死神と女神の狭間 第三章  

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 五階層からなるガダルカの城の二階。仕官の仕事部屋が並ぶ一角に、モスカートの部屋はあった。
 ふだん仕官らはガダルカの近くにある私邸で暮らし、城にやってくると自分たちに割り当てられた部屋で仕事を行う。それなりに身分のある高官であれば、警備兵が入り口についた部屋に与えられるが、鉱山局長くらいの地位では三室の部屋をひとつもらえるだけ。それでも、国境近くの出城としてはかなり立派な方であった。
 モスカートの部屋は、接客用のリビング、奥の間、そして茶菓子等を用意できる簡単な炊事部屋からなる。彼はここでガダルカの鉱山に関する書類上の手続きや他の文官との話し合いを行う。といって、鉱山はずっと以前に閉鎖してしまっているため、彼の仕事といえば閉じた鉱山口の定期的な確認くらいしかない。それも本人はほとんど動かず、作業員に任せている。そのため、城の見取り図や周囲の地形図といった鉱山とはあまり関係のない仕事も彼は兼任していた。また城内では仕事が少ないため、よく周辺の鉱山へ出かけては、そこで事務処理を手伝うことも多いのだった。
 モスカートに対する周囲の人間の評判は悪くなかった。姿こそやや不健康に太り、顔にも脂汗が常に浮かんでいるような男であったが、だれに対してもやさしく接していたし、いろんな面で気づかいも見せていた。目立つようなことはせず、常に他の文官たちの後ろに隠れがちな存在ではあったが、仕事などで一度関われば好印象をもたれるような男だった。
 そんな人物であったため、彼が部屋にやってきたとたんリュールに泣きつかれ、バーベナの死体を認めても、やはりいつもと同様のやさしい調子で彼はリュールを慰めた。落ち着きなさい。リュールはよくやってくれた。バーベナのことについては私に任せて。さあ、立ちなさい。
「でも、でも……わたし……バーベナさんを――」
 リュールは、完全に取り乱していた。
 モスカートの姿が見えると、いままで停止していた彼女の感情が一気にあふれでた。目を真っ赤にはれあがらせ、涙にぬれるほおを眼鏡を上げて指で流そうとする。それでも涙は止まらず、彼女は顔を両手でおおう。とめどない嗚咽が、彼女の口からもれる。
 自分の飲ませた薬で、バーベナは血をはいて床に倒れてしまった。
 リュールは混乱した頭で、状況が冷静に判断できない。
 自分は、なんてことをしてしまったんだろう。
 眠らせるだけ。
 それだけのはずだったのに。
 リュールの頭の中から、バーベナの最期の顔が焼きついて離れない。
 彼女の無残な死体はまだリビングに転がっている。だがその生死を確認するどころか、そちら側を見ることさえ、リュールにはできなかった。
 私は、人を――
 人を殺して――
「リュールや。そなたは何も間違ったことはしていないのだよ。間違っていない。わしの説明のしかたがいけなかったのだ」
「…………」
「とにかく、こちらに来て座りなさい。さあ」
 なぜか極度に落ち着いた様子でモスカートは云うと、奥の間へリュールを促す。そこにあるソファに彼女を座らせ、自分は隣へ座った。
「リュール。そなたは、わしの渡した薬をバーベナに飲ませた。わしの言ったとおりにしてくれた。ただそれだけなのだ。なにも間違ったことはしていない」
「でも……眠らせるだけだったのに……バーベナさんは……」
「眠らせるだけと言ったのは、わしの責任だ。謝ろう」
 モスカートはリュールのうるむ目を見ながら云った。
「いま打ち明けるが、実はあの薬は睡眠薬ではない。本当は、即効性の致死毒なのだ」
「致死……毒……?」
 すすり泣きながら何とか答える彼女に、モスカートはやさしく云った。
「そうだ。しかしはじめから致死毒と言えば、リュールは心のやさしい娘だ。バーベナに薬を飲ませることを躊躇(ちゅうちょ)してしまうだろう。そう思い、わしはわざと睡眠薬と説明したのだ」
「……じゃあ、バーベナさんは……」
