死神と女神の狭間 第三章  

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 ドォォォォォン――
 轟音が鳴り響く。
 それは、突然だった。
 ガダルカの『物見の塔』。その最上階から、激しい爆発音が聞こえたのは。
 周りにいた使用人たちがとまどいながら、お互いに顔を見合わせる。門番の兵士の顔がこわばる。
 近くにいたものの中には、まさかネイルの魔法兵器がもうやってきたのかと一瞬思った者もいたかもしれない。建物自体もわずかに揺れるほどの、それは大きな衝撃音だった。
 一体、何か起きたのか。
 侵入者のしわざか。
 それとも――
 彼らは、音が聞こえてきた『物見の塔』の最上階を見上げた。
 そこへさらに聞こえてきたのは――










「冥府にすまう灼熱の悪魔ファラデビルよ、魔法の加護を受けた我が腕を通してこの世にのぼりて、我が眼前の全てを地獄の業火で焼く尽くせ…………『冥界のチェイスファイア』!!」
「う、うわぁぁぁぁっっ!!」
 ドォォォォォン!!
 再び激しい轟音。揺れ動く『物見の塔』。
 赤黒い光に包まれたウェラの腕から部屋中を覆い尽くすほどの火炎がほとばしり、目の前にいた双子の兄その他全てを焼く尽くす。
 炎はまたたく間に部屋中に広がり、地獄の様相を呈そうとしていた――が、すぐにその勢いは弱まる。
 床に描かれた巨大な魔法陣は、あらゆる魔法の効力を弱める働きがある。この部屋は、魔法の修練用にフェルトールがつくった守護空間だった。
 とはいえ、ウェラの放つ強烈な火炎をまともに受けようものなら、大ケガどころではすまされない。全身火だるま、頭のてっぺんから足の先まで大やけど――命が危ない。
 黒炎がおさまると、中からなんとか防御魔法のバリアで妹の攻撃を防いだウェインの姿があった。すでに全身冷や汗まみれ。ケガをしたくない一心で、彼は自分の魔法に全力を注いでいたのだった。
 彼らはこの部屋で、魔法の鍛錬を行っていた。
 といっても、実際にはウェラの魔法をウェインが一方的に受け続けるという、なかば暴力的といっていい練習方法だったのだが。
 ウェラが魔法の練習をすると云ってから、彼は妹の放つ矢継ぎばやの火炎魔法を様々なバリアで必死にかわしていた。
 ひとつひとつが小さな魔法ならよいのだが、それでは練習にならないと、ウェラはいつも最初から自分にできる最大最高の攻撃魔法をあびせてくる。
「兄さん! 私が火炎魔法撃つたびにいちいち『うわぁ』だの『どわぁ』だの叫ばないでよ、気が散るんだから! こんなんじゃ全然鍛錬にならない」
「ね、ねえウェラ、鍛錬ばかりじゃ体がもたないから、このへんでいったん休憩に」
「しない! 兄さんってほんと軟弱なんだから! こんな程度の魔法防げなくてどうする気なの!?」
 ちなみに『冥界のチェイスファイア』は火炎系の最上級魔法で、ミコール国内にも扱える者は数えるほどしかいない。まともに使えば、あたり一面焼け野原になるほどの威力がある。
「ウェラ、『冥界のチェイスファイア』は火炎系の最上級魔法で、ミコール国内にも扱える者は数えるほどしかいないんだよ。まともに使えば、あたり一面焼け野原になるくらいなんだから、それを防いでる僕の身にもなって……」
「冥府にすまう灼熱の悪魔ファラデビルよ、魔法の加護を受けた我が腕を通してこの世にのぼりて……」
「ど、どわぁっ!!」
 もう何度目かわからないバリアを張るウェイン。直後に響く轟音。
 最上級魔法を休みなく撃ち続けるウェラはそれだけで優秀な魔法使いであるといえたが、それを受けながらいまのところ無傷ですませているウェインも、十八という年齢にして十分優秀な魔法使いであった。
 ただし、ウェインの場合は失敗するとあの世行きである。
 激しい紅蓮の炎にきらめく広間。しばらくすると、魔法陣の効果で炎は急速に弱まっていく。あとに残ったウェインは、すでに肩で大きく息をしていた。
「ウ、ウェラ……ほんとに……もうこの辺で……」
 そうやって力ない声で彼が云うのに聞く耳持たず、ウェラはまた次の魔法のため手を組んだ。彼女の方も息が上がっていたが、それはどちらかというと彼女にとって「鍛錬をしている」と実感できる心地良い疲れだった。
