死神と女神の狭間 第四章  

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 ミラからみて、ウェラの放つ火炎魔法はひどくやっかいなしろものだった。
『冥界のチェイスファイア』。みたことも聞いたこともない魔法だったが、一度受けてみてその破壊力が予想をはるかにこえていることをミラは痛感した。部屋中が火炎に覆い尽くされ、わずかな逃げ場すらない。壁際に身を寄せることでかろうじて熱波から逃れたものの、次もうまくかわせるかどうか保証はできない。それほど、炎は空間の隅から隅までを焼きまわっていた。
 フェルトールの前に想定外の敵が立ちふさがったことでどうしようかと思案し、ひとまずミラはリースリングに前をまかせた。ウェラの顔をみてまだ若いからと油断していたことは否めなかった。もちろん、単純に魔法が苦手だというのも本音ではあったのだが。
 ところが、リースリングは逆に術者に近づくことで、その火炎魔法に対抗した。
 ウェラの魔法は両手から放たれたのち、一気に広がって空間を焼き尽くす。だがその威力が強大すぎるためか、放った直後は炎の進行にムラがあった。そこに生じたわずかなすき間に身を入れれば、炎の群れをかわすことができる。そのことが、部屋の外から魔法の様子をみていたミラにはよく見て取れた。むしろ一度目の魔法で、リースリングはそれをみつけていたのだろうとミラには思えた。
 そして、相手の攻撃をかわした瞬間に、もっていたナイフを投げる。彼女がよくやる方法だった。
「ウェラ!?」
 さんざん火炎魔法を放った女魔道師が前かがみのままゆっくりとひざをおり、そして床に倒れる。後ろにいた魔道師の青年が、あわてた表情で彼女の名を叫びながら、そのすぐそばに走り寄った。性別は違うが、顔が似ている。おそらく兄妹なのだろう。ミラは回復魔法を唱えようとする青年に対し、「そうはさせないよ!」と声を上げ、かけだす。それよりも前に、リースリングがすばやく二投目のナイフを取り出し、青年に向かって放った。
 だが――
 キンッ! と、何かにはじかれる音がミラの耳に入った。
「なに?」
 ミラが戸惑う。その目には、一直線に青年に向かって飛ばされたはずのナイフが、あさっての方向へ回転しながら宙を舞う光景が映っていた。
 リースリングもわずかの間、動きを止める。そしてそのまま彼女はさっと後ろへ退いた。
「リースリング! いまのなんだい?」
 そばまでやってくるミラ。リースリングは波立たない水面のように静かな声で云った。
「……バリアを張られた」
「バリア?」
 リースリングの視線の方向に気づき、ミラもそちらを見る。そして、納得した。
 白髭の魔道師――フェルトールが、手にしていた短い杖を前に突き出している。その上部にはめこまれた水晶の中がゆらめているのがミラには見えた。なにかの魔法が発動していることを、その様子は示している。
「目には見えない、透明なバリアが張られている。たぶん、強力な」
「ちっ。よぼよぼのジイさんのくせに」
 云いながら、ミラは『スカーレット』を構えて前進した。その先端は、彼女の意思で自在に形を変える。さきほどまで長い刃の形になっていたものを、今度はハンマーの形に変化させた。
 四、五歩進んだところで、足の先端に固いものがふれた。確かに、目に見えない『壁』がいつのまにかできている。彼女はフェルトールの顔をにらみつけながら得物をゆっくりと振り上げた。
「これでも食らいな!」
 さきほどリースリングのナイフがはじかれたあたりをめがけて、ミラはスカーレットをたたきおろす。すると、空を切るはずの武器が途中でなにかにぶつかる。バリバリと鳴り飛び散る閃光。ミラはその感触を確かめながら、なお両腕に力を込める。
 しかし。
 最後になにか強い反動が起き、ミラの武器は押し返されてしまった。
「なにっ?」
 ミラは体勢を戻しながら、またフェルトールの方を見すえる。だが老人は、応じないという風に真剣な表情を変えようとしない。
「くそっ!」
