死神と女神の狭間 第四章  

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 満身創痍のリースリングが、命がけの攻防の中でようやく得た機会。
 上空へジャンプしたときも、左腕で剣を受け止めたときも、グレイは心を乱すことなくリースリングの攻撃をそらしていた。
 だが、今回は違う。グレイの片手を剣からひきはがすことに成功した。両手剣の弱みは、剣を両手でもっていなくては使えないということ。つまり、どちらか一方の手、腕、肩が相手の攻撃にとらわれると、片手で剣を振るうことができないため、すぐさま反撃することが難しい。
 蹴り自体は頭部にかかる前にグレイの左腕で止められた。だがこれで、ツヴァイハンダーは動かなくなる。
 そこへ放たれた、リースリングのナイフ。
 狙いは、首元。
 一直線に伸びる、死神の鎌。
 喰らいつく、死霊の牙。
 だが――
 間一髪。
 グレイは首をよける。ナイフは、彼のほおをかすめていく――
「っ!」
 ぎりぎりのところだった。
 あと一瞬、グレイの反応が遅ければ、剣の王の首元から鮮血を噴き出させていたに違いなかった。
 だが、まだチャンスはあった。回避行動をとったために、グレイはツヴァイハンダーをまだ手にしていない。
 リースリングは間髪いれずに両の袖からナイフを一本ずつ出す。
 一歩退いて両手剣の間合いから逃れつつ、リースリングは出したナイフをつかむ。グレイめがけて再び投げつけるために。
 そのとき。
 彼女の目に映る、グレイの行動。
 蹴りを受けた左腕は、いまだ宙をぶらついている。
 そして右手は――
 グレイは、右手でつかんでいたはずのツヴァイハンダーを、なぜか手放していた。
 両手剣を捨てた形。丸腰になるグレイ。
 剣を放しつつ、彼は背中へ右手をやる。
 背中――
「――――!」
 リースリングが気づいたときには、もう遅かった。
 グレイは右手を背中にやると、リースリングがナイフを投げるより早く、手を前方に振り出す。すると、後ろから彼の隠し持っていた細くしなやかなものが勢いよく飛び出す。
「くっ――!?」
 ムチ。
 目にも止まらぬ速さで、グレイの放ったムチがリースリングの首元にからみつく!
 両手にナイフをもっていた彼女は、それを投げるべきか、ムチを防ぐべきか――彼女にしてはめずらしく――判断に迷った。
 その迷いが、致命的だった。
 彼女は首とムチの間に腕を入れようとした。だが、間に合わない。
 ムチが彼女の白い首に巻きつき、そして、絞まる。
「ぐっ――!」
 リースリングは首にとりついたムチを両手で引きはがそうとする。だがそうはさせじと、グレイがムチをすかさず横へ引く。
「あうっ」
 リースリングの細い体が、地面に無様に引き倒される。起き上がろうとするリースリング。だがグレイは容赦なく、二度、三度と彼女の首を体ごと引き続ける。
 リースリングは首にからみついたムチをはずせないまま、ただ右へ左へたたきつけられるだけ。ナイフを出す間もない。首を折られないよう、両手でムチを引っ張っておくのが精一杯だった。
 まだ体が万全であったなら、グレイのムチの引きにあらがうこともできただろう。だがいまの彼女は全身にがたがきている。特に両の足は――もはや崩壊しているといっていいはずだった。
(リースリングさんは、まともに立つこともままならないはずだ。そんな状態で、グレイの動きに対抗することなど――)
 トリッケンの表情が険しくなる。ミラも、飛び出していきたいのを必死に押さえている。
 剣技で勝負すると思われたグレイの意外なムチでの攻撃。形にこだわらず、勝負にこだわる彼の容赦のない猛攻。
 リースリングの劣勢は、明らかだった。
 さきほどの蹴り――リースリングにとってそれは、捨て身の攻撃だった。人の背の三倍ほどの高さまで飛び上がれる「力」を有する足。目にも止まらぬ速さで敵の後ろに回りこめるほどの「力」が秘められている足。そんな足での蹴りだ。威力は確かにある。だが彼女の足自体は、左腕のように「固く」はない。ベースはあくまで普通の骨と、普通の筋肉だ。そのままなにかを蹴りつければ、自分の足のほうが砕ける。
 彼女は捨て身の一撃でグレイをしとめる唯一のチャンスをつくりだした。だがグレイはそれを紙一重で回避し、いまや形勢は逆転。
