死神と女神の狭間 第四章  

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 ラッシュは部屋に入ってからノガンのケガの具合について色々尋ねた。ノガンはいつもどおり強がった姿勢で応じ、逆に腹部に傷を負っていたラッシュの方に、どこで負った傷なのか、どれほどの傷なのかを訊き返していた。
 ウェインの方にも、ラッシュはノガンのケガについて訊いてきた。ウェインは彼と直接話すのははじめてで、ウェラとケンカをしたときの印象から彼が魔法嫌いであることを思い出し、はじめはやや緊張気味に受け答えした。しかしノガンを救ったことを評価しているためか、彼は最初に会ったときのようにやたらとつっかかってはこなかった。
 ひととおりお互いのケガの確認を終えたところで、ノガンはウェインに云った。
「――お前さんの師匠のことは、すまんかったな。結局、守りきれなんだ」
 落ち着いた口調のノガンに、ウェインは首を振った。
「いえ。ノガンさんのせいじゃありません。僕にもっと力があれば、お師匠様を守れたはずですから……」
「今回の戦いでは、物見の塔の戦死者が一番多かった。最も過酷な戦場にお前さんら若い兄妹をおかせてしまったのは、悪いとおもっとる――いまさらじゃがな」
「悪いのは、お師匠様の命を奪った侵入者です。ノガンさんは悪くありません」
 だがノガンは悔いることが多いのか、さきほどとは違い曇った顔のままだった。
「――そういえば、お前さんの妹はどうなのじゃ。重傷だと聞いたが」
「はい。傷は深かったんですが、あたりどころがよかったらしくて……妹は運が良いと、医者にいわれました。いまは容態も落ち着いていますし、意識も戻っています。ただ……」ウェインの表情が沈む。「どちらかというと、精神的なショックの方が大きいみたいで……お師匠様のことを伝えてからは、あまり元気がありません。僕がなにか言っても、全部うわのそらで……」
「妹って、このあいだいっしょにいた――」ラッシュのつぶやきにウェインがうなずく。彼はそれをみると「そうか。あんなにおしゃべりだったやつが……」と云って、おもわしげにまぶたを下げた。
 ノガンはひとつ息をつくと、思い出すようにつぶやいた。
「結局は、侵入者をとめられんかったのが敗因じゃな。やつらはいったい、どこから侵入してきたのじゃろう」
「地下道かららしいっすよ。隊長が言ってました」ラッシュが云うのに、ノガンは眉を寄せた。
「地下道? ガダルカの地下に張りめぐらされた、あの昔の坑道のことか。たしかにそこからなら、だれにもみつからずにガダルカの城に到達することもできるじゃろう。鉄の壁の向こうにまで坑道をのばしていたような話も聞いたことがある。……ところで、どうしてそれがわかったのじゃ?」
「物見の塔の近くの空き部屋で、鉱山局長が殺されているのがみつかったんす」
 鉱山局長、と聞いて、ウェインの心臓が高鳴った。
「鉱山――モスカート殿のことか。どうしてまたそんなところでみつかったのじゃ」
「わかんないっすけど、その空き部屋を調べたら、地下道の入り口がみつかったらしいんす。もしかしたら、その鉱山局長がネイルの侵入者と手引きしてたんじゃないかって、隊長は言ってました」
「で、用が済んだから口封じのために殺された……ということか? それが本当なら、大変なことじゃぞ。城の中に裏切り者がいたということになる」
「そうなんす。隊長もそっちに人を割いて、色々調べさせているみたいっす」
 いやな予感がした。
 占いで出ていた南の凶兆。モスカートの良くない相。坑道からの暗殺者の侵入。全てがウェインの頭の中でつながった。確証はないが、モスカートがネイル軍と事前に打ち合わせ、坑道から暗殺者を侵入させていた可能性は、決して低くないように思えた。
 ――じゃあ、リュールさんは?
 モスカートの侍女としてつかえていた彼女は、何をしていたのだろう。
 ウェインの記憶は自然と、リュールと最後に会ったときにいきあたっていた。



