死神と女神の狭間 第四章  

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 顔なじみの兵士が自分の真横で殺されたあと、ウェインは鉄兵隊を追ってこの場所までやってきていた。
 戦い――人どうしの命の削りあい、奪い合い。そのまっただ中に、ウェインはたしかにいた。
 だがこれまでの彼は、あくまで「傍観者」だった。戦いの場をみているだけ。戦いの場に立っているだけ。そんな彼の前を、漆黒の暗殺者が通り過ぎるだけだった。
 なんのために、自分はここにいるのだろう。師匠も、妹ですら、この戦いに加わっていたはずだ。だからこそ傷つきもし、倒れもした。
 必ず生きて、この苦難を乗り越えなさい。フェルトールはウェインにそう言い残した。だから自分は生きてこの城から――この戦いから抜け出さなければならない。しかしそれは戦いから逃げることではないとウェインは解釈していた。
 自らも戦って、なお生き延びる。そこにこそ、自分がいまここにいる意味がある。逃げ続ければ、傍観者のままだ。何も知ることができないし、何も理解できない。戦うことが、どういうことであるのかを。
 だからウェインは鉄兵隊を――その先にいる侵入者の姿を追った。だが鉄兵隊は自分のものとはくらべものにならないくらい重い武装で、なお彼よりも速く走った。そのことに驚きながら、彼は息をきらせつつ必死に廊下を駆けた。
 そして城の北東部にやってきたところで、とうとう彼は鉄兵隊を見失った。分かれ道までやってきたところで彼は立ち止まり、廊下の先をうかがう。左の通路から、かすかにノガンのしわがれた声が聞こえた。
 そうして彼が左に進路をとり始めたところで――
 侵入者・リースリングが彼の前に現れたのだった。
「若造! そいつを止めるんじゃ!!」
 響くノガンの声。彼の視界に、黒い影のような人物が飛び込んでくる。と思うと、みるみるうちにウェインとの距離が縮まった。
 リースリングが右手で左の袖をすばやく探る。さきほど顔なじみの兵士といたときにみたのと同じ、ナイフを取り出す動きだった。
 考えているひまは、なかった。
 ウェインはとっさにさきほどと同じ即席のバリアを左手でつくる。と同時に、もう一方の手のひらを地面にむけ、一、二言詠唱する。
「氷下の地で全ての動を静に……アイスグラブ!」
 すると、ウェインの足元にとつぜん、白銀の氷が現れた。
 氷点下の地面がガリガリと音をたてながら、ウェインの前面に広がっていく。床があっというまに狭い廊下の幅いっぱいまで、乱れた白い氷で覆われる。そしてそれは、駆けてくるリースリングの足元にまで一気にたどりついた。
 氷結魔法。ウェラの火炎魔法と対をなす属性の呪文。一瞬の判断で、彼はリースリングの足を止めるために効果的な方法をとった。
 これまで全く変化のみられなかった彼女の顔に、はじめて驚きの表情がうかんだ。彼女はナイフを投げるのをとどまるのと同時に、凍った床をとびかわそうとする。だが氷の手が彼女の足にかかるほうがわずかに早かった。
 跳ぼうとしたリースリングの足に、床を走っていた氷の先がかかる。そしてそのまま、彼女の黒く細い両足に目にもとまらぬ速さでからみつく。ひきたおされるような格好で、リースリングが前のめりに床に倒れこんだ。
 すぐに手を地面につき、立ち上がろうとする彼女。だが粗い氷に包まれた足先が、それを許さない。凍りついた両足をなんとか氷の床からはずそうと、リースリングはウェインの前でもがいた。短い詠唱だけでつくった薄い氷。少し時間をかければ、簡単に脱出されるような代物だった。
 だがそれでも、後ろから必死の形相で追ってくる鉄兵隊が彼女を捕まえるための時間かせぎには、十分だった。
 ようやくリースリングが右足の氷を地面からはずしたあたりで、鉄兵隊が彼女に向かってなだれこむ。一番前を走っていた兵士が、まず彼女の背中に思い切りのしかかった。
「あうっ!」
 声をあげるリースリング。全身を鉄の鎧に包んだ重量兵が、一抹の配慮もなく背中から全体重をかけて押しつぶしてくる。立ち上がろうとしていた彼女は再び氷の床に上半身を強く打ちつけられ、痛みにうめいた。
 さらに後ろから何人もの兵士が押し寄せた。今度こそは決して逃がすまいと、完全に押さえつけられた彼女の周りを取り囲む。最後にやってきたのが、ノガンだった。
 リースリングが完全に取り押さえられたのをみて、ウェインは魔法を解いた。床の氷が一気に溶解し、なにごともなかったかのようにまた元の無機質な灰色の地面に戻る。ウェインにとってはあたりまえの光景。だが魔法というものを初めて目の当たりにしたのか、鉄兵隊の兵士らがぎょっとした表情をその精かんな顔に浮かべるのがウェインにはみえた。
 ノガンがウェインの側に回りこむ。彼はウェインになかば感心をこめた調子で「若造、よくやった」と云った。上気して高鳴る胸をなんとかおさえつつ、ウェインはノガンに答えようと顔を向ける。そのときはじめて、彼はノガンの右目が出血してふさがっていることに気づいた。
