死神と女神の狭間 第四章  

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 フェルトールが病弱であることは、ウェインにもわかっていた。強力な魔法を長い時間使い続けるわけにはいかない。だからネイルの魔法兵器をとめようとわざわざ魔方陣までつくり、魔力の発動を抑制するための長大な魔法を使用すると師匠が云ったとき、ウェインは不安に思った。つい先日まで床に伏していたのに、長旅の疲れもあるいまの状態でそれだけの魔法を使うとなれば、師匠の体にどのような影響が及ぶのか。すくなくともよい方向にはいかないだろうと、彼にも想像できた。
 それでも師匠がやるからには、それなりの目算があるのだとウェインは考え、反対はしなかった(妹は正面きって反対していたが)。いつか体調が悪くはならないか、倒れはしないかと心配しながら。
 その懸念が、魔法兵器を抑える前の侵入者の出現という想定外の状況で現実となってしまった。
「お師匠様!?」
 いまだ意識の戻らないウェラを抱えながら、ウェインが叫ぶ。侵入者の一人、エルフの男と対峙していた師匠が、突然せきごみはじめた。あまりに強力な魔法のかけあいが、師匠の体に無理をさせていたに違いなかった。だがそれにしても、通常なら師匠のバリアはアンチマジック程度の魔法で弱められるはずがない。師匠の体調を差し引いても、エルフの男の魔力は並の魔法使いをはるかに凌駕していたことになる。
 そして直後、師匠の杖が破壊された。杖は魔道士にとって魔力を蓄積する場所になっている。それがなくなれば、また一から魔力をためなおさなければならない。さらに体には負担がかかることは想像にかたくない。
 ウェインは師匠のもとに走り寄るために立ち上がろうとした。だが、彼にできたのはそこまでだった。
 まばたきをした一瞬。その後で――。
 彼に目に映ったのは、師匠の胸に、ウェラが受けたものと同じ形のナイフが突き刺さっている光景だった。
「――――!!」
 ウェインは息をのんだ。その瞬間だけ、時間の流れが極端に遅くなったように感じた。
 フェルトールが――師匠が胸に刺さったナイフを見やる。杖を放し、両手でナイフに触れようとする。それと同時に、のどの奥からせせりあがってくる熱い液体。師匠が苦もんの表情をみせながら、たまった赤い血を口の横から垂れ流す。
 これまで必死に耐えてきたものがぷつと切れたかのように、両膝が深く折れる。手をつくこともかなわないまま、フェルトールは魔法陣の描かれた床にどさりと倒れる。それはまるで、強風を受け続けていた大木の根元が耐え切れず土からはがされ、大きな音を立てて地面に倒されるようだった。
 実際にはわずかな時間。だがそのときが、ウェインの中で残像となり、何倍もの時間をかけて進んでいく。
 世界三大導師の一人。ミコールの大魔道士。
 ウェインの魔法の師匠であり、先生であったフェルトールが、四人の侵入者の前に屈した瞬間だった。
「お師匠様!!」
 ウェインは立ち上がり、すぐに師匠のもとへ向かおうとする。そうはさせじと、ミラも走り出した。
「また魔法で治療する気だね。やらせるか!」
「いや、いい」
 だがそれを、リースリング――バリアが破れたわずかな隙を見逃さずにナイフを投げはなった張本人が、姿勢を元に戻しながら止めた。
「大丈夫。もうフェルトールは助からない」
 これまでと同様、すずしい顔でそう云う彼女。ミラが足を止める。
「なんだい、あいつが治療できないほど深手なのか?」
 振り返ったミラに、リースリングはうなずいた。
「致命傷を負わせた。まず助からない」
「では、すぐに下におりましょう。巡回兵がこの塔の異変に気づいたかもしれない」トリッケンが話すのに、ミラが声をかける。
「トリッケン、今のでそうとう魔力つかったんじゃないか?」
「ええ。でもそんなことを言っているヒマはありません。まだこれでようやく仕事の半分ですから」
 さきほどまで浮かべていた疲労の表情をいまはまったく見せず、トリッケンは答えた。マクギガンはすでに筒型の武器を肩にかついで部屋の外へ出ている。
「はやくいこうぜ。援軍が来たら一貫の終わりだ」
 そうして侵入者たちはウェインらのほうに目もくれず、すぐに最上階の部屋を出ていく。そんな彼らの前で、ウェインは倒れた師匠のもとに駆け寄った。
 だが、ひとめでそれが完全に致命的な傷であることが、彼には分かった。リースリングの投げたナイフは深々とフェルトールの心臓あたり突き刺さっており、出血もおびただしい。彼の使える魔法、彼の備えた魔力では、とうてい治療は不可能だった。
 それでもウェインはあきらめきれず、しゃがみこんで回復魔法を唱えようとする。ミコールの至宝。偉大なる魔道士。なにより、自分にとってかけがえのない人生の師。その命を救おうと、ウェインは自分にできる最高の治療魔法を詠唱する。
