死神と女神の狭間 第四章  

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 とある海沿いの町の裏路地に、二階建ての目立たない建物があった。
 この界隈はやや人通りが少ないものの、さびれているということはなく、表の街道とよく似たこぎれいな家が立ち並んでいた。海がすぐそばにあり、ひとつ道を出れば、どこまでも広がる青い海と空をながめることができる。天気がよければ夕日が映えるため、町はこれを名所として観光客を呼び込むこともしていた。
 そんな中にある、クリーム色の壁の建物。町になじんだ、どこにでもあるようなごく普通の事務所。それが、いまギルが使用している住まいだった。
 三月前からここへやってきたギルは、いつものように机と椅子しかない殺風景な部屋のまま、いまにいたるまでずっとこの建物の上階を使っていた。もともと建築屋かなにかの仕事場だったらしく、部屋には設計用の大柄な机やどう使うのか分からない計測器らしき小物がいくつか残されていた。だがギルはそれらにまったく手をつけず、すこしだけ机の位置を変えただけでほかはそのままにしていた。ギルにとって建物とは、ただ雨風をしのぐだけのもの。用心棒のウルサンにはそう思わずにはいられなかった。
 彼が護るギルはいま、椅子に座って正面にいる人間を細く鋭い目で見据えている。机をはさんだその向こう側には、紫色の瞳の殺し屋・リースリングがいる。
 彼女がギルの養子だといううわさは、ウルサンも知っていた。だが彼は寡黙な男であったし、ギルにそのことを直接尋ねるわけにもいかなかったので、ただのうわさという以上のことは知らなかった。彼はただギルの身辺を警護し、命令があれば飛び出してその実力を行使する――先日ネイル軍の陣地でアルマダの指を折ったように――それだけの存在だった。
 リースリングは黒基調のシャツとロングパンツといういつもよりややラフな格好をしていた。それは彼女の好みではなく、この町の雰囲気に服装を合わせたためだろうとウルサンは考えていた。
 ガダルカから帰還した彼女は、ギルのいるこの部屋で、仕事の簡単な報告を終えたところだった。概要はすでにトリッケンから聞いていたため、話の中心はリースリングのケガの具合に移っていた。トリッケンの話によると彼女はそうとうな重傷であったはずだが、この町にやってくるまでに「特殊な専門医」の治療を受けていたため、外見からはその様子をうかがうことはできなかった。さらに傷の状態をギルが訊いても、彼女はひたすら「大丈夫」と連呼していたため、実際のところどれほどの傷なのか、推察することすらできずにいた。
 だがギルは「お前がそういうなら、それでいい」と彼女を信用して、それ以上あれこれ尋ねたりはしなかった。
「お前の力は、お前自身のものだ。好きにすればいい。仕事さえ遂行してくれれば、文句はいわん」
 ギルは無表情のまま、椅子の上で足を組んだ。
「とにかく、ネイル軍が壮大な『失敗』をしてくれたにもかかわらず、お前はきちんとフェルトールとベル王弟を葬った。それで十分だ。相変わらず、お前は腕がいい。次も期待している」
 ギルの言葉に、リースリングはうれしがる様子もなく、ただ黙ったままだった。報告はこれで終わり。だが彼女は、なぜかまだ云いたいことがあるかのように、やや不信がるような目をギルに向けた。
 彼女の無言の視線を感じ取ったギルは、眉間にしわを寄せる。「なんだ、リースリング。不満でもあるのか」
 彼が尋ねても、リースリングはなかなか口を開こうとしない。どうして気づかないのか、とでもいいたげに、紫色の暗い瞳を向けるだけ。しびれを切らしてギルが立ち上がりかけたところで、ようやく彼女は小さく、ひとりごとのように云った。
「……私じゃない」
 リースリングはまっすぐギルを見据えたまま、わずかに首を横へ振った。
「……王弟を殺したのは、私じゃない。王弟は馬車の中で『勝手に』死んだ」
 彼女の言葉に、ギルは表情を変えないまま、少しだけ息をとめた。リースリングが確信をもったように続ける。
「……王弟を殺したのは、だれ」
 ギルは時間をつかうようにゆっくりとした動作でジャケットの内側からマッチと煙草を取り出す。小さく白い箱から一本の煙草をつまみあげてくわえ、マッチで火をつける。ひとつ大きく息をはいてから、彼は云った。
「怒っているか?」
 リースリングは眉ひとつ動かさず、ギルを見つめ続ける。だが彼の顔からは、なんの色もでてこない。
 ギルは淡々とした調子で話した。
「鉄の壁が破られなかったことがわかってから、色々手を打った。お前がいま気にしているのは、そのうちのひとつだ」
「……だれが、王弟を殺したの」
 なおも訊くリースリングに、ギルは切り捨てるように云った。
「お前が知る必要は無い」
 その言葉に、リースリングは一瞬眉をひそめる。それに対し、ギルは逆に表情をややゆるめた。
「お前が知りたいのは、王弟を殺したのはどんなヤツなのか、じゃなく、どうして事前にこのことを知らせてくれなかったんだ、ということだろう。お前に事情を知らせることができなかったのは悪いと思っているが、あの状況ではああするしかなかった。お前らがうまくやっているのかどうかは、あの時点では俺にはわからなかったからな」
