死神と女神の狭間 第四章  

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 彼女の名を聞いて、顔色を変えた男が一人いた。
 右肩に傷を負いながら、ベル王弟とトゥーレに敵を近づけさせまいと気丈に剣をにぎるラッシュ。彼はリースリングの姿をみてふと頭になにかがひっかかっているような様子をみせたが、名前を聞いたとたん、大きな声で云った。
「隊長、あいつ――ダグラスのアニキが言っていたやつじゃ……」
 彼の言葉を聞き、グレイは顔色こそ変えないものの、なにか不吉なものでもみたように眉間にしわを寄せた。
「……ダグラスの言っていた『死神』か」
「間違いないっすよ。黒い長髪に、紫色の目。歳は俺より若い……それに、あいさつ代わりにナイフを投げてきた。アニキの言っていたことに、全部ぴったりあてはまる」
 ラッシュは警戒心を強めるように、いよいよ剣を握る手に力をこめる。グレイもはためにはみえないが、リースリングに対してより鋭い注意をむけているようだった。
 彼女の正体がばれている。耳のいいトリッケンは、二人の会話からそう判断せざるをえなかった。なぜ彼らがリースリングについての情報を得ているのか、こちらに知る術はないが、推測するにどこかで彼女とたまたま闘った者が彼らの知り合いにいるのだろう。若い女性――さらに闘い方が特殊である彼女は、戦場では目立つ存在だ。エルフである自分と同様に。
 リースリングはこちらの様子をみて、いまの戦況をある程度把握したようだった。アメジスト色の瞳を動かし、注意深くトリッケンの方に歩み寄る。
 そこで、トリッケンは気づいた。
 彼女の足どりが、ややつたない。
 常人にはわからないだろう、わずかな差。どちらか、ではなく、どちらの足もひきずっているような、微妙にバランスの崩れた歩き方。足のどこかをかばっているように、彼には見えた。
 ケガをしているのか。だがそれも当然といえば当然だった。鉄兵隊の守るガダルカの城にたった一人で侵入したのだから、無傷でいられるはずがない。おそらく彼女のもつ『足の力』もフルに活用しただろう。足以外の箇所を傷めている可能性も、十分にある。
 グレイが動いてこないか警戒しつつ、トリッケンは自分からリースリングの方へ向かって歩きだした。近くまできたところで、彼は呼びかけた。
「リースリングさん、よく戻ってきてくれました。あなたの勇気には、もはや褒め言葉がみつかりませんよ。私は――」
「……まだ終わってない」
 リースリングはいつものように、どこかはてしない遠くをみるような目で云った。
「私たちの仕事は――まだ完了してない」
「わかっていますよ」トリッケンは冷静な顔で云った。「目の前の障害を乗り越えなければ、あなたの成果も水の泡です。ここは私がなんとかしますから、リースリングさんは――」
「……私が闘う」
 突如。
 そうするのが当然だとでもいうように、リースリングがすらりと口にした。トリッケンは一瞬、間をおいて答える。
「……それはだめです。リースリングさんも相当ケガをしているのではないですか。それに相手はキング・オブ・ソード、グレイです。一筋縄ではいきません。彼の動きはひととおりわかりましたから、私が――」
 その言葉に、リースリングはだまって首をふった。
「……あなたは、王弟をつかまえるための戦略を立てて。こっちは三人、相手は二人。なにか手はあるでしょ」
 リースリングが静かに、だがはっきりした口調でトリッケンに伝える。
「……私は後ろに控えたままの戦い方を知らない。あなたに命をあずけるわ、トリッケン」
「ですが……」
「……任せて。お願い」
 それだけ云って、彼女は前に進み出た。
 その後姿をみながら、トリッケンは心の中で小さく息をついた。
 リースリングさんは、大事なところでいつも頑固だ。
 一度こうと云ったら、こちらがいくらその後に言葉を並べても、聞こうとしない。実際には聞いているのだろうが、最も勝つ確率の高い戦略を自分の中ですでに立てていて、それ以外のことは受け付けようとしない。それだけ、自分の考えに自信があるのだろう。
 いつもリースリングは、年齢よりもどこか大人びているようにみえる。それは、達観したような目つきや、落ち着いた物腰などにあらわれている。
 だが、このときだけは――
 トリッケンの中で、リースリングが「若い」と思う、数少ない瞬間だった。
「――わかりました。グレイはあの巨大な剣を、短剣を扱うように自由自在に操ってきます。それに、攻撃に対する反応が異常に速い。くれぐれも注意してください」
「……わかった」
 問題ない、とでもいうように平然と答えると、リースリングは前に進み出てグレイと対峙した。