だがそれを、フェルトールの弱々しい手がとめた。
「――お師匠様?」
 ウェインが傷口にかざそうとした右手に、老魔道士のしわの深い手が触れる。その手は死を前にしているはずなのに、古くから木々の生い茂る森のような薄暗い落ち着きがあった。
 傷を治さなければ。そのことでいっぱいになっていた彼の頭の中に、フェルトールの落ち着きが伝わる。とたん、ウェインは顔をあげた。部屋にはまだ侵入者がいる。自分たちを襲ってくるかもしれないということに、彼はようやく気がついた。
 だが彼に見えたのは、部屋から出て行こうとする最後尾の侵入者の姿だけだった。黒髪の、自分と歳もかわらないだろう女。フェルトールも、ウェラも、最終的には彼女の凶器に倒された。
 リースリング、と仲間から呼ばれていた、あの女に。
 ウェインが見ていると、彼女が部屋を出る間際、こちらを振り返った。一瞬だけ、その紫色の瞳が、ウェインの蒼い目と合った。
 ウェインの中で、形にならない感情がよぎる。
 あの人は――
 何を考えて、何を思って、あの場にいるのだろう。
 色のない表情のまま、女は今度こそ部屋を出て行く。
 ウェインはなにか声をかけたい衝動にかられた。だがなにを言っていいのか分からず、ただ黙って彼女がそのまま行くのを見届けるしかなかった。
「……ウェイン」
 と。
 かすれた声が、彼の下から聞こえた。見ると、フェルトールが口から血を流しながらも、なんとか声を発している。
「お師匠様!」
「ウェイン……こんなことに……なって……すまない……」
 息も絶え絶えの状態で、フェルトールが話す。ウェインはどうすればいいのかわからず、ただフェルトールに声をかけ続けた。
「お師匠様、すみません……僕が……もっとしっかりしていれば……僕に、もっと力があれば……」
「……やみくもに力を求めては……いけないよ……ウェイン……」
「でも……」
「……城に助けを……いまならまだ間に合うかもしれない……」
「もうしゃべらないでください!」
 ウェインの言葉に、フェルトールは首をほんの少しだけ、左右に振った。
「……自分の……体のことは……自分がよくわかっている……ウェイン……」
「お師匠様!」
 胸からの出血は止まる気配を見せず、床には血だまりができていた。ウェインは自分の足が赤くぬれるのもかまわず、フェルトールの声をよく聞くようさらに顔を寄せた。
 天井を向いたフェルトールの漆黒の目は、なによりも深く、なによりも広大な世界を映している。だれよりも多くの白魔法を身につけ、古今の知識を集積し、魔法の正しい利用と発展に尽くしてきた大導師の複雑で緻密な思慮が、その目を通してウェインに伝わる。
「ウェイン、聞きなさい……」
 フェルトールの小さな声に、ウェインは必死に耳をかたむける。
「ウェイン……約束してほしい……どんな形でもよい……必ず生きて、この苦難を……乗り越えるのだ……」
 そして、とフェルトールは言葉をつなぐ。
「決して……私の命を奪った者たちに……恨みを……憎しみを……もたないように……」
「恨みも、憎しみも……?」
「……彼らとて……ひとりの人間……状況が変われば……味方になる可能性が……必ずある……。憎悪や、怨恨は……その可能性を……なくしてしまう……」
 そこで、言葉がとまる。目を閉じ、すぐにまた開いて、血があふれる口を動かそうとする。最後の力をふりしぼって、フェルトールは自分の死と闘っていた。
「敵か味方かを……決めるのは……立場ではない……その人の……思いかた……なのだ……それを……忘れず……に……」
 そこで、言葉の波が止んだ。
 静かに閉じられる瞳。口からは力が抜け、表情がこわばりから解放される。ウェインの手に置かれたフェルトールの右手は、筋がとれたかのようにそこからずり落ち、地面にそっとおりた。
 死との闘いが、終わった。
 昨日まで彼らが魔法の鍛錬をし、生活の場としてつかっていた部屋の床は赤く染まり、そこにはただ物言わぬ高齢の老人の体が横たわっている。
「お師匠様……?」
 ウェインはフェルトールの体をゆすった。心ではもう分かっていた。だが認めない彼の意思がそうさせた。
 枯れた老木のような、しわの刻まれた体。もう何十年も前からそこにあったかのような不思議な自然さが、死者となったフェルトールにはあった。その顔は、さきほどまでの壮絶な死に方からは想像できないほど、やすらかで、きよらかになっている。
 ウェインは起こった現実についていけず、頭の中が真っ白になっていた。人生の師ともいうべき人の死を目の当たりにし、涙のひとつも出なかった。ただ彼は呆然とし、全身からすべての生気が抜け落ちていた。
 フェルトールのいた世界は冷酷に時を刻む。時間は、彼の心の起動を待ってはくれない。侵入者は塔から脱出し、魔法兵器は『鉄の壁』のすぐそばまで迫っていた。