 リースリングが勝てる見込みは――限りなく薄い。
 もう何回引き倒されただろうか。彼女の服のあらゆるところが裂け、削れてきていた。彼女ももはやすぐに起き上がることができず、ただ地面で荒い息づかいをみせているだけ。
 そこまできて、グレイが油断のない顔つきで告げた。
「――さすがに、ダグラスがてこずっただけのことはある。だがもう終わりだ」
 彼の右ほおには、リースリングが最後に放ったナイフによる傷で、血がにじんでいた。グレイはそのことにいま気づいたように、右の肩でそれをぬぐった。
「降参しないなら、あんたの首が折れるまで続ける。そろそろあきらめたほうが賢明だ」
 地面に無残に倒されたままのリースリングを、グレイは見下ろす。両手はまだ首のムチをつかんだまま、なんとか息をしている。だが、それだけだった。
 少しの間。荒野におとずれる、不思議な静寂。
 それをゆっくり破ったのは、リースリング。
 彼女は静かに体を起こすと、ひざを立て、顔を上げた。
 髪は乱れ、ほおには土がつき、首にはあざがみえる。これまでに見たことがないほど、痛々しい姿。
 だが――
 二つのアメジスト色の瞳は、まだ強く、しぶとく、グレイの顔をまっすぐにらみすえていた。
 執念。
 言葉で表すとすれば、執念。彼女の目は、まだ消えない不屈の灯を宿していた。
 あきらめも、絶望もしていない。
 生きることへの、勝つことへの執着。
 負けは、死と同義。降参などできない。
 彼女の全身から、紫炎が立ちのぼっているようにさえみえる。それほどの気勢。気迫。
 ――私は負けない。
 そう、彼女の眼は強く訴えていた。
 グレイの不動の瞳は、彼女の無言のまなざしを受け、やや色を変える。彼はムチを持つ手に再び力を込めた。
「そうか……なら、容赦はしない」
 そうしてグレイがムチを引こうとする。しかし――
「…………?」
 動かない。
 これまでと同じ力で引くが、びくともしない。
 グレイがさらに力を入れてムチを引く。だが、なおリースリングは抵抗する。体を揺らせながら、むこうもムチを引き合い、簡単には引っ張られない。
 どこにこんな力が残っていたのか――。
 それなら――
 グレイは手に全力を込め、腰の力もつかって、思い切りムチを振り上げた。
 さすがにリースリングもそれには対抗できない。また大きく斜めに体が投げ出されていく。グレイは体の向きを変え、リースリングを高く持ち上げてから、再び地面にたたきつける――
 それを、トリッケンは待っていた。
 グレイが王弟に背を向けるとき、視界から外れるときを。
「ミラさん!」
 トリッケンが呼び声とともに、姿を消す。瞬間移動。ミラも反射的に走り出す。
 彼が現れたのは、ラッシュのそば。
「――なにっ!?」
 突然の攻勢に、ラッシュがあわてて剣をかまえる。そこへ、トリッケンはレイピアを鋭く突きこむ。
 だがかろうじてラッシュはかわし、はじく。すぐ後ろには、王弟とトゥーレ。そこまでたどりつければ、こちらの勝ちだ。
 グレイもすぐにその異変に気づく。だが背後で起きていたことだったため、そのことに気づくのがわずかに遅れた。
 もう虫の息のリースリングを無視し、トリッケンの方に走ろうとするグレイ。しかし彼の手に、ムチを引く感覚。
 グレイが見ると、これまでになく強く地面へたたきつけたはずのリースリングが、もう立ちかけている。
「……あなたの相手は、私」
 アメジストの瞳が、グレイを刺すようににらむ。さきほどまで起き上がることもままならなかったはず。胸の横には裂傷。肩や腰の打撲は数知れない。だが、五体満足とばかりに彼女は二本の足で力強く立っている。いままでの態度も全て演技だったのかと相手に思わせるくらいに。
 紫の瞳に秘められた、静かだが、底知れない気迫。執念に裏打ちされた、不屈の精神。
 ふだんは冷徹さばかりが目立つ。だが、いまの彼女には、それだけでは説明できない心の色――熱情があった。
 両手剣を手放し、ムチを使ったことがあだとなった形。リースリングが倒れていない以上、ラッシュを助けにいくには、ムチを手放すしかない。だがそうすれば、リースリングがグレイの背後から何らかの攻撃をしかけるに違いない。
 グレイは賭けに出た。