 そのとき、トリッケンの耳に、ベル王弟の声が聞こえてきた。
「おいグレイ、あんなやつらをしとめるのにどれだけかかっておるのだ。さっさと片付けてしまえ」
 それに後ろのトゥーレも同調する。「そ、そうだぞ。いつまで王弟を待たせるつもりだ。グレイ殿の実力なら、あの程度の侵入者を葬るのに手間取ることはないだろう」
 焦った顔色の二人に、グレイが落ち着き払った口調で答える。
「王弟、心配なさらず。いましばらくそこにいてください」
 そして、彼はラッシュに小さく告げた。
「ラッシュ。こちらのほうが人数が少ない。相手は手負いばかりだが、こちらの方が不利だと思っておいた方がいい。油断するな」
「了解っす。……くそっ、こんなときに副隊長がいれば、やつらなんてすぐにけちらせるのに……」
 ラッシュの愚痴も、グレイの言葉も、王弟にはおそらく聞こえていない。だが、トリッケンの長く精度の高い耳には届く。
 いましばらくは、むこうは二人。だがいつ援軍が立て直してくるかしれない。リースリングも、どれくらいグレイを足止めできるかわからない。そのあいだに、決着をつける必要がある。
 向かい合う両者。グレイが大型の剣を手にし、鎧で体の防備を固めているのに対し、リースリングは体にぴったりした黒服以外身につけているものはない。装備にも体格にもあまりに差のあるこの二人が闘うことそれ自体が、戦場ではこっけいなものにみえる。だがここで、この戦争の――サガン対ネイルの戦争の勝敗が決まるといってもよかった。
 「剣の王」と「死神」の闘いで。
 飛び道具を扱うリースリング。彼女はグレイに対して、どう戦うか。離れたところからナイフを投げ、相手の隙をうかがうのが定石。大剣の間合いに入られれば、確実にグレイの方が有利になる。常に相手から距離をとって闘うべきだと、トリッケンは考えた。
 だが――
 その「定石」を、リースリングはいきなり破った。
 彼女は前方に向かってまっすぐ走り出す。負傷しているとは思えないほどの足の速さで、みるみるグレイに接近する。
 その動きが、グレイにとって意外だったのかどうか。彼は表情ひとつ変えず、目の前の相手をにらみすえる。
 そしてツヴァイハンダーの間合いに入った瞬間――
 グレイは雷撃のような鋭さでリースリングに向けて剣を突き出す!
 それをリースリングは紙一重で右にかわしながら、いつのまにか手にしていた小型のナイフをグレイにむけて投げつける。
 直線的な軌跡を残し、グレイの首元を切り裂こうと刃が飛ぶ。だがグレイは大きな体に不似合いなほどすばやく体をひるがえし、それをかわす。
 かわしながら、リースリングの姿をとらえようとグレイが目を向ける――
 だが、そこに黒髪の女は見当たらない。
 わずかな――ほんのわずかな瞬間。グレイはリースリングの姿を見失う。
 ――消えた?
 そう判断したとき、グレイはすでに動き出していた。
 直感が、彼に回避行動をとるよう告げていた。
 グレイはすぐさま地面を転がり、自分の立っていた位置から逃れる。
 そこへ――
 闇から現れた凶刃――小型のナイフが、天から落ちてくる。
 グレイのいた場所へ――転がる前の地面へ、ナイフが鋭く突き立つ。
 そのナイフを確認しないまま、すぐさまグレイが起き上がる。周囲をみる。
 そして、ようやくリースリングの姿が彼の視界に入った。
 彼女は、トリッケンのように消えたわけではない。瞬間移動をつかったわけでも、姿を消す魔法をつかったわけでもない。
 遠間からみていた者には、それがグレイよりも早くにわかっていた。ラッシュがあっけにとられながら、それを「見上げ」る。
「……うそだろ……あいつ……」
 リースリングは、グレイのいた場所――ナイフが地面に突き立った箇所のはるか上空――空中にいた。
 人の身長の三倍ほども高くとび上がり、そこからナイフを投げ下ろす。まさか上から攻撃されるとは思わない相手は、なすすべなく首元に刃を刺し込まれる。彼女がよく使う手だった。
 だが、グレイはそれをかわした。ミラが思わず驚嘆の声をもらす。
「あいつ、どうやって真上にリースリングがいるってことに気づいたんだ。上を一度も見上げてなかっただろ」
 おそらく、とトリッケンは答えた。
「いまの動きを見るに――グレイは相手を見失ったと判断するや、その場にいるのは危険だと直感し、反射的に逃げた、というのが本当のところでしょう。結果、リースリングさんの決め手をかわすことに成功した。やはり――」
 簡単にやられてはくれない。トリッケンはグレイから離れた地面に降り立つリースリングをみながら、気を取り直したように云った。