「バーベナはどちらにしても、このまま生かしておくつもりはなかったのだよ。睡眠薬で眠らせて拘束することも考えたが、万が一逃げられたり、他の者にそのことがばれたりすれば、全てが台無しになってしまう。だから、初めから毒を用意したのだ」
「そんな…………私……そんなつもりじゃ……」
「リュールよ、気をしっかり保ちなさい」モスカートは云った。「そなたが働いてくれたのは、だれのためだね。お父様と、お母様のためだろう。ご両親を守りたいからこそリュール、そなたは勇気を出して私の言ったことを実行し、バーベナに薬を飲ませたのだ。バーベナを殺したのはそなたではない。そなたはただわしに言われたとおりやっただけ。そう考えなさい」
「…………」
 リュールはなんとかモスカートの論理を聞き入れたものの、ひとりの人間の命を奪ったことについて、心の中でまだ良心の呵責(かしゃく)にさいなまれていた。
 バーベナさん――
 私は、ただモスカート様の指示通りに動いただけ――
 でも、それを実行したのは私――
 私は、ただお父さんとお母さんを守りたかっただけ――
 でも、バーベナが眠らせようと薬を飲ませたのは私――
「リュールや」
 すぐには整理できそうにない彼女のそんな心中を知ってか知らずか、モスカートは彼女の肩にそっと手をおいた。
「実はそなたにもうひとつ、頼みたいことがあるのだ。聞いてくれるか」
「…………」
 弱々しくうなずくリュールへ、モスカートは云った。
 次の『頼みたいこと』を。
 淡々とした調子で話すモスカート。
 その内容を聞くうち、リュールの表情はどんどんこわばったものになる。
「――――えっ?」
「そうだ。これをそなたに頼みたいのだ」
 モスカートの云ったことに、リュールは驚き、心の中で愕然とした。
 小さく首を振りながら、彼女が答える。
「そんな――私、できません……」
 また涙目になるリュールにモスカートは、いままでの彼にしてはやや強い調子で云った。
「だが、これもやはりそなたにしかできないことなのだ。ネイル軍を勝たせるためには、必要なことになってくる。それは、先日会議に参加したときに、そなたも聞いていたから分かるだろう」
「でも……私もう……もう……」
 両手で顔を覆う彼女に、モスカートは云った。
「リュールや、しっかりしなさい。そなたにとって大事なのは、血を分けたご両親なのか。それとも他人なのか」
「そんなの……決められません……」
「リュール、聞きなさい。両方守ることができればそれにこしたことはない。だが、いまは瀬戸際なのだ。どちらも守ることはできない。どちらかが、不幸な結果になる。そしてこのままでは、そなたのご両親の方が不幸になってしまう可能性の方が高いのだ。それなら、そなたならどうする。どんな方法を使っても、ご両親を助けたいと思わんか」
 彼女の顔をのぞきこみながら説得するモスカート。しかし、リュールは顔を覆ったままかぶりを振る。それはモスカートの頼みに対する否定ではなく、この状況――彼女にとってあまりに過酷で、精神的に打ちのめされたいまの状況に対する逃避を表していた。
 いまの彼女に自分の頼みごとを聞き入れるだけの余裕がない、と判断したのか、モスカートは彼女の肩をそっと二回たたき、やさしい表情に戻ってひとつ息をついた。
「そうだな。そうだ――そなたはそれどころではあるまい。リュールはやさしいから――頼んだわしが悪かった。今の話は、気にしないでくれ。ただ、ご両親を救うためのあと少しの勇気がそなたに残っていればと思ったのだ」
 そう云ってモスカートはリュールを心配するような顔のまま立ち上がると「少しこの部屋で休んでいなさい」と云って、隣の――まだバーベナが横たわっているリビングに向かっていった。
 リュールのいる部屋が、静かになる。ネイルの宿営地とは違い、ここガダルカの城内にはわずかな風しか流れ込んでこない。
 外は穏やかな晴天の日。地平線に近づく太陽がオレンジ色をおびはじめている、夕暮れ時。
 嗚咽が徐々に止まる。両手を顔から離し、彼女は真っ赤にはれた目をあらわにする。眼鏡の奥にあるその瞳は、深い穴があいたように、どこまでも暗く、沈んでいる。