「さあ兄さん、次は『疾風の火炎弾』を三連続で撃ちこむから!」
 勢い込んで詠唱を始めるウェラ。
 そのとき突然、ウェインは彼女の後ろを指差して云った。
「あっ、お師匠様!!」
「えっ、フェルトールさま!?」
 ウェインの声に即座に反応し、魔法を解いて振り返るウェラ。
 しかしそこにはだれもいない。
 どこを探してもいない。
 どう探してもいない。
 だたっぴろい空間に、隠れるようなところもない。
「――兄さん、フェルトールさまはどこ……」
 そうして彼女が再び兄の方を振り返ると――
 彼はそおっと部屋から出ようとしていた。
「……兄さん」
 ぎくりとするウェイン。わずかに首をめぐらせ、横目でウェラの方を見る。
「ウ、ウェラ……ちょっとお腹の具合が悪くなったから、外の空気を吸ってくるよ……」
 理屈のよくわからないいいわけを述べると、ウェインは扉を開け、すばやく部屋の外へ出て行く。
 ウェラの頭の中で、ぷちんと何かがキレた。










 背後から聞こえてくるすさまじい爆音から、ウェインは全速力で逃げた。
 塔の一番下まで下り、城内の方へいくつもの角を曲がる。城まで行けばウェラも無茶はしてこれないだろう。そう思って彼は城の方に向かってダッシュした。しかし、すぐ後ろから火炎弾がいくつも飛んできて、周辺の建物に当たっては大きな破壊音を立てる。当然外には魔法陣などないため、そのままの威力で飛んでくる。
 どうやらウェラは完全にキレてしまったようだ。見境がなくなっている。ファラデビルに精神をのっとられた今のウェラ(もちろん例えだが)につかまれば、絶対に殺される。
 そう思い、ウェインは息を切らせて逃げる。ウェラをまこうと、建物の角を曲がって、細い道に入り、また角を曲がって――
「あっ」
「きゃっ」
 ――と。
 そこで、ウェインは角の向こうからきていた人に思い切りぶつかってしまった。
 地面に倒れるウェイン。
 バサバサと音を立てて、石造りの道に落ちる書類や図面。
 ぶつかった相手が抱えていた荷物だった。
「いたた……す、すみません――」
 手をついてすぐに立ち上がるウェイン。
「だいじょうぶですか。ちょっとあわててて――あれ?」
 地面に後ろ手をついて倒れた相手をよく見ると、すっきりとした白い衣服に身を包んだ女性。そして、見覚えのある赤茶色の瞳。
「――リュールさん?」
 彼がぶつかったのは、さきほど塔の最上階にあいさつに来た、リュールだった。
 ウェインは謝りつつ、彼女に手をのばして起こす。
「ごめん、リュールさん……大丈夫? ケガしてない?」
「…………ウェイン…………くん……?」
 ――と。
 彼女はあいまいな返事で、なぜかウェインに向かってじっと目をこらす。
 ウェインは気づいた。ぶつかったときにはずれてしまったのか、いつもあるはずの眼鏡がない。
 リュールは眼鏡がないと、至近距離で目をこらしても相手の顔を判別しにくいほどの、極度の近視だった。
 彼女は、おぼろげに見える顔と声で、なんとか自分の前にいる人物をウェインと認識しているようだった。大きな瞳をぐっと細くしたまま、彼女は小さく云った。
「……ウェインくん……だよね?」
「うん、そうだよ――あ、あった」
 ウェインは彼女のすぐ横に落ちている眼鏡をみつけた。それを拾い、リュールに手渡す。
「はい。ごめん、大事なものなのに」
 受け取り、リュールはすぐにそれをかけて彼の方を見上げる。
「……………………あ、ウェイン君」
「やっと分かった? ごめん、いきなりぶつかっちゃって……ケガしてない?」
「う、うん、私は大丈夫。――どうしたの、そんなにあわてて」
「え、それは、その……ウェラが」
 言葉を詰まらせながら、彼はそっと後ろの方をうかがう。幸いうまくまくことに成功したのか、ウェラが追ってくる気配はない。
「……な、なんでもないよ。ちょっとぼけーっとしたまま走ってたんだ――あっ、ごめん。書類が……」
 ウェインは石造りの地面に落ちた書類を拾い始める。リュールも近くに転がった巻物を拾う。全てあわせると結構な量だった。おそらく彼女が両腕と脇で抱えてやっと持てるくらいだろう。
 ひととおり拾い終わるとリュールが云った。