 ムチを再び強く引く。今度は相手に抵抗する間もあたえず、はじめから全力で。リースリングは抵抗しようとするが、あえなく引っ張られ、地面に引き倒される。
 そこでグレイはムチを放した。そして後ろを振り返り、両手剣を拾うと、すぐに走り出す。
 リースリングが再び起き上がってくるのと、グレイが王弟のもとに駆け寄るのと、どちらが先か。
 ラッシュはまだトリッケンの攻撃を受け続けていた。右肩を負傷していたが、しぶとくトリッケンの攻撃を耐えている。グレイはまずそこへ割って入ろうとした。
 だが――
「まちな!」
 ツヴァイハンダーに勝るとも劣らない巨大な「何か」がグレイの横からいきなり打ち下ろされる。
 グレイが身をかわす。彼の前を、ブラウンの髪で挑戦的な顔つきの女がふさいだ。
「そこまでだよ。ここから先は、一歩も通さないからね」
 ミラがスカーレットを振り回す。グレイは剣で受け流せないその魔法の武器を、後ろへとびかわすしかない。
「ちっ!」
 一刻も早く王弟のところに戻りたいときに、厄介な敵。さらに進撃してくるミラに対して、タイミングを見計らい、ツヴァイハンダーをたたきおろす。
 ミラはそれをスカーレットの柄で受け止める。どういう素材を使っているのか、細い柄はグレイの巨大な両手剣を受けても全く折れる様子がない。
 なら、使用者の方を攻めるまで。グレイはじりじりと剣の圧力を上げる。腹部に傷を負っているミラの顔に、脂汗がふきだす。だが――
「……リースリングがあれだけやってるんだ。あたしがこのくらいでくたばるわけにはいかないだろ……!」
 グレイの押し込みを、必死に耐えるミラ。なかなか勝敗がつかない。
 そこへ、後ろから気配。
 グレイがミラから剣をはずし、振り返る。
 石が――彼めがけてまっすぐに飛んでくる。彼はそれをかわす。
 グレイの目に、上半身だけをなんとか起こし、離れたところから石を投げつけてきたリースリングの姿がみえる。
「そらぁっ!!」
 ミラの攻撃。剣では受け止められない。後ろへかわす。なかなか王弟のところまで近づけない。グレイの額にも、うっすら汗が見えてきた。
 と。
 ここまできて――
 てこずるグレイに業を煮やしたのか、あるいは敵が近づいてきたことへの恐怖からか――
 ついに王弟が、この場から逃げ出そうと後ずさった。
「こ、このままでは殺される……馬は大丈夫なのか? なら、わしはさきに逃げるぞ! おいトゥーレ、馬を立て直せ!」
「は、はっ!!」
 トゥーレは大慌てで、馬車の近くでちぢこまっていた従者とともに倒れていた馬を起こそうとする。さきほどトリッケンが「音の出ない笛」をふいてから時間が経過していたせいか、馬は落ち着きを取り戻し、素直にしたがった。
 馬車のところまで走り、すぐさま乗り込む王弟。トリッケンはそれを見て、薄く笑みを浮かべた。
 ――狙いどおり。
「待て! 先に行ってはだめだ!!」
 グレイが叫ぶ。だが、恐怖に駆られた王弟はもう馬車から姿を見せない。トゥーレが車に乗り込みながら、グレイに云った。
「王弟がここにいるのは危険だ。お前たちはここで侵入者らを始末しろ! 我々は先に行って待っているぞ」
「軍師、待て! この先にはなにがあるかわからん!! 俺達が警護を――」
 そこへ、ミラの一撃が襲いかかる。
「よそ見してんじゃないよ。二の次の仕事にされるほど、あたしはやわじゃないよ!」
 スカーレットの斬撃。グレイがすばやくかわす。まともに闘えば、ただでさえ傷を負っている相手。斬り倒すのにそれほど時間はかからない。だがそれでも、目の前の窮地には間に合わない。
 従者が馬を出してしまう。ラッシュもそれに気づき、グレイの言葉に従ってなんとか止めようとする。そこへ、トリッケンがそうはさせじとレイピアの連撃をあびせる。
「くそっ、どけっ!! 邪魔するな!!」
「はいそうですかとでも言うとお思いですか。ここは決して通しません」
 考えてみれば、おかしな状況だった
 通常なら、立場が逆。王弟が逃げようとしているのだから、侵入者らは追うはず。だがトリッケンもミラも、まるきり逆の対応をとっていた。
 馬車を、行かせようとしている。
 グレイは気づいていた。この先の森に、なにかをしかけている可能性に。だが王弟がこの場から動かなければ――ここで侵入者らを相手にしつつ、援軍を待っていれば――守りきることができる。その自信が、グレイにはあった。実際、あと少し時間があれば、三人を完全に戦闘不能にすることができたはずだった。
