死神と女神の狭間 第四章  

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 たしか、ツヴァイハンダーという名前だったはずだ。トリッケンは目の前の男が手にしている巨大な剣をみて、記憶を掘り起こしていた。
 壁にかけてあれば、客人を驚かせるような、部屋を彩る家財のひとつにでもなっているだろう。野獣の毛皮や、シカの頭のようなもの。とても実戦で使える代物ではない。もし使えたとするならば、それは巨人か、怪物か、そのあたりのもの。つまり、とうてい人間には扱えない、持つだけでもやっとの武器。
 だが目の前にいる男は、それを振り回すだけでなく、自在に操る。もちろん彼は巨人ではない。れっきとした人間。ただし形容するなら、
「怪物、といっても差し支えないでしょうね」
 トリッケンがつぶやく。近くにいたミラが声をかけてきた。
「あと一人だよ。あいつさえ倒せば、今回の仕事は終わったも同然だ。その勢いで頼むよ」
「ですが、そう簡単にはいきません」
 否定的なトリッケンの言葉に、ミラが疑問をはさんだ。
「……あいつ、強いのか? たしかに、ありえないくらい大きな剣、もってるけど。見せかけだけじゃないのか」
「ミラさん、今回の仕事がはじまるまえに言っていたこと、覚えていますか。ガダルカには、フェルトール以外に厄介な、できるだけ出遭いたくない者がいる、と」
「ああ、そういえば言ってたな。なんだっけ。『剣の王』だとかなんとか……」
「そう。『キング・オブ・ソード』、剣の王。あの男が、そうです」
 あの男、と云われ、ミラがグレイの方を見る。そしてなぜか、薄く笑みをこぼした。強そうな相手をみるといつもそうだと、トリッケンは思った。
「……ただでかい剣をもっているから、ってわけじゃないんだろうな」
 ミラが云うと、トリッケンはうなずく。「もちろんです。グレイ=ファン=ハール。三国でも五本の指には確実に入る、なうての剣士です。彼のもつツヴァイハンダーのひと振りで、十人の敵兵が一度に絶命したというウワサもあるくらいです」
「ツバイ……? なんだかよく分からないけど、そんなに強いやつが、どうしてこんな国境の小さな城の部隊長なんかやってるんだ? 中央で直接王様に召し抱えられていてもおかしくないだろ」
 ミラの言葉に、トリッケンは複雑な表情をみせながら答えた。
「実力がありすぎるというのも、あまりよくないことなのですよ。特に高い権力をもった者には、ね」
 いまひとつその真意を理解しかねるという表情で首をかしげるミラは、考えるのを放棄して云った。
「とにかく、あとはあいつだけだろ。頼んだよ。――ったく、マクギガンも気づいて戻ってくりゃいいのに」
「そうですね。マクギガンさんがいればもう少し闘いやすくはなっていたでしょうが――そんなことを言っていてもはじまりません。いきますよ」
 トリッケンが再び両手をかまえながら進む。グレイはその場に立ったまま、トリッケンが近づいてくるのを待っていた。
 ここからが問題だ。トリッケンは立ちふさがる大きな壁を前に、集中力を高めようとした。
 今回の仕事で最も陥ってはいけない状況。いまがまさにそれだった。グレイと相対することは、できれば避けなければならなかった。だがそれこそ、もう言ってもはじまらない。
 グレイと対峙するトリッケン。そこで、グレイははじめて口を開いた。
「……ひとつ尋ねてもいいか」
「どうぞ」
 岩のように無骨なグレイの表情に、トリッケンは羽のようなやわらかい声で答える。グレイは思うふしでもあるように、灰色の目を鋭く、トリッケンの白く整った顔に向けた。
「あんた……以前どこかでみかけたような気がするが、気のせいか」
 ほんの数時間前、フェルトールがしたのと同じ質問に、トリッケンは何の感情も表にださずに云った。
「さあ。私はあなたに会った覚えはありませんよ。人違いじゃないですか」
「そうか」グレイが小さく息をつく。「俺の記憶では、お前によく似た顔のエルフが、グリッグランドのサファイア城にいたんだが」
 トリッケンは答えない。グレイはなおも云った。
「三年ほど前、今は亡きグリッグランドの王・アンヌーン五世に来賓として招かれたとき、そいつは王のすぐわきにいた。エルフがそんな場にいるのは珍しかったから、よく覚えている」
 トリッケンはどこか遠くを見るような目をグレイに向ける。グレイは続けた。