「ありがとう、ウェイン君」
「いいよ、僕がぶつかったんだから――けっこうたくさんあるね。これ」
「そうなの。モスカート様が急ぎお使いになるみたいで……」
「どこまで運ぶの?おわびに、僕も持っていくよ」
「えっ、でも……」
「いいよ、このくらい。これひとりで持つの、大変だろうし」
「いいの? ――ありがと」
 ウェインは重ねた書類を両手で抱え、リュールと並んで歩き始めた。たとえウェラに見つかったとしても、リュールさんといっしょなら襲ってくることはないだろう、などと思いながら。
 周りはガダルカの城下町で、広い路地沿いに多数の民家が並んでいた。しかしいまは戦争をひかえているため、大半の住民は近くの村へ避難しており、ときおり見回りの兵士や城の関係者が通る以外に人気は全くない。
 二人の歩く音だけが、石畳の路地に聞こえる。
「――でもほんとにびっくりしたよ。リュールさんとガダルカで会えるなんて」
 ウェインが云うと、リュールもうなずきながら答えた。
「私も。学院の人たちと会う機会なんて、もうないんじゃないかって思ってた」
「タリスカーもガダルカも……遠いもんね。ちょっと行こうと思って行ける距離じゃないし……。でも、こうして会えたんだから、良かったよ」
「そうね。ほんとに――私も、ウェイン君やフェルトール様に会えて、良かった」
 そう云ったリュールの口調に、ウェインはなぜか少しだけかげりを感じた。それを、ウェインは彼女がちょっと疲れているからだと受け取った。
「……リュールさん、一人で両親を支えるのって、やっぱり大変?」
「ううん、そんなに大変じゃないよ。三人とも生活していけてるし……モスカート様のお気遣いで、住む家や毎日の食事も提供して頂いてるの。だから、大丈夫」
「ほんとに? でもリュールさんのお母さんって、たしか心臓病を患ってたんじゃ……」
「うん。だけど、いまは結構落ち着いてるの。最近は発作もないし……大丈夫よ」
 リュールが人懐こい笑みをつくりながら、ウェインに向かって云う。
 大丈夫。
 ウェインはその言葉を、ひさしぶりに聞いた気がした。
「あれからもう二年になるのね――。みんなは元気?」
「うん。ケルシュ君もアーメイさんも元気だよ。まあ、相変わらずといった方がいいかな」
「そう……」
 歩きながら、ウェインはリュールの横顔をのぞく。眼鏡の奥にある彼女の瞳の色が、どこかくすんで見えた。
「……ケルシュ君はいまなにをしてるの? 神殿で働いてるの?」
「進学したよ。なんでもミコール最高の心理術士になるんだって張り切ってたけど」
 それから、彼は卒業してからのことをリュールに話した。昔のクラスメートのこと、いまの学院のこと、ミコールの状況など……。
 彼の話すことを、リュールは微笑みながら聞いていた。懐かしそうな表情で。そして、少しのあきらめを含んだ表情で。
 二人は路地から城の正門前まで来ると、門番の兵士に会釈をして中へ入っていこうとした。
「よう、魔道師の坊や。今日は何の用だい、重そうな荷物を持って……あれ、そっちは?」
 気さくな調子で話しかけてくる門番に――彼が正門を通るときはいつもそうだった――ウェインは抱えた書類を持ち直してから、云った。
「同級生なんです。学生時代の」
「同級生? 侍女みたいだけど、見ない顔だな――タリスカー地方から? へえ、そうなのか。これから戦争になると思うから、くれぐれも気をつけてな」
 ひととおり門番と会話を交わし、二人は城の中へ入っていく。
 白を貴重とした廊下。壁には点々と配置された燭台。その壁にも床にも、ところどころ鉄色がのぞいている。それは、この城の構造に鉄の柱が数多く使われているからということもあったが、隠すこともできたはずのものをわざわざさらしているところをみると、ウェインにはガダルカを訪れた客人に対しサガン国の象徴である鉄を一種の装飾として使い、顕示しているようにもみえた。
 戦争の準備のためか、たまに使用人が忙しく通り過ぎる廊下を歩きながら、二人はさらに学院のことや現在の生活について話した。ウェインはリュールの表情にさきほど浮かんでいたかげりが引っかかっていたが、いまはそんなこともなく、彼女は心から彼との会話を楽しんでいるようだった。