 これから、私はどうすればいいのだろう。
 どうすれば――
 ふと、彼女は向かいにある机に目をとめた。モスカートの仕事机。
 その上にぽつんと置かれた、木箱。
 見覚えがある。
 あれは――
 あれは、睡眠薬の入っていた――
 睡眠薬――
 お父さん。
 お母さん。
 その箱を、リュールは深い沼のような黒いからっぽの目でながめる。
 彼女の心に、ひとつの暗い影が落ちた。










 一日経った。
 ネイル軍の動きにまだ変化は見られず、したがってガダルカのほうでも目立った動きはないかと思われた。
 しかし、朝から兵士たちの動きがあわただしい。城内の廊下や城の周りを多くの兵、伝達、使用人らが行き交っている。武器の準備、隊の配置、待機場所への移動等々……。ガダルカの城内を通る広い廊下に多くの人が頻繁に通り、あわてて肩をぶつけるような者も少なくなかった。
 その中心にいるはずの人物も、その他大勢と同様にいままさに幅広の廊下の中央を歩いていた。
 引き締まった大柄の体に灰色の髪。その高い身分の割に、身につけているのは最小限の皮鎧のみ。腰にも短めの剣しかさげていない。しかし鋭く黒い瞳には、油断は全くない。その周りだけは常に緊張が張りつめたような、なにか容易に近よりがたい雰囲気を周囲に放っている。
 後ろには二人の部下を連れている。片方は茶灰色のくせ毛のある髪に、深青色の瞳。そんなに大柄な方ではないが、やはりきたえられた体をしている。表情には若さがにじみでており、何にでも食ってかかりそうな顔つきである。腰には、前の男よりもむしろ立派な剣をさげている。
 もう片方は、茶色にやや白の混じった長髪を後ろで束ねている。やややせた顔つきであるが、体はやせているというよりもむしろしなやかにきたえられた、細身の体型である。隣の若い男とは対照的に落ち着いた雰囲気であり、年齢も彼よりは前の男に近いように見える。
 そんな三人が廊下を歩きながら城の奥へ向かっていると、後ろの若い男が口を開いた。
「グレイ隊長、俺はやっぱり納得できないっすよ。なんで出撃するのは俺たち剣兵隊だけなんすか」
 前にいた男――剣兵隊隊長グレイ=ファン=ハールは、しかし彼の言葉に答えようとしない。すると、また若い男は不満そうな顔で云った。
「全員で守ればそんなに苦労しなくても勝てる戦なのに、なんでわざわざこっちから打って出るようなことを――それも鉄兵隊は残して。中途半端っすよ。これじゃ攻めるのに時間がかかるし、守りも不完全になる。隊長だって分かってるでしょう?」
 それに、グレイが前を向いたまま云った。
「――不満ならラッシュ、お前だけ抜ければいい。いつもの持ち場でじっとしていろ」
 そっけない答えに、ラッシュと呼ばれた男は
「行きますよ。俺も、もちろん。でも――隊長は不満じゃないんすか」
「もう決まったことだ。俺たちはその中で全力を尽くせばいい。不満は口にするだけ無駄だ」
「だけど、あのトゥーレとかいう軍師に乗せられてるだけかもしれないんすよ。こっちから攻めるのは、後から来る本国からの援軍に手柄をとられたくないからですよ、絶対。そう思わないっすか」
「言葉を慎め、ラッシュ。城内だぞ」
 そう云ったのは、彼の隣にいた長髪の男。
「副隊長……」
「その論議はお前とグレイ隊長の出席した会議で行ったはずだろう。その結果、軍師から下った指示が『剣兵隊のみ出撃』だ。決まったのなら、もうそのことに集中しろ」
「……わかりました」
 と、全く承服しかねるといった表情ではあったが、ラッシュはしかたなく口をとめた。
 彼の言葉どおり、剣兵隊は軍師トゥーレの命令によりネイル軍への攻撃を「余儀なく」されていた。
 グレイの率いる剣兵隊と、老兵ノガン=ブレフの率いる鉄兵隊。ガダルカの二大軍隊がそれぞれの持ち場から移動し、これから始まる戦争の用意に城内を動き回っているのだった。
 出撃は明日。そのための打ち合わせを、剣兵隊の三人はこれからノガンと行うところだった。