 どれくらいの時間が経過したのかわからない。
 ウェインは立ち上がってウェラを背負い、助けを呼ぶために階下へおりようとしていた。
 心の整理はついていない。とつぜん現れた侵入者に、妹が倒され、師匠の命が奪われた。自分だけがなぜか無傷の状態で生き残っている。その現実に、彼は混乱していた。
(助けを……)
 ウェインはうめいた。
「助けを……呼ばないと……」
 最上階から地上まで二十階ある。妹を背負っておりるのは彼の体力的にかなり厳しい。しかしそれ以外に方法が思いつかない。彼には離れた相手に言葉を伝えるような魔法も、瞬間転移できるような魔法も使えなかった。
 力のない足取りで階段を下りていくと、まもなく彼の目に凄惨な光景が映った。
「…………!!」
 そこにあるのは、バルコニーに飛び散る血。手すりにもたれる死体。階段に落ちる人の腕や足。
 この塔にいた全ての警備兵が、切り裂かれ、突き刺され、倒れ、死に果てている。
 血にまみれた道。ただよう鉄さびと肉の臭い。すべて、四人の侵入者のしわざであることは明らかだった。彼がみたことも、感じたこともない、死が充満した世界が、そこには落ちていた。
 ウェインは思わず、みぞおちのあたりに不快感を覚えた。目をつむり、つばを飲み込みながら彼は駆け出す。血の臭いをかがないよう、口で息をし、一切の死体を視界から消した。
 だが段を降りるときは、目を開かねばならない。まぶたを上げると、そこには散々に刻まれた人間の体がある。
 ウェインは息をのみ、後ずさろうとして体勢を崩す。背負ったウェラを振り落とさないよう無理に体をねじらせるがまにあわず、彼は妹とともに床に倒れた。
 血なまぐさい香りが彼の鼻を刺激する。彼はなんとか起き上がってみると、だれかの赤黒い血だまりが彼の服のすそを、そでを、染めていた。
「あ…………あ……」
 すべての感覚が萎縮したウェインは、けいれんしたかのように体を震わせると、その場におう吐した。
 いままでせきとめていたものが、一気に流れ出る。彼は恥も面目もなく、ただ動物のように胃の中のものを吐き戻す。
 耐え切れなかった。
 いつも平和な世界で暮らしていた彼にとって、いまの場所はあまりに異質で、残酷すぎた。
「はあっ…………ああ…………」
 呼吸が乱れる。心臓が鳴り止まない。ウェインの心は極度に混乱し、渦を巻いている。異常な精神状態に、ウェインは侵されようとしていた。
(僕は…………)
(こんなところで…………なにをやっているんだ…………)
 見えるのは、累々と積み重なる死体。感じるのは、ただただ死臭のみ。
 自分だけが無傷で、唯一の動いている人間。
 ここがどこか、ウェインは一瞬わからなくなる。
 広がる死の世界。人間の死体。
 死、死、死。
 右手にしみるものがある。目の前に手をもってくると、そこにあるのは他人の赤い血。
 ウェインは目を開き、口をあける。
 そして、叫んだ。
 塔全体に響き渡るくらいに。
 彼がこれまでの十八年間の人生で発したことのない、狂気に満ちた声を。
 何度も、何度も。
 のどが焼け付くように痛むのもかまわず、彼はただ叫んだ。
 やがてそれを終えると、ウェインは両のこぶしで地面をおもいきりたたく。頭をもたげ、体をふるわせる。本能が――彼の心の奥底にあったものが、彼にそうさせていた。
 いまだ助けに来るものもなく、ウェイン以外に動く人間もない「物見の塔」。ガダルカでの最初の悲劇の舞台になったこの場所は、ひとりの不幸な青年を冷たく責め立てていた。
 お前は、なぜ生きている。
 なぜ、死ななかった。
 なぜ、血を流して闘わなかった。
 無言の圧迫が、彼のまだ若い背中にのしかかる。だが助けてくれるものも、救ってくれるものも、ここにはいない。
 それからしばし、無音の時間が流れた。
 生命の鼓動も聞こえない、静寂の空間。
 時間がたつとともに、次第に空白だった彼の精神に、ほんの少し前の記憶がよみがえってくる。
 フェルトールの深い森のような静かな瞳が、彼の脳裏にささやきかける。


 生きて――

 必ず生きて、この苦難を乗り越えるのだ――。


 ウェインの瞳にようやく、青く澄んだ色が戻ってくる。
 いつのまにか、呼吸は落ち着いていた。鼓動もおさまっている。
 あたりの静けさを、ウェインははじめて感じた。嵐が過ぎ去ったあとの海のように、心の波が平たくなっている。
 ウェインは徐々に、冷静さを取り戻し始めていた。
(ここから……)
(ここから出ないと…………はやく、助けを呼びにいくんだ……)
 ウェインはいまだ力のない妹を背負い直す。そして、石造りの階段を一歩、また一歩下り始めた。
 まだ心の中は混乱している。だがひとつだけやらなければならないことに、彼はようやく気がついた。
 生きて――
 ガダルカから生きて――
 この戦争から生きて、ミコールに帰らなければならない。
 そのことに。




 
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