 だが、王弟はそうと知らず、自ら窮地に飛び込もうとしている。
 グレイとラッシュの馬は、すでにどこかへ逃げてしまっている。馬車が行ってしまえば、追うことはもはや不可能だった。
「――王弟!!」
 馬車が走り出す。グレイの最後の呼びかけも、もはや王弟には届かない。
 はじめて、グレイが苦い顔を見せる。ミラとリースリングの必死の攻撃をかわしながら、彼は砂煙をあげて逃げる馬車の後姿を、ただ見ているしかなかった。










 荒野からのびる道を進むと、ガダルカの西に広がる小さな森に入る。森にはいくつか道があり、剣兵隊が崖を大きくう回して鉄の壁をこえるための道もあった。だがここは、それよりも南側にある、いつもはあまり使う者のいないやや細くさびれた道だった。
 人々が争うガダルカの荒野とはうってかわり、木々が生い茂り、鳥のさえずりや虫の音も聞こえる平和的な空間。そんな中、たったひとり草の陰に身を隠している者がいた。
 グレイ、ラッシュとの戦闘に唯一参加していなかった、マクギガンである。
 彼はもし、馬車がトリッケンらの手をのがれてこの道にやってきたとき、王弟を始末するよう指示を受けていた。結果として、トリッケンが馬車をわざとこの道に誘うような形になったのだが、そんなことなどマクギガンは知らず、
「あ〜あ、まだこねえのかな……思ったより遅いな」
 リースリングらが傷を負いながら激闘を繰り広げていることなどさらに知るよしもなく、マクギガンはひまをもてあますようにあくびをはなった。
「このまま馬車なんてこねえんじゃねえのか。向こうでもう王弟を始末してくれてるとか? それなら楽ができていいけどな」
 ひとりごとを口にしながら、彼は魔法弾のでる筒を片手に、木を背にして座り込んでいた。
 と、そこへ。
 ぱからん、ぱからんと、馬が走ってくる音。その後ろから車が地面を蹴る音。
「――馬車だ!」
 緩みきっていた気を急激に引き締め、マクギガンは地面から起き上がった。
 体勢を整え、筒を構える。高く茂ったササの奥にいるため、まずこちらの姿をみられることはない。あとは、ちゃんと命中させるだけだ。
「まちわびたぜ、ったく……ちゃんと王弟は乗ってるんだろうな?」
 二頭連れの馬車がかなりの勢いで駆けてくる。王弟の馬車かどうかマクギガンには分からなかったが、いまの時間に城の方からやってくる馬車は王弟のものだと思ってタカをくくるしかなかった。
 近づいてくる馬車。マクギガンは筒をかまえ、馬が狙ったところにきた瞬間――
「いけっ!!」
 弾を発射した!
 足のつけ根あたりにそれはみごとに命中し、片方の馬が足をもつれさせる。外側にひっぱられた馬車につながっているもう一方の馬も、それにつられてバランスを崩す。
 そして馬車は、マクギガンの前を通り過ぎてすぐのところで、大きな音とともに右側に倒れた。
「やったぜ」
 砂煙をあげ、からからとまわる車輪。馬は二頭とも倒れ、その場でじたばたして立ち上がれずにいる。
 マクギガンはすぐに次の弾を筒に込めた。馬車からあわてて出てきた王弟を、この弾で始末するために。
 だが――
 いつまでたっても、中から人が出てこない。
 それでもしばらく待ってみるが、やはり人の動く気配が無い。
(――気絶したか?)
 マクギガンは注意深く、草むらから姿を現す。
 静かに馬車に近づく。なんの音も聞こえない。聞こえるのはあいかわらず、鳥の声と虫の音、葉のこすれる音だけ。
 馬車のすぐそばまできて、彼は注意力を最大限に引き上げた。
(接近戦は苦手なんだがな――しかたねえ)
 倒れた馬車の土台に近づき、入り口の幕をつかむ。
 そして彼は、一気にそれを引き上げた。中をのぞく。
(…………何っ!?)
 マクギガンの目に映った光景。
 それは、彼が全く想像だにしていないものだった。
(ど、どうなってんだ、これは……!?」
 そこで、マクギガンがみたものは――
 こめかみに空いた穴から血を流している王弟とトゥーレの、すでに絶命した姿だった。




 
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