死神と女神の狭間 第三章  

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 かわって――。
 ガダルカの前にそびえたつ『鉄の壁』から馬で少しの距離にある、ネイル軍の宿営地。
 谷よりの風でテントがばたばたとなびく。もともと風があまりやまない場所であるが、ここ数日は特に風が強く、ときおり砂ぼこりさえ巻き上げ、兵士たちの視界をそいでいた。
 狭い谷から平野へ広がる場所。あたりは荒涼としているが、そのすぐ先には草原がある。ネイル軍はその草を踏み倒しながら、国境近い――もはや国境上と言っていいこの場所まで進軍してきたのである。
 テントは兵士の宿泊用や食糧庫用のもの等、様々な用途に使用されていたが、形と大きさはどれもさして変わらない。薄茶色の円筒型か四角すいの形をしたものばかりが荒野に立ち並んでいる。
 ただひとつを除いては。
 それは、宿営地の中でもやや奥まったところに鎮座していた。
 形よりも、大きさ。小さな家一個がまるごと入ってしまうくらいの高さと長さがあり、ひとめ見た者はこれはテントというより家の改築現場を囲う覆いだとでも思うだろう。実際、これを造るために百人近くの兵士で数日かかったのだから、もはやただの張り物とは呼べない代物になっている。
 そんなテントが覆っているもの。
 いまは入り口と内部に兵士が、周囲にも見張りの者や番犬――ネイル軍は見張りに犬や鴨をよく使う――がおり、厳重に守られていて中をのぞくことはできない。だが、この軍にいる者ならだれしもその正体を知っていた。
 ガダルカの『鉄の壁』を破るための、魔法兵器。
 ネイルの魔道士達が、魔力を蓄える鉱石に、その強大な魔力をためこんだ破壊兵器。
 いわば巨大な爆弾が、宿営地の中で眠っているのだった。
 そのテントを、やや遠くから静かな目で眺めている者がいた。
 体にぴったり合った黒いジャケットとパンツ、肩の下までのびた黒髪という黒ずくめの女。そんな中で、細面の顔の中にある妖しげなアメジストの瞳だけが目立つ。
 表情に色は無く、なにを考えているのか、そこから読み取ることはたとえ占いを使っても難しいと思わせるほどの、透明でかすみがかった雰囲気をまとっている。
 女は、そこに立っていた。
 何をするでもなく、ただ強くふく風に黒く流れるような髪をなびかせて、巨大なテントの方を眺めている。
 ちょうどテントを囲む兵士たちからは死角になる位置。代わりにそこには番犬がつながれていた。
 それを気にもとめず、女は視線をどこか遠くへ投げるように、砂と石しかない地面に立っている。まるで、テントの後ろからゆっくりと浮き上がってきた影のように。
「リースリングさん」
 と、後ろから彼女――リースリングの名を呼ぶ青年の声があった。
 背が高く、金髪で肌は色白。端正な顔つきで、身につけている服も軍の宿営地には似合わない、薄い色の小ぎれいなもの。歩き方ひとつとっても、どことなく品があった。
 特徴的なのは、彼の耳――人間なら丸く立っているのが、彼は横に長くのびている――森林をその住まいとする種族・エルフの証だった。
「リースリングさん、食事ができたようですよ。テントに戻りましょう。ミラさんとマクギガンさんが待っています」
 振り向かないリースリングに対し、彼は丁寧な口調で――彼の場合はこれが地についているようだが――云った。
「……わかった」
 と、彼女が小さく答えたとき。
 不意にテントの番犬が、二人の方へ向かって気がついたようにほえかかってきた。
 エルフの青年がそちらへ目を向ける。口の大きな、こげ茶色の凶暴そうな犬。
 それは彼らに向かって大きな声をあげてとびかかろうとするが、首とテントとをつなぐ頑丈な鎖に引っ張られ、犬はひたすら前足を上げることしかできなかった。
 二人は犬に対し十分に距離をとっていたので、かみつかれるおそれはない。
「――行きましょうか」
 冷静に判断し、エルフの青年は特にあわてることもなくそう云って、リースリングとともにテントの方に戻ろうとした。
 リースリングも、振り返って自分の後から来るだろうと思って――
 だが。
 リースリングはこちらを向かない。
 こちらを向かないまま、なぜか左腕を右手で覆っている。
「――どうしました?」
 彼には一瞬、彼女が何をやっているのか分からなかった。
 左腕。
 かみつかれることはないはず――。
 そう思い、だが彼はある記憶にたどり着き、思い直した。
 ――そうか。
 リースリングは、まだ番犬の方に視線をやっているようだった。
「――犬、ですか」
 青年がそっと、彼女の背後につぶやきかける。
