では、我々にうらみを持って? それとも、我々を憎んでいるのかな」
「それは……」
 ウェラが言葉につまる。ウェインも、師匠の云いたいことを量りかねた。
 フェルトールは兄妹の反応を待ってから、云った。「もし仮にだが、だれかが私の魔法を停めにきたとして、ではその相手が我々自身に憎悪をもって災いをもたらそうとしているのか。その場合、おそらくは鉄の壁を破壊するという目的のため、最終的にはネイル軍の勝利という目的のためだろう。その点を、我々は見極める必要があるのだ」
「でも、どっちにしたって私たちがやることは変わらないじゃないですか」
 ウェラが不満そうな顔をする。相手が自分たちに対して憎悪があってもなくても、大事な師匠を守ることに変わりはない。ウェインもそう思った。だがフェルトールは云った。
「確かに、どちらであったとしてもいまウェインとウェラがやることに変わりはない。だがこれは、二人が今後魔道師として生きていく上で、とても大切なことなのだ。
 いまこの時点で敵であるか味方であるかは、あくまでいまの我々のおかれた状況によるものだ。私がサガンにこうした形で協力している以上、ネイルにとっていまの我々は敵ということになる。だがもしこの戦いが終わればどうだろう。ネイルはそれでも執ように我々を狙ってくるだろうか。
 我々の国、魔道立国ミコールはどこの周辺国からも離れた、中立的な立場を維持している。今回サガンに協力しているのも、魔法を戦争の兵器として用いているネイルのやり方に反対してのことだ。だが次は分からない。いまこのときに敵であったとしても、立場が変われば次は味方になるかもしれないのだ。
 相手はこちらの行為に対し、うらみをもつことがあるかもしれない。だが我々の方からは決して、相手の『思考』を見ず、ただ相手の『行為』だけを見て、うらみや憎しみを抱いてはいけない。魔道師は何事にも中立に物事を観察し、判断して魔法を使わなければいけない。それが、この世界で与えられた魔道師の使命でもあるのだ」
 フェルトールの言葉に、ウェインもウェラもややとまどった表情を見せた。
「……つまり、万が一ここにだれかがやってきて、僕たちに危害を及ぼしてきたとしても、相手を単純に『敵』だと考えてはいけないということですか」
 ウェインの言い分に、ウェラは困ったような顔をした。
「敵じゃない、って……でもやっぱりむこうが襲ってきたら、こっちは相手のことを敵だと思います」
「それが『憎しみのかけあい』の始まりとなることに、気づいてほしいのだ」フェルトールは神妙な顔で云った。
「相手がこちらを傷つけようとし、こちらも相手を傷つけようとすることで、憎しみが連鎖する。禍根はお互いの立場が変わってもずっと残り続けるから、後々も争いの火種となる。このネイルとサガンの戦争も、もとをただせばそうしたことが原因となっていることを忘れてはいけないよ」
 納得いかないというウェラの横で、ウェインは考えていた。
 心境としては、ウェラと同じ気持ちだった。だがその裏で、師匠の伝えたいことも彼は理解しようとしていた。
 師匠は、魔道師というものがどうあるべきかについて説いているんだと、彼は解釈した。そのときそのときの状況に流されず、常に相手が考えている目的を読み取り、うらみや憎しみといった感情を受け流して行動するべきなのだと、彼は受け取った。
 頭では理解できる。でも実際そうした境地におちいったとき、自分は正しい行動がとれるだろうか。自分たちを窮地においやった相手に、うらみも憎しみも抱かずにいられるだろうか。彼には少し自信がなかった。
「たとえ今日は敵だったとしても、明日には味方になるかもしれない。そのことを、魔道師である君たちの心に留めておいてほしいのだ」
 わかりました、とウェインは答える。ウェラも、なんとかうなずいた。きっとウェラにとっては理解しがたい考え方だろう、でも自分の慕う師匠の言葉だから信じようとしているんだと、ウェインは思った。
「――さて、私はそろそろめい想に入ろう。二人とも、なにが起きたとしてもあわてることなく、冷静に行動しなさい。もし万が一、命の危険にさらされるようなことがあれば、かまわず私を呼びなさい。決して二人だけで解決しようとしないように。いいね」
 はい、と今度は二人ともはっきりと答えた。
 物見の塔の最上階にある魔法陣の部屋に、フェルトールが入っていく。ゆっくりと閉じられる扉の前に、ウェインとウェラは立った。
 二人の前にはらせん階段が下っている。外からいくらかもれてくる陽の光と壁につけられたたい松で、廊下は明るい。だが数階ごとにある部屋のせいで、ここから見通せるのは二階下までだった。もしだれかがやってきたとしても、対応できるのはそれからである。
「――兄さん」
 ウェラがそんな階下をながめながら、つぶやくように兄へ云う。
「フェルトール様はああおっしゃってたけど、私、あやしいやつがきたらすぐに攻撃するから。相手がどう考えているかなんていちいち見てたら、こっちがやられるだけだから」
「うん、ウェラはそれでいいと思うよ」
 ウェインの返事に、ウェラがじろっと横目でにらむ。
「それでいい、って……兄さん、私のことバカにしてる?」
「いや、そういうつもりじゃなかったんだけど……。どのみちこの状況じゃ、あんまり考えている時間はないだろうし。でもまちがってこの塔の警備の人までまきぞえにしちゃだめだよ」
「まさか。それくらい私にも判別つくわ。――まったく、兄さんもフェルトール様も、私をただの火炎放射器みたいに思ってるんだから」
 憤りをしめすウェラに、ウェインは苦笑いする。
 ――妹ながら、いい例えだ。
 そう思っていると、ウェラが話題を変えた。
「そういえば兄さん、リュールさんはもう逃げたの? 戦争状態だから、安全なところにいったはずよね」


 とつぜん尋ねられ、ウェインはまた胸に鬱積していた不安を思い出した。
 リュールさん――。
「……モスカートさんのお付きで城に残らなくちゃいけないって聞いたけど――いまどこにいるのかはわからないんだ」
 急にかげりをみせるウェインの表情に気づくこともなく、ウェラは云った。
「そうなの? 大丈夫? 兄さんが助けにいってあげないと、危ないんじゃないの?」
「うん……そうかもしれない」
 深刻そうに返す兄に、ウェラは若干顔をひきつらせた。
「じょ、冗談! 冗談よ兄さん。そんなに本気にしないでいいんだから……」
 とりつくろうウェラに、だがウェインはうつむいたまま、返事を返さなかった。
 本当に――
 あれから、リュールさんがどうしているのか、どうなっているのか。ウェインには分からないままなのだった。
 この戦争が終わったら――
 もう一度、リュールさんに会いにいこう。
 会ってもう一度、自分の気持ちを伝えよう。
 ウェインはそう、心に決めた。




 
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