 だがそんなことは蚊に刺された程度だとでもいうように、ノガンははいつくばったリースリングを正面に見下ろしつつ、平然と云った。
「苦労させおって。足の速さが自慢なのがよくわかったわい」
 リースリングが頭を上げ、紫色の瞳でノガンをにらんだ。いままでどんなときも無表情だった彼女の顔に色がついているのをはじめて感じ、ウェインはいっそう緊張を深めた。
 そしてその目は、ウェインの方にもむけられた。彼女を止めたのは自分。恨みを込めた目でみられるのではと、彼は心の中で身構えた。
 深いアメジストの瞳が、ウェインの澄んだブルーの瞳と交差する。ウェインは気圧されながら、師匠を殺め、ウェラを傷つけた若い殺し屋の目を真正面からとらえた。きっと師匠も妹も見たに違いない、彼女の妖しく陰る瞳を。
 しかし――
 リースリングの投げかけてくる目は、恨みではない、別の感情を表していた。それがなんであるのか、最初ウェインにはわからなかった。だが、彼女が向けてくる視線に、ウェインは不思議な感覚が胸に呼び起こされるのを感じた。
 物見の塔でみたときと、同じ感覚が。
 そんな思いにとらわれているウェインの横で、ノガンはリースリングをにらみつけながら云った。
「若造、物見の塔でみた侵入者は、こやつか?」
 ウェインははっとし、ノガンに云われたことを心の中でかみくだいた。そしてぼう然としたように、ゆっくりと答えた。
「はい……この人です」
 云いながら、ウェインはいまだに確信がもてないでいた。
 みればみるほど、彼女は自分とさほど変わらない歳で、自分とさほど変わらない体つき、顔つきをしているのが分かった。体の線が細いことくらいで、彼女が何か特殊な――異常な性質や、偏執的な精神をもった人間であるようにはみえなかった。
 本当に、彼女が自分の師匠や妹に手をかけたのか。人を殺すプロ――殺し屋として。
 ついさきほど目にしたはずの光景を、彼は否定さえしたくなっていた。
 本来ならわきあがってくるはずの恨みの感情が、どれだけたってもウェインの心に呼び起こされない。
 ウェインは思い込もうとした。この人は、自分の師匠を殺した人なんだ。おそらくお金をもらって。人を殺すことを生活の糧にしているような、無慈悲な人間。そんな人間は、殺されて当然なんだ。
 だがどうしても、彼はリースリングの瞳に、別の解答を求めずにはいられなかった。
「やはりこやつか。絶対に逃がさんよう、もっときつく痛めつけておくんじゃ」
 ノガンに云われ、リースリングを押さえ込んでいた兵士がさきほどよりもまして体重をのせる。さらに彼女の左腕をつかみ、ぎりぎりとひねりこむ。
「あぐっ……」
 きしむ体に、リースリングの顔が苦痛にゆがむ。
「あっ……」」
 ウェインが声を上げる。自分と同じくらいの歳の若い女性が、屈強な兵士に容赦なく痛めつけられている。その光景に、彼は一瞬目をそむけた。
「――若造。こやつに同情しておるのではないな」
 そのそぶりが気になったのか、ノガンがウェインに云った。
「こやつは、人殺しなんじゃ。こんな姿をしておるが、物見の塔に侵入して多くの兵士を殺し、お前さんの師匠を殺し、いままたベル王を殺そうとしている非道な人間なんじゃ。みかけだけに惑わされてはいかんぞ」
 ウェインはあいまいにうなずく。たしかに、ノガンの云うとおりだった。見た目が自分と同年代だといったところで、結局は人の命を奪うことをいとわない種類の人間。気を許す理由はない。理屈ではそう、彼も理解していた。
 だが、どうしてもそれだけでは、彼は納得できなかった。
 さきほどよりも明らかに痛みの色が表れているリースリングの顔。それでもなお、強い視線をノガンに向けている。彼にはそれが反抗と映ったようで、制すように大きな声を発した。
「他に仲間は――同時に侵入したやつはおるのか? 物見の塔では四人組で侵入したと聞いておるぞ」
 きつい口調で問いただすノガン。リースリングは口を閉ざしたまま、ただ首を伸ばしてゆがめた視線を彼にむけるだけ。
「答えんか!」
 そうしてノガンはリースリングの横面をけりつけようと右足をあげる。ウェインは思わず彼の動作を止めた。
「ノガンさん! なにもそこまで……」
 そう彼が云いかけたところで、ノガンがウェインの方を片目でぎろりとにらみつけた。
「お前さんはだまっとれ。こういうずるがしこい人間に容赦は無用なのじゃ。少しでも隙をみせれば、つけあがってきおる。そういうやつをわしはいままでに何度もみてきた。こやつを人間と思うな。死神か、悪魔だと思って扱うのじゃ」
 ノガンが右足を下ろしながら、リースリングに侮蔑の視線を向ける。ウェインは彼の言葉に、心を揺らせていた。
 ノガン隊長の云ったことは正しい。おかしいのは、自分の方だ。もしこの場にウェラがいれば、まったく隊長と同じことを云っただろう。師匠の命を奪った人間になんで気をつかうの、と。