「――で、そんな人が図書委員だから、いま図書館は大変なんだよ。頼んだものはなかなか出てこないし、たまに早いと思ったら間違ったものをもってくるし」
「ほんとに? でも、ウェイン君と私がやってたときも、結構大変だったよね。昼間は図書の貸し出しで忙しかったし、夜は遅くまで書庫の整理をしたり、依頼された情報を調べたり……」
「『百年前の古代魔法書のどこかに記載されているはずの錬金術について調べてくれ』っていうのもあったよね。あれは大変だったなぁ。古代魔法書自体が二十冊以上もあったし、古代文字を読むのにとんでもなく時間がかかったから……で、結局ひと月後に依頼者が『勘違いだった』って言ってきたときにはもう力が抜けたよ」
 いまさらながらため息をつくウェインに、リュールがくすくす笑う。
「あったね、そういうの。私たち、あんまり毎日深夜まで図書館にいたから、フェルトール様が心配されて何度かやって来られたくらいだったし……」
「ミコールで最大の専門図書館なのに、司書が非常勤のひと一人だけなのがいけないんだよね。学院の先輩に『図書委員になったら地獄を見るぞ』って云われたのがよく理解できたよ」
「でも、あれはあれで楽しかったよ。あんなに精一杯何かに打ち込める時間、今はないから……」
「そうだね。僕も……楽しかったよ」
 ウェインが云った後、少しだけ二人の会話がとまる。
 ミコールで彼らが通っていた魔法学院のことを、ウェインは思い出していた。
 それは、卒業する年。学院での最終年である五年生のとき。
 ウェインは年度の始めに、図書委員になった。師匠であるフェルトールに『魔法を学ぶなら図書館に勤めてみるといい。きっと良い経験になる』と助言されたため、つらいと言われていたこの役目をあえて選んだのだった。
 図書委員は二名。もう一人はリュールだった。この仕事がいかに大変で割に合わない役であるかをクラスメート全員が知っていたため、ウェインが立候補した後はなかなかもう一名が決まらなかったが、同級生に半ば推され、半ば頼まれる形で、断れない性格のリュールがひかえめに手を挙げたのだった。
 それからの図書館での仕事は、さきにウェインが述べたとおりまさに目の回る忙しさだった。開館中は来館者への対応と資料の検索、調査相談を同時にこなし、閉館後は資料の整理や調査依頼の処理、他の図書館への図書の移動手続き、館内の掃除、見回り等々が待っている。授業は当然他の生徒と同様に受けているため、決して仕事が早い方ではなかった二人、宿題が多量に出た日などは寝る間さえなかった。教室の掃除を管理するだけの『清掃委員』や、飼育動物にエサをやるだけの『生物委員』等といった他の委員に比べれば、肉体的にも精神的にも飛びぬけて過酷といってよかった。
 だがそれだけに、得るものも多かった。新古問わず魔法に関する書籍をいつも扱っていたことから、魔法の歴史や成り立ち等、魔法に関する体系的な知識が身についたし、ミコールにどういった魔法書があるのか、どこまでのことが分かっていて、何が研究課題なのか、といったことも知ることができた。さらに、仕事をこなすための冷静さ、簡単にはくじけない根性、手伝ってくれた仲間との信頼関係もこの仕事を通して二人が得たものだった。
 そして、それ以外にも――
「いろいろ失敗もあったけど、みんな支えてくれたし、あの学院じゃないとできないことだったから。やってよかったと僕は思ってるよ」
 ウェインがはっきりした声でそう云うと、リュールが小さくうなずいた。
「――そう、よね」
 リュールの瞳が沈み込む。
 そして、彼女はウェインに聞こえるか聞こえないかというくらい小さな声でつぶやいた。
「――あのころに、戻れたらいいのに――」
「えっ?」
「ううん、なんでもない――」
 少しだけ首を振って、何でもないよ、という笑みを見せるリュール。
 だが――
 そんな彼女の表情とは裏腹に、ウェインは彼女の眼鏡の奥にある瞳に、またくすんだものが見えたような気がした。
 ウェインの胸に、重くのしかかるような感覚があらわれる。
 なんだろう――。
 いまのリュールさんを見ていると、どこか不安になる。
 精一杯微笑む彼女の姿。大丈夫、というメッセージが伝わってくるような、彼女の視線。
 それが逆に、引っかかった。
