死神と女神の狭間 第三章  

1 2 3 4 5 6  8 9 10 11 12 13 14 15 16 後


 フェルトールらが『物見の塔』でリュールとバーベナに会ったとき、彼らの考えの及ばなかったことが二つあった。
 ひとつは、バーベナがリュールの味方であり、モスカートの秘密をつかんでいたこと。
 そして、もうひとつ。
 ウェインと別れ、部屋の扉を閉めたリュールの表情は、その「もうひとつ」のことで緊張に強ばっていた。
 目の前には、持ってきた図面を机に広げているバーベナの姿。リュールは彼女を直視できず、反射的にやや目線を下げた。そうしているうち、バーベナは図面の両端におもしを置き、リュールに座るよう促した。
 黒い革張りのソファに彼女が座ると、テーブルを挟んで向かい合う形でバーベナも座った。
「じゃあ、モスカートのことだけど……」
 そうして話を始めるバーベナを前にし、リュールはまだ心が揺れていた。
「単刀直入に言うけど、あいつは裏切り者よ。こっちの情報を、たぶんネイル軍かどこかに流しているんだわ。私、見たもの。ガダルカの町のはずれ、周りには廃屋しかないような場所で、モスカートが怪しい男と話しているところを。それも一度や二度じゃない――」
 バーベナの話すことを半分聞き流しながら、リュールは別の思いにふける。
「そのあと、怪しい男はいつも、町とは反対側にある古い建物の中に入るの。倉庫みたいなところで――調べたら、そこには昔、採掘で使われていた地下道への入り口があったわ。モスカートってガダルカでただ一人、地図無しで地下道を歩けるから、きっとあいつが道を教えてネイルのやつを地下道からガダルカまで来させているのよ。ガダルカとネイル軍の陣地とが地下道でつながってるってこと。だからこのことを早く王弟に伝えないと、大変なことになるわ」
 それを聞くリュールの視線は、相変わらず沈んだまま。バーベナはそれを、モスカートを告発することへの抵抗感にさいなまれているからととらえたようで、
「リュールがあいつの味方をするのも分かるわ。あなた、あいつに家の面倒を全部見てもらってるんだってね。金銭面で。だからってガダルカを裏切ろうとしているやつを、このまま放っておける?」
「でも……」ようやく、リュールは言葉を返した。「モスカート様はいつも私に優しくして下さるし、両親のこともとても気にかけて下さっているから……そんなことをする方じゃないと思うの」
「リュールは人がよすぎるの! あのくらいの歳の役人なんてみんな、裏ではなにを考えてるんだか分からないのよ。特に国の要職についてるような人は、ツラの皮の厚いやつらばっかりなんだから。モスカートだって、きっとネイルに買収されたか、さらに高い地位を保証されたから、こんな裏切り行為に走ってるのよ。あなたもそれに気づかないと」
「でも私、モスカート様にはずっとお世話になってるし……。バーベナさん、私がそれとなくモスカート様の周りを確かめてみるから、それまで待ってて――」
「だめ、それじゃ遅すぎるわ。本当なら私、今すぐにでも行きたいの。でも私だけで行ったら、あなたがモスカートと共犯だと疑われるかもしれないから、あなたを連れて行こうとこれまで待ってるのよ。もうネイルとの戦争は始まってるし、いくつかの情報はすでに漏れてると思う。早くしないと、とりかえしのつかないことになるわ」
 バーベナが細くつりあがった目で見つめてくる。リュールは少し目線をさまよわせた後、彼女から逃げるようにふらとソファから立ち上がった。
「……お茶、入れるね」
 バーベナに背を向けるリュール。バーベナは何も云わず、ただ小さく息をつくだけだった。
 リュールが向かったとなりの部屋の一角には、来客用の食器や菓子類が並んでいる。彼女はそこに入り、ポットとカップを取り出すと、湯の入ったケトルに手をかけた。
 ケトルは鉄製の小さな箱の上に置かれている。箱の中には火の魔法が込められた小型の魔法石が入っており、それが熱することでケトルの湯ができていた。
 これは、実はリュールがモスカートの侍女になってから取り入れたものだった。魔道立国ミコールでは当たり前のものとして普及しているが、サガンではこのような湯わかし器はまだものめずらしい仕掛けとして珍重されている。自分の学んだ魔法の技術を活かしたこの装置は、煙も出さず長持ちすると、主人であるモスカートに特にほめられていたのだった。