「服装や髪型は違うが、お前と似たような顔だったと記憶している。その場は――」
「サガンとグリッグランドが、銀製品について重要な貿易交渉を行っていた。アンヌーン五世がじきじきに会議に参加し、サガンの高官と交渉を行った。あなたはその高官を警護するためにやってきていた」
 グレイの言葉に続けるように、トリッケンが静かに話す。ミラやラッシュに聞こえるか聞こえないかくらいの、細い声で。
 グレイが細い目でにらむ。トリッケンははぐらかすように声の調子を変えた。
「違いますよ。三年前、サガン国の人間がグリッグランドにやってきたといえば、当時有名だったその交渉しかありません。あなたが高官の警護をしていたというのは、私の勝手な想像です。私はその場にいませんでしたよ。私は――」
 トリッケンは奇妙なくらいやわらかな視線を、グレイに向ける。
「――裏の組織に属する、ただの殺し屋です。サファイア城には近づいたことも、入ったこともありません」
 さあ、この話はここで終わりにしましょう。そう云うトリッケンに対し、グレイはつぶやくように云った。
「……あんたがそういうなら、仕方ない」
 グレイが右足を一歩進める。闘いをはじめる合図だった。
 ミラもラッシュも、二人がなんの話をしていたのかあまり把握していないような、きょとんとした顔をしている。だが、いつ相手に援軍がやってくるかわからない状況。これ以上むやみに時間を延ばすのはこちらに不利。トリッケンは周りの様子にかまわず、グレイとの勝負に集中しようとした。
 大型の両手剣・ツヴァイハンダーに対し、レイピアとショートソード。はたして、どう攻めるべきか。
 常識的に考えれば、自分の背丈ほどもある剣をまともに振り回すことなどできない。斧のように振り下ろしたり、槍のように突くのがせいぜいのはず。だが、相手はキング・オブ・ソード。あらゆる常識は通用しない。
 遠間から打ち合えば、こちらの剣をいためるだけ。なら、さきほどと同様、接近戦にもちこむのが理にかなっている。
 トリッケンは瞬間移動を使う機会をうかがった。じっとかまえながら、相手の出方を見る。こちらの闘い方はすでに相手に観察されているが、こちらはまだグレイの戦法を知らない。相手が強敵であればあるほど、焦りは禁物だ。
 トリッケンの方から動くつもりがないとみてか、グレイは剣を中段に構えたままじりじりと間合いをつめる。
 そして――
 グレイの足が、前へ大きく踏み出す。
 ツヴァイハンダーが小さく持ち上がり、トリッケンのレイピアを軽くいなそうとする。
(――やはりそうきましたか)
 軽く、とはいえ、グレイの剣とトリッケンのレイピアでは、重量がまるで違う。少し踏み込んで剣身を打たれようものなら、細く弱いレイピアはすぐに折られてしまう。
 トリッケンはレイピアの動きをおさえようとするグレイの剣をかわしながら、徐々に後ろへ下がる。しかしグレイはさらにひとつ、ふたつと剣先を前に突き出す。その両手剣とは思えない細やかな動きに、トリッケンは確信せざるを得なかった。
 グレイはツヴァイハンダーの重さに全く振り回されている様子はない。むしろレイピアを扱うかのごとく、自在に操っている。
 隙が生まれるとすれば、相手が大振りになったところだと考えていたトリッケンだったが、このままではとても剣を振ってくれそうにない。
 やはりこちらから誘うしかない。そう思った矢先。
 グレイがレイピアの剣先をそらせながら、いままでにない鋭い速さで剣を突き出してきた!
「ここで……!」
 トリッケンは半身になってその突撃をかわすと、すぐさま姿を消した。
 瞬間移動。ここでひとつ、トリッケンは手を打った。
 どこに姿をあらわすか。グレイの背後か。正面か。
 これまでのラッシュとの闘いで、背後への注意は十二分にむけられているだろう。正面に再びあらわれるのも、ついさっき使った手。グレイが同じ手を食うとは思えない。
 彼はためしに、グレイからみて右側に出てみることにした。おそらく前後左右どこに出てもグレイの注意力は同じ。それなら、いままでにみせた背後でも正面でもなく、かつグレイにとって逆手となる右側に出るのがもっともリスクが低い。グレイが右利きである保証はなかったが、確率論からトリッケンは判断を下した。
 グレイの横に姿を現したトリッケン。そこからすぐさま、レイピアの突きにつなぐ――
 しかし。
「――っ!?」
 瞬間移動を終えてすぐ、大振り刃がトリッケンの頭部を襲う!