 リースリングは気がついたようにすぐ右手を下ろすと、彼の言葉には答えず、今度こそ振り返って歩き出した。青年には目もくれず。
 青年も並んで歩く。彼は足が長かったため、リースリングに歩調を合わせるようにした。
「左腕、大丈夫ですか」
 そっと聞くと、リースリングは云った。
「……どうして」
「最近、酷使されているのではないかと思いまして。ゲルマルクさんが怒っていましたよ」
「……大丈夫」
「そうですか――ならいいんですが」
 言いながら、彼は複雑な意味のこもった息をついた。
 リースリングは相変わらず、色の無い表情のまま云った。
「……トリッケンこそ、近ごろ物忘れがひどくなってきたって言ってたけど」
「そうですね。詠唱するのに五分ほどかかる魔法の文言を一文字忘れてしまっていました。めったに使わない魔法だったので、油断してしまいましたね」
 と、物忘れどころか存分に記憶力のよさをみせつけるかのような言葉を、トリッケンと呼ばれたエルフの青年は返した。
「……それなら安心ね」
 リースリングがあきれた声でつぶやく。
 その声を聞いて、トリッケンは少し安心した。彼女の左腕を、気にかけながら。





 二人は宿営地の中でもややはずれにあったテントに向かっていった。他の兵士達が使っているものと変わりばえのないもの。中に入ると、空腹を刺激するかすかな香りがする。
「遅かったな、二人とも。メシできてるぞ」
 中から女の声。だが、その調子は男勝りである。
「今日もミラさんがつくったんですか」
「あたりまえだろ。ここのメシはまずくて食えたもんじゃないからな」
 ミラ、と呼ばれた女性は、ちょうど二人分のスープを運んでいるところだった。
 背はリースリングよりも拳ひとつ分ほど高い。薄手の服の上からでは分からないが、細身であるものの女性にしては筋肉質でひきしまった体をしている。ややくせのあるブラウンの髪に、気の強そうな顔つき。灰色だが輝きを秘めた瞳が、挑戦的に見える。
「今日の料理は自信があるよ。なんてったってスープが入ってるからね」
「その言葉、昨日も聞いた気がするけどな」
 と。
 三人のほかにもうひとり、地面に座って料理を待っている人物がいた。
「昨日は『イモがうまく煮えた。自信がある』って満足して俺たちに食わせてたじゃねーか」
「同じ自信でも度合いが違うんだよ、マクギガン。それに戦場じゃ、イモよりスープの方がぜいたく品なんだ。ありがたく食えよ」
「ちっ。こっちは別に軍の用意したものでもいいってのに、なんだってだいぶ待たされてまでお前の自己満料理につきあわされなきゃなんねーんだ」
「あっそ。そんなこと言うんなら、マクギガンはメシ抜きな」
「冗談だ、冗談!はいはい、おいしゅうございますよ、ミラ様のディナーは」
 そうしてミラとやりとりをしているマクギガンと呼ばれた男。他の三人にはない目じりのしわがあり、この中では一番年上に見える。どちらかというと丸顔で、髪は無造作で茶色く短い。ひげをほんの少しはやしているが、わざとではなくそるのが面倒なのでそのまま数日残している、というだけの半端な状態のものである。
 トリッケンとリースリングも席につき、ミラが全ての料理を運び終わると、今回の『仕事』をこなすため編成された四人の食事が始まった。
 毎回の食事は通常軍から配給されるのだが、ここへ来た初日に出た料理のまずさに辟易したミラが、調理器具を兵士から(半ば脅して)借り、原材料だけを毎日もらってきて調理をしているのだった。
「それにしても、お前ほど料理の似合わねえ女も珍しいよな」
 ミラの自信作である鶏がらベースの野菜スープをずるずるいわせて飲みながら、マクギガンが云った。
「いつもは力任せになんでもかんでも破壊するしか能のないくせに」
「意外と家庭的だよ、あたしは。家庭を捨てたあんたと違って」
「俺の過去の話をいちいちもってくるな!メシがまずくなるだろ」
「でも、私はミラさんの料理は好きですよ」とトリッケン。「私は食事にはうるさい方ですが、このスープも野菜に味がしみこんでいてとても美味です。種類が少なく質も悪い軍の素材でこれだけの味はなかなか出せません」
「だろ?分かるやつには分かるんだよ、マクギガン」
「へいへい。俺の舌がバカでした」
 マクギガンを納得させたミラは満足しつつ、ちょうどスープを飲んでいるリースリングに向かって云った。
「どうだ、うまいだろリースリング」
「……まあ」
「まあ、って。もう少し具体的な感想はないのかよ」
「……おいしい、と思う」
「……あんたはなに与えても響かないねえ……ま、いまさらあんたに『きゃー、これおいしい!』って言われてもびびるけど」