 ミラはまた武器を振り上げ、バリアへむかって全力でたたきつける。しかしまたバリバリという音がした直後、押しのけられるようにあっけなくはねかえされる。
 魔道師らはひとまずなにもやってくる気配がない。そうみると、ミラは何度も何度もスカーレットでバリアを破壊しようと試みた。だがそのたび、なにもない空間にできた不可思議な壁にはじきかえされる。いらいらした気持ちを積み上げるミラ。
「どうなってんだ、こいつ!」
 云いながらむきになってまた武器を向ける。それを、リースリングが止めた。
「ミラ、いったん下がったほうがいい。トリッケンとマクギガンももうすぐ来るから」
「なんだよ。あと二、三回やれば破れるかもしれないじゃないか。それまであたしは続けるよ!」
「落ち着いて。このままじゃきりがない――」
 そのとき、後ろから階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
 ミラが振り返ると、トリッケンとマクギガンの姿がそこにみえた。
「ミラさん! リースリングさん!」
 トリッケンが部屋に入ってくる。後ろからマクギガンもついてきたが、地上二十階という高さまで階段で登っているのがよほどつらかったようで、その表情はひどく疲れていた。
「やっと最上階か……何階あるんだこの塔は……」
「じじくさいこといってんじゃないよマクギガン。それよりトリッケン、これ、なんとかしてくれ」
 そう云ってみせるようにバリアをスカーレットで軽くたたくミラ。またバリバリという音と青白い光が散る。トリッケンは室内の様子をみて、状況をだいたい把握したようだった。
「なるほど、魔法のバリアですか……」
「こいつのせいで前へ進めやしない。おかげでリースリングがせっかくあの女魔道師をやったってのに、もとのもくあみだ」
 バリアに守られている間、魔道師の青年は回復魔法を唱え続けていた。おそらく致命傷を負っただろう妹の方が復帰してくることはないだろうが、兄のほうだけでも戻ってこられるとまたやっかいだ。ただでさえ苦手な魔道師――それも腕の立つと思われる者を三人も相手にし、ミラはそろそろ嫌気が差していた。
 そのとき、杖を前へ向けたままの体勢のフェルトールが、口を開いた。
「そなたら……ネイルの正規軍ではないな」
 しわがれた、しかしよく通る声に、ミラは挑発するように返した。
「ああそうだよ。あたしたちは雇われ人だ。みりゃわかるだろジジイ。それとも特殊部隊か何かにみえたか?」
 いらいらした調子で云う彼女に、フェルトールはとりあおうとせず、冷静な顔で云う。
「わしの命を狙ってきたのだろうが……どこから侵入してきたのだ」
「あ? 地下だよ、地下。地下道を通ってきたんだ」
「ミラさん、そのことは……」トリッケンがあわてて云うのに、ミラはなかばやけくそになりながら顔を向けた。
「別にいいだろ。どうせここで殺るんだから。冥土の土産だよ」
 それへ、フェルトールは驚いた顔も見せず、ただ細い息をひとつだけついてから云った。
「なるほど、だれかが手引きをしていたということか……」
 その老魔道師の妙な落ち着きが、ミラを余計にいらだたせていた。
「んなことはどうだっていいんだよ。あんたはだまってあたしたちの手にかかりな」
 ミラがフェルトールをにらみつける。そんな彼女に、後ろからマクギガンが小声で話しかける。
「あいつが世界三大導師のひとりか。やっぱ風格があるな……」
「マクギガン、あたしをこれ以上イライラさせるようなこと言うなよ。三大導師だかなんだか知らないけど、よぼよぼなんだからさっさと片付けりゃいいんだよ」
「でも結局、このバリアどうすんだ? お前の武器でも破れないんだろ。そうとう強固な魔法じゃねえのか」
 そこへ、フェルトールと同じくらい静かな口調でトリッケンが口を挟む。
「そうですね。破るのは容易ではありません。おそらく最上級の頑丈さをもったマジックバリアでしょう。このままだと彼らは天上階から城の方へ応援を呼ぶでしょうから、そうなるまでになんとかしなければいけませんね」