 ウェインはぶれたままの心で、リースリングの姿をながめた。彼女は、きっと悪魔なんだ。死神と呼ばれても、おかしくない人間なんだ。
 でも――
「お前さん、何者なのじゃ。部下から聞いたぞ。この城の守備の生命線になっておる『溝』を、兵士の背をとびこえてやりすごしたとな。さっきわしらの間をすりぬけたときの、目にもとまらぬ動きもそうじゃ。たしかにお前さんは、普通の人間にはない力を備えておる。じゃがこの城に単独で侵入してくるなど、無謀のきわみじゃ。さっきのように途中で道を間違えれば、一巻の終わりじゃ。お前さんなら一人で城に入り込むことの難しさが分かるじゃろう。なぜわざわざこんな危険な方法をとったのじゃ?」
 ノガンの問いに、リースリングは依然として沈黙を守り続ける。
「お前さんは捕まっておるのじゃ。もう逃げられん。観念して、聞かれたことに素直に答えたらどうじゃ」
 だがやはり、リースリングは強い信念で口を開かない。ノガンは小さくため息をついた。
「答えんか。仕方ないのう。お前さんがそういう態度なら、こっちもそれなりのやり方でやらねばなるまい。たっぷりしぼってやるぞ。――よし、連れて行くんじゃ」
 ノガンの指示に、リースリングを押さえつけていた隊員が彼女の腕をつかみ、立ち上がろうとする。
「あっ、あの……」
 ウェインは焦った。このまま連れて行かれれば、彼女は何もしゃべらないまま手ひどい仕打ちを受けるだろう。そうなる前に、何か訊かなければ。彼女に訊きたいことが、あったはずだ。ウェインは必死に頭の中をめぐらせながら、ノガンが視線を向けてくるのを気にせず、自分と同年代の重犯罪者に正面から対した。
「君は……」
 言葉を選びながら、ウェインは云った。
「本当に『死神』なの……?」
 リースリングの瞳がウェインを見る。そこには、疑問と懐疑の色が浮かんでいた。ウェインはかまわず云った。
「君は……他の三人とは違っていた。物見の塔で何人もの人たちの命を君は奪っただろうし、僕の師匠も、君に手をかけられた。それでも君からは、相手を殺そうという意志を――感じることができなかったんだ」
 鉄兵隊の隊員たちは、ウェインの言葉がよくわからないというようにぽかんとしている。ただノガンだけが、彼をにらむように見すえている。
「僕の感覚が正しいなら……君は、死神なんかじゃない。でも、本当に君は――」
 そこまで云ったところで、彼の言葉をさえぎるように、リースリングが口を開いた。
 小さく、はき捨てるように。
「……私が死神じゃなかったら、ほかになにがあるの……?」
「……ほかに?」
 リースリングの言葉に、ウェインは戸惑った。
 アメジストの瞳を、彼女はじっとウェインに向けている。それは何かを訴えているようにも、何かをあきらめているようにもみえる、あいまいな色の目だった。
 その、ウェインがしばらく彼女の視線にとらわれているときに――
 不意に、ノガンが声を上げた。
「――左手に、なにか持っておるぞ!」
 まだ兵士につかまれていないリースリングの左手がかすかに動いているのを、ノガンはいちはやく気づいた。だがそれと同時に、リースリングの手から虹色の小さな球が投げられた。
 その球は空中に放られると、突如として強烈な光を四方八方に発した。
「うっ!?」
「なんじゃ!?」
 リースリングの方に注目していた周りの人間全員が、突然のまぶしい光を見て目をつぶされた。視界が白一色になり、なにも見えなくなる。
(――マジックボール!?)
 ウェインは両目を右腕で覆いながら思った。魔力を閉じ込めた道具。それを、リースリングがいま使ったのだ、と。
 兵士らも状況の変化にひるんだ。だれもが腕で目の前を覆い、リースリングを押さえていた兵士の力も一瞬、ゆるんだ。
 そのわずかなゆるみだけで、リースリングには十分だった。
 彼女は信じられない力で、全身鎧の兵士の重い体を少しだけもちあげると、そこから素早く抜け出した。なにも見えなくなっていた兵士は、感覚だけで彼女に逃げられたことを知った。
「侵入者が――!」
「どうした!? ええい、どうなっとるんじゃ? なにもみえんわ!!」
 ノガンも目の前をふさぎながら、いらだったように云う。だがどれだけ目を開けようとしても、強烈な光が飛び込んできてまたすぐに閉じてしまう。
 ウェインはなんとか対抗する魔法を唱えようとした。しかしあまり慣れていない魔法だったため、発効するまでに時間がかかった。
 そうこうしているあいだに、光自体が徐々に弱まってきた。リースリングを注視していたはずの全員の目が、徐々に開かれる。
 しかし――
 そこには侵入者リースリングの姿はどこにもなく、ただ役目を終えた光の球と、彼女が駆け抜けた風だけが残っていた。




 
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