 と、ミラはあきらめた表情で、自分のつくったスープをようやく飲み始めた。
 食事を続ける四人。しばらくして、マクギガンが口を開いた。
「そういや、今回の仕事。どういう手はずになってるんだ。もうこっちに来て三日たつが、何もおとさたないぜ」
「おそらく例の兵器にまだ魔力をためこんでいるのでしょう。私達が来てからずっと魔道士があの大きなテントの中から出たり入ったりするのを見ましたから」
 トリッケンが答えると、ミラが云った。
「あれ、ほんとに鉄の壁が壊せるんだろうな。ギルはなんて言ってた?」
「ギルからは何も。ただ我々四人で、戦争の混乱に乗じて目的を果たせ。それだけです」
 険しい表情になるマクギガン。
「はじめギルに呼ばれたときに全部で四人もいたから、なにやら大変な仕事になるんだとは思っていたんだが、まさか城攻めとは思わなかったぜ。それにターゲットは二人だし。うまくいくか心配だな」
 それに対し、ミラが云った。
「あんたはどうせ後ろでちょろちょろしてるだけだろ。最前線に立つこっちの気持ちも考えろよ」
「お前は好きでそうしてるんじゃねーか!俺はお前と違ってハートが繊細なんだよ。注意深いんだ」
「なに、あたしが注意力散漫だってのか」
「はいはい、言い合いをしている場合じゃないですよ。――リースリングさんは、今回の仕事の内容以外に何も聞いていませんか」
 トリッケンに聞かれ、リースリングは黙ったまま首を小さく横に振った。
「――そういえばさ」ミラがリースリングの方を向いた。
「リースリングがギルの娘なんだって聞いたけど、ほんと?」
 その問いに、トリッケンが答えた。
「正確には、養子です。幼いころ、親のいなかった彼女をギルが引き取った、と聞いています」
 彼の説明に、リースリングはうなずきも、否定もしなかった。
「ほんと?なあ、あんたほんとにギルに引き取られたの?」
 ミラがさらに尋ねると、リースリングは少し間をおいてから、ようやく口を開いた。
「……覚えていない。小さかったから」
「――そりゃそっか」
 ミラは感心するような、同情するような声で云った。
「……あんたも災難だね。殺し屋の元締めに引き取られるなんて。ま、でもそれを聞いて安心したよ」
「安心?」トリッケンが疑問をはさみ、すぐに気がついて苦笑した。「ああ、そういうことですか」
「そういうことって――あたしにとっては大事なことなんだからな、これは」
 そんなミラに、マクギガンがあきれたように云った。
「お前もおかしな女だな。あの冷酷非道、残虐卑劣なやつのどこがいいんだ?」
「あんたに言ってもどうせわかんないだろ。あれはあれでけっこういい男なんだって」
「全然信じらんねえわ……」
「ま、でもあたしはギルに子供がいたっていいんだ。ってか、女がいても奪えばいいんだし」
「さらっと物騒なことをいいますね……」
 トリッケンが苦い顔をする。
「話を戻しますが、私たちのターゲットは二人います。ひとりは、ベル王弟。ガダルカを統治している者です」
「サガンの王様ファルヴァン四世の……弟だっけ」ミラが聞くと、マクギガンが云った。
「だから、王弟って言ったじゃねーか」
「あ、そうか」
 トリッケンが云う。「まあ、異母兄弟ですけどね。彼はおそらくガダルカの城の最上部にいるでしょう。こちらは計画通りに片をつければいいのでしょうが――問題は、もうひとりの方のターゲットです」
「大導師、フェルトールか……」 
 ミラが、嫌な顔をして云った。
「魔法使いって苦手なんだよね、あたし」
「苦手より前に、世界三大導師の一人だろ。まともにやったんじゃ勝ち目無いぜ」マクギガンが心配そうに云う。「守護と治療を司る白魔法の使い手としちゃ世界でも一、二を争う、っていうじゃねえか。きちんと作戦練っていかねえと、マジでやばいぜ」
「でも、実はそうでもないかもしれませんよ」
 と、トリッケンが少しの自信をこめて云ったのに、ミラとマクギガンが目を向ける。
 そのとき、テントの外から男の呼ぶ声がした。
「司令部だ。四人ともいるか」
 話を中断してトリッケンが立ち上がり、テントの入り口に向かっていった。
「なんでしょう」
「これから司令官アルマダ様のテントで作戦会議を行う。すぐに来い」
 わりとぞんざいな口調でその兵士は云ったが、トリッケンは顔色一つ変えず「わかりました」とだけ答えた。
 兵士が去っていき、トリッケンが中へ戻る。ミラが尋ねると、彼は答えた。
「作戦会議だそうです。すぐに来い、と」




 
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