 ウェインは少しだけ躊躇(ちゅうちょ)しながら、以前から想っていたことを、口にしようとした。
「リュールさん、その……あのさ――」
「うん……?」
 そこへ――
「リュール! やっと来た」
 突然名を呼ばれたリュールが前を見ると、そこには見覚えのある侍女が立っていた。
「あっ、バーベナさん」
 部屋の扉の前で、細くきつい目をしたバーベナが立っている。
「ごめん、もう来てたの?」
「リュールが早めにしたいって云ってたから、仕事切り上げて来たのよ。――あら、そちらはたしか、フェルトール様のところの……ウェインさんだったっけ」
「うん、ちょっと荷物を運ぶの手伝ってもらっちゃって……」
 バーベナはウェインに軽く会釈をし、リュールの持っていた図面の巻物を受け取った。
「先に中に入って広げておくわ。どうせすぐにモスカートが……モスカート様がお使いになるだろうし」
 云いながら、バーベナが扉を開けて部屋に入る。彼女が敬称を付け直したことを気にしながら、ウェインはリュールに尋ねた。
「ここが、モスカートさんの部屋?」
「うん。この城での仕事部屋なの。……ごめん、荷物持ってもらっちゃって」
「せっかくだから、中まで持っていくよ」
「ううん、ここでいいよ。手伝ってくれてありがと」
 云われ、ウェインはリュールに書類をそっと渡す。彼女はそれを両手で持ちながら、ウェインの方を振り向いた。
「……それじゃ、またね」
「あ、リュールさん」
 部屋へ入っていこうとする彼女を呼びとめたウェインは、周りに人がいないことと、バーベナが近くにいないことを確かめてから、云った。
「お師匠様からの伝言があるんだ。モスカートさんに関することなんだけど……」
「モスカート様の?」
 それから、彼はフェルトールが行った占いのこと、その結果、モスカートにあまりよくない相が出ていることを手早く説明した。
「……そんな、モスカート様が」
「うん。だからってその人に悪意があるかどうかは分からないけど……一応気をつけた方がいいと思う」
 彼の話を聞き、リュールはショックを受けたのか、少し目線を下げて思考を巡らせているようだった。
 ウェインには、少なくともそう見えた。
「……分かった。教えてくれてありがと」
「うん……じゃあ、また」
「またね」
 リュールが荷物を抱えたままの手を少しだけ振る。ウェインも遠慮がちに手を振った。
 部屋の扉が閉まる。
 彼はリュールが去った後もその扉を見つめていた。そして、ある思いにひたっていた。



「ううん、そんなに大変じゃないよ。三人とも生活していけてるし……モスカート様のお気遣いで、住む家や毎日の食事も提供して頂いてるの。だから、大丈夫」



 大丈夫、か。
 その言葉が、ウェインの胸に引っかかっていた。
 学院にいたときからそうだった。
 彼女と図書委員をしていたときは、特にそうだった。
 だから、大丈夫。
 大丈夫。
 大丈夫――
 彼女がそう云ったときは、本当は大丈夫じゃないんだ。
 閉じた扉の向こうに、リュールの落ち込んだ後姿が見えた気がした。





(リュールさん……)
 ウェインが自分の思いに沈んでいると、トントン、とだれかに左肩をたたかれた。
 彼は目が覚めたようにはっとして、たたかれた方を振り返る。
 そこにはウェラがいた。
「う……………………ウェラ……………………」
「兄さん、つかまえた♪」
 気味が悪いほど軽い口調で、ウェラが笑みを浮かべる。
「フェルトール様をだしにつかうなんて、兄さんもなかなか度胸があるんだから♪」
「あ、あれは……その……」
「お返しに、これから今までで最高につらい鍛錬をするから、覚悟してね兄さん♪」
 ウェラの残酷さを載せた満面の笑顔に、滝のようにイヤな汗を流すウェイン。
「う、ウェラ……ここ、城の中だしさ、こんなところで火炎魔法使うの、危ないんじゃないかな〜、なんて……思うん……だけど……」
「じゃあさっそくいくからね。――冥界のチェイスファイア」
「うわー」
 その後、彼が実の妹に何度も焼き殺されそうになったことは言うまでもない。




 
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