「それよりもミラさん、彼らに勝つには、私達も動かなければいけません。どのくらい動けそうですか?」
「へっ、こんなの……あたしがいままでに受けた傷の中のトップ10にも入らねえよ。観客席に座ってるのはもう飽き飽きだ、司令官」
「そうですか。では……」
 彼がミラと声を潜めて話している間にも、リースリングは動く。
 今度は地面にあった石を二つ拾うと、まずひとつをグレイに向けて投げつける。そして横へ移動しつつ、もうひとつ。
 それぞれ形の違う石。だが二つとも正確にグレイの頭部目がけてとんでくる。
 グレイはそれらを剣ではじきつつ、リースリングの動きについていく。彼女はまた地面の石をつかみ、投げる。グレイがはじく。しばらくそうした攻防が続いた。
 うまくやってくれるか。トリッケンはリースリングの戦いぶりをながめながら、考えていた。
 飛び道具を使用するということは、どこかで弾切れがあるということ。しかしリースリングの強みは、手にしたものなら何でも凶器に変えてしまうことだ。たとえそれが道端に転がる、ほとんどの人間にとっては存在意義の無い石ころであっても。
 そしてここはガダルカの街と森の間に広がる荒野。投げる武器は無限に落ちている。弾切れは心配しなくていい。
 むしろ不安なのは――
「――っ?」
 突然――
 リースリングの足が、何もないところでもつれる。
 走るのには――おそらくは歩くのも苦痛であろう両足。ガダルカの城で「力」を使い尽くし、いまもグレイの頭上をとびこす動きをみせたリースリング。限界を超えた彼女の細い筋が、骨が、悲鳴をあげているに違いなかった。
 足の耐久力は、石ころのように無限ではない。どこかで終わりがくる。いまがまさにその瀬戸際。
 その隙を、グレイが見逃すはずがない。
 相手の体勢が崩れかかったと見てとるや、グレイは力強く足を踏み出して一気に間合いをつめる。そしてすぐさま、手にしていたツヴァイハンダーを前へ突き出す。
 いつもならすらりとかわせる攻撃。だが――
 なまりがひざに入り込んだかのように、リースリングの足はいうことをきかなくなってきていた。
「……!」
 紙一重の回避を狙おうとしたリースリング。しかし、タイミングが遅い。
 ツヴァイハンダーの大きく広い刃が、リースリングの胸の横をかすめる。
 ぱっ、と飛び散る赤い血。
「――――つっ!」
 危うい回避。
 そのまま地面を転がり、グレイの攻撃から逃れるリースリング。すぐにひざ立ちの状態になる。が、そこから立ち上がれない。
 そこへすぐさま、剣をひるがえしたグレイが迫る。そして破壊力無比の斬撃を、リースリングにあびせる。
 再度地面を転がりそれをかわすリースリング。なんとか反撃しようと、転がりながら石を拾い、それをグレイに――
 だがそこで、グレイは右足を強く蹴り上げる。巻き上がる砂。
 目つぶし。
「っ!?」
 剣技ではない。闘いに勝つための術、グレイのテクニック。
 広がる砂粒に、視界を奪われるリースリング。石を投げる動作が一瞬遅れる。
 そこへ、グレイが突進する。剣の届く距離に入ったとたん、すでに持ち上げていたツヴァイハンダーを、グレイは容赦なく振り下ろす。
「リースリング!!」
 ミラが思わず叫ぶ。
 決まりだった。
 速く、無駄のない動きのグレイから、足を傷めたリースリングは逃げられない。
 巨大な両手剣の刃が、リースリングの頭上に打ち下ろされる。それはあたかも、罪人を断罪するギロチンのようだった。
 剣の王による、死神の公開処刑。グレイの目に、最後の死神の姿が映る。
 両断される頭。首。体。
 周りにいた者のだれもが一瞬、そんな光景を描いたはずだった。
 だが――
「――何?」
 力を込めたグレイの両手に、強い抵抗。
 それは肉を裂き、骨を砕く感覚ではなく――
 剣を盾で止められたときのような、金属的な、何か――
 そのとき。
 グレイは、そしてラッシュも、後ろのベル王弟、トゥーレも、自分の目を疑った。
 人の背ほどもある両手剣・ツヴァイハンダーに真っ二つにされるはずだった目の前の死神は――
 その巨大な剣を、「左腕」で受け止めていた。
「…………!!」
 グレイが剣を押し込む。その先にあるのは、薄い服の袖、そして生身の腕。
 ひざ立ち。リースリングは左ひざを地面に置き、右足を立てて、祈るような姿でグレイの死の刃に抵抗していた。
 刃は確かに腕に食い込んでいる。だが、断ち切れていない。
「アニキが言っていた通りだ……生身の腕で、剣を……」
 ラッシュが絶句する。
「どうなってやがんだ……なにを仕込んでる……?」
 なにかタネがなければ、説明のつかない状況。
 しかし――
(……無茶です!)