 彼は間一髪しゃがみこんでそれをかわす。だがすぐさま、今度は縦方向に二撃目がくる。
 トリッケンは再び瞬間移動を使った。そしてグレイの背後、やや距離をおいたところに出る。
 出たころにはもう、グレイはこちらにむかって大剣を構えていた。
 一瞬の攻防。攻めこまれたのは、トリッケン。
 端正な彼の顔に嫌な汗がにじむ。
(反応速度が――とてつもなく速い)
 ようやく立ち上がりながら、彼はグレイの尋常でない反射神経に舌を巻いた。
 普通なら、瞬間移動で突然違う方向から敵が現れたとき、それを確認して体勢を整えるためにわずかでも時間が必要だ。そこを突くのがトリッケンの毎度のパターンだったし、ラッシュに対してもそうして闘った。
 だがいまのグレイの動きは、そうしてわずかに生まれるはずの時間すら、まったく無かった。まるでトリッケンが自分の右側に出てくるとヤマを張っていたのだとでもいうような動き。トリッケンが姿を消した直後にはもう、自分の右側へ斬撃をあびせはじめなければ説明のつかないタイミングだった。
(さすがに一筋縄ではいきませんね――)
 トリッケンは再び左手と右手の剣を構える。さて、どうすべきか。
 瞬間移動も無限に使えるわけではない。転移魔法の一種であるため、精神力を消費する。精神力を使えば使うほど、体の芯から力が抜けるような感覚に襲われ、ひどいときは立つことさえままならない。
 すでに瞬間移動以外にも、遠距離に魔法の壁をつくるなどしたため、かなり消耗してきている。あまりむやみに魔法を使えば、剣を握る力もなくなってくる。そうなれば――負けだ。
(なんとかして、こちらが先手をとらなければ……)
 トリッケンが再び前へ足を踏み出す。構えは変わらず、ショートソードを上に、レイピアを前に。
 グレイは力強く両手で一本の剣を握りながら、トリッケンの方へ射抜くような視線を投げかける。まるで目だけで相手を威圧し、動きを止めようとしているかのようだ。トリッケンはそんな感想を抱いた。
 レイピアとツヴァイハンダー、滑稽なくらい差のある二つの剣がわずかに触れる間合いで、両者がじっとにらみあう。
 長いような、短いような時間が流れる。
 やがてグレイが少しだけ剣先を下げたとき――
 今度はトリッケンの方から動きだした!
(いきますよ――!)
 トリッケンは左手にもったショートソードを、グレイの大剣に向かって振り下ろす。それを、グレイは受け止めずになんなくかわす。だがそのことで、わずかに剣先がトリッケンからそれる。
 彼はそのタイミングで、すばやく足を踏み出す。一歩、二歩。
 レイピアがグレイの体幹に届くかどうかという距離――
 そこで、グレイは容赦ない速さでツヴァイハンダーを斜め上に振り上げる!
 かわすことのできない間合い。刃が、トリッケンの体に側面から食い込み、切り裂き――
 しかしまた、その刃は空を斬っただけだった。
 消えたトリッケン。現れたのは、またもグレイの右側。
「――!」
 だが驚くべき速度で、グレイは自分の真横にむけて迷うことなく剣をなぎ払う。姿を現したトリッケンは、また攻撃する間もなく先にグレイの一撃を受ける――
 そのとき、またもやトリッケンの姿が消えた。
「――――?!」
 グレイは剣を止め、首をめぐらせる。連続での瞬間移動。
 次は――
 トリッケンの姿がグレイの視界に入る。現れたのは、いまと同じ場所。
 グレイの両手に力がこめられ、すぐに剣が走る。だがさきほどよりわずかにタイミングが遅い。
 それだけで、トリッケンには十分だった。
(これで――!)
 トリッケンは閃光のごとき鋭さでレイピアを突き出す。グレイはその突撃を大剣でかろうじてそらす。
 そこへ間髪いれず、トリッケンの左手にあったショートソードが振り下ろされる!
 狙い通りの展開。接近戦なら、一本の剣より二本の剣――手数の多いこちらのほうが有利。キング・オブ・ソードを完全にしとめた。トリッケンには手ごたえがあった。
 だが――
 彼が右手に受けたのは、相手の体を切り込む感覚ではなく――
 激しい衝撃。
「っ!?」
 同時に、金属音。
 剣と剣がかち合うときの、耳を刺すような高く鋭い音。
 打ち下ろす方向に強く反抗する力。固く握っていたショートソードが――
 トリッケンの右手から、はじきとんでいった。
「なっ?」
 宙を舞う剣。グレイにとどめを刺すはずの得物が、手から離れていく。
 ――何が起きた?
 彼の目に映ったのは、片ひざ立ちになっているグレイの姿。低姿勢のままツヴァイハンダーを上方向にあげ、ショートソードをはじきとばした、大男の姿。
 トリッケンの聡明な頭脳は、その光景を見ただけでいま起きた事態の様相をすばやく理解した。
 しかし――
 それで止まらない。まだグレイは動く。
 ひざ立ちの状態から立ち上がり、グレイは猛然とトリッケンの胸部に長く巨大な剣を突き込む!