 かなりせっぱつまった状況であるのにもかかわらず、ティータイムでも過ごしているかのように落ち着き払っているトリッケンを、ミラが急かす。
「だから、どうすんだよ。はやくしないとあの若い魔道師が回復魔法を終わらせちまうよ」
「わかっています。まあ見ててください。マクギガンさん、打ち合わせていた手はずでいきますよ」
「え? ――ああ、あれか。だいじょうぶかよ、あのやり方で」
「ええ。見ていてください」
 そう云うと、トリッケンは前に進み出る。その歩き方は、ここが戦場であるにもかかわらず、どこか気品のある優雅なものだった。特別ではない。いつもトリッケンは暗殺者に似合わないそうした歩き方をする。だが戦いの場にあってそうした雰囲気は、どうみてもふさわしくないようにミラには感じられたのだった。
 まだ魔道師の青年は回復魔法を続けている。相当てこずっているようだ。それはそうだろう。リースリングのことだから、一撃で相手に致命傷を負わせたに違いない。もはや助からない傷を、彼はあきらめきれずに治そうとしているのだ。だがそれも長くは続かない。
 なんとしても、城から援軍がくるまでにフェルトールの命を奪い、この塔から出なくてはならない。それが今回の仕事の第一の関門だった。いまのところ、むこうはだれも援軍を呼びに動く気配はない。
 このバリアさえ破れれば――。
 トリッケンがバリアのあったあたりまで歩を進める。そこで、フェルトールとまっすぐに対峙した。こちら側の四人の中で、ある程度魔法に精通しているのは彼一人だけだ。自分もマクギガンも魔道武器を扱ってはいるが、本人に魔法の技術があるわけではない。リースリングにしてもそうだ。だから、「魔法には魔法」で対抗するなら、たのみはトリッケンしかいない。
 だが、相手は世界三大導師の一人。その魔道師が張ったバリアを破れるのか。ミラはその方法を聞かされていなかった。「方法というほどのものでもないですよ」と彼が言っていたのを聞いただけだ。
 フェルトールがトリッケンと顔をあわせる。と、これまでしわだらけで色の薄かった老魔道師の顔が、微妙に変化した。
「……そなた」
 フェルトールが片眉を上げながら口にする。
「以前、どこかで会わなかったかな」
 意外な――少なくともミラにとっては――フェルトールの言葉に、トリッケンは特別な反応を示すこともなく、いつもどおりのぶれのない端正な調子で返す。
「いいえ。人違いでしょう」
 そして少しの間、お互いに相手を見すえあったまま沈黙する。ふとおとずれた静寂の時間に、ミラはすぐ発破をかけた。
「トリッケン! ぼさっとしてないでさっさとやりな!」
 彼はそれに答えず、バリアの張られた箇所に右手をそっとのばした。
 そこから黄色い光が、最初小さく、そして徐々に強く発せられる。なにもないはずの空間から現れた色。なんらかの魔法をトリッケンが使っているのだとミラは判断した。
「アンチマジック」ミラの横にいたリースリングが、ぼそっとつぶやいた。ミラが訊く。
「アンチマジック? なんだいそれ」
「言葉のまま。維持されている魔力を無効化する魔法」
「無効化? ってことは、あのじいさんの張ったバリアを魔法で破る気なんだな?」
「たぶん。でも常識的に、相手以上の魔力がないと、かかっている魔法を打ち消すことはできない」
「じゃあ、トリッケンにフェルトール以上の魔力があるってことじゃないの? あいつ、自信満々で歩いていっただろ」
 そこへ、マクギガンが水を差す。
「そりゃねえって。フェルトールは世界三大導師だぜ? いくらトリッケンが優秀だっていっても正面からいったんじゃかなわねえだろ」
「じゃあどうするつもりなんだ」
 訊かれ、マクギガンは自分の持つ筒状の武器の一部を回しながら云った。
「それをこれからやるんじゃねえか」
 そして、彼は自分の得物である武器のさまざまな箇所を指で操作する。彼の武器は、筒状の装置から魔法の塊のようなものを発射し、遠くにいる相手に命中させ倒す、という代物だ。だがミラにはこの武器の構造や使い方がいまだによくわからずにいた。彼のひどく複雑な準備動作を見るたび、単純で使い勝手のよい物を好むミラは辟易し、思考を中断してしまうのだった。