 リュールはそのケトルの湯をポットとカップに入れ、しばらく温めた。そして湯を捨て、茶こしに茶葉を入れる。
 そこまできて、彼女は手を止めた。
 そして、さきほどからずっと考えていた、モスカートとのやりとりをまた思い返す。
 ここに来る前、モスカートから聞かされたこと。
(モスカート様は……)
(バーベナさんのことに、もうお気づきになっている……)
(バーベナさんが、自分を裏切り者だと疑っている、と……)
(このままだと、モスカート様が危ない……)
(モスカート様、私……)
 フェルトールらの考えの及ばなかった、もうひとつのこと。
 それは――
「バーベナに秘密をつかまれていることに、モスカートがすでに気づいていること」だった。










「……バーベナさんが?」
 前の日、リュールはこの部屋で、モスカートに告げられた。
「そうだ。バーベナは、わしがガダルカを裏切り、ネイルに情報を流していることをつかんでおる。町の外れで、ネイルの遣いと会っていたところをあやつが見ておったのだ」
「本当ですか……」
「ああ、本当だ。わしはわざと気づいていないふりをしていたのだが、このままではいずれバーベナの口からわしが裏切り者だということが王弟へ伝えられるだろう。そうなる前に、なんとかせねばならんのだ」
「モスカート様……」
 深刻そうな顔をする自分の主人に、リュールの気持ちもふさがった。
「前からお前には言っているとおり」モスカートは云った。「わしはこのサガンという国を見限っておる。絶対的な権力を握った王が、ただ己が国土を広げたいがために周辺国へ次々と戦争を起こし、あげく国民を疲弊させているこの国をな。いまでは野盗による略奪が国内のいたるところで横行し、治安は乱れる一方だ。それを取り締まるはずの人間が全てネイルやグリッグランドとの戦争につぎこまれているのだから、当然だ。だからわしはネイル軍にはたらきかけ、このガダルカの戦いでネイル軍を勝利に導くための情報を流しておるのだ」
 それは分かっておるな、とモスカートが念をおすと、リュールは黙ってうなずいた。
「今度の戦いでネイル軍が勝てば、わしはネイルの高官につくことになっておる。そうなればリュール、そなたのご両親にももっといい生活を提供できるだろう。ことに、そなたの母親は心臓病で明日をも知れぬ命だ。それを治すには高価な薬が必要なのだったな。わしがネイルに行けば、おそらくそれを買ってやることができるだろうし、優秀な医者をつけることもできるだろう。だからリュールよ……ついてきてくれるな」
 聞かれ、リュールはこれまで何度も――ウェインに告げていた内容よりもはるかに深刻ないまの状況について――思い、考えてきた上での結論を口にした。
「――はい」
「うむ。そなたは素直でいい子だ。わしもお前のような侍女をもてて本当に運が良かったぞ――だが、そのためにはここでバーベナに秘密をもらさせるわけにはいかん。そこでリュール、そなたに頼みごとがあるのだ。そなたにしかできないことだ」
「私にしか……?」
「そうだ。リュールにしかできないことだ。それはな……」
 するとモスカートは、自分の仕事机の引き出しから、小さな木箱を取り出した。それを開け、中の物をリュールに見せる。
 それは、半透明の薬包紙に入った、白い粉末状のものだった。
「これは、わしがしかるべきところから取り寄せた、特別な睡眠薬だ。これをバーベナに飲ませたいのだが、わしがやっては怪しまれる。そこで、そなたにやってほしいのだ。お茶に含ませるなどしてな」
「バーベナさんに……ですか」
「そうだ。そなたなら怪しまれることはない。相談したいことがあると言って部屋に招き、これを飲ませるのだ。バーベナが眠った後のことはわしが何とかする。だから頼む。そなたと、そなたのご両親のために――」










 ウェイン君が言っていたモスカート様の「よくない相」とは、きっとこのことだ。
 リュールは棚の引き出しを開けた。そこには、小さな薬包紙に包まれた白い粉がある。