 ショートソードを思わぬところで失ったことへの惑いで、トリッケンは反応が一瞬遅れる。
 彼はなんとか体をひねってかわそうとする。だが、刃先の届く方がわずかに速い。
「くっ!!」
 トリッケンの右わき腹を、ツヴァイハンダーがかすめる!
 すぐさま彼は精神を集中させた。瞬間移動。
 グレイの視界から、トリッケンの姿が消える。
 そしてグレイの後ろ、やや離れたところに、彼は現れた。
 攻防に、ひとつ区切りがつく。まるで一陣の風がふき荒れたかのように二人の間に走った緊張が、ここではじめて解かれる。
 トリッケンは胸の鼓動が速くなっているのを感じながら、彼にしては大仰に息をついた。
「トリッケン!」
 ミラの心配そうな声が後ろからとぶ。そこではじめて、トリッケンは気がついた。
 右のわき腹が斬りつけられ、出血している。
「…………!」
 彼は思わずくちびるをかんだ。痛みが徐々に、右腹を侵食してくる。
 はじきとばされたショートソードは、彼とは反対側の地面に転がっていった。よく見ると、剣身の中ほどに深いひびが入っている。たとえ拾うことができたとしても、もう使い物にはなりそうにない。
 グレイは息ひとつ乱れているようにはみえない。闘う前と同じ、落ち着いた様子。トリッケンはその姿を見やりながら、思考をめぐらせていた。
 類まれな筋力と、異常ともいえる反応速度。その二つが、トリッケンの闘いの常識を崩壊させていた。
 十分接近したところからのレイピアとショートソードの二段攻撃。一本の剣でこの両方をかわすことは、通常のサイズの剣でも困難だ。トリッケンはいままでの闘いの経験から、その自信があった。ましてや相手のもっているのは巨大な両手剣。ショートソードのように細かく上へ下へ剣を動かし、二つの連撃をかわすことなどできない。トリッケンはそう推測していた。
 だがグレイは、まずレイピアの一撃を剣の腹でそらすと、上から振り下ろされるショートソードに対して片ひざをついて体勢を低くした。こうすることで相手の刃が自分の体に届くのをわずかに遅らせつつ、レイピアをおさえていた両手剣を信じがたい速度で上に持ち上げた。
 そして見事に二撃目のショートソードを体で受けることなく、はじきとばすことに成功した。
 軽さが身上のショートソードが、普通の人間ならもつこともままならないほど重いツヴァイハンダーにたたかれれば、ひとたまりもない。結果、トリッケンは傷を負い、ショートソードを失った。
 もちろん相手の動きを予測していなければ、これほど的確な対応はできない。だがそれ以上に、グレイの短剣を扱うかのごとき剣さばきの速さに対して、トリッケンは驚嘆していた。
 流れるように、また力強く、刃の軌跡を描くツヴァイハンダー。それを操る世界有数の剣士グレイ。それに対し、手負ったトリッケン。
 いったい、どうすればいい――?
 この状況を打開するための方策を、彼は編み出そうとしていた。わき腹の傷はやや深く、もうあまり無理は利かない。瞬間移動を連続で使ったことで、精神力も限界が近い。手詰まりはすぐそこまで迫っているように思えた。
 手詰まりは即、死につながる。それが暗殺者。
 トリッケンは目の前の相手を、目前の死を、にらみすえた。
(まだここで――)
(こんなところで、命を落とすわけにはいきません)
(ここで死ねば、ただの犬死にです。私には――)
(私には、戻らねばならないところが――)
 そうして彼がレイピアを構えなおそうとしたとき。
 ひゅん、と。
 ふいに、彼の耳になにかがとんでくる音が聞こえた。
 向かう先は、グレイ。
「――!?」
 グレイが体をよける。その物体はそのままグレイの横を通り過ぎ、地面に突き立つ。
 そこにあったのは、小さなナイフ。
 トリッケンは、そのナイフに見覚えがあった。それが飛んで来た方向を見る。
 彼は目を細めた。戦場の荒野に立つ、ひとつの黒い影。
 全身黒の服に、長い黒髪。顔の肌色とそこにうかぶ深い紫色の瞳だけが、その暗い闇に浮いている。
 ガダルカの城にたった一人で潜入し、敵の手をかいくぐって王弟を外へ追った者が、目の前まで戻ってきていた。
 やはり、有言実行において並ぶものはない。トリッケンは感心した。そして彼女の名を呼びかけようとしたが、それよりも前にミラが勢いよく口を開いていた。
 リースリング、と。




 
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