 階段をのぼる三人。グレイが後ろの長髪の男に云った。
「オーイエル、鉄兵隊の配置について、ノガンから何か事前に聞いていることはあるか」
「通常の配置に、正面をあと何名か増強したいと聞いております。それ以外のことについては、ノガン隊長の方からご相談があるかと」
「分かった」
「それから……さきほど、ダグラス殿が城のほうにおいでになったと聞きました」
「えっ?」
 そう聞き返したのは、グレイではなく横にいたラッシュの方だった。
「ダグラスのアニキ、来てるんすか?」
「ああ。レンツ村に逃がした家族に会いに来たついでにここへ寄ったらしいが……隊長、どうされますか」
 聞かれ、グレイはやはり振り向かずに答えた。
「俺の方で特に用はない。会う必要はないだろう」
「えっ、会わないんすか?」
 淡白なグレイの返事に、ラッシュは思わずまた口を開く。
「アニキ、鉄兵隊辞めてから一度も顔見てないし――それにこの間、ヴェルタ村のアニキの自警団がグレアムの森の盗賊団を追い払ったって聞いたからその話も聞きたいし、ちょっとくらい――」
 だが、それに対してグレイは彼の前を歩いたまま何も答えなかった。
(ちぇっ、ひさびさに会えるせっかくの機会なのにな……)
 口をとがらせるラッシュ。
 と、とつぜん前のグレイ隊長が足を止めた。ラッシュはその背中にぶつかりそうになるところをあわてて止まる。
 なんだ、と彼が前を見ると、そこには先の作戦会議のときにみた顔があった。
 白く長いひげをたくわえた背の高い老人。その後ろに似たような背顔立ちの若い男女。いずれもローブをまとっている。
 ラッシュらと同様に向こうも足を止める。魔道立国ミコールから来たという、魔道師三人組。たしか、老人はフェルトールとかいったはずだ。
 ラッシュが三人を見渡しながら思っていると、老人がグレイに向かって云った。
「グレイ殿、明日ネイル軍へ攻勢をかけると聞いたが」
 しわがれた、しかし芯の通ったはっきりした声。それに対しグレイは云った。
「ああ。俺たち剣兵隊だけ出る。明日の朝、出発する予定だ。あんたの方は順調か」
 おそらく二十以上歳の離れた相手に対してもまったく言葉遣いを変えないグレイに、フェルトールは眉ひとつ動かすでもなく平然と応じた。
「うむ。さきほどみたところ、ネイル軍の魔法兵器に変化がみられなくなってきた。向こうも数日中に……早ければ明日にも動きをみせるかもしれん」
「わかった。そちらの方はあんたに任せる」
 云って、フェルトールの横を通り過ぎようとするグレイ。
 と、ここでフェルトールの後ろにいた女魔道師がいきなり前に出てきた。
「ちょっと! フェルトール様に向かって、その言い方はなによ!」
 グレイに向かって指をさしながら怒る彼女。後ろにいる青年が「やめなよ、ウェラ……!」と云うのがわずかに聞こえる。
「フェルトール様はミコールの最高権力者のひとりである、大導師なのよ。それをあんたあんたって、もう少し呼び方を考えなさいよ!」
 彼女の言葉に対し、グレイが答える前にそれをみたラッシュが反射的に前に出た。
「おい、なんだよお前。グレイ隊長に向かってそんな言い方。お前のほうこそ失礼だろ!」
 ラッシュの顔をみたとたん、向こうは何かを思い出したのか「あーっ!?」と叫び、さらに怒りに満ちた表情になって今度は彼の方を指差した。
「このあいだの会議でよくも魔法のことをバカにしたわねこのバカ男!」
「なっ……だれがバカ男だ!」
「あんたのことよ!! 魔法なんて全然信用できないとか言って、魔法のことなんかなんにも知らないくせに!あんたのせいでフェルトール様の名誉がどれだけ傷ついたかわかってんの!?」
「本当のことを言っただけだろ! ガダルカは俺たち剣兵隊と鉄兵隊が守るんだ。信用できないものは信用できない。魔法なんて出る幕ないんだよこのバカ女!!」
「バ……言ったわねこのバカ男!!」
 ののしりあいになる二人。それを見かねて――
「ぐ、グレイ隊長……」
「あっ、フェルトール様……」
 グレイがラッシュの頭をつかみ後ろへ無理やり下げ、フェルトールがウェラの肩をたたいて後ろへやった。