 彼女は右手を引き出しの中へのばすと、親指と人差し指でそれをゆっくりつかみ、湯気の立つポットの上まで持ち上げた。つまんだ紙を指でずらすと、少しずつ白色の粉末がポットの中に注ぎ込まれる。その光景を、リュールは焦点の合わない目で見つめた。
 全ての粉が注がれてから、リュールは紅茶の入った茶こしを入れ、ケトルを再び持ってポットに湯を注ぐ。湯は茶こしを通り、下に積もった粉を徐々に溶かしていく。そのあいだ、湯気がリュールの眼鏡をわずかにくもらせたが、彼女は気にするそぶりを見せなかった。
 しばらく待ってから、茶こしを取り出す。金属製のスティックで中をかきまぜて、少しだけ香りを確かめる。そして、そっとポットにふたをする。いつもと変わらない。変わっているのは、人を眠らせる特別な粉を入れたことだけ。それも完全に溶けたことで、色も、香りも分からなくなっている。
 いつもどおり。いつもどおりに茶を出せばいい。リュールはそう自分に言い聞かせた。
 盆にティーセット一式をのせ、彼女はバーベナのいる部屋に戻った。
 バーベナは考え事をしていたようで、リュールがかなり近づくまで、彼女が茶をもってきたことに気づかなかった。
 テーブルの上に、ティーセットを置く。リュールはバーベナの向かいに座ると、ポットを持ち上げて二人分のカップに紅茶を注いだ。
 睡眠薬入りの。
 リュールはバーベナの前にソーサーを敷いたカップをゆっくりと置いた。そして、自分の前にも。
 こうしていると、いつもどおりのことをしているようにしか感じられない。
 それとも、無意識のうちに感じなくなっているのか。
 リュールは眼鏡の奥の瞳をくもらせたまま、思った。
 モスカート様から頂いた粉を、私は確かにポットに入れた。
 これで本当に――
 バーベナさんは、眠ってしまうのだろうか。
 もし眠ったら、そのあとモスカート様はバーベナさんをどうなさるおつもりなのだろうか。
 ネイルとの戦いが終わるまで、拘束しておくのだろうか。
 バーベナさん――
 でも、ここでバーベナさんを眠らせれば――
 ネイル軍が勝てば――
 怪我をした父も、病に倒れている母も、安心して暮らせる。
 眠らせるだけ。
 少しの間、眠らせるだけ。
 それなら――
 バーベナの表情を見る。と、彼女と目が合った。
「……なに、どうかしたの。私の顔に何か付いてる?」
「う、ううん。何も」
 つくろうリュールの前で、バーベナはミルクの入った小さな陶器を持ち上げ、その中身をカップに注いだ。赤い液体に濃い白が混ざり、それをバーベナがスプーンでかき混ぜると、紅茶の色が人肌のようになった。
「そういえば」バーベナがカップを混ぜながら、リュールへ目を向ける。
「さっきあなたといっしょにいたの、ウェイン、だったよね」
「えっ? ――あ、うん。そう。ウェイン君。荷物を持つの、手伝ってもらったの」
「ふーん……」
 バーベナはスプーンの先をカップの縁に当ててから横に置き、云った。
「マジメで気の弱そうな男だったけど……ま、リュールにはお似合いかもね」
「お似合い?」
「彼氏でしょ、彼」
 かれし、とリュールは一瞬言葉の意味がのみこめなかったが、少し間を空けてからそれに気づくと、すぐさま否定した。
「ち、違うの! ウェイン君はただの同級生で……」
「え、そうなの? でもそのわりには、仲良さそうに話してるようにみえたけど」
「それは、ウェイン君とはミコールの魔法学院で一年間いっしょの委員だったから、その話で……」
「じゃあ、ただの友達ってこと?」
「うん……ウェイン君とは図書委員をしてたんだけど、ほんとにそれだけで、何もなかったし……」
「じゃあ、何かあったら彼氏になってたの」
「そ、そういうわけじゃ……」
 心なしかほおが赤くなるリュールを、バーベナはおもしろそうにながめる。
「ま、いいんだけど。その人、大事にしなさいよ。役人付きの侍女は出会いが少ないから、次いついい男が見つかるか分からないんだし」
 さて、とバーベナは再び真剣な表情に戻る。
「さっきのこと、決心ついた?」
「決心……」
「もうあなたが来ようと来まいと、私は今から言いに行くからね。あとはあなたがどうするかよ」
「…………」
 目線を下げ、黙ってしまうリュール。それをしばらくはかるように見つめながら、バーベナは紅茶の注がれたカップを手に取った。