 トリッケンがつぶやく。冷や汗が、彼の心を静かに伝っていた。
(いくら左腕で剣を防げても……押し合いになれば圧倒的に不利なのは目に見えています)
 見ている彼の手にも力がこもる。だが彼の言葉どおり、上からのしかかっているグレイが、リースリングの体をどんどん押し込んでいる。
 体重差。筋力差。力比べでは、どうみてもリースリングに分が悪い。彼女はすばやさと機敏さで勝負するタイプ。いまのままでは、いずれ斬られる。
 トリッケンは瞬間移動を使おうとした。リースリングを救うために。しかし――
「まちな」
 ミラが呼び止める。トリッケンは、彼にしてはやや焦りのみえる口調で云った。
「このままでは、リースリングさんが殺されます。私がいかないと――」
「いったってその傷じゃ、あんたが代わりに殺されるだけだよ」
 身代わりになるってんなら別だけど。ミラはつぶやくように云う。
「リースリングが任せろ、って言ったんだろ。なら、邪魔せず最後まで任せた方がいい。あいつはそういうやつだよ」
 この危機的な状況にしてはどこかひどく落ち着いた表情で、ミラは云う。トリッケンはそれでも、目の前で絶体絶命の状態にあるリースリングを助けたい気持ちがおさまらなかった。
 だが、彼が行動を起こす前に――
 リースリングの声が、彼の動きを止めた。
「…………ぁぁぁぁぁあああっっ!!」
 これまで――
 これまでに聞いたことのないような、リースリングの根気の声。叫び。
 窮地から脱出しようともがく、生死を賭けた人間の全力のうなり声。
 二人の押し合いに変化が起きたのは、その直後。
 ここまで引くばかりだったリースリングが、はじめてグレイの押し込みを、止めた。
「……!?」
 グレイの表情がわずかにこわばる。
 そのとき、リースリングは行動を起こした。
 前に突き出していた左腕を斜めに傾ける。相手の剣を、自分の盾で受け流すように。グレイの剣は力の行き場を失い、そのまま前へ突進する。
 進んだ先には、リースリングが――
 だが、剣を斜めにそらせた直後、彼女はすでに姿を消していた。
「――っ!」
 まただ。
 グレイが辺りを見回す。次はどこだ。前か、後ろか。それとも――
 上か。
 見上げる。だが、いない。
 直後――
 リースリングの黒い影が、彼の視界に入った。
 グレイは――その場のだれも、今度は予期できなかった。
 彼女がいたのは――
 グレイの、正面。
 あるいは下、と表現した方がいい。
 彼のすぐそば。ふところ。
 両手剣の間合いの、さらに内側に、彼女は現れていた。
 さらにそこから――
 リースリングは、だれもが思いもしない行動に出た。
「はああっ!!」
 彼女は力強く腰をひねると、左足を軸に、右足を大きく前へ振り切る。
 蹴り。
 グレイの頭部を狙った、至近距離からの上段蹴り。
 彼女が体術を使うのをみたのは、トリッケンも、ミラも、これが初めてだった。
 いつのまに身につけたのか。それとも、彼らの知らないところでよく使っていたのか。
 リースリングの細くしなやかな右足が、グレイの左耳を蹴り込む――
 その寸前。
 グレイは瞬時に剣から左手を離し、彼女の蹴りを腕で防ぐ。
 衝撃。
「ぐっ……!!」
 グレイの顔が、一瞬ゆがむ。普通にみれば、リースリングの細い足の蹴りをグレイの太い腕で受け止めることは、造作のないこと。だが彼女の足は、人の背の三倍の高さをとび上がる脚力を有している。そんな異質な足で蹴られればどうなるか、想像にかたくない。
 リースリングの強烈な蹴りを、グレイは片腕でなんとか防ぐもわずかに体をよろめかせる。戦場の死神は、そうして開いた突破口を逃さない。
 右腕の袖からナイフを出し、すばやくつかむと、リースリングはすぐさまそれをグレイに向けて投げる。
 目標は、首元。
 彼女が狙うのは、ひとつだけ。
 一撃必殺。次は無い。
 彼女がグレイに勝てる可能性は、それしかなかった。少なくとも、彼女はそう考えていた。
 グレイの首元に、死神の鎌がのびる。
 そして――




 
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