 ラッシュもウェラもまだお互いにらみ合っている。その前で、グレイが云った。
「うちの若いのが失礼した」
「いや、こちらこそ失礼した」フェルトールも応じる。
 そうして、さっきと変わらない調子でグレイは、鋭い視線をミコールの大導師へ向けながら告げた。
「こいつがここまで言ったから言うが……正直なところ、俺たちは魔法のことを信用していない。それは魔法の善悪や好き嫌いじゃなく、俺たちに魔法のことを理解するだけの素養がまだないからだ。あんたを味方とみなしているから、あらかじめ言っておく」
 フェルトールは彼の言葉をおだやかに受けとめ、うなずいた。
「今回の戦いは」グレイが続ける。「俺たちが、俺たちのやり方でやる。魔法兵器への対処も含めて。協力してくれるのなら助かるが、正直あまり期待はしていない。それに、守りはノガンの鉄兵隊に任せているが、おそらく人手が不足する。すまないがあんたたちまでかばいきれるかどうかはわからん。前提として、あんたたちの身はあんたたち自身で守ってくれ」
 ウェラの目つきがまたきつくなるが、フェルトールは「それでよい」と冷静な顔で云った。
「グレイ殿は、ご自分の仕事に集中してくれればよい。我々とて、足を引っ張るために残ったのでもなければ、ただ外交的な付き合いで残ったのでもない。我々のことは気にしないでほしい」
「結構。できるだけの配慮はする」
 グレイが、今度はウェラの方に視線を向ける。
「俺の話し方が気にさわったのなら謝るが、俺はこういう話し方しかできない。だれに対しても同じだ。ベル王弟に対してもこうやって話す。気に入らないのなら気に入らないままでかまわないが、戦いのときは協力的にやっていきたい。お互いのためだ」
 その言葉に一瞬、彼女がひるんだようにも見えた。――それは言葉だけでなく、グレイの目つきや圧力といったものもあったかもしれない。
 それだけ云うと、グレイは足早にフェルトールらの横を通り過ぎていく。オーイエルも、ラッシュも気づき、それに続いた。
 三階の広い廊下を歩く。しばらくして角を曲がったところで、ラッシュが後ろをちらちら見ながら云った。
「なにが魔法だ。大導師だ。あんな怪しげな術を使わなくたって、剣一本で十分戦える。俺たちはずっとそうしてきたんだ。そうっすよね、副隊長」
「お前はその前に、剣兵隊隊員としての冷静さを保つ必要があるな、ラッシュ」
 オーイエルがぴしゃりと云った。
「気に入らないことがあるからといって何でもむきになってつっかかるのは、いち人間としての落ち着きを欠いている。戦いにも影響してくるぞ。気をつけろ」
「…………はい、了解っす」
 むすっとした表情で従うラッシュ。彼の性格としては、魔道師になめた態度をとられたことへの腹立たしさがどうしても胸の中にくすぶったが、ラッシュはおとなしく引き下がった。それはある意味で彼の、グレイ隊長、オーイエル副隊長に対する尊敬の念の深さをあらわしていた。
 やがて、三人が歩をとめる。三階のかなり奥まった場所。そこに、鉄兵隊隊長ノガン=ブレフの部屋はあった。
 扉には本来いるはずの見張りの兵士が立っていない。ノガンが「そんなものに頼るようでは鉄兵隊隊長の名折れじゃ」と、わざとだれも置かないでいるのだった。
 グレイが観音開きの扉の左側をノックする。中から大きな返事。さきほどのフェルトールと同じしわがれてはいたが、強く太い声だった。扉を開けて、グレイとオーイエルが、最後にラッシュが中へ入る。
 そこで――
 部屋の中に、ノガンのほかにもう一人いるのをラッシュが認めた。
 広い部屋にテーブル。そのわきに立っている老兵ノガンの姿。
 そしてもう一人。浅黒い肌をした、黒いあごひげをたくわえた大柄な男が。
「おっ、ひさしぶりだな、ラッシュ!」
「――アニキ!」
 そこには、ラッシュがアニキと慕う、元鉄兵隊隊長ダグラス=エシアンの姿があった。




 
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