「…………ごめん…………」



 青ざめた顔で、唇をふるわせながら、彼女が最後に云った言葉。
 あのとき、リュールはウェインが飲もうとした紅茶のカップを急に払いとばし、部屋から逃げるように出ていった。
 そのあと――
 彼女は、どうしていたのか。
 本来なら、モスカートもリュールも近隣の村へ避難しているはずだ。しかし、モスカートは死体となってガダルカの空き家で発見された。主人のことをいつも気にかけていたリュールのことだ。主人をおいて彼女だけ村へ行くことなどあるだろうか。
 まさか、彼女も口封じのために、侵入者に――。
 その想像はしたくなかった。だが彼の推測は、どうしても悪夢へたどり着く。
 リュールさん――。
 そんな彼の横で、ラッシュはつぶやくように云った。
「でも、その鉱山局長の死体、あの侵入者たちがやったにしては、ちょっと乱暴だったらしいんすよ」
「乱暴?」ノガンが聞き返す。
「ノガン隊長もみたと思うんすけど、あいつら、手口がわりと手なれてるっていうか、無駄のない闘い方をしてたんすよ。やつらがやった物見の塔の兵士の死体をみれば、それが分かる。たいがい一撃でしとめてる。でも鉱山局長の死体は、頭をぼっこぼこにたたかれてたんす。そこまでやる必要がない、ってくらいに。そんなことやつらがするのかな、って」
「じゃが、ほかにやるやつはおるまい」ノガンがラッシュに云った。「なにか理由があったんじゃろう。ほかにも仲間がおったのかもしれん」
 ラッシュの説明に、ウェインはひっかかるところがあるような気がしたが、それは結局頭の中で形にならなかった。
「しかし――」ノガンはいやな夢でも見たかのようにまた眉間にしわを寄せた。
「あのリースリングという女……一体なにものなのじゃ」
 ノガンの言葉に、ウェインはリュールへの意識から現実に引き戻された。
「ダグラスから聞いておった、まさにそのままの闘い方じゃった。人の身長より高く跳び、目にも止まらぬ速さで廊下をかけぬける――わかっておったのに、止めることができんかった。……そういえば、グレイもあのおなごと闘ったと聞いたが」
「そうっす。他の侵入者と闘っていたときに、城の方からやってきたんっす」ラッシュが半ば感心したように云った。「あいつ、一人で城に侵入して王弟の間までたどりついてから、さらにこっちにも来たってことっすよね。並大抵の殺し屋じゃないっすよ」
「左腕から血を流さなかったというのは本当か?」ノガンが訊くと、ラッシュはうなずいた。
「それどころか、隊長の両手剣を腕だけで止めてました。あいつの腕、ふつうじゃないっすよ。思い出しただけで寒気がするっす。人間技じゃない」
「『死神』か」ノガンは天井をみる。「ダグラスの言っておった表現が、いまならよくわかるわい。人間にできる闘い方ではないな。死神か悪魔か、なにか人間でないものが人間になりすまして、人の命を刈り取ろうとしておるんじゃないか。そう思いたくもなってくるわ」
 ノガンの言葉を聞きながら、だがウェインはいまだに疑問をもっていた。
 物見の塔にやってきたときも、ガダルカの城で遭遇したときも。
 彼女の妖しく陰る瞳は、殺気とは別の次元にあるような気がしていた。
 本来なら、師匠を殺し、妹を傷つけた、憎むべき人物。だが、ガダルカの城で交わした彼女との唯一の会話、そしてウェインに向けられた彼女の紫色の目が、彼の中の憎悪を弱らせていた。


「僕の感覚が正しいなら……君は、死神なんかじゃない。でも、本当に君は――」

「……私が死神じゃなかったら、ほかになにがあるの……?」


 何かを訴えているようにも、何かをあきらめているようにもみえる、あいまいな色の目。他の侵入者にはみられなかった。彼女だけが、そんな視線を投げかけてきた。
 ウェインはそんな彼女の目つきを思い出しながら、リュールもそれと似た瞳をしていたことに気がついた。
 部屋から逃げ出す際の、リュールの表情。視線。
 彼女の目は、リースリングの向けてきたそれと、どこか似通っていた。
 ウェインの中で、たくさんの疑問の糸がもつれ、からみあう。だがその全てをひもとくには、手がかりが少なすぎた。
「そういえば、グレイは相変わらず戦後処理をしておるのか」ノガンがふと尋ねると、ラッシュが答えた。
「戦いが終わってからずっとっす。しばらくは手が離せないような感じでしたけど」
 ウェインは、はっとしてラッシュに訊いた。
「グレイさんは、いまどこに?」
「隊長は、さっきまで城の三階にいたけど……」
「僕、ちょっと行ってきます」そう云うと、ウェインはノガンに会釈し、すぐさま部屋から出て行こうとした。
「おい、隊長は忙しいから、あんまり邪魔になるようなことは――」
「わかってます!」
 ラッシュを振り返ってから、ウェインは扉を開けて外へ出る。そして、城の三階へ向かっていった。










 ラッシュの言葉どおり、グレイは三階の廊下にいた。
 昨日の戦いで負傷したらしく、グレイの左腕には包帯が巻かれていた。しかし動くのにはなんら問題がないようで、いつものようにやってきた兵士にてきぱきと指示を送っていた。
 彼の横には副隊長のオーイエルの姿もあった。鉄の壁をなんとか越えようとネイル軍が苦心しているすきに、彼はグレイの指示通りネイル軍の陣地を強襲し、昨晩ガダルカの城に戻ってきていたのだった。
 ウェインは廊下の先にそんな二人の後姿をみつけ、すぐに近づいていった。しかし――
「そんなことを言わないで下さい、隊長」
 語気を強めるオーイエルに、ウェインは声をかけるのをとどまった。
「私にはまだ隊長になる資格はありません。それに、ガダルカにはグレイ隊長の力が必要です」
 なにやら重要な話をしているようだった。グレイは真剣な顔つきで答えている。
「いますぐとは言っていない。だが王弟の代わりの統治者がやってきてしばらくすれば、俺は剣兵隊の隊長をおろされるだろう。王弟が殺害された責任をとらされて。そうなれば、隊長はお前になる。そのことは早く理解しておくべきだ」
「ですが、私も剣兵隊の副隊長です。王弟が殺された責任というなら、私も責任を負って職を辞します」
「それは責任を負うということにはならない。お前まで辞めれば、後に隊長になる者がいなくなる。そうなれば、困るのは部下たちだ。それに、お前には昨日の戦いで敵陣を攻め、退却に追い込んだ手柄がある。責任を問われることはないだろう」
「それは、隊長の指示があったからです。私の手柄では――」
「くどいぞ、オーイエル。それに俺は、お前の方が俺よりもよほど軍の隊長に向いていると思っている。自信をもて」
「グレイ隊長……」
 どうやら、進退問題の話をしているようだった。ウェインはその中に割り込んでいいものかどうか思案していたが、先にグレイがウェインの存在に気づいて後ろを振り返った。
「――ウェインか」
「あ……す、すみません。話の邪魔をしたみたいで――」
「かまわない。俺もちょうどお前を探していたところだ」
「えっ」ウェインは少し驚いて目を開いた。「僕を?」
「ああ。実はさっき、物見の塔の近くにある空き家から、鉱山局長の死体が見つかった」
「聞きました。かなり乱暴になぐられていたとか……」
「まあそれも気になるが」グレイはウェインをいつものように鋭い目つきで見下ろす。「いっしょにいるはずのモスカートの侍女の行方がわからなくなっている。たしかお前はその侍女と知り合いだったな。どこにいったのか知らないか」
 云われ、ウェインはやや気持ちを落としながら答えた。
「僕も、同じことをお聞きしようと思っていたんです。みんなが避難していた村の方にもいないんですか」
「ああ、みつからない。――そうか。あまりよくないな」
 よくない、という言葉に、ウェインは不吉さを感じ取った。
「いま、兵士らに城の周りを探させている。もし心当たりがあるなら、お前も探してみてくれ」
「わかりました」たのみの綱だったグレイからも有力な情報は得られず、ウェインはますますリュールの行方を心配した。想像したくない最悪の結末さえも、彼の脳裏にちらついてきた。
 いや、まだだ。彼は心の中で首をふった。まだ、城の周りを全て探したわけじゃない。きっとどこかにいるはずだ――。
 すぐにリュールを探しに行きたい気持ちをおさえ、彼は再びグレイを見上げた。
「あの、グレイさん」
「なんだ?」行こうとしたグレイはすぐに立ち止まり、彼を振り返った。
「もうひとつ、お聞きしたいことがあるんですが」ウェインは云った。「侵入者のことで……」
 グレイは黙ったまま、彼の方に体をむきなおす。ウェインはそのまま、グレイに向かって話した。
「侵入者の中に、黒髪の女性がいたと思うんですが……」
「リースリングのことか。紫色の目で、若い女」
「はい」ウェインがうなずくと、オーイエルが驚いた表情をみせた。
「リースリングとは、もしかしてダグラスの言っていた――?」
「ああ。お前にはまだ言ってなかったな」グレイはそう云うと、神妙な顔つきで云った。
「城内をかきまわし、最後に俺と闘っていたのは、そいつだ。ダグラスの言っていた、普通の人間では考えられないような能力を全てみせられた。人の背より高く跳ぶ、一瞬で遠くに移動する、左手で刃物を受け止める、全てな」
 この左腕もそいつにやられた、と、グレイは包帯の巻かれた左腕をあげてみせた。オーイエルが驚嘆する。
「隊長が一撃を受けるとは……それに、隊長の剣を生身の腕で止めるなんて。その女はやはり、なにか我々の想像の及ばない特殊な力を与えられているんでしょうか」
「さあな」グレイも小さく息をこぼし、ウェインに目線を移した。「それで、その女がどうかしたか」
「その……」と、ウェインは若干いいづらそうにしながらも、思い切って話した。
「グレイさんがリースリングと直接闘ったとき、なにか気になることはありませんでしたか」
「気になること?」
「たとえば……その……彼女の表情とか、様子とか……」
 ウェインの言葉を反すうするように、グレイは少し間をおいてから、彼に鋭いまなざしをむけた。
「……何が言いたい?」
 訊かれ、ウェインはやや気圧されながらも、はっきりとした口調で云った。
「……彼女、周りの侵入者と雰囲気が違うなと、感じたんです。他の侵入者は、だれも自分の障害を除こうという殺気に満ちていました。でも彼女だけは違った。闘っているのに、なんの感情も感じられなかったんです。物見の塔にやってきたときも、ガダルカの城で対峙したときも。だから、うまく伝えられないんですが、その……」
 ウェインは云った。「あの人は、本当に暗殺者なのかな、って」
 話を聞き、グレイはやや眉を寄せた。なにか困ったような表情にもみえる。
(……やっぱり、伝わらなかったかな)
 ウェインはいま云ったことをなんとかつくろうために言葉を選ぼうとした。だがそれよりさきに、グレイが「ひとつ確かめたい」と口を開いた。
 ウェインがうなずくと、彼は云った。
「お前は自分の師匠であるフェルトールが、その女に殺されたことをわかっていて、そんなことを言っているのか。勘違いならすまないが、いまのお前の話は、リースリングを擁護しようとしているように聞こえる。お前の中で、その女に対する憎しみや、復讐心はないのか」
 ウェインは、自分でも驚くくらい静かな気持ちで云った。
「……無いといえば、嘘になります。でもそのことと、いまお話したこととは、別の次元の話です。彼女の放つ不思議な雰囲気は、僕の中での――素朴な疑問なんです。それがもし、彼女の超人的な能力の謎を解く一端になれば、と」
 ウェインの言葉に、グレイはうなずくでも首をふるでもなく、ただじっと目を向けてくる。ウェインはたじろぎそうになるのをこらえながら、水色の瞳でまっすぐにグレイを見返した。
 やがて――
「――俺は、そうは思わない」
 グレイはゆっくりと口を開いた。
「感情があろうと無かろうと、あの女のやっていることは暗殺だ。もし本人が嫌々やっていたのだとしても、フェルトールを殺し、数え切れないくらいの兵士を殺したのだから、立派な殺し屋だ。いわゆる超人的な能力、というのも、仕事を遂行させるために自分で身につけたものだろう。闘っているときの雰囲気が分かったところで、女の能力の謎を解くことはできない」
 それよりも、とグレイは続けた。
「なぜ、お前は正直に言わない」
「えっ」グレイに云われ、ウェインはとまどった。
「正直に……」
「お前は、自分の素朴な感情を理論づけようとしていろいろ話をしているが、見え透いている。要は、あの女のことが気になっているんだろう」
「気になって……」ウェインは否定しようとしたが、なぜか言葉がのどの途中でつまった。
「自分と同年代の人間が、どうして暗殺などやっているのか。特殊な能力までみにつけて、どうしてそんなことに命をかけられるのか。女がどう考えているのか、知りたい。お前の疑問はそこだ」
 グレイの言葉に、ウェインは自分のなにもかもが彼に――自覚していなかったことまで――言い当てられたことに気がついた。
 ウェインはグレイの洞察力に感嘆した。結果として王弟は殺されたが、彼はフェルトールですらかなわなかった暗殺者らを退けている。実力があり、部下からも慕われる彼は、ウェインにとってある意味での理想の人物だった。
「ひとつだけ、俺が気になったのは」言葉の出ないウェインに、グレイは云った。「あの女はどれだけ追いつめられても、勝って生きのびようとしていたことだ。決して死に急いでいるわけでもなければ、常に逃げ道を考えているような雰囲気でもなかった。ただ目の前の相手に勝ちたい、そして生きたい、という気迫が、俺には伝わった。いや――」
 グレイが言葉をつなぐ。「生きたい、というよりも、死にたくない、といったほうが正確だな」
「死にたく、ない」ウェインはつぶやくように繰り返した。そして、自分がグレイに求めていた答えはそれだったんだなと、なんとなく感じた。
「それ以上のことが知りたいなら、本人を探して聞き出すことだ。俺にできる助言は、それしかない」
 グレイの言葉に、ウェインは納得したようにうなずいた。
 ウェインが礼を云うと、グレイとオーイエルは彼の前から去っていった。
 さっきの話の通りなら、グレイはまもなくガダルカからいなくなる。そうなれば今後、会うことは難しくなるだろう。彼は一度ゆっくりとグレイの話を聞きたいと思ったが、その機会はそうそうめぐってきそうにないと感じていた。だが、だからこそ彼の話は貴重なのだとも思った。
 ガダルカにやってきて、彼はこれまでの人生で最も濃密な経験をしていた。様々な人間の死、命がけの戦い、暗殺者との遭遇――。彼はその中でいくつものかけがえのないものを得た。失ったものもあったが、だから分かったこともあった。
 成長した実感はほとんどない。悔しさの方がその何倍も大きい。それでもこのことがきっと自分にとっての人生の糧になるだろうと、ウェインはとらえようとしていた。
 師匠が亡くなったいま、自分はどうするべきか。師匠との約束はひとつ果たした。今回の苦難――ガダルカの戦争を、妹とともに生きて乗り越えたこと。
 そして、もうひとつ。





「決して……私の命を奪った者たちに……恨みを……憎しみを……もたないように……」

「……彼らとて……ひとりの人間……状況が変われば……味方になる可能性が……必ずある……。憎悪や、怨恨は……その可能性を……なくしてしまう……」

「敵か味方かを……決めるのは……立場ではない……その人の……思いかた……なのだ……それを……忘れず……に……」





 リースリングに対して憎悪をもてないのは、グレイの云っていた通り、彼女のことが「気になっている」こともある。だが一番の理由は、師匠が死ぬ間際に残した言葉だった。
 敵か味方かは、その人の思いかたしだい。
 暗殺者ら――リースリングも、自分達の味方になってくれるかもしれない。だが思いかたを間違えれば、グレイや、ウェラですら、敵になることもある。
 ウェインはこの言葉をずっと心に留めようと決めた。自分の師匠が教えてくれた、最後の授業だったから。
 彼は走り出した。このことを、リュールさんにも伝えたい。何かに悩み、何かから逃れようとしていた、彼女に。
 間に合ってほしい。彼は心の中で祈った。そして、以前から決意していたことを胸の中で思い起こした。
 今度こそ――
 つなぎとめよう。彼女を。




 
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