 それでも、彼女はまだ納得できないでいるようだった。ギルは煙草をまた口元にもっていきながら、彼女の顔をうかがう。
「どうした、まだなにかあるか」
 リースリングはどこか不満をかかえたままのような目つきでギルをみながら、小さな声で云った。
「……あるけど、いい」
 ギルがさきほど云った言葉にあてつけたのか、投げ捨てるような口調。彼女にしては珍しく、自分の感情をあらわにしていると、ウルサンは感じた。
「気に入らないな」
 ギルはため息をつくように白い煙をはいてから、リースリングに灰色の目を向ける。
「言いたいことがあるなら、ここで全て言え」
 刺すような口調で、ギルが云う。だがリースリングも鋭い視線を返す。
「・・・・・・話しても、まともに答えてくれないのに」
 つぶやく彼女に、ギルは煙草の灰を落としながら、にらみすえた。
「言え」
 一瞬――
 相手をしばりつけるような凄みが、彼の短い言葉にこもる。
 冷えた空気。緊張感が、二人の間を――ウルサンの前を、走る。
 リースリングは視線を落とした。そこへ、ギルが口を開く。
「お前の都合は関係ない。命令だ。ここで話せ」
 彼の言葉に、リースリングは固い物でもぶつけられたかのように、肩をすくめながら張りつめた表情をみせた。
 このやりとりをみていると、本当に二人は親子なのかと思うときが、ウルサンにはあった。血がつながっていないとはいえ、十年ほどいっしょに過ごしているはずの二人。だが彼らがくだけた調子で話す場面など、ウルサンはいまだみたことがなかった。
 首領と配下の関係。それ以上ではない。ギルは絶対服従を命じ、リースリングはそれに命がけで従う。不満をもらすことはあれど、立場は変わらない。もしうわさを耳にしていなければ、二人が父娘であるなど、この会話だけでは想像すらつかなかっただろう。
 ウルサンはリースリングの顔色をうかがった。なにかをがまんしているように、そしてどこかやるせなさを感じているようにみえる。単純だが素朴な彼には、そう感じられた。
「・・・・・・アルマダに渡された城の地図が、一箇所間違っていた」
 リースリングが話す。ようやく、彼女がギルに視線を合わせた。
「致命的な場所。上の階へ行く廊下の配置が、まるまる一本違っていた。そのせいで、私も捕まりそうになった」
 彼女の説明に、ギルは少しの間をあけてから、云った。
「お前が捕まるなんて、よほどのことだ。たしかあの城には、鉄兵隊しかいなかったはずだが・・・・・・?」
「・・・・・・若い魔道師が一人、いた。たぶん、フェルトールがつれてきた」
「なるほど、な」
 ギルはなにかを考えるように目を上にむけてから、机の端にあった陶器製の灰皿をひきよせ、煙草を置いた。
「俺からの答えは、『ヤツのつくった地図が間違っていた』だ。それ以外、答えようがない」
 彼の言葉に、リースリングはやや肩を落としたようにみえた。
「・・・・・・そう、ね」
「不満か」
「・・・・・・別に」
「それなら、いいがな」
 ギルはまだ煙の出たままの煙草をそのままにし、腕を組んだ。そして、椅子にもたれかかるような姿勢をとってから、云った。
「――お前のことは、信用してる。俺からはそれだけだ」
 彼の言葉に、リースリングは複雑な感情の入り混じった顔を見せた。おそらく、ギルの返答に対する疑念も少なからずあるのだろう。ウルサンは思った。
 ウルサンは、知っていた。
 アルマダから地図を奪い取り、リースリングらに渡すまでの間に、ギルが何をしたのかを。
 当然、ウルサンには秘密を守る義務がある。ギルの行動の一切を話すわけにはいかない。だがもし話したとして、ではなぜギルがそんなことをしたのかと問われれば、彼にもわからないのだった。
 ギルが一体、何を考え、何を成そうとしているのか。ウルサンの推測できるところではない。おそらく、リースリングにも。
 何もいわないままじっと立っている彼女に、ギルは云った。
「次の仕事まで、しばらく時期をあける。そのあいだに、左腕と両足を治せ。幸いここは保養地のようだから、精神的にもゆっくりくつろげるだろう」
 リースリングは少しだけうなずいてみせてから、ようやく縛りから放たれたかのようにゆっくりとした動作で部屋を出ようとする。
「待て」
 ギルが呼び止める。リースリングはもとどおりの色の無い顔で、振り返った。
「お前、この町は初めてだったな。新しく入ったやつに案内させる。もうすぐ来るはずだ――」
 そうして、ギルがいい終えるか終えないかのところで――
 部屋の扉をノックする音が聞こえた。
 どうやら、タイミングよく案内人が来たようだった。ギルが「入れ」と云う。
 木製のやや厚い扉が静かに開く。そこから、リースリングと同じくらいの歳の女性が姿を現した。
 ややウェーブのかかった茶色いロングの髪に、赤茶色の大きな瞳。地味な格好だが、清楚な感じを受ける女性。一見、どこにでもいるようなただの使用人に見える。
 だが彼女の姿をみたリースリングは、一瞬だけ目を見開いた。
「ちょうどいいところにきたな。そいつがお前の案内をする」
 ギルの言葉を受け、女性はリースリングの姿を認めると、やや陰りのある笑顔をみせながら自分の名を云った。




「リュール=クラリスと申します。よろしくお願いします」




 
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