 その場にひざをついてしゃがみこみ、武器を構え終わるまでの彼の一連の動作を、遠くの山でもみるかのようにながめてから、ミラは再びトリッケンの方に視線を向けた。トリッケンのてもとにあった黄色い光は徐々に広がりをみせ、いまは彼の背の高さほどになっていた。
 集中力が相当高まっているのか、トリッケンの顔にこわばりが浮かんでいる。おそらくフェルトールの「最上級の頑丈さをもつ」バリアを破るために、自分の魔力を全力で注いでいるのだろう。だがフェルトールの方は、いまだ表情ひとつ変わっていない。深いしわのほられた顔に真剣なまなざしをもたせているだけだ。はたからみれば、トリッケンの方がかなり分が悪そうにみえる。
 それでも、トリッケンは根気強くアンチマジックを放ち続けていた。魔法が効いている黄色い光が、透明だったバリアの形を浮かび上がらせる。バリアは地面に近いほど広がり、上にいくほど狭くなっている――ドームのような形で張られているようだった。中心はおそらく、フェルトールのいる場所なのだろう。
 時間が流れる。早くしなければ、あの若い魔道師が魔法を終え、何らかの形で城へ応援を呼ぼうとするだろう。そうなれば、いくら自分たちの戦闘能力が高いとはいえ、一階にひとつしかない出入り口から脱出することは難しくなる。ベル王の暗殺というもうひとつの目的の達成も厳しく――ほとんど不可能になるだろう。一刻も早くこの厄介なバリアを破らなければならない。だがいまの自分はただ待つことしかできない。それがミラの焦燥感をいっそうつのらせていた。
 もどかしい時間が流れる。かなりの時間が経過したようにミラには思えた。実際にはほんのわずかな時間しか流れていないのかもしれないが、彼女にはとてつもなく長い時に感じた。
 黄色い光はしばらく広がっていない。今の状態が限界であるようだった。トリッケンの顔にも若干の汗がにじんでいるようにみえる。宝物部屋の扉のカギ穴に針金を差しこんで開けようとする盗賊のように、トリッケンは魔法を放ちながらじっくりとバリアに向き合っている。本当にこのバリアを破れるのか? ミラはまたバリアに食ってかかれるようスカーレットの先端をハンマーの形に変えようとした。
 そのときだった。
 突然、フェルトールの体勢が乱れた。
「ごほっ! ごほっ……」
 深いせきとともに、体が前かがみになる。手にした杖はなんとか前に突き出したままだったが、精神の集中は乱されたようだった。
「お師匠様!?」
 妹を治療していた青年が声を上げる。以前は病気で床に伏していた時期もあったフェルトール。トリッケンはこれを待っていたのかと、ミラははじめて気づいた。
 心なしか、アンチマジックの黄色い光が強くなったようにみえる。魔法のパワーバランスがその一時だけ崩れていた。
 すかさず、トリッケンが大きな声で云った。
「マクギガンさん!!」
 それに答える間もなく、ミラの横で片ひざ立ちのまま構えていたマクギガンの武器から、魔法の弾が発射された。
 弾は目にもとまらぬ速さで飛んでいき、トリッケンのしかけていたアンチマジックの黄色い部分へ突っ込んでいく。
 通常ならそこで弾ははじかれるはずだった。だがその弾は、あれだけ強固だったフェルトールのバリアをいとも簡単に突き破った。
 そしてそのまま一直線に、フェルトールが手にしていた杖へ向かう。
 直後、杖の先端にあった水晶が、鈍い音とともに砕けた。
「!?」
 一瞬だけ、フェルトールの顔に焦りの色がうかぶ。だがせきは喉の奥からまだ出続ける。それをなんとか押し殺そうとながら、フェルトールは体勢を立て直そうとする。
 それはほんの数秒。バリアを破られ、杖が砕かれ、もう一度フェルトールが両手ですばやくバリアを構築しようとするまでの、わずかな間。
 だが生死のかかった戦いでは、数秒で人の命を奪うことは容易だった。




 
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