 そこで、リュールは気づいた。目線を少しだけ上げ、バーベナが口元でカップを傾けるのを見る。
 バーベナが、紅茶を飲む。
 睡眠薬の入った紅茶を、一口。
 何も気づかないまま、バーベナはカップをそのままソーサーに置く。
「リュール、あなたはどう考えてるの。サガンを裏切ってまで、モスカートについていきたいと思ってる?」
 バーベナが云う。リュールは置かれた彼女のカップを見ていた。三分の一ほど減っている。
「……リュール! 聞いてるの」
「え? あ……ごめん」
「もう、しっかりしてよ。私は、あなたを助けようとしてるんだから。このままじゃ、あなたは絶対――」
 ――と。
 不意に、バーベナの言葉が止まった。
 リュールが彼女の方を見る。
 バーベナの顔に浮かんだのは、疑念の表情。
 何かの異変を、察知した表情。
 自分の体に起こった、異常。
 そして――
 徐々に、それが驚愕の色に染まる。
 唇が、のどが……震える。
 まるで、なにかがのぼせあがってくるような。
「…………っ?」
 バーベナは、声にならない音を口から発した。
 そして、音の出ないまま口ばかりを動かす。
 何かを云いたそうに。
 何かを我慢しているように。
 リュールもバーベナの異常に気づいている。しかしそれは、彼女の予期していたものではなかった。
 睡眠薬。
 それが効いてくれば、バーベナはゆっくりとまぶたを閉じて、そのままソファの上で眠りに落ちる。
 そんな光景を想像していた。
 違う。
 異常――
 バーベナの様子は、それとは違う。
 右手でのどのあたりを押さえ始めるバーベナ。
 苦しそうに。痛そうに。
 そのとき――
「――――っっ!!」
 バーベナが、血ヘドをはいた。
 床にこぼれる赤黒い液体。
 バーベナは右手で口をおさえながら、ソファから立ち上がった。前のめりになった彼女はテーブルに左手をつこうとして、ティーカップを倒してしまう。
「バーベナさん!?」
 驚くリュールの前で、バーベナは息を乱しながら必死に右手を口にあてる。だが、のどからはどんどん血がのぼり、あふれでてくる。
 口元からもれる赤い液体。垂れて流れるそれは、テーブルを、床を、黒の混じった赤色に染める。そこから漂ってくる鉄のにおい。
「――リ…………リュー……ル…………」
 テーブルに手をついたバーベナは絶え絶えの声でそう云い、リュールを見上げた。そして、信じられないといった目を彼女に向ける。
「…………どう……し……て……」
 かろうじて、言葉を吐くバーベナ。
 助けようとした友人に向けた彼女のうらむような視線、苦しげな表情、姿――
 それら全てに、リュールは怯えた。
 入れたのは、彼女に飲ませたのは、睡眠薬だったはず――。
 なのに――。
 立とうとし、立ち切れず横にふらつくバーベナ。そのまま足をもつらせ、床に勢いよく倒れる。
 どんっ、という音がし、バーベナが血にまみれた床に横たわる。
 そして、そのまま動かなくなった。
 静寂。
 ほんの少しの――
 不気味なまでの、ほんの少しの音のない時間。
 部屋に流れるのは、空虚と、
 窓からそよぐかすかな風。
 リュールは、体を震わせたまま――
 なんとか、声をしぼりだす。
「バーベナ――さん――」
 名を呼ぶが、彼女は動かない。
 おそるおそる、リュールは倒れたバーベナの表情をうかがうため、ソファの横に出る。
 すると――
 そこには、突然の痛みに驚愕し絶命したバーベナの、目を見開いたままの苦悶の顔があった。
「――っ!」
 リュールは声にならない悲鳴を発し、思わず後ずさった。腰が抜け、後ろ手に倒れこむ。
 あまりに――
 あまりに突然のことに、しばし動けないリュール。
 目に映るのは、こちらに頭を向けて前のめりに倒れているバーベナの姿。
 血まみれのテーブル。そして床。
 死体となった者の開いた口からも、依然として血が垂れ下がっている。
 入れたのは、睡眠薬。
 睡眠薬。
 睡眠薬。
 睡眠薬――
 リュールはそう何度も自分に言い聞かせる。
 だが、目の前にあるバーベナの無残な死に顔が、それを否定している。
 リュールは――
 ただただ真っ白な頭で、それをぼう然と見つめるしかなかった。




 
前